第二十七話 肉は、煙で残せ
猪の宴から一夜が明けた。
目を覚ました俺は、小屋の外へ出る。
小屋のまわりでは女衆が土器を洗い、火床を整えていた。
男衆は道具を抱えて持ち場へ向かっている。
名張の朝は、すでに動き出していた。
――――――――――
「……にぃに……あさ……?」
イミコも、眠たげに目を擦りながら小屋から出てきた。
俺達は、村の来客用の小屋を借りたのだ。
「昨日は楽しかったな」
「……ぅん……」
貫頭衣には、昨夜の火の匂いが、
うっすらと残っていた。
「おはようございます、巫女さま」
水桶を抱えたひとりが頭を下げる。
「イミナ様も、おはようございます」
皆、すれ違うたびに挨拶を交わしてくる。
この村で俺達を忌避する者は、もういなかった。
「……きょう、なにするの……?」
後ろから、イミコが聞いてきた。
「昨日のお肉を、もう少し長く残せるようにね」
「どこか、いくの……?」
「村のすぐ外まで、煙にいい木を見に行こうかな」
イミコは、きょとんとした顔をしたが、
すぐに小さく頷いた。
「……イミコも、いく……」
――――――――――
山の奥深くまで行く必要はない。
村外れの木々を歩きながら、
枝を折り、匂いを嗅ぎ、樹皮の湿り気を確かめる。
「……にぃに、なにしてるの……?」
「やわらかい煙を出す木を探してるんだ」
「けむりは、みんな、おなじじゃないの……?」
「煙が強すぎると、肉がただの焦げになるから。
だから、やわらかい煙がいいんだけど……」
「お、これは……」
足元の香草を摘んで指で揉むと、
青く、すっとした匂いが立った。
「……くさぃ……」
「少しだけ煙に混ぜると、肉に香りが移るんだよ」
「……けむりで、おにく、こわれなくなるの……?」
「ずっとじゃないけど……」
「でも、そのままよりは長く持つから、
明日、その次……くらいまで繋げられるかな」
「……それは、いいこと……?」
「ああ。かなりな」
「じゃあ、わたしも、もつ」
イミコは嬉しそうに足元の細枝を一本拾った。
「頼む」
――――――――――
「おう、戻ったか」
村へ戻ると、イワホコが肉のそばに立っていた。
猪肉はすでに分けられている。
今食う分、煮る分。
そして、昨夜から塩を擦り込まれた分。
「一部、生のままにしてあるけどよ。
これ、どうするつもりだ」
「それを煙で長持ちさせます」
イワホコは笑うでもなく、
疑うでもなく、俺の顔を見る。
「煙で、ねぇ……」
ただ、不思議そうな表情を浮かべていた。
そこへ、アサメが土器を抱えてやってきた。
その後ろには、シラガもついている。
「塩を、肉にこすりつけてまわったんですが、
すべてに、とはいかなくて……塩は、貴重ですから……」
アサメが肉へ目を落とす。
「塩は海の方から来る、貴いものじゃからなぁ……」
シラガも低く頷いた。
「病の者に使うこともあるし、
肉だけに、惜しみなく振れるものではないからのう……」
食料は貴重である。
だが、その他にも大事なことがあるのだ。
「そこで、煙による保存を試します、
肉の保存量を増やし、塩の消費も減らせます」
「煙で……」
アサメが小さく息を呑む。
「塩ほど深くは持ちません。
でも、生よりはずっと持つかなと……」
俺は、生のまま、
分けてある細長い肉を持ち上げた。
「今夜だけで消えるはずの肉を、
明日や明後日へ繋げられ……味も変わります……」
「……ふむ、見せてもらおうかの」
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俺は、火床から外れた場所に、
燻し場を組んだ。
湿り気のある枝を混ぜ、
刻んだ香草を、底に投げ入れる。
白い煙が、ゆるやかに立ちのぼった。
「これも、火の巫女様の御業なのかしら……」
アサメが呟く。
「……へんな、におい……」
イミコが鼻をひくひくさせる。
「そのへんの草を燃やしてるんだからな」
イワホコが笑う。
だが、その目はちゃんと肉を見ていた。
村の糧になるかどうかを見定める目だ。
煙は、ゆっくりと肉をなでていく。
表面の色が、
少しずつ変わっていった。
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しばらくして、俺は肉の端を切り分けた。
「試してみましょう」
「もういいのか?」
シラガが、その眉を上げる。
「まだ浅いですが、香りの違いはわかるはずです」
シラガが、一口、ゆっくり噛む。
「随分と香りが立つのう。
焼いた肉とは、全然ちがうわい……」
「噛むと、あとから味が広がるのね……」
アサメは、何度も噛み締める。
「……いつもの、おにくと、ちがぅ……」
イミコが小さな歯で噛み、
しばらく、じっとしてから、俺を見上げた。
「悪いか?」
「……ぅうん」
イミコは、ゆっくり首を振った。
「へんだけど……おいし……」
「それがいちばん正直だな」
イワホコが低く笑っていた。
周りに人が集まり始め、
煙の先の肉を皆が見ていた。
「不思議な香り……食欲がそそられるわ……」
「焼いただけより、匂いが深いな」
村に、ざわめきが広がった。
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「ふぅ……」
俺は、息を吐く。
上手くできるか一抹の不安もあったが。
おおむね評判は良さそうだ。
あとは数日、実際の保存状態を見ていかなければならない。
「にぃに……これ、もっと、おいしくなるの……?」
俺は、色を変え始めた肉を見つめた。
「ああ。まだまだ、これからだ」
「……わぁ、たのしみ……」
イミコが燻しの白い煙を見上げる。
それは、名張の村の上空へ、
どこまでも、ゆるやかに昇っていた。




