第二十五話 命の恵み
「まずは、解らすぞ」
裂いた腸のぬめりを、タケは、
沢の水へ沈めるようにして洗っていった。
石の上に落ちた血が、冷たい流れに溶けて、
赤は、すぐに薄まって消えていく。
沢の水は、刺すように冷たかった。
「トネ、そっちを頼む」
脇にいる年嵩の猟師、
トネが、猪の開いた部分を広げてみせた。
「ふんっ」
タケは、その腹の内へ太い腕を入れる。
ためらいなく、だが乱暴ではない。
傷つけてはならぬところを避け、
出すべきものだけを素早く引きずり出していく。
「腹を抱えたままじゃ、活きが長く持たん。
血も、熱も、ここで落とすんじゃ」
トネが、こちらに視線をむける。
「なるほど……」
俺は、思わず頷いていた。
「見るのは初めてだろう、どうだい……」
獣の体温がまだ残っていて、
冷たい空気の中で、白く淡い湯気が立ちのぼっていた。
ついさっきまで山を駆けていた命。
それが、今、タケたちの手で、食になる形へ変わっていく。
「とても……理にかなってるな、と……」
知識にあれど、目の当たりにする解体の迫力たるや。
とても凄まじいものだった。
「相変わらず、言ってることはさっぱりだが、
顔だけ見れば普通の子供なんだがな」
隣で、猟犬の世話をしているハヤトが、
軽快な笑い声をあげていた。
「見てわかるなら、それでいい」
タケは、一度だけこちらを見て、
また猪の腹へ視線を戻す。
短い言葉だけれど、
それで、十分だった。
――――――――――
食えるものと、ここで落とすものを、
タケたちは迷いなく分けていく。
ただ、腹を割くのではない。
食えるものを見極め、持ち帰れる形へ整えていく。
獲るだけでは、
まだ、狩猟の半分なのだ――
そんなことを思わされた時、
タケの手が、肝のところで止まった。
「食え」
肝の端を、ひと口ぶんだけ切り取り、枝先で軽くあぶる。
じゅっと、小さく音がする。
濃い匂いが立った。
「現場の役得だな……くぅ、うめぇ……」
ハヤトは、さっそく、
自分の分を口へ放り込んでいた。
二匹の猟犬にも、分け与えられている。
俺も、それに倣う。
「いただきます……」
まだ熱い。
口へ運ぶと、最初に来たのは、
鉄のような濃さだった。
火の香りが重なり、噛むたび、
苦みの奥から、じわりと旨みが滲んでくる。
「……うまっ」
自然と言葉が漏れた。
「だろうな」
タケだけは無表情に近かったが、
ほんの少し、目の力がやわらいだ気がした。
現場で働いた者だけが知る、わずかな口分。
それは贅沢というよりも、
命を受け取った者の「印」のようなものに思えた。
「よし」
タケが、猪の脚をまとめて括る。
血も落とし、腹も軽くなった。
「棒を」
山で拾った棒が通され、
皆で担げる形へ整えられていく。
獲り、抜き、落とし、縛り、担ぐ。
そこには、なにひとつの無駄がなかった。
火を守り、水を分け、
穢れを遠ざけるのが俺のやり方なら。
この男たちは、獣を村の糧へ変えるやり方を、
これまでの歴史の中で知っているのだ。
これが那婆理の民か――
「行くぞ」
もう、それは、
生臭い獣ではない。
村へ運ぶ「糧」に姿を変えていた。
――――――――――
山道を通り、村へ帰る。
村の気配が見えた時、
最初に気づいたのは子供たちだった。
「あっ――!」
甲高い声があがる。
「ししだ!」
「おっきい!」
その声に村の女衆が振りむく。
ぱっと、一斉に村の空気が華やいだ。
イミコが、村の中央広場から駆けてくる。
「……おおきぃ……」
猪の姿を見上げると、目をまるくしていた。
「これは……また、凄いのう……」
猪の胴を見て、シラガの目も、
ゆっくりと細くなった。
歓喜の声を一身に受けながら、
那婆理の民は、
村の中央広場にある「巫女の火」の前に猪を下した。
「こんな立派なのを……」
「久しく見なんだねぇ……」
皆の顔が明るんでいくのが、よくわかる。
イミコが、俺の袖を引く。
「……すごいね」
「ああ」
村中の目が、そこへ集まっていた。
飢えにやせた顔も、病み上がりの弱い目も。
一様に、その恵みを見上げている。
山を駆けていた命が、
今、村の命へと、繋がったのだ。




