第二百二十三話 架橋編:川を知る者
夏の夕暮れ。
陽が沈む前には、
名張の環濠へと戻っていた。
環濠内の広場では、
幾つもの焚き火が起こされている。
名張の村人たちは火を囲むように並び、
その手には、串刺しの川魚。
その焼けた皮から脂が落ちるたび、
香ばしい匂いが、あたりに広がってくる。
「ずいぶん獲れたものですね」
一本の串を手に取り、俺は声を上げた。
「今日は、人手があったからのう」
名張臣であるシラガが、隣で笑みを浮かべる。
今日、川辺に集まった者たち。
筏の試しに加わらなかった者たちが、
その間、川で魚を獲ってくれていたのだ。
篭に詰めて持ち帰った魚が、
今夜の夕餉となったわけである。
「にぃに、おさかな、いいにおい!」
夕暮れの風が、昼間の暑さを和らげてくれる。
「熱いから気をつけて」
焼き上がった魚を、
俺は、骨に気をつけながら身をほぐす。
「ありがとっ」
イミコは、小さな口で魚を頬張った。
「んんっ! おいしい!」
その満足そうな顔を前に、
つい、まわりの者たちの頬も緩まる。
――――――――――
「それにしても、まいったな」
焼き魚を頬張っていたタケが、
ふと、思い出したように声を漏らす。
「まさか、二つ繋いだだけで、
あんなことになるとは思わなかったぜ」
「本当に危ないところでしたね」
俺も苦笑いを浮かべる。
「でも、皆さんの川流れは、
見事なものでしたよ」
「ん?」
「一つの筏なら、岩場だって、
見事に避けて下っていたじゃないですか」
俺は、タケたちの顔を見渡した。
「まあな」
タケは、串の魚を豪快に頬張った。
「筏ひとつなら、いくらでも下ってやるさ」
タケの言葉に、周りの那婆理の男たちも、
得意げに頷いていた。
古くからやってきた「川流れ」に対する、
自信からくるものだろう。
「だが、二つとなると勝手が違った、
あれじゃあ、棒を突くにもままならねえ」
タケが悔しそうな声をあげる。
「引き上げた筏の繋ぎの縄、
あれ、かなり擦れていたよな……」
イワホコが、魚の串を持ちながら、
こちらに歩み寄ってきた。
「筏同士の繋ぎ方も、
考え直さなきゃならんかもしれんなあ」
筏を操舵する、那婆理の男たち、
筏を組み立てる、名張の男衆たち。
それぞれが各々の課題に直面している。
「そうですね……」
俺は、焚き火へ視線を落とす。
赤く燃える薪が、ぱちりと音を立てた。
俺が知っているのは、
後の世に行われていた筏流しの光景。
実際に、どう作り、どう操っていたのか。
自分で言い出しておきながら、
正直なところ、そこがわからない。
なにか、こう解決の糸口があれば――
「川の流れが、違うんだよ」
不意に、低い声が聞こえた。
俺たちが顔を上げると、
そこには、年嵩の船頭が立っていた。
そして、串に刺さった魚を、ひとかじり。
「流れが違う、だと?」
タケが、顔を向ける。
「前の筏と、後ろの筏でな……」
船頭の男は、食べ終えた串を脇へ置くと、
燃え残った小枝を拾い上げる。
そして、広場の土に、
ゆるやかに曲がった線を二本引きはじめた。
「ここが、川だとするだろう……」
小枝の先で曲がりの外側をなぞる。
「すると、川の外の流れは速く、
内側は緩いことがある」
「……ああ」
タケも、静かに頷いてみせる。
「わしが、舟を渡すときもな、
場所によって水の押す力がまるで違うんだ」
船頭の男は、ふたつの小石を拾いあげる。
一つを曲がりの外側へ置き、
そして、もう一つを、内側に残した。
「お前らが川に乗ったとき、
筏は、こう流されていったが……」
外側の石だけを、先へ動かしてみせる。
「前の筏が、速い流れに乗った、
だが、後ろは、まだ遅い流れのなかにいた」
「繋がってりゃ、前は後ろを引っ張る。
後ろも、前を引っ張り返す」
老人は、二つの石の間を、小枝で示す。
「筏の数を増やせば、こういう違いが、
とても大きく響いてくるんだ」
「縄の問題や、筏の造りの問題だけでは、
なかったんですね……」
おもわず、おれは呟いていた。
「この流れは時間でも変わる、
川はな、見た目ほど、素直じゃねえんだよ」
船頭の男は、静かに頷いた。
――――――――――
「なあ、サオネのじいさん」
「なんじゃ」
サオネと呼ばれた老人が、
タケに目を向けた。
「明日の筏、前に乗ってくれねえか」
その一言に、周りの男たちが顔を上げた。
「わしにか?」
「ああ」
タケは、迷いなく頷いた。
「俺たちも、川流れなら慣れてるが、
それよりも山の民だ」
「うむ」
「じいさんほど、名張の川と、
ずっと向き合ってきたわけじゃない……」
そこで、タケは、にやりと笑って見せる。
「だから、これから、じいさんの川の見方を、
俺たちに教えてくれねえか」
「わしから、川の技術を奪い取るつもりか」
サオネが、驚いたように目を細める。
「知らねえことは、なんでも見て盗ればいいだろ」
タケは、あっけらかんと答えた。
「おもしろい、一朝一夕で盗れるものなら、
おおいにやってみるがよい」
サオネは、屈託のない笑顔を浮かべた。
長年、名張の渡しを担ってきた、
村の住人からも頼りにされる男であった。
「だが、わしは舟の男、
筏とは勝手が違うのだが……」
「名張の船頭に、筏は無理か?」
「はっ、ふざけるでない、
水の走り方で若いもの遅れを取るものか」
「俺たちの川流れの経験で、
後ろの筏からの支えは任せてくれ」
タケが、胸を張る。
「……まったく、年寄りを使うのが上手いのう」
サオネが、声を上げて笑った。
そうして。
まわりの男たちからも、
笑い声があがる。
「明日は、わしが、
立ってみせようじゃないか」




