第百六十一話 創造の漆:為吾のもの
「囲まれている」
カゲハの言葉に、
その場の誰もが動きを止めた。
山風が途切れたというのに、
かさかさと、頭上で枝葉が揺れる。
木々の幹と、重なり合う影、
そのどれもが人の姿に見えてくる。
それなのに。
いくら目を凝らしても、
その者たちを見ることができない。
「クゥ……」
クロが低く喉を鳴らし、
右へ、左へと耳を動かしている。
「一人や、二人じゃないですね……」
クロの首元へ手を添えながら、
ハヤトは静かに呟いた。
――――――――――
「これは、これは」
木々の隙間から。
一人の男が、
ゆっくりと姿を現した。
年の頃は、タケよりも若い。
顔には、控えめな刺青が彫られている。
裾に、土のついた質素な衣。
目立つ飾りもない。
手には質素な木槍。
その穂先は、
まだ、こちらには向いてない。
「このような険しい山道に、
子連れで、わざわざ訪れるとは……」
男は、数歩の間を残して立ち止まる。
「果たして、なに用ですかな」
その口元には、
薄い笑みが浮かんでいた。
「三野と、名張からの使者として来ました」
まずは俺が前に出る。
毎度のことだが、
相手の意表をつくことができるからだ。
「ほう」
男は、わずかに眉を上げる。
「これはこれは、
ずいぶんと元気な童だ」
元気、か――
さっきまで、妹よりも、
先に息を切らすような兄だけどな。
だが、出だしは上々だ。
「我は――」
俺の横から、タケが一歩前へ出る。
「那婆理之稲置武なり」
その野太い声が、
静かな青山の森へ響きわたる。
「こたびは話し合いに来た」
男の後ろに広がる木々の奥にまで、
タケは、視線をむける。
「まさか――」
そこで一拍。
タケが、すっと目を細める。
「我らと槍を交えるつもりでは、あるまいな」
こちらから足を踏み入れながら、
へりくだるどころか、相手を威嚇する。
なかなかに危険な一手、だが――
「…………」
目の前の男から返事はない。
ただ遠くで。
かさり――
枝葉が、ひとつ揺れた。
「那婆理之稲置か……」
ぽつりと男が呟く。
「知っておるか」
「かの、那婆理の王でありますな……」
名張でも、三野でもない。
男が反応したのは「那婆理」の名だった。
「…………」
どうやら、俺が口を挟むより、
タケに任せてみるのがよさそうだな。
俺は半歩だけ後ずさり、
タケの後ろに位置を下がる。
「それで、ぬしらは何者だ」
タケは腕を組む。
「これは失礼」
目のまえの男が軽く頭を下げた。
「我は青山之阿保……、
青山に身を置く、ただの一人にございます」
ただの一人。
そう言うには。
周囲に潜む気配のすべてが、
この男の言葉を待っているようにも感じる。
「話があると言われるならば、
長に代わり、話を伺うぐらいはできましょう」
「それで構わぬ」
タケは短く返事をする。
「ただ、我らの環濠へ、
案内することはできませぬ……」
アボの視線が、
俺たちの背後へ流れる。
「なぜだ」
「我ら為吾の者は、
住処を、他所の者へ明かしませぬのでな」
為吾――
俺たちが「伊賀」と呼ぶのとは、
どこか違う響きがあった。
「それでよろしければ、
話を聞く場所へ案内しましょう」
「かまわん、ぬしらの、
住処を探りに来たわけではないのでな」
もう一度、アボの目を見据える。
「我らは、話ができれば、それでよい」
「……なるほど」
アボが、木々の奥へ片手を上げると。
がさりと茂みから一人。
さらに、反対側から、もう一人。
「こちらは阿波根、阿上です」
二人は無言のまま、
ただ、こちらへ軽く頭を下げる。
アバネは槍を低く持ったまま、
周囲を広く見渡す。
アガミは、俺たちの一挙一動に、
その視線をむけていた。
だが、これで全部じゃない――
クロが、まだ、三人とは違う方向へ、
その耳を動かしていた。
――――――――――
それから。
案内された先にあったのは。
森の中に、ぽつんと残された、
ひとつの竪穴だった。
周囲には畑もない。
「では、こちらへ」
アボが、入口の筵を持ち上げる。
「うむ」
タケを先頭に、
中へ足を踏み入れると。
ぼふっ――
乾いた土埃が、足元から舞いあがった。
「けほっ……」
イミコが小さく咳き込み、
俺の袖を掴む。
竪穴の中央にある炉は冷えきっており、
底の古い灰は固まっていた。
壁際の草束も所々で抜け落ち、薄くなっている。
「奥へどうぞ」
アボが片手を伸ばして、
竪穴の奥へと、俺たちを促す。
入口から差す光のむこう、
その竪穴の奥は、ひどく薄暗い。
なるほど――
俺たちを竪穴の奥へ入れて、
青山側が、入口を押さえるつもりか。
「ふむ」
タケが、竪穴の入口へ視線を向ける。
「竪穴に犬を入れるのもなんだ、
ハヤト、おまえはクロと外で待て」
「分かった」
ハヤトは、一度だけ頷くと、
そのまま、竪穴の入口の脇に立った。
「用心深いことで……」
すぐ横で、アボが呟いた。
「互いにな」
それだけ言い残して、
タケは、迷わず竪穴の奥へ進んだ。
どかっ――
土の上へ、その腰を下ろす。
俺も、そのタケの横に座り、
イミコは、いつもどおりに俺の隣だ。
さらに、その隣で、
カゲハが静かに膝を折る。
タケと、カゲハで両端に構える。
なにかあっても迅速に動けるように。
「……なるほど」
そんな俺たちの配置を見届けてから、
アボたち三人は、竪穴へと入ってきた。
アボが前方に座り、
アバネと、アガミが後ろに控える。
入口から差す光を背にして。
アボの表情は、
さきほどよりも見えづらくなっていた。
「さて――」
アボが、両膝へ手を置く。
短い沈黙が落ちる。
「それでは、
要件のほどを承りましょうか」




