第11食 カステラ
森のダンジョンは、朝靄の名残をまだ抱いていた。
木々の間から差し込む光はやわらかく、葉の露がきらめいている。
湿った土の上を歩く足音が、控えめに響く。
シャロとアグニは、並んで歩いていた。
「そう言えば」
前を歩いていたアグニが、不意に口を開いた。
「言われてみれば、シャロって何者なんダ?」
アグニがそう聞いてくる。
先ほどの冒険者二人組の会話から、今更ながら疑問に思ったのだろう。
その言葉に、シャロは足を止めた。
アグニは首をかしげて続ける。
「魔物なのに人を襲わなイ。むしろ助けるし、あんなにうまい料理まで作れル。シャロって名前も誰が付けたんダ?」
その声に責めるような響きはなかった。
むしろ、純粋な好奇心、そして、仲間として知りたいという思いが込められていた。
少しの沈黙が流れる。
「喋れないってのは不便だナ」
アグニの笑い声を聞きながら、シャロはふと自分の存在について考え始めていた。
シャロは人間が魔物になった存在、だが、そもそもその前提がおかしいのだ。
『……人間が、魔物になることは確かにある』
死者がゾンビやスケルトンになる。
あるいは、ヴァンパイアやグールに噛まれた者が、同じ種の魔物へと変わる。
そういった現象は、どの時代でも記録されてきた。
だが、そのどれもが人型だった。
ゾンビ、スケルトン、グール、ヴァンパイア。
どれも「人の姿」を残している。
そして何よりも共通しているのは、人間であった頃の理性や知性を失うということ。
彼らはもう「人間ではない」。
人のように見えても、思考は完全に魔に堕ちている。
『……けれど、私は』
シャロは自分の手を見下ろした。
どう見ても植物の魔物、それなのに思考は明晰で、記憶もハッキリ残っている。
自分の事、親の事、仲間の事。
これはあり得ない。
『人間が植物の魔物になるなんて、聞いたことがない』
記録にも文献にも、そんな例は存在しない。
つまり、自分の存在は異常なのだ。
『私は……人間に戻れるんだろうか?』
風が木々を揺らし、緑の影が揺れた。
***
あの後もしばらく森の中を歩いていると、空気が変わった。
柔らかな風がぴたりと止み、代わりに重く粘つくような圧が辺りを満たす。
「……来るゾ」
アグニが立ち止まり、低く唸るように言った。
シャロもすぐに異常を察知し、思考を切り替える。
頭の奥に渦巻いていた「自分は何者か」という問いを、今だけは押し殺す。
戦闘の時に迷いは不要だ。
『……来る!』
シャロが心の中でそう感じ取った瞬間、森の奥から木々がなぎ倒される音が響いた。
バキバキと折れる音、地面を揺らす重い足音。
葉が舞い上がり、土が弾ける。
そして姿を現したのは二匹の、巨大な熊だった。
全身を分厚い黒い毛で覆い、その眼は血のように赤く染まっている。
爪は鋭く、一本一本が人の胴ほどもある。
「キラーベア……しかも二匹か!」
アグニが舌打ちし、拳を構える。
だが、その背後から、さらに地を震わせる音が響いた。
「……ッ!まだいるゾ!」
森の奥の闇が、ぐらりと動いた。
巨岩のような影がゆっくりと姿を現す。
キラーベアより一回り大きい巨体、毛並みは漆黒ではなく、深い灰色。
その目は、獣というよりも王の風格すら漂わせていた。
──グランドベア。
シャロとアグニの顔が一瞬だけ強張る。
「こいつ……間違いないなナ。この階層の“ぬし”ダ!」
三匹の巨獣が低く唸る。
地面が、空気が、震えた。
二匹のキラーベアが地を蹴った。
その突進は風を裂き、土煙を巻き上げながら一直線に迫る。
シャロとアグニはすかさず跳び、それを避ける。
『《リーフ・カッター》!』
シャロの刃の葉がキラーベアを襲う。
キラーベアはシャロの葉で切り刻まれ、悲鳴をあげる。
だが、1つの巨躯がシャロの葉っぱなど意に介さずに一直線に突進してくる。
地面が揺れ、空気が押し潰される。
アグニが咄嗟に身を引いたが、直後、轟音とともに地面が吹き飛んだ。
破壊の一撃、あれをまともに喰らえば、アグニでもただでは済まない。
「ヤバいナ……あいつ、ぬしの中でも相当だゾ!」
息を整える間もなく、グランドベアは次の攻撃のために前足を叩きつける。
シャロはその動きに注意を払う。
一方二人の後ろでは、二匹のキラーベアが再び立ち上がっていた。
身体に無数の傷ができているのにもかかわらず、その目の炎は消えていない。
むしろ、怒りによってさらに赤く輝いていた。
「シャロ!そっちは任せタ!こっちはアタシが相手をすル!」
アグニは地面を蹴り、正面から突っ込んだ。
キラーベア2匹も負けじと突っ込み、肉弾戦が始まる。
一方、その間にもシャロは、ぬしであるグランドベアと向き合っていた。
巨体。
一撃で木を折り、大地を砕くその力。
真正面から挑めば、間違いなく潰される。
だからこそ、シャロは動きを読む。
『息づかい……足の重心……攻撃の癖……』
彼女の目は鋭く相手の動きを捉えていた。
グランドベアが腕を振り下ろす瞬間──その肩が僅かに沈む。
見切った。
シャロは素早く跳躍し、攻撃を避ける。
爪がすぐ横を通過し、空気が裂ける。
『《リーフ・カッター》!』
すれ違いざま、シャロは葉の刃を放つ。
鋭い音が鳴り、熊の肩口に緑の光が走る。
バシッ!
しかし、グランドベアの硬い皮膚には傷一つ付かない。
「グオオオオオオオッ!!」
怒りの咆哮が響く。
その声が森全体を震わせ、木々の葉がざわめいた。
そして、グランドベアの動きがさらに速くなる。
質量の暴力が牙を剥く。
『……速い!』
必死に攻撃を避け続けるシャロ。
しかし、グランドベアの皮膚は岩のように硬い。
葉の刃では切り裂けない。
『だったら!』
シャロは素早く空に手を伸ばす。
ツタが生え、周囲の木へと絡みつく。
それを上手く使い、距離を取る。
追うグランドベア、逃げるシャロ。
その攻防が、森の中で幾度も繰り返される。
『……今だっ!』
グランドベアの一瞬の隙を突き、腕を構え、掌の中に小さな種を生み出した。
それは淡い光を帯び、弾丸のように収束する。
『《シード・バレット》!!いっけええええっ!!』
鋭く放たれた種の弾丸が、空気を裂いて一直線に飛ぶ。
次の瞬間、グランドベアの左目に直撃した。
「グオオオオオオオオオッ!!!」
耳をつんざく咆哮。
巨体がのたうち回り、木々がなぎ倒される。
地面が波打ち、衝撃がシャロの身体を打つ。
怒り狂ったグランドベアが暴れ出す。
その凶暴さは、もはや理性の欠片もない。
そしてその怒りのまま突進してくる。
シャロはその軌道を読み、グランドベアの左側へ回り込む。
死角に潜り込むためだ。
傷ついた左目からは、こちらの行動が見え辛いだろう。
そう思った。
だが、次の瞬間──
「グォォオオオッ!!」
グランドベアが近くの折れた大木を持ち上げた。
まるで棍棒のように握り、投げ飛ばす。
轟音。
木が唸り、空気が爆ぜ、シャロの身体へ一直線に迫る。
『──ッ!』
なんとか回避するシャロだが、次から次へと大木を投げ飛ばすグランドベア。
だが、次第に避け切れなくなり……
ドゴォッ!
一本の木がシャロの身体に直撃した。
視界が回転し、地面を何度も転がる。
痛みで呼吸が乱れ、意識が遠のく。
『く……っ、まだ……!』
震える腕を伸ばして立ち上がろうとするが、身体が思うように動かない。
前方には、咆哮を上げながら迫るグランドベア。
左目からは血が流れ、狂ったように鼻を鳴らしている。
『……くる、か』
トドメを刺すために、グランドベアが大地を踏みしめた。
その足音が、まるで終焉の鐘のように響く。
──だが、シャロは諦めなかった。
指先に、最後の一粒の種を作り出す。
息を整え、狙いを定める。
「グオオオッ!!!」
『食らえッ!』
グランドベアの攻撃に合わせ、発射。
弾丸が空気を裂き、一直線に飛ぶ。
スドッ!!
命中。
種はグランドベアの右目に突き刺さる。
「グォオオオオオオオッ!!!」
地獄のような咆哮が森を震わせた。
二つの目を失った巨獣は、暴れ狂いながらも、なお前へ進もうとする。
鼻を頼りに、シャロの位置を探っているのだ。
そして、今度こそ腕を振り上げ、シャロにトドメを刺す。
が、そこからグランドベアは動きを止めた。
シャロがかすかに笑う。
『やっと……根が届いたようね……』
グランドベアの左目に埋まった種、それが時間をかけて内部で発芽していた。
太い根が体内で伸び、グランドベアに致命的な一撃を与えていた。
巨獣が、ゆっくりと倒れる。
森全体がその重みで揺れ、無数の葉が舞った。
──沈黙。
風が再び吹いた。
燃えた木々の匂いと、湿った土の香りが入り混じる。
倒れたグランドベアの亡骸の上には、小さな芽がひとつ、静かに揺れていた。
シャロは木の幹に手をつき、息を整える。
体中が痛む。
「シャロ!大丈夫カ!?」
そのとき、背後から駆け寄る足音。
振り向くと、アグニが心配した様子で走ってくる。
どうやらアグニの方も終わったらしい。
多少の傷はあったものの、特に問題はなさそうだ。
「待ってロ!今ポーションを使うからナ!」
アグニはすぐに荷物袋を探り、小さな瓶を取り出す。
中には淡い赤色に光る回復薬、ポーションを取り出し、シャロに飲ませる。
『うぇ……』
シャロは顔を歪ませる。
ポーションの味はお世辞にも美味しいとは言えない。
薬草や昆虫、魔物の素材などを調合したもので、独特の臭みやエグみが口を襲う。
だが、その分効力は確かで、じわじわと痛みが薄れていく。
裂けた皮膚がゆっくりと閉じ、体液が止まる。
『ふぅ……助かった……』
シャロはほっと一息ついた。
ぐぅぅぅぅ……
「ハラ減ったなァ……」
アグニの腹が大きく鳴る。
戦闘後のルーティーン、食事の時間だ。
シャロはゆっくり立ち上がる。
「おいおい、大丈夫なのカ?」
アグニが心配すると、シャロは小さく頷いた。
そして、シャロはキラーベアの死体を指さし、指示をする。
「集めればいいんだな!任せロ!」
アグニがキラーベアに近づき、それを持ち上げて一カ所に集める。
そうしたら、その死体にシャロが手を触れる。
すると、獣の亡骸が緑の光につつまれ、小麦と卵が次々と生えてくる。
黄金色の穂が風に揺れ、殻の中で新鮮な卵が輝いていた。
シャロもアグニもすっかり慣れた光景。
シャロはそれを収穫すると、いつものように麺棒で小麦を粉にする。
続いて別の器に卵を割り、卵黄を落とすと砂糖、ミルクと共にかき混ぜる。
次に小麦粉を加え、さらに混ぜ合わせる。
生地が滑らかになるまで、シャロのツタが忙しく動く。
空になった器で卵白を泡立て、メレンゲを作る。
ふわふわの白い泡が立ち上がったら、全ての材料を合わせて混ぜる。
生地は甘い香りを放ち、二人の空腹を刺激した。
生地ができたら鍋に油を引いて温める。
温まったら生地を流し込み、蓋をして焼く。
「う~ん、いい香りがしてきたゾ!」
森の空気が、甘い匂いで満ちていく。
じっくり待つ間、二人は息を潜めて見守った。
やがて、蓋を開けると黄金色のカステラが完成した。
ふんわりと膨らみ、表面が軽く焦げて香ばしい。
「おお!今日はカステラか!美味そうだナ!」
シャロが小さく切って分け、アグニに差し出す。
アグニは早速カステラを食べてみると、しっとりとした甘さが口いっぱいに広がった。
「これ……めちゃくちゃうまいぞ!ふわふわしてて甘い!外はこんがり、中はしっとり!」
シャロは微笑み、自分も小さく一口食べる。
ふわりと溶ける甘さ。
戦いの疲れが少しずつ癒えていくようだった。
しばらくして、二人はカステラを完食した。
アグニが大きく伸びをしてから、腹を叩く。
「ふぅ~~……食った食った!いやぁ、今回もマジで最高だったナ!それに、いつも以上に体の奥から、ぐわーっと力が湧いてくる感じがするんダ!」
そう言うと、アグニは元気よく腕を振り回す。
シャロもなんだか体の奥が熱かった。
いつも以上に魔力が満ちて、力が湧いてくる。
ぬしを元とした料理だからだろうか?
そう思った瞬間だった。
――ぼうっ。
シャロの身体が柔らかな光を放ち始めた。
「な、なんだ!?おいおいシャロ!?一体何が起きてるんダ!?大丈夫カ!?」
アグニが慌てて跳び上がり、周囲をぐるぐると回る。
だが、シャロにはこれが何なのか、心当たりがあった。
かつて1回同じことが起きた。
――これは、進化が起きるんだ。
シャロの姿が光に包まれながら霞んでいく。
その姿が次第に白く溶けて、輪郭が曖昧になる。
鳥たちが木々から飛び立ち、草が揺れる。
まるで森そのものがその変化を見守っているようだった。
次第に光がゆっくりと弱まっていく。
「……シャロ?」
シャロは自分の姿を確認する為に、急いで川辺へと駆け寄った。
アグニもそれに付いてくる。
そして、シャロは川を覗き込む。
そこに映っていたのは今までのエッグプラント、花の生えた球根のような姿ではなかった。
身体は人参のような赤茶の色と姿をしていて、顔と手足が付いていた。
そして頭には大きくて青々とした二枚の葉が揺れている。
「やった!しんかだ!」
シャロはそう喜んだ。
それと共に驚いた。
「こえが でる!」
自分の声が聞こえた。
空気を震わせ、言葉として響いた。
「なぁ、何が起きたんだ!?なんか姿変わったゾ!それにシャロ、お前喋れるのカ!?」
一方アグニは何が何だかわからず困惑しているようだ。
「しんか した!」
シャロは嬉しそうに答える。
「進化!?シャロは進化もできるのカ!?凄いな!姿が変わったのも、喋れるのも、進化したからカ!?」
シャロは小さく頷く。
アグニはすっかり大はしゃぎだ。
「なぁなぁ!一体何に進化したんダ!?」
シャロは少し考え、そして呟いた。
「たぶん マンドレイクに しんかした と おもう」
「マンドレイクなら聞いたことあるゾ!叫んで人をぶっ倒すヤツだな!!」
「うん だから わたしも しゃべれる と おもう」
喉の奥で震える音が、自分の声として響く。
それがとても愛おしく、胸の奥が温かくなる。
「しゃべれる……やっとしゃべれる……!」
まだ流暢には喋れないものの、やっとちゃんと声を出せるようになった。
「良かったなシャロ!アタシも嬉しいゾ!」
アグニも嬉しそうにシャロを持ち上げてグルグル回る。
「あ アグニ……そんな まわらないで……」
「アッハハハ!ゴメンゴメン!でも、これでやっとおしゃべりできるナ!」
そう言うと、アグニはシャロを地面に降ろす。
この調子なら、はぐれた仲間達も見つけられるかもしれない。
人間に戻れるかもしれない。
もし仮に戻れなかったとしても、人間としての能力を、進化で得られるかもしれない。
かすかな希望がシャロに開けた瞬間だった。
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