第五章 聖女の後継者4
「どうしてなの? 使菜乃」
原理主義を統括していた女性。二十年と続いた因縁の相手。そして高校時代の親友。ベッドの上で弱々しく微笑んでいるその彼女にアンナはやるせない気持ちで尋ねる。
「貴女は決して頭が悪いわけじゃない。今の時代において、聖女が人類をまとめるなんて不可能なことぐらい気付いているはずよ。それなのにどうして聖典に従うの?」
「……それは以前にも答えたことがある質問よね」
アンナの問いに使菜乃が苦笑する。
「私の答えは変わらないわ。できるできないが問題ではないの。それが世界としてあるべき形なら私たちは戦わなければならない。それが実現不可能だからと諦めるようなら、私たちはその存在自体が意味をなさなくなる」
「――そんなことないわ!」
使菜乃のあまりに残酷な言葉にアンナは反射的に声を荒げていた。
「貴女は天笠使菜乃よ! それだけで十分じゃない! 貴女の存在に意味がないなんてない! 貴女は少し引っ込み思案で、そのくせ悪戯が大好きな――私の大切な友達よ!」
アンナは一息にそう告げた。人気のない場所に立てられたプレハブ小屋。その狭い部屋に沈黙が訪れる。僅かに聞こえるのは部屋にいる二人の呼吸音と時折風に揺れる窓の音だけ。静寂の時間がしばらく続いて――
「ありがとう、アンナ」
使菜乃が悲しげに笑う。
「まだ私のことを友達と呼んでくれるのね。それが何よりも嬉しいわ」
「……当たり前じゃない」
「本当にありがとう。だけど……私は貴女の期待には応えられない」
小さく頭を振りながら使菜乃が語る。
「分かっているのよ。私もね。貴女と一緒にいられることができれば、どれだけ幸せなのかってことぐらい。だけれど私にその道を選ぶことはできないの。私の気持ちではどうにもならない。私は原理主義の人間だから。この道を選ぶしかなかったの。貴女が――」
使菜乃が一度言葉を止めて――
苦笑交じりに言葉を続けた。
「貴女が聖女の道を選ぶしかなかったように」
友人の言葉にアンナは沈黙する。
自分もまた聖女という役割に縛られた人間だ。そんな自分が友人の運命を否定することなどできない。もし自分と友人の立場が逆ならば自分もきっと友人と同じ道を歩んだだろうからだ。反論の言葉を失ったアンナに使菜乃が誰に向けてでもなく言葉を紡ぐ。
「自分の生まれた価値を否定することはできない。それが重たければ重たいほど、そのしがらみは私たちを強く締め付ける。原理主義の私がそうであるように。聖女である貴女がそうであるように。仮にそれを断ち切ることができる人がいるとするならば――」
使菜乃がおどけるように笑う。
「その人はきっと――とても我儘で自分勝手な人なんでしょうね」
何百年と続いてきたしがらみ。継承されてきた意志。積み重ねられてきた想い。それら全てを自らの手で断ち切る。それは決して勇敢とは言えない。使菜乃が言うようにただの我儘で自分勝手な行為だ。だがそういう利己的な人間でもなければ――
この連鎖する因縁を打ち破ることはできないのだろう。
「……貴女と話ができて良かったわ」
使菜乃が静かに溜息を吐く。長時間話をして疲労しているようだ。もともと血の気のなかったその顔をさらに青白くして、使菜乃が力なく言葉を落としていく。
「私が話せることはこれで全部話した……これが私をまだ友人と呼んでくれた貴女への……せめてもの感謝……そしてこれが……原理主義の人間である私の最期の示し」
使菜乃が腰から下に被せていたシーツをはぎ取る。シーツで隠されていたベッドの上。そこにスーツケースほどの物体が置かれていた。その物体にはデジタルタイマーが取り付けられており、そのタイマーの数値が2から1へと切り替わる。そして――
「さようなら。私のたった一人の親友――アンナ」
タイマーの数値が0へと変わった。
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人気のない山間に響いた爆発音。それは数分もしないうちに山の静けさに掻き消された。立ち込めていた噴煙が風にあおられて引き千切られる。煙の中から現れたのは痕跡もなく破壊されたプレハブ小屋の残骸。そしてその残骸の中心に立っている――
聖女アンナ・ホルトハウス・ヴァーゲの姿だった
残骸の上に一人佇むアンナ。彼女の姿が友人と会話していた時から変化している。白を基調としたドレス。光沢ある白銀の鎧。全身を淡い光で包み込んでおり、その頭上には天使を彷彿とさせる光の輪が浮かんでいた。
聖女が聖剣を使用した力。ドレスアップ。アンナはドレスアップすることで至近距離から受けた爆発の威力を完全防御していた。煙を上げている小屋の残骸。それを沈黙して見つめるアンナ。しばしの間。彼女は小さく嘆息して――
「ありがとう、ルーカス」
自身の従者に礼を告げた。
『礼など必要ありません』
声が聞こえると同時、アンナの着ていたドレスが光の粒子となり消滅する。ドレスアップを解除して元の姿へと戻ったアンナ。その彼女のすぐ背後に――
銀髪の執事が姿を現した。
「私は聖女アンナ様の武器――聖剣でございます。所有者である聖女アンナ様、並びそのご息女であるリア様からお呼びが掛かれば、何時如何なる時も駆けつけましょう」
銀髪の執事――ルーカス・シュベルトの言葉にアンナは微笑む。ルーカスは五百年前から各時代の聖女に仕えてきた聖剣だ。彼は聖女の血を引くものと契約を結ぶことで、その者の呼びかけに応じて空間転移することができた。
「……どうやら終わったようですね」
現場の惨状を見やりルーカスがぽつりと呟く。アンナは改めて小屋の残骸を見回すと「ええ」と頷いてから碧い瞳を僅かに伏せた。
「彼女が終わらせたのよ。こんな爆弾で私を殺すことができないのは彼女も分かっていたはず。それでも自分の命を懸けることで、私との明確な決着をつけたんだわ」
「因縁は断ち切られた――と?」
「少なくとも私と彼女のはね」
アンナは嘆息して頭を振った。
「だけど彼女の意志は継承されている。次の世代にね。三百年にもなる教団と原理主義の戦い。その因縁はまだ続いている。つまり私は失敗してしまったのよ。この血生臭い世界に娘を巻き込みたくなかった。私の代で全てを終わらせたかった。だから娘にはこれまで教団の闇を伝えることなく、屋敷に閉じ込めて外の世界とも隔離してきたのに」
「……リア様は聖女の力に覚醒しました。原理主義がその活動を再開させたのなら、リア様のご意志には関係なく、彼らが彼女を放っておくことはないでしょう」
「……でしょうね。あーあ、上手くいかないものね。これじゃあ私は娘を屋敷に監禁していただけの悪い母親じゃない。まったくもって嫌われ損だわ」
アンナはそう投げやりに話した。お手上げのポーズで落胆するその彼女に――
「ご安心ください、アンナ様」
ルーカスが表情を真剣にして語る。
「リア様は聡明なお方です。アンナ様を嫌うなどとんでもございません。リア様ならばアンナ様の意図を正しく汲み取り、今後は聖女としての使命に邁進することでしょう」
アンナは背後に振り返ると、自身の執事にして聖剣であるルーカスを見つめた。背筋を伸ばしたまま微動だにしないルーカス。アンナはその彼をじっと見やり――
皮肉に満ちた笑みを浮かべる。
「アンタ……それ本気で言ってる?」
「無論……冗談でございます」
アンナの笑みに釣られるように――
ルーカスもまたニヤリと笑った。




