17.女王は雑用係にあらず
ディディがリタとリックと共にキスカの町で暮らすようになって、まだ半年も経っていない。
しかし彼女はこの町に来てすぐに、ゼスト、レスト、シストのごろつき三兄弟をあっさりと手下にした。ずっと鼻つまみ者だった三人は、今ではすっかりおとなしくなり、彼女に付き従っている。
町の人々の悩みはサリーが拾い上げ、ジョイエルのおかげで物資も確保できるようになった。二人がそうやってせっせと働いているのは、町の人間のためであり、そして敬愛するディディのためでもあった。
そんなあれこれを経て、ディディには新たな二つ名が生まれつつあった。
キスカの女王、ディディ。
その名を聞いたディディは、頬に手を当てて視線を上にそらしていた。半ば呆れたような、半ば笑いをこらえているような顔で。
「……まさか、こんなことになるとはね。わたくしはただ、田舎でのんびりとしていたかっただけなのに」
そんな彼女に、リタとリックが笑いかける。
「ディディ様にはとってもお似合いです!」
「俺もそう思いますよ」
そしてサリーとジョイエルは、満足そうな顔をしていた。
「あなたは、わたしたちみんなの憧れですから」
「そうですね。僕たちみなの女王陛下だ」
さらに三兄弟も、ちょっと得意げに語り合っている。
「ま、オレたちは最初から、この人は女王様だなって思ってたけど」
「そうなんだよな。似合いすぎ」
「もっと大勢従えてるほうがぴったりな気もするけどな」
そんな仲間たちを見ながら、ディディは無言で微笑んでいた。
しかしそうして町の人間たちとの距離が近づいた結果、ディディはさらなる面倒ごとの数々をも背負い込むようになっていた。町の人々は、彼女のことをそれは頼りにしていたから。
「特大のイノシシが出た……って、それってわざわざわたくしに報告するようなことかしら?」
町の一番高いところにある屋敷の一室で、ソファに腰かけたまま彼女はぼやく。そんな彼女に、町の人間たちは口々に訴える。
美しい眉間にしわを寄せ、それでも彼女はその訴えに耳を傾けていた。そうして不意に、立ち上がる。
「町の外の畑を、好き勝手に荒らし回っている、ね……仕方ないわ、わたくしが出る。それが一番早そうだし」
それを聞いて、そばに控えたリタが心配そうな顔をする。ディディと一番付き合いの長い彼女は、その言葉だけでディディが何をしようとしたのか察したらしい。
女王様が動いてくれる、これでもう安心だと言いながら、町の人間たちが部屋を出ていく。それを見届けて、ディディはまた口を開いた。
「リック、あなたの出番よ。といっても町の人たちに見られるおそれがあるから、イノシシを爆弾でしとめるのはなしね」
冗談めかした彼女の口調に、リックがにやりと笑う。
「ええ、もちろんですよ。となると……貴女も手伝っていただけるんですよね?」
「駄目よ、リック! ディディ様に危ないことをさせないで!」
眉をつり上げて、リタがすかさず口を挟む。そんな彼女をなだめるように、ディディが微笑む。
「普通の人間にとっては危ないことでも、わたくしには危なくない。分かっているでしょう?」
「はい。……ですが……」
「ディディ様に万が一にも危険の及ばないように、全力を尽くすよ。だから安心しろって。……あ、ディディ様。ゼストたち、借りていきますね」
「ええ、存分にこき使ってちょうだい」
そうしてリックは、部屋を飛び出していった。ふくれっ面をしているリタと、そんな彼女を眺めて苦笑しているディディを残して。
そんな一幕から数時間後、ディディは町の近くにある崖の途中に立っていた。転移の魔法を使って、一瞬にして移動したのだ。
谷を挟んだ向かいの崖の上には、たくさんの人間たちが集まっている。みなはらはらした顔で、谷の向こうのディディを見つめていた。
やがて、ディディがいる側の崖が騒がしくなった。崖の中腹にある道を、何かがどたどたと駆けてきたのだ。同時に、予定通りそちらに行きましたよ、というリックの叫び声もする。
「まあ、本当に大きなイノシシねえ……」
散歩の途中でキツネの子でも見つけたかのようなのんびりとした口調で、ディディはつぶやく。崖を走っているのは、恐ろしく大きなイノシシだった。イノシシというより、小ぶりの馬くらいはあるだろうか。
そのイノシシは、明らかにいら立っているようだった。ディディに向かって、まっすぐに走っている。
その大きな牙が、ディディに迫る。それでもディディは動かない。谷の向こうから、悲鳴が上がった。
と、ずうんという轟音が響き渡った。ディディのすぐ目の前で、いきなり道が大きく落ち込んだのだ。そこにはまり込んだイノシシが、呆然としたように硬直する。
これは、リックが三兄弟を指揮して作り上げた罠だった。イノシシの行動範囲と地形、それに罠を仕掛け終わるまでの時間を計算し、場所を決めた。
そうしてこの罠にイノシシを誘い込むためのおとりを、ディディは自ら買って出たのだった。転移の魔法を使える自分なら、もしものことがあっても一瞬で逃げられる。そう判断して。
リタはやっぱり不機嫌なままだったけれど、もう止めなかった。自分の主人がそういう人間であると、なんだかんだで重度のお人よしであると、知っていたから。それに、双子の兄であるリックの腕前――地形を読み、イノシシの動きを予測し、必要な罠を仕掛ける――を信じていたから。
サリーは顔面を蒼白にして、倒れんばかりになっていた。そんな彼女を、ジョイエルがしっかりと支えている。彼の顔にも、大粒の冷や汗が浮かんでいた。
ゼストたち三兄弟は、のんびりと構えていた。あの女王様なら、イノシシなんかに負けたりしないしな、と互いにささやきながら。
「はい、残念でした。ごめんなさいね、わたくしたちも畑を荒らされたくはないのよ」
ディディがくすりと笑うのと同時に、罠の中からイノシシの姿が消える。そうして、少し横の空中に出現した。谷の、真上に。
少しして、先ほどのものより小さな音が、今度は谷底から響いてきた。そうして、辺りは恐ろしいほど静まり返ってしまった。
町の人間たちは、固唾を呑んだまま動かない。いや、動けない。
「ほら、イノシシは仕留めたわよ! ぼさっとしていないで使える部位は回収なさい! できるだけ毛皮が傷まないよう、気をつけて落としたから!」
そこに、ディディの声が飛んできた。彼女は転移の魔法で町の人々のそばまで戻ってくると、まずはゼストたち三兄弟をぽんと谷底に飛ばした。それから、町の男たちを。
「……力仕事のできそうな人間は、だいたい下に飛ばしたかしら……それじゃあリタ、わたくしも行ってくるわ」
「はい、お気をつけて」
ぐるりと辺りを見渡して、ディディもまた姿を消す。谷底でイノシシを解体し始めた男たちを手伝う――正確には、解体後のイノシシを町まで運ぶ――ために。
「ディディ様……いつも率先して動かれる、本当に素敵な方……わたしも、もっと頑張らなくては……」
谷のほうをじっと見つめて、サリーがそんなことをつぶやいていた。
ディディがまだここにいたなら「あなたはよくやっているから、これ以上頑張らなくてもいいのよ」と即座に口を挟んでいただろう。そもそもディディがここまで町の人間に頼られる原因を作ったのは、他ならぬサリーなのだから。
しかしディディはここにいない。呆れた顔であんぐりと口を開けているリタを尻目に、サリーはただひたすらに目を輝かせていた。




