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ラレ杯から数か月後、シキアたちはある人間と話をしていた。
「私から言うのも何ですが、これで良かったのですか?」
ヴェロニカが申し訳なさそうにする中、声をかけられたゲルトワは苦笑する。
「ええ。だから貴方たちに協力したのですよ」
今回の計画において、協力者にゲルトワが来たことでシキアたちは様々な恩威を得た。ヨミリー・ラレの談合しか探せなかった所にラレ男爵の発注書の存在を教えてくれたし、アンリに悟られないようにしてくれたのも彼のおかげである。
これによってラレ家全体が不正をしたという体面にできた。ラレ家は弱体化し、シキアたちの目的は達成できたのである。
「それにしても驚きだったわ。貴方が今のラレ家のやり方に不満を持っていたことは知っていたけれど、ここまでするとは。正直、あの場で倒れこみそうだった」
「そうはならず、瞬時にこちら側に力を貸してくれたのは流石だよ。私は信じていたがね、アンリ」
話に参加しているのはシキアとヴェロニカ、ニコラ、ゲルトワ、アンリである。
この場は所謂ラレ家の今後の処遇についての話し合いになっていた。
結果的に考えれば、ラレ家はこれからも存続し続けることになる。表の爵位よりも大きな存在として。賠償金や罰金を支払っても、その資金は未だに国で上から数えた方が早い。しかし、依然と比べればかなり弱体化している。彼らの行動が国全体に影響を及ぼすことはなくなった。
「君や家族には悪いが、現状が良くないと私は考え続けていた。ある一部の平民を出世させる代償に様々な問題が生まれる。これを放置し続ければ――」
「国は滅びる。何回も言っていたことだったけど、私たちは相手にしなかった。だから、貴方は行動に移すしかなかったのね」
「ああ。それに君だってラレ杯の父上を見て反感を持ったはずだ。そうだろ」
「……否定はしないわ」
アンリは自嘲した笑みを浮かべゲルトワの言葉を肯定する。このラレ杯において、アンリはラレ男爵に反対の姿勢をとっていた。もとから自分たちの若者からヨミリーの夫を選出しようとしているのだから、縁を結びたいと思う貴族への対応はその方針を断言するだけで事足りる。しかし、自分たちの育てた若者が貴族を凌ぐことを自慢したいがためだけにラレ杯は行われることになった。
それで使われた金や手間はアンリにとって非効率的に見えた。また、隙をわざわざ作ってしまったことで、それを突く存在がいないか懸念していたのである。予想通り、サラマス家がラレ家を打ち倒す。
「私は王になりたかった。だから最短の道を行こうとしたけれど、そのせいで敗北したわ。権力に酔い痴れた男を抑えきれず、夫の反逆心を見くびっていた」
「望むなら離婚も受け入れるよ」
「冗談言わないで。突然のことならともかく、貴方はこれまで何回も私たちに忠告したじゃない。それを無視して進み続けたのは私。貴方から離婚を申し出がない限り、私は貴方といたい。何たって私を倒した男ですもの」
「アンリ……」
何やら二人から桃色の雰囲気が漂い、シキアたちは戸惑ってしまう。
「……あの、話を戻してよろしいでしょうか?」
「ええ、構いません」
ニコラが口にしたことでどうにか本筋の話をするようになる。
ラレ家は弱体化した。しかし、それでめでたしとはいかないのが政治というものだった。
「今回の件でラレ家が主翼を担っていた実力主義派も弱体化しました。そして、保守派は実力主義派を一掃しようとしている。しわ寄せとばかりに保守派の貴族が成り上がりに仕返しをしようと意気込んでいます」
「このままでは平民への弾圧が始まるでしょう。成り上がりだけが落ちぶれるだけでなく、平民たち全体の生活の質が下がる。ただでさえ全体的には困窮してしまっていた平民たちが更に追い込まれる」
保守派による平民への弾圧。これはシキアが復讐に歓喜できない理由であった。復讐を成し遂げたことで、真っ先にこの懸念が頭の中に浮かんだ。
もしかしたら、復讐をしたいがために考えることをしなかったのかもしれない。しかし、成し遂げたことで視野が広がり、自分たちの行いの犠牲が見えてくる。抱いた不安をヴェロニカやニコラに吐露すると二人は『大丈夫』とだけ言ってくれたのだ。
恐らく、この場においてその解決方法が議論される。復讐をした責任としてシキアはそれがいったい何なのか確認したかった。
「実力主義派も主翼を失ったことで迷走するでしょ。中には内戦を画策する輩も出てくるかもしれない。何か良い手はないものですか」
「え? そんなの簡単じゃない」
ヴェロニカが悩んでいるような態度をとる中、アンリは不思議そうに彼女を見た。
彼女の発言に一同が驚いてしまう。その反応を見たアンリは説明し始めた。
「それでは少しだけ確認しましょう。まず、平民や成り上がりから見てサラマス家は実力主義派とみなされています。貴族は違いますがね」
「ええ、そんな話もありますね」
「噂の要因はヴェロニカ殿でしょう。貴方は平民にも公平に接することで有名です。平民たちからすれば実力主義派は自分たちに優しく接してくれる人たちのことですから」
この話から、シキアはアンリの思惑が何となくわかる。つまり、平民から評判の高いサラマス家が実力主義派を統括すればよいということだ。サラマス家は保守派にも影響力がある。実力主義派に肩入れするのであれば迂闊に手を出すことができない。
「私たちがラレ家に成り代われということですか」
「はい。兄上も問題の解決のために動くと言えば頷いてくれることでしょう。それに、実力主義派にとっても貴方方が来ることで風紀の改善にもなります。この話をして兄上や保守派の貴族たちが何もしないことはありませんから」
サラマス家が保守派と実力主義派の仲人となり、二つの勢力の妥協点を探る。そうすれば、保守派は成り上がりに礼儀を弁えるように告げ口し、実力主義派は保守派貴族に平民の出世を促せる。
「私たちに重大な役目を負わせますね、アンリ様」
「それが私の最善の案です。他に何か妙案があるのであれば保留にしますが」
「……いいえ。少なくとも私はそれで構いません。ニコラはどうなの?」
「私も姉上と同じ意見ですね。アンリ様の提案を受け入れるべきかと」
姉弟の思いも一致し、予想よりも早く解決案の大本は出来上がった。シキアは安堵し、これからヴェロニカやニコラが担う役目を補佐しようと思う。
「決まりです。それなら、もう一つ私から提案があります」
「何でしょう?」
「私としてはサラマス家が実力主義派に肩入れすることを示す行動が必要かと思います」
「それは両陣営の貴族に表明するためということでしょうか?」
「はい、その通りです」
平民たちからサラマス家が実力主義派と思われていても、貴族たちは違う。このままラレ家の後釜に座っても、貴族から見れば実力主義派を保守派が支配するという構図にしか見えないわけだ。
自分たちは実力主義派の味方になったことを知らしめることをしなければいけない。
「その具体的な方法として、ニコラ殿とシキア殿を結婚させるというのはどうでしょう」
「……え?」
アンリの方法に思わずシキアは疑問の声を出してしまった。自分とニコラが結婚することでどうして実力主義派に入ったことになるかわからない。
そもそも、シキアにとって結婚なんて久しく考えたことがなかった。ゼグに捨てられてから、復讐を成し遂げたら自分は独身のまま終わるものだと朧げに感じていた。
「平民出の少女を公爵の子息が正妻に迎えるなんて前代未聞です。きっと、何か思惑があると考える人が多いでしょう。それが実力主義派への肩入れだとしたら受け入れられます。それにニコラ殿は未だに婚約者を決めていなかったはずです。特に問題はないでしょう」
想像することもなかったことにシキアはアンリの話が筋の通っているものか否か判別できない。他の反応はどうかとヴェロニカやニコラ、ゲルトワを見て伺う。
ヴェロニカは数回頷きながら微笑み、ゲルトワも納得しているような素振りを見せる。ニコラはシキアと同じく周りの反応を気にしていて、特にシキアに視線を送っていた。
「まあ、他の実力主義派の人間を新しく仲間に入れるよりは好都合ね。寧ろ、これ以上にないもの」
「流石アンリだな。シキア殿の評判も先の総会から知れ渡っている。これなら宣伝として絶大な効果を持つだろう」
「ちょっと待ってください!!」
全員の意見が一致しようとしている雰囲気にシキアは叫んでしまった。自分以外の人間がこの方法を評価しているのは理解した。しかし、それでもシキアは自信が持てなかった。
「私なんかがニコラ様の妻になるなんてありえません。私なんかよりも素晴らしい方がいらっしゃるはずです」
「そんなことはないよ」
シキアの意見に最初に反論したのはニコラだった。彼は笑って、シキアに思いを伝える。
「シキアとは長年の付き合いだ。少なくとも他の貴族や成り上がりの子息よりは信用できる」
「しかし――」
「それに嬉しかった」
脈絡のない言葉にシキアは視線で説明を求める。それにニコラはより笑顔になって答えた。
「ゼグと戦っていた時、君は私を応援してくれただろう」
「ええ」
「正直、負けると諦めていた。けれど、自分の勝利を信じてくれる人がいたことを知って立ち上がれた。それに、私は前からシキアが……」
最後まで話す前に、ニコラは立ち上がってシキアの近くまで来る。片膝を地につけて、シキアに手を伸ばした。
「私、ニコラ・サラマスはシキアを愛している。この機会を逃したくはない。どうか、私の愛に応えてはくれないだろうか?」
ニコラから告白され、シキアは熱い涙が出てくる。自分は幸せになれないと思い込んでいた。最愛の人から裏切られ、その復讐に身を落とすしか生きられないとずっと考えていたのだ。
女としての自信も消失していた。自分は男から見てそこまで価値のある存在だと評価できなかった。
しかし、目の前に自分を愛していると真正面から言ってくれる人がいる。
「はい、喜んで」
椅子から降り、ニコラの手を両手で強く握りしめた。
きっと、これからたくさんの試練が待ち受けているのだろう。しかし、その全てが乗り越えられるとシキアは思った。