10
――俺は何を間違えたんだ。
ゼグは牢獄で一人考えていた。手足の腱は切られてしまい、人として動くことすらままならない。かつての自分なら脱獄も可能だったかもしれないが、今は無理な話だ。
処刑まで生きる最低限の運ばれてくる残飯のような食事を口にするか、糞尿を壺に入れるしかやることもない。
故に考え込む時間だけが出来てしまう。彼は何百回、何千回と自分の過去を顧みていた。
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「ゼグ、気を付けてね」
「心配するなって。すぐに帰ってくる」
朝。
何時ものようにゼグは森へ薪を取りに行ってくる。
婚約者であるシキアに見送られることも慣れたものだ。数年前、親同士がゼグとシキアを結婚させようという話になり、二人は婚約者となった。
幼かったこともあり、ゼグは賛成も反対も出来なかったこと覚えている。しかし、この日々に不満はなかった。
シキアは村の中でも可愛い女の子であり、性格も一途だ。あの容姿でなら他の男の子も寄ってくるだろうに、ゼグのことだけ思ってくれる。
両親の仕事を引き継ぎ、綺麗な嫁と田畑を耕す。そんな日々で一生を終わらせることは決して悪いことではない。
薪になるような枝も集め終わり、家に帰ろうとした時だった。
突然、ゼグ目掛けて何かが飛んでくる。その正体は小さな刃物で、このままでは足に当たってしまうところだった。幸い、ゼグは両足で飛んでその刃物を避ける。
「おい!! いったい何のつもりだ!?」
刃物が飛んできた方に大声で話しかけた。
森の中にいれば、狩猟をしている者とも鉢合わせる。そうすると、動物と間違えられて矢が飛んでくることがあるのだ。
それに毒が塗ってあれば最悪死に至る。村でもそれで死者が出たことがあった。シキアもこの事件を知っていたため、森に行くゼグを心配したのだ。
今回は刃物であったこともあって、ゼグは警戒心を強める。ただ、刃物が飛んできたわけが知りたいだけではなく、威嚇もかねて大声を出していた。
これで悪戯の類であったなら、犯人は逃げ出しているだろう。しかし、向こうから数人の人影がこちらへ近づいてきた。
「お見事。あの奇襲を避けるなんて素晴らしいわ」
人影の中央に位置する女の子がゼグを称賛する。すると、周りの大人たちも笑顔で拍手を送ってきた。
また、ゼグは中央にいる女の子を綺麗で珍しいと感じる。
透き通るような白い肌に金髪碧眼。こんな女性は村にはいなかった。ゼグにとっては物語上でしか見たことがない存在だったのである。
すっかり警戒心を解き、ゼグは彼女に問いかける。
「君は?」
「私はヨミリー・ラレ。ラレ男爵家の長女よ。貴方は」
「ゼグ。近くの村の農民です」
「へえ、そうなんだ」
自己紹介を済ませ、ヨミリーはよりゼグに接近する。
それによって漂う甘い匂いにゼグはおかしくなってしまいそうだった。
「ねえ、ゼグって剣とか武術は習っているの?」
「ええ。兵士から剣を」
「そうか、なら決まりだね」
笑顔でヨミリーはゼグへと手を差し出す。これが何かの勧誘であることはゼグにもわかった。
それにゼグは途轍もない満足感を持った。
ラレ家が自分の村を含む周辺の領主であることは知っている。自分とは明らかに格が上の存在に認められた。
今までの誰より褒められた時よりも、自信を持てるような気がしたのだ。
「ねえ、私の夫にならない? それだけの器が貴方にはある」
しかし、ヨミリーの言葉に手を聞かずとも手を取ろうとしたゼグの動きが止まる。
自分にはシキアという婚約者がいる。手を掴んでしまうことが人として最低な行為であることをゼグは知っていた。
「……いや、その」
「どうしたの?」
歯切れの悪い反応をして躊躇うゼグをヨミリーは覗き込む。まるで、自分の心を抉り出されるような感覚に陥り、無言でいることができなくなった。
「俺には婚約者がいます。両親が決めた人が。だから、夫になるなんて――」
「なんだ。なら、婚約破棄すればいいじゃない」
ある言葉を出して、状況を打開しようと提案するヨミリー。ゼグは興味を持って、彼女の話を聞こうとする。
「婚約破棄?」
「そう。婚約をなしにしようってことね」
「それっていけないことなんじゃないですか?」
婚約をなかったことにしようなんてゼグは考えたことがなかった。もし、そうなるのであればきっとゼグかシキアのどちらかが犯罪を行ったりする時ではないだろうか。
そして、シキアはそんなことをしていない。無暗に婚約破棄を口にすれば悪いのはゼグ側になる。
ゼグだってそこまで頭が回らないほど愚かではなかった。
「やってよいことなのか、駄目なことなのか。話の論点が違うのではなくて」
ゼグの問いに彼女は答えることはなかった。代わりに彼女は話の論点について指摘すると、手鏡を出してゼグに向ける。
「ゼグ、貴方はとても苦しそうにしているわ。自分自身で自覚して」
鏡に映るゼグの顔は苦虫を噛みしめたように歪んでいた。この申し出を受けたいのは山々だが、理由があって受けられない。そんな心情を如実に表している。
昔から、ゼグは他の人間よりも剣術に優れていた。それを活かした仕事について出世したいとどれだけ思ったことか。
しかし、周りの大人たちは剣を教えてくれた人間でさえそんなこと子どもの夢だと馬鹿にした。自分には居場所があるのに、それを捨ててまで進む道ではないと言っていた。ゼグも彼らの言葉を何の根拠もなく信じ、今日まで生きてきた。
「貴方は周りにいた馬鹿とは違う、才能がある。私が才能を育む場所に連れて行ってあげる。後は貴方のやる気次第なのよ」
これまで自分を騙していたが、もうそんな必要はない。
村での生活は嫌いではなかった。しかし、嫌いではないだけで好きでもない。自分にはそれしかないから過ごしていただけで、他の良い選択肢があるのならそちらをとる。
そして、他の良い選択肢が何かゼグにはこれまでわからなかった。
剣士になって夢を掴むという道が、村の生活よりも素晴らしい道であるということが確信できなかった。誰も彼も自分の言う夢を塞いできたのだから。
そんな日々の中、やっと自分が行きたい道を肯定してくれた人間、ヨミリーが現れた。村での生活しか知らない村人とは違い、世界を知る少女が正しいことを証明してくれた。
ゼグはこれまでにない晴れやかな気分を味わう。自分の夢は間違っていなかったことがわかり、これからの生活に大きな期待を持てた。
ヨミリーの手をしっかりと握りしめる。女性を握るにしてはやや強く、隠しきれない熱意を伝えていた。
「俺は君と行きたい。自分の夢を叶えたい」
こうして、ゼグは自分の真に進むべき方角を知ることができたと思ったのだ。そうと決まればすることがある。
これまでの婚約者であったシキアはいらない。婚約破棄をしようと家へと戻った。]
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――シキア、そうだあいつはシキアだった。
ゼグがこれまでヨミリーとの旅立ちで思っていたことは悲しみだった。
自分を信じてくれなかったヨミリーと、ヨミリーの期待に応えられなかったこと。そして、その場の怒りで彼女を殺めてしまったこと。
何回もの追憶でどれほど後悔したことか。しかし、後悔もしなくなり、あることを思い出す。
村にいた時の婚約者はシキアという名前の女だった。そして、サラマス公爵家の近衛侍女であるシキア。
その名前を聞き、何となく懐かしさを感じたゼグだった。どうしてなのかという理由は考えなかったが、今になって合点がいく。
サラマス家に仕えていた彼女はかつての婚約者であったと。
そして、自分を陥れたサラマス家側に彼女は加担したことを。振り返ってみると、婚約破棄のやり方は杜撰極まるものだった。あんなやり方で婚約者を捨てれば、大きな傷を心に残す。こちらが権力を持つこともあって、村で迫害される可能性もあった。
他の若者が来る時、そんな事象があったことをゼグは知っていたのだ。それでも、自分は当てはまらないと驕り高ぶっていた。
ゼグは集められた若者の中でも一番優れていたのだ。仲間たちの悩みは自分にはない小さなものだと思っていた。
しかし、結果は全てを失い、死を待つだけの罪人となっている。
「ふ、はは。ははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
溢れんばかりの感情を我慢できずに笑い転げる。
ゼグは故郷に帰ったことがなかった。それはあの場所が自分に悪いと思っていたからだ。村人や家族、シキアが自分に悪影響を与える存在だと見下し、関わりたくなかった。
実際、ゼグを破滅に導いたシキアは悪影響を与えたと言える。
しかし、もしも自分があのまま村にいたらどうなっていただろうと思う。村人と一緒に腐り果てる道を選んだら、体が沸騰するような興奮は味わえなかったかもしれないが、ここまで落ちぶれることはなかったのではなかろうか。
「おい、うるさいぞ! 静かにしろ!」
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
看守に注意されるが笑うことを止めない。
自分の末路に笑わずにはいられなかった。
「誰か来てくれ。罪人が発狂した。黙らせるのを手伝ってほしい」
それから牢屋に数人の看守が入り、棍棒でゼグを叩く。気絶するまで、ゼグは笑うことを止めなかった。
――婚約破棄なんて、馬鹿しか言わない。そして、俺はそんな馬鹿だった。
ゼグには多くの選択肢があった。
あのまま村にいることもできたし、シキアに恨まれないような別れ方をすることもできたかもしれない。
それでも、夢に魅了された少年は夢以外のものを壊すように扱い、それが自分に返ってきた。




