5月20日 晴れ
約束の20日になった。
あたしはうきうき気分でしんちゃん家に行った。午後7時。ちょっと遅くなったから、きっともう作り始めてるんだろうな。料理中はいつもチャイムにも気づかないし、玄関開けたらすぐキッチンだから、チャイムを鳴らさずに入った。しんちゃんは基本的に鍵かけないし。
キッチンにはいなかった。料理したあとって感じじゃない。あたしのこと待ってたのかなと思って部屋に入ろうとしたら、聞こえた。女の人の高い声。あたしは固まった。考える間もなく、トイレを流す音とともにユニットバスのドアが開いた。反射的に見てしまう。そこには半裸の女がいて、目が合った。
ちょっと驚いた顔をされたが、すぐに何か納得したような顔になった。
「あれー、もう始めちゃってるよー?」
何を言っているのかわからない。何を、始めているんだろう。
女は部屋のドアを開けて中に入りながら言う。
「もう一人来るなら言っといてよしんごー。びっくりすんじゃん。」
あたしも中に入ってベッドを見ると、しんちゃんがいた。もう一人、女の子もいた。ベッドに。今喋った人とは別の人が。
「あさっ!?」
驚いた顔。あたしを呼んだことはすっかり忘れてたみたい。
「あたし、帰るね。」
急いで部屋を出る。後ろでしんちゃんが何か言ってたけど、よく聞こえなかった。
ご飯、作ってくれるんじゃなかったの?
楽しみにしてたのに。
あたし、おしゃれして来たんだよ。服だって新しいの買った。美容院も行った。そのせいでちょっと遅くなったけど、まったくお前はしょうがないなぁって言って抱きしめて欲しかった。
「最低。」
つぶやいて後ろを振り向く。ずっとまっすぐ歩いてきたのに、しんちゃんは追ってきてくれなかった。
「最低。」
あたしはもう一度言った。
―***―
部屋に戻ると、服を脱いでシャワーを浴びた。
浴室の床に座って、上からお湯をだーだーと浴びる。せっかく美容院行ったのに。でもこんな顔じゃどのみち関係ないか。涙と崩れた化粧で本当にひどい顔になってると思う。
服を着てソファーで体育座りをしてぼーっとした。なんにも考えられなかった。
ふと、時計を見るともう10時になっていた。眠くないけど寝ようかなと思って電気を消す。スマホが光った。
ライムのポップアップ通知。
【あさみごめん
俺が愛してるのはあさみだけだ】
だって。じゃあなんで追ってきてくれなかったのかな。未読のまま横にスライドして消す。そしてスマホを脇に投げてベッドに身体を投げ出した。天井を見上げて涙がこぼれないようにする。もう出ないと思ったのに。
一瞬、天井がピンクに染まって、また暗くなった。スマホがまた光ったみたいだ。まだ何か通知が残っていたらしい。消さないと何度も光り続けるからスマホを手で探す。
ああ、またライムだ。でも今度はりょうちゃんから。
【今日の2コマで、来週小テストやるって言われた。
講義聞いてないとわからないやつだからあとで教えるね。
いつ暇?】
2コマは美容院行くためにサボった講義だ。
【今】
小テストなんてどうでもいいけど、もしまだ起きてたら愚痴を聞いてもらおうと思った。今日はそれで気が済むとは思えないけど、少しはマシになるかもしれない。返信はすぐにきた。
【マックでいい?】
あ、化粧しなきゃだ。面倒だけど、せめて眉毛だけは描かないとまずい。でも外は出たくないな。
【メイク手抜きだからウチでもいい?】
【酒は?】
【おごる】
最後はいつものやりとりで終わる。急いで眉毛を描き、アイメイクは諦めてファンデとコンシーラーだけ塗っていると、15分もせずにスマホが鳴った。
りょうちゃんから【着いたよ】と一言。玄関に行く。ドアのレンズからりょうちゃんを確認して鍵を開け…鍵、閉め忘れてたみたい。
「よ。」
「おう。」
男の子のようにあいさつを返して手招きした。コンビニ袋を下げたりょうちゃんが中に入ってくる。あたしはベッドに、りょうちゃんは座布団に座ってチューハイを出した。口をあけるとぷしゅっと小気味の良い音がする。何も言わずに缶をぶつけて、一口飲んだ。
「いくらだった?」
あたしが聞いた。
「せんご。」
財布の中を見ると500円玉があったから丁度1,500円を渡す。
「さんきゅ。で、教科書開けばいいかな?」
「それはあとにしよ。」
りょうちゃんはもうあたしが愚痴りたいだけだとわかっているみたいだった。
「それより聞いてくれる?」
「おう、聞いてやろう。」
あたしは床に座って今日あったことを話し始めた。でもいつもみたいに話すことができない。さっきまでは大丈夫だったのに、また涙が出てくる。いつになったら枯れてくれるんだろう。
しょうがないから下を向いて話した。どんどんみじめに思えてきて、しんちゃんが追ってきてくれなかったってとこはもうまともに言葉にできてなかった。それでもりょうちゃんは区切り区切りに相づちをくれた。
あたしが少し落ち着いてくるとりょうちゃんが言った。
「今回ばかりは愚痴ってすっきりって感じじゃないな。なぁ、あさみはどうしたい?」
「…わかんない。」
「じゃあ、まだ好きか?」
「今は顔も見たくない。けど、よくわかんないよ。」
「だったらまだ結論までは出さなくていいんじゃないか? まずは泣きな。」
「泣いた。今も泣いてるし。」
あたしが俯いてるからりょうちゃんには見えないんだろうけど、いまだに涙が止まらない。
「ああ、でももっと泣きな。涙が枯れるくらい。そんでもう何も出ないよってなったら愚痴ってよ、悪口言いまくるんだ。もしまた涙が出てきたらまた枯れるまで泣いてさ、そんで少しマシな気分になったら考えればいい。今日は朝まで付き合ってやるよ。」
「うん、ありがとう。」
りょうちゃんは優しい。お礼を言うときくらい顔を上げたかったけど、やっぱ無理だ。顔、ぐしゃぐしゃだし。
そこからはしばらく泣いていた。りょうちゃんが3本目のチューハイを開ける音を聞いたころにはだいぶ落ち着いていたと思う。
「ねぇりょうちゃん。」
「ん?」
「抱いて。」
あたしは俯いたまま言った。りょうちゃんが近くに寄ってくるのがわかる。すぐに後ろから抱きしめられた。そしてりょうちゃんは、そのまま、何もしなかった。
10分は経ったろうか。あたしが後ろを向こうとすると腕をちょっと緩められた。りょうちゃんと向かい合せになる。そのままキスしようとして顔を近づけたら、りょうちゃんの顔があたしの顔の横を通りすぎて、またぎゅっと抱きしめられた。
「りょうちゃん。」
「なに?」
「その…」
「……」
「ゆっくりすぎない?」
「抱いてるよ。」
「え?」
「抱いてる。」
「えと、そうじゃなくて…」
「俺はあさみを慰めるために来たんだ。あさみが自分を傷つけるのに利用なんてするな。」




