第40話「将棋指しの心理」
僕は基本的に、自分の人生を理性に従って生きてきた。だが、理性や数学の推論によって保証されたノーマルな利益に逆行しないことが、いつも自分にとって有利であり、かつ全人類に適用されるべき法則であるなどとは、どうしても思えなかった。
仮にそれが「論理の法則」であるとしても、けっして「人類の法則」ではないはずだ。彼女の言葉は、僕の心の奥底に眠っていたそんな気持ちを、見事に代弁してくれた。
ここまで読んで来た貴方がたは、おそらく、僕の事をキチガイだと思っておられるだろう? 別にそう思われたって構わないのだが、ここで一言、留保させていただきたい。
人間というものは創造的動物であって、意識的に目的にむかって突進し、土木技師的事業に従うべき運命を担っている。よしや行く手はどこであろうとも、絶えずおのれの道を切り拓いてゆくものだ。それについては、僕らと貴方がたの間に見解の齟齬はない。
けれども、この道を切り拓くべき運命を担っているがために、ヒトという種はどうかすると、時折、脇道へそれたくなるものらしい。直情行動的な活動家はかなり愚鈍なものだが、その彼らさえ、時折、自分の道が出鱈目な方向をさしているのではないかと、不安になるのである。
その道がどこをさしているか、それはさしたる問題ではない。《《道はただ、続いてさえいればいいのだ》》。大切なことは、恐るべき怠惰に身を任せないことである。この怠惰というやつは、周知のごとく、あらゆる悪徳の母だからだ。
ヒトは創造を愛し、行路の開拓を好む。それには議論の余地がない。しかし、本来なら創造を愛するはずの人間が、破壊と混沌をも同じように熱愛するのは、一体どうした訳だろう? 諸君には、この質問に答えてもらいたいのだ!
この問題については、僕自身は既に答えを用意してある。人間が、それほど破壊と混沌とを愛するのは、他でもない、
『自分の造っている建物が完成するのを、本能的に恐れているから』だ。
諸君はご存じないかもしれないが、人間は建設をすることにのみに情熱を持つ生き物であり、その中に住むことには関心がないのである。将棋指しと同じように、ただ目的に達する径路を考え、それを突き進むのが好きなのだ。つまり、《《目的そのものはどうでもいい》》。
実際、全人類が精進している地上の目的なるものは、この目的獲得のための絶えざるプロセス、すなわち「生活そのもの」の中に含まれているのであって、目的の中には存在しない。目指すべき目的なるもの、つまり「二x二が四」は、もはや生活ではなく、死の始まりなのである。
人間は、新たな真理の発見のために大洋を泳ぎ渡ったり、生命を犠牲にしているにもかかわらず、それを本当に探し当てることを、なんとなしに恐れている。発見してしまえば、もう他に探すものがなくなると直感しているからだ。
つまり、人間は到達を好むには違いないけれども、目的を達するたびに、その都度なにか居心地の悪さを感じてしまう。より正確に言えば、人間にとっては、【目指す事そのもの】が喜びなのであって、完全に到達してしまうのは嫌なのだ。
むろんこれは、恐ろしく滑稽なことに相違ないが、黒衣の少女の言うように、そもそも人間は最初から不合理にできている。二x二が四が立派なものだということには、僕にも異存がない。だが、いっそ何もかも賞めることにするのなら、二x二が五にも、時によると、何らかの価値があるだろう。
いったい諸君はどういう訳で、それほど堅く、しかも勝ち誇ったような態度で、ただノーマルな利益、一言でいえば、【安寧無事】というものが人間にとって有利だと、信じて疑わないのだろうか?
人間の理性は、断じて利害の判別を誤らないのだろうか?
人間が愛しているのは、安寧無事ばかりだろうか?
人間は苦痛というものも、同じくらいに愛しているのではなかろうか?
そう。ことによったら苦痛も、人間にとっては、安寧無事と同じくらいに有利なのである。人間は、どうかすると夢中になるくらい、恐ろしく苦痛を愛するものだ。それは、間違いのない事実である。今さら歴史など調べるまでもない。
もし諸君が、僕と同じくヒトという種に属し、いくらかでも【生活】を経験したことがあるなら、自分の胸に聞いてみるがいい。僕の意見を率直に言わせてもらえば、安寧無事のみを愛するのは、何となく無作法のように思われる。善いにせよ、悪いにせよ、【何かをぶち壊す】ということは、やはり愉快千万なものである。それが一生懸命、積み上げてきたものなら猶更だ。
だが僕は、特別に苦痛の肩を持つでもなければ、安寧無事の弁護をする訳でもない。僕が大事だと主張するのは、《《気まぐれと、その気まぐれに沿って生きる自由が、間違いなく保証されている》》ことである。
ところで僕は確信しているのだが、人間は本当の苦痛、いい換えれば破壊と混沌を、けっして拒もうとしない、この世で唯一の生き物である。苦痛――これこそが、自意識の発生する源なのだ。
僕はこの手記の始めの方に、「自意識こそ、人間にとって最大の不幸である」と申し上げたけれども、ヒトという種がその不幸を愛していて、いかなる満足にも変えようとしない事も、ちゃんと知っているのである。
自意識というものは、二x二が四よりも無限に優れている。何故なら、二x二が四を受け入れた後では、何一つすることがなくなるばかりか、知ることさえ尽きてしまうからだ。その時になってなし得ることは、ただ自分の五感を塞いで、妄想の海に沈むだけのことだろう。
だが、自意識を保っていれば、結果からいえば同じ事になるけれども、自分で自分をぶん撲ることはできる。これはなんといっても、多少の気付けにはなるのである。非常に退嬰的ではあるが、それだって何もないよりはマシに違いないのだ。
(続く)




