part 6
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「あの、ごめんねカトルレナ… なんかいきなり押しかけちゃって――」
毛布を鼻の上まで引き上げて、あたしはボソッとつぶやいた。
しばらく返事はなかった。ぜんぜん声が届いてないのかな? と思ってもういっかい言おうとしたとき、むこうから声がかえってきた。ちょっぴり弱々しい声で。
「…いい。なんだかほんとに非常事態なんだっていうことはわかった。」
「ごめん。なんか、変なのにつきあわせちゃって。すごい迷惑かけちゃってる。」
「…いい。だってあれは、カナナひとりがやったことじゃなく、みんなその場で一緒にやったことだから――」
声はだいぶ、弱ってはいるけど―― でもそれはなんかいつもの、ゲームで話すときの彼女の声みたいに聞こえた。なんとなくあたしはちょっと安心した。
「今ここで何もせずにほっといたら、けっきょく世界はダメなんでしょ? だったら行くしかないよね。カナカナとわたしと―― あと、できたら、アルウルも一緒に。」
「来るかな、あいつ? なんかひとりで逃げそうだけど?」
「ま、とにかく眠って、すべてはそのあとだね。わたしも眠い。まずは眠って―― 起きたら、ひとまず二人でダイブして――」
しばらくして、すーすーいう寝息があっちから聞こえてきた。起こすのも悪いから、あたしもそのあとは何も言わなかった。
すごくすごく疲れてたわりに意外になぜだか寝つけなかった。なにげにゴミの中にまじってるクリームシチューみたいな匂いが気になって―― けど―― そのうち意識がどこかに飛んで、あたしは深い眠りの中に知らずに入ってた。すごく苦しい長い夢をたくさん見た気がする。だけど記憶にぜんぜん残らなかった。とにかくたくさんの変てこな夢の中を、あたしは飛んで――
いくつもの夢のさいごに、また、あの夢を見た。
一か月か二か月に一回は必ず見る、あれ。
もう見あきるくらい何度も見た、いつものあの夢。
でもこれは、夢、なのかな?
記憶。キオク。
じっさいあったことと、なかったことが半分ずつ入り混じって、
なんだかもう、それが夢だったのか、
それとも全部が本当なのか。もう半分は、忘れてしまった。
暗い部屋。せまい部屋。ゴミと湿気とシャンプーとスナック菓子のにおい。カーテンを閉めきってるから外は見えない。時間はよくわからない。もう暗いから、たぶん夜なんだと思う。電気はもう何週間も前に止められた。ガスも。水道だけはまだ出る。赤サビのまじったまずい水。食事は一日一回。姉が、どこか外から何かを持ってくる。だいたいは冷えたコンビニ弁当。そうじゃないときは、おにぎりか袋入りのスナック菓子。
――ねえ、かあさんは、まだ帰ってこない?
――まだだね。まだみたいだね。
暗がりの隅から、姉の声が返ってくる。姿はよく見えない。声は疲れていて、なんだか寒そうだ。まあ、冬だし。暖房ないし。寒いのはいつのこと。あたしはもう慣れたけど。
――いつ帰ってくると思う?
――ん、いつだろ。よくわかんない。
――ねえ、ほんとに帰ってくると思う?
――どうかな? よくわかんない。
――もし帰ってこなかったら?
――さあね。どうかな。
――ここ、寒いね。
――ん。でも外はもっとだよ。屋根があるだけ、まだまし。
――おなかすいたね。
――それはね。ん。すいた。けど、しょうがないよ。
――そうだね。しょうがないよね、言っても。ねえ、
――なに?
――なにかちょっと元気ない? 今日、外で何かあった?
――ちょっとね。ヘマしちゃってさ。
――ヘマ?
――殴られた。見つかっちゃってさ。コンビ二のオッサン。本気で殴るんだもん。
――ケガ、した?
――したよ。痛かった。けど大丈夫。もう血は出てない。
――ねえ、お姉ちゃん?
――なに?
――ごめんね。いつも。わたしのために。
――なにそれ。謝ってるの? あは、やめてよ。別にあんたのためじゃないし。
――そう?
――そうだよ。自分のため。ついでにあんたの分も、ちょっとね。それだけ。
――ん。
――ねえ、カナカナ?
――なに?
――あたしね、あたし… 明日からちょっと、働くかもしれない。
――はたらく? バイト?
――うん。そんな感じ。夜にちょっと、仕事あるみたいで。
――じゃ、お金、もらえるね。
――うん。たぶんいっぱいもらえる。あいつらそう言ってた。
――あいつらって?
――ん、別にだれでも。イヤなやつら。汚いやつら。でも仕事くれるって。
――仕事かあ。仕事。いいなあ。お金もらえたら、いっぱいモノ、買えるね。
――だね。買おうよ、いっぱい。何でも買ってやるよ。
――お店で服とか、食べモノとか。
――食事も一回じゃなく、二回でも三回でも。お菓子も山ほど買おう。
――ねえ、でも、それってどんな仕事?
――さあね。よくわかんない。夜の仕事。
――夜の?
――うん。夜にね、ちょっと。ね、カナカナ、こっち来なよ。一緒にギュッとかたまって。そしたら寒くないよ。ね、こっちおいで。
――でも、あたしクサいから。お風呂入ってないし…
――それ、あたしも一緒だから。大丈夫。そば、おいで。ふたりでギュッと、ね。一緒に。
――うん。ね、お姉ちゃん、
――なに、カナカナ?
――お姉ちゃん…
…… ……
起きたらもう、とっくに昼を過ぎてた。
ほっぺたに涙のあとができてた。キッチンの流しで顔を洗う。
ちょっとごしごしこすったら、涙のあとはすぐに消えてなくなった。
そのあと少しして、カトルレナもゴソゴソ起きてきた。
ひとまず二人でごはんを食べた。レトルトのキノコ雑炊とポップコーンみたいなスナック菓子。カトルレナは肩まで毛布をかぶっていたけど、いちおう顏だけは出して、無言でもぐもぐ一緒に食べた。けっこう髪はぼさぼさで顔色も悪かった。けど、なにげにけっこう美人さん。血色がよくなって髪が整えば、もっとずっと美人になるだろうと思われる。
そのあと二人でごろごろマンガ読んだ。それからテレビで一緒にアニメをみた。この世界の終わりにも、テレビヒノシマは去年のアニメの再放送をやっていた。その底なし鉄板の危機意識のなさが、むしろなんか今はホッとして癒された。
ためしにチャンネル変えて他をみると―― どこもかしこも黒化現象がなんとかの臨時ニュース。政府の緊急なんとか、ニイナカ県のなんとか市でも非常事態――
なのにどれだけ待ってもぜんぜんあの二人は―― あのヘンテコな悪魔コンビは、ぜんぜんこっちに戻ってくる気配がない。時計を見るともう午後四時。
ゴミが邪魔で開かないドアを無理やり開けて外に出る。外は意外にもすごくシックな高級マンションの廊下スペースだった。間接照明のともる高級感あふれる廊下。同じデザインの木目調のドアが6個ほど等間隔にならんでる。
エレベーターで1Fまで降下。
二重のセキュリティドアを通り抜け、表の通りに出た。
外はもうけっこう暗い。なにげに雨が降ってる。傘なんて持ってないからとりあえずそのままダッシュで走った。どっかにコンビニがあれば傘を買おうと思った。けど、このへんは住宅街でぜんぜん店なんてなかった。
ヒノシマ市。
名前はたまに聞く。けど、じっさい来るのは初めて。第一印象としては、なんとなくトウキョウよりだいぶ震災復興がおくれてるって感じ。そこらへんの家は壊れたままで全然建てなおってない。火事で燃えたっぽい区画もあった。そこはそのまま黒い瓦礫の更地になってて――
カトルレナが言ってたダイブカフェは、そこからそんなに遠くない位置にあった。
大通りに面したビルの十六階。まわりのビルが潰れまくってる中で、そのビルだけがわりとまともに地震の被害をうけずに残ってる感じ。そこはかとなく小便臭ただよう暗いエレベーター。ようやく着いた十六階。うすぐらい通路の両側に、なんだかうらぶれた金融事務所だとか探偵社だとかのドアがぽつぽつ怪しくならんでる。その廊下の奥のいちばん奥にダイブカフェはあった。正面ドアの落書きがヤバかったから中もけっこうヤバいんだろうなって覚悟して入ったんだけど――
中は意外に綺麗で広く、店員もまともだった。
カードで使用料と初回登録費を払い、6番ブースの鍵をうけとって奥にすすむ。
ブースの中はだいたいいつもと同じ。虹彩認証でID確認OK。照明が自動で落ちて、かわりに仮想世界の立体映像が立ちあがってくる。はじめは荒いポリゴンだったのが、数秒のうちに、リアルとほとんど区別のつかないディテールを伴った―― 色とかは、リアルよりもっときれいで鮮やか―― いつもの見慣れたゲーム世界がそこに展開。
『アッフルガルド』
あたしのいつもの気軽な遊び場―― だったはずなんだけど――
…… …… …… ……
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