君恋地上界語り とある屋敷の一日は魔深き漆黒
はじめに。
このお話は拷問やら食人志向やらの話題に少しだけ、触れます。あくまで少しだけ。
そういったものがニガテな方は今のうちに退避をお願いします。
穏やかな陽光が降り注ぐペレスフォード邸のダイニングでは紅茶を淹れるためにエレナが甲斐甲斐しく黒髪の少女に尽くすなか、当の本人は何やら怪しげな表紙の本を食い入るように見つめている。明らかに歴史書ではないタイトルの本を一心不乱に読み漁る少女に誰もが口をつぐんだ。
とりわけこの少女は屋敷の人間からはすこぶる好かれているのもあるが、当主にもこれでもかというほど好待遇を受けているために粗相のないようにと使用人が自粛している節があるために、誰も彼もがその光景を目も背けずに見つめていた。
その使用人たちの中でも強面のコックがさぞ対応に困ったことだろう。初対面での林檎ケーキを振る舞ったのが良かったのかコックは少女のお気に入りとなり身分も関係なく同席することを許されたが、今はそれが仇となるのか少し居心地が悪そうである。大きな身体にはやや不釣り合いなテーブルイスに縮こまるように座すノイシュは顔面を蒼白にさせながらも少女の狙いが分からずにただ待つしかなかった。
ペレスフォード当主並びに妹御であるメイドのエレナと並び立ってもその輝くような少女の容姿は曇ることなく、キラキラと子供のような瞳で飽くなき知識を求める姿はコックはおろか護衛さえも陥落させた。ただし彼女自身にはそのような気はなかったがために周りの人間がその謙虚なまでの姿勢に入れあげてしまった、といった次第であるが。
男も女も関係なくペレスフォード邸の人間を一人で魅了する彼女は“人”でこそないが、誰よりも人間を理解しようと一カ月前から様々な知識を貪欲に欲したために空いた時間はすべて己の勉学に当てていた。
休憩のためのアフタヌーンティーでさえ本を手放さない少女に誰もが破顔するが如何せんその手にある本のタイトルが怪しい。
それが魔法に関する本であればこのような日中に読んでも可笑しくはない。むしろその姿勢は評価されるのだろうが彼女が手にしているのは……
少女は本から目を逸らさずに目の前に座る、彼女のお気に入りであろう料理人に向かってつぶやく。
「……ねえノイシュ。“ナベ”ってなんですか?」
「ナベ? ……鍋、ですよね。食物を煮る時に使う底の浅い器で、それを使って煮て食す……たしか東の小国の調理法だったと思いますよ」
「お、恐ろしいですねっ。東方の人間はこうやって料理するんですか!」
「……ちなみにリディア嬢、何を読んでるんですか」
可笑しいぞ。彼女に言ったのは一般的な東の小国の調理方法なはずだ。それがどうして恐ろしい、などと形容するんだ?そもそも自分と彼女の想像する“ナベ”が合致していないのだろうか。
年頃に見えるだろう少女が広げていたのは既に見慣れた拷問を題材にした本で、ぶっちゃけお昼時にはおいそれと広げてほしくはない類のブツだ。何というか彼女ぐらいの女の子ならば恋愛小説とかを選ぶものではないのか?と上手く回らない頭で考えるが、如何せんこの客人は普通ではないのだ。
自分が説明したはずの“鍋”にかすりもしない本の内容に立場を忘れて突っ込みたい。いや、突っ込んだら職はおろか命さえ危うそうでありそうだが。
しかしそういった類の本をリディアに勧めたのは様子見を決め込んでいるエレナだと知らないノイシュはこの後にさらに苦しむことになる。
というか拷問書を広げている時点で彼女の言っていた“ナベ”はかなりの確率で調理方法などではないだろう。そうあたりを付けたノイシュは彼女の言葉を待った。
「え、と『古今東西の拷問集パート2』です」
「……どこに鍋の要素が???」
さてどこからこの少女に突っ込むべきなのだろう。我慢は体に良くないし、間違った知識というか偏った知識など彼女には不必要だとは思う。
そもそもその本は当主の趣味なのか?!と思わず問いただしたくなる。こう、教育というか勉強熱心なリディア嬢には刺激が強すぎるのでは、とノイシュの脳内を埋め尽くす。
すぐに手を打たなければリディア嬢が拷問に興味を抱いて、実践したいと言い出すやもしれないと若干斜め上に焦り始めたノイシュを笑いを堪えるのに必死なエレナがにやにやと見守っていた。
「何言っているんですかノイシュ! ここにちゃんと書いてあるではないですか」
バーンッ、と効果音がつきそうな勢いで差し出された『古今東西の拷問集パート2』の開いてあるページを渋々と見れば、おどろおどろしいイラストといくつかの怪しい単語が綴られていた。
「………………これのどこが鍋か、分からないんですが」
「ええっ? こんなに丁寧なイラスト付きですよ。ここに大きなナベがあって、人を煮ているではありませんか」
「いや、それって……」
そもそもその本は拷問関係で料理本では断じてない。しかも彼女がここだ、と言わんばかりに指で示すイラストは“釜茹で゛にされている男の絵だ。一体どこから訂正をするべきなのかと頭を悩ませ、すぐに答えを出したノイシュはハッキリと目の前の少女に告げた。
「それは料理本ではありませんし、“釜茹で”とは死刑方法、とタイトルにありますから。それにそれは鍋ではなく、釜です」
「ん? そう、なのですか。まぁ拷問関係の書物に料理方法が載っているとは思えませんし。やはり素人判断はよろしくないですね。煮立った湯で茹でる、とありましたからてっきり食人志向なのかと……」
「……それはたしかに恐ろしいですね」
彼女の勘違いを正せば何やら末恐ろしいものが出てきそうで、ノイシュは人知れず震えた。
これはあれだろうか。当主とエレナ嬢の英才教育の賜物なのか、嬉々として語る少女の黒そうなナニかを思わせる雰囲気に呑まれかけるが、そこは大人の矜持で何とか持ちこたえる。
これは彼女のためにも自分が一肌脱いで正しい鍋を作るしかないと密かに決意し、食材は何を入れようかとノイシュはひたすらに考え始めた。ノイシュがあーでもないこーでもないと頭を捻るなか、邪気のなさそうな笑顔で彼の少女はにっこりと微笑んだ。
「そうだノイシュ、闇鍋がしてみたいです!」
さながら天使の微笑みと表現出来そうな笑顔でそう言った彼女の表情は今のノイシュには悪魔の笑みにしか見えなかった。
闇鍋の元は錬金術を行った魔法使いが色々と食材を突っ込んだ末に出来た産物だったはず。食べられるものならばまだいいが、彼女の手にする『毒草と毒キノコ』が如実に語っている。さっきは拷問関係の書物だったのがいつの間に、だ。
向学心に燃えるリディア嬢ならばきっとそれらの食材を手にして、鍋に入れてしまいそうだ。煮立った鍋で妖しげなものを煮込む、ノイシュが考える魔法使い像はまさにそれで、ランセ殿なんかもしょっちゅうナニかを煮込んでいるから余計にそう想像してしまう。
「さあエレナこれらの食材を手に入れにいきましょう!」
とか言っているけどリディア嬢が示したのはやっぱり『毒草と毒キノコ』の本で、ちがうちがう、それ食材じゃないと必死に目で訴えるも張り切った彼女と悪ノリしたエレナ嬢には届かずに、退出していく二人の背中を見つめるだけだった。そんな哀れなノイシュを労ろうと空回りしたリディアが悪夢のような食事を用意するとは思わないにちがいない。
その日のペレスフォード屋敷の夕飯は判別不明な具のドスグロい色のスープに色鮮やかなキノコの焼きぐし、そして何故か熊肉が出された。
言わずもがな食材を用意したのは闇鍋を作ろうとしていた客人と一人のメイドだったが、その二人に甘い屋敷の人間は顔を青ざめながら、すべて食した勇者たちだった。唯一の救いは誰も食中毒にはならなかった事だが、皆が気を遣って食べたものだから味をしめた客人はこれから何度も闇鍋を作ろうと色んな食材を集めることとなる。
ちなみにこの日を境にしてペレスフォード屋敷の者たちはみんな鍋が恐怖の対象となり、嬉々として煮詰めていた客人と変人と名高い護衛とそのメイドの三人以外は見るのも匂いを嗅ぐのもダメになったそうだ。