第24話 オーロラ輝く
「ヒナちゃん、夜も探しに行くよ」
「え?あの迷子の子ですか?」
「うん。夜なら出て来るかもって思う」
翌日、メールで依頼が来たシベリアンハスキーの子犬を、環とヒナタは日中探してみた。小さいので恐さが判らずウロウロしているかと思ったのだが、どこかへ隠れてしまうと小さいだけに却って見つけにくい。結局見つけられず、夜になって出てくるのを待つことにしたのだ。依頼主の自宅からそう遠くへは行っていまい。環は捜索範囲を絞り込んだ。
この街はJR線や幹線道路沿いに市街地があるが、依頼主の自宅は少し離れた所にあり、建物は疎らだ。近くに新しい住宅地があるのでその明かりに子犬は寄せられていくかも知れない。環はクロカン軽四駆を道端に停めるとケージと懐中電灯を持って道沿いを歩き出した。
二人がなだらかな坂を上って住宅地の端っこが見えてきた時、先を行くヒナタが振り返った。
「環さん、遠吠え聞こえます。小さな声。子犬やないですか」
環も耳を澄ます。
アウアウアーウ。
少し戻ったところだ。環は明かりを消してジャーキーを出した。
「匂いに気ぃつくかな」
「そーっと行って見よう。あの倉庫の向こうじゃないかな」
二人が道端の倉庫の裏手に差しかかった時、叢をかき分ける音が聞こえた。すかさず環が腰を落としエサをボールに入れて前に差し出す。叢から小さな影がまっずぐボールに向かって駈けて来た。
「この子だ!」
環が微笑む。
「あっさり掛かりましたねー。お腹空いてるんや」
ボールに首を突っ込む白い子犬。ハスキーだ。食べるのに夢中でヒナタが背中を撫でているのにも気づかない。月が出て来た。辺り一面が白っぽく光る。食べ終わった子犬はそのままヒナタに抱き上げられた。
「いい子やなあ。無駄吠えもせえへん」
「ホントだー。可愛いなあ。欲しいなあ」
「駄目ですよー、他所の子ですからねえ。よしよし」
子犬はヒナタに抱かれたまま、アウーと吠えた。
「はは、一人前に遠吠えしてますねえ」
子犬の顔を覗き込んだヒナタはあっと思った。
「環さん、この子の目、水色のオーロラや」
月明かりに涙で濡れたハスキーの水色の瞳が揺れていた。目の中に星がある。星がオーロラに揺れてる。
「ブルーの小さい頃とそっくり」
「環さん、やっぱりあたしもこの子、欲しいなあ。見つかりませんでしたーって言うてそのまま貰っちゃうとか」
「そりゃ駄目だよ。窃盗になっちゃう」
「ほんなら・・・人質みたいにして、この子を返して欲しかったらこの子をよこせ!とか」
「お笑いじゃないんだから」
環が笑った。
「駄目かなあー」
ヒナタが子犬を抱っこしたまま歩き、クロカン軽四駆に乗り込む。ハンドルを握る環が暫くして言った。
「ヒナちゃん、明日、頼んでみるよ。駄目元で」
「わお、やった!」
「何頭か生まれてたらひょっとするかもだから、ウチの看板犬にしますってアピールしてみる。だってさ、私とヒナちゃんとコカゲちゃんの絆でしょ、オーロラって」
「うん!もう名前決まった!オーロラ、看板になってウチにお出で」
ヒナタは子犬のおでこに頬ずりした。みんなを結んでくれたオーロラ。これからもずっとやで。水色の瞳に通り過ぎる街灯が流星のように輝いた。
次の日は雪虫の予言通りに雪がちらついた。学校から帰ったヒナタは誰もいない家で溜息をついていた。
「はあ・・・環さん遅いなあ。あかんかったんやろか。取り敢えず、他の子におやつあげよか」
ヒナタが帰ってきたので2頭の保護犬は大喜びだった。早速テラスで尻尾を振っている。ヒナタがおやつのビスケットを持ってテラスに出たら、丁度クロカン軽四駆が入って来るところだった。2頭も座ったまま注目している。
「お帰りなさーい」
ヒナタが叫ぶ。環は車を停めると素早く降りて、バックドアからケージを降ろした。腕で〇を作っている。
「わ、オーロラ!看板!帰って来たー」
環はケージに向かって声を掛けながら扉を開けた。子犬が飛び出してくる。ヒナタは駈け寄った。
オーロラ!お帰りー。
小さなオーロラはヒナタの手に飛び乗り、そしてヒナタの手のビスケットに齧り付いた。
「あー、オーロラ!これ先輩のやでぇ。あーあ、食べてしもた」
その瞬間、ヒナタの脳裏には峯婆ちゃんの小屋でドッグフードの袋に飛びついた先代オーロラがフラッシュバックした。オーロラってみんな食いしん坊や。ヒナタは泣きそうになりながら、笑っている環についてテラスへ向かう。待ちぼうけの2頭の視線がちょっと痛い。
「ごめーん。ちっちゃいのに取られてしもた。ちゃんとあげるからちょっと待っといてー」
部屋にオーロラを降ろすとヒナタは改めてビスケットを持ってテラスに出て、2頭の頭を撫でた。
「偉かったなあ、ちゃんと待ってて」
ヒナタがビスケットをあげていると、後ろから環の声がした。
「ヒナちゃーん、ちょっと入ってー」
「はあーい」
ヒナタは部屋に戻ると、そこら辺を嗅ぎまわっているオーロラを膝に乗せ、ソファに座った。手を洗っていた環が戻ってくる。
「やっぱり4頭生まれたみたいでね。ここなら安心だからって言われたよ」
「はあ、良かった・・・」
ヒナタはオーロラの尻尾を触りながら環を見る。
「でもさ、一つだけ条件が出たんだ」
「え?看板犬だけやったらあかんって?」
「ううん。そう言うんじゃなくてね。飼主さんってヒナちゃんを知ってる人だったんだ」
「え?あたしを?」
「うん。北洋中学の先生。沢田さんって言う人だけど、1年生の担任だから多分ヒナちゃんは知らないと思う」
「・・・」
「沢田さんね、私に、ヒナちゃんを是非高校へ行かせてあげて下さいって」
「えー?」
「ヒナちゃんならどこでも大丈夫だって」
「だって、あたしがここで働かんとやっていけませんよ。オーロラも小さいし」
「ま、私もヒナちゃん当てにしてたってのが正直な所なんだけど、北洋中学じゃヒナちゃんの事で先生たち大盛り上がりなんだってよ」
「はい?剣道部ないってなんでやねんとか騒いだからですかね」
「はは、そんなこともやったの?でも残念、違います。転校してきて、いきなりテストで1番になっちゃって、学年トップの子が就職はないだろうって。北洋中のメンツが立たないって」
「あたしにはメンツ関係ないんですけど」
「まあねえ。それはごもっともなんだけど、ヒナちゃんの将来を買ってるんじゃない?」
「そう言われても。あたしには高校よりオーロラが大事やし。ね」
ヒナタはオーロラの目の間をコチョコチョする。オーロラはヒナタを見上げ、鼻を鳴らした。
「でもさ、沢田さんは純粋にヒナちゃんにもっと勉強させてあげたいって思ってるよ。まだまだ伸びる子だって。高校行った方が将来は拡がるからって」
「うーん、辛いなあ。困るなあ」
「ね、北洋中のちょっと向こうに珠美高校あるでしょ。あそこなら自転車で通えるから受けて見なよ。辞めるのはいつでもできることだし、多分特別なことしなくてもヒナちゃん受かるよ」
「うーん」
「授業料はね、奨学金で賄えるって。学校終わってすぐ帰ってきてくれたらワンちゃんのお世話もできるしさ、そうなったらそうなったで何とかなるもんだよ」
「あたしが受けへんかったら、その沢田先生はオーロラを取り返しに来るんですよね」
「そだねー。反対に人質に取られちゃったね。この子を返したくなかったら高校行けーってね」
「うわー。小手狙いに行ったらきれいに面打たれた気分」
「ふふ。頼んだよ」
「はい」
ヒナタは不思議な感覚に包まれた。オーロラが持ってきてくれたんだ、高校進学。とっくに諦めていた話だった。
その夜、ヒナタはベッドからそっと外を見た。空には満天の星。コカゲ、気持ち伝わるかな。あたしも高校へ行っていいって。行かせてくれるって。目の奥に涙が滲んだ。ずっと無理やと思ってた。本音言うと、ちょっと不安やった。中卒でずっとやっていけるんかな。あたしだけいろんな事知らないようにならんかな。本当はちょっとだけみんなが羨ましかった。
だから・・・嬉しい。有難う環さん、有難う沢田先生、そして、有難うオーロラ。
でもちょっぴり先のハードルが上がった気がする。高校へ通いながら犬たちのお世話もする。お母さん、エラいことになって来たわ。雪みたいな虫も一杯おるし、道路カチンコチンに凍って自転車も滑るし。ヒナタは枕の下からカオリの手紙を取り出し、読み返した。
『いつまでもヒナタはヒナタのままで、強く生きてね』
そうやね、お母さん。弱気はあかんな。雪みたいな虫も雪や思たら結構きれいやし、凍った道も泥んこよりずっといい。知らん先生まであたしのこと、考えてくれてはる。大事な妹もちょっと離れてるけどちゃんといる。師匠、ヒナタは大丈夫。一人やない。お母さんの自慢の娘やもん、頑張るよ。ヒナタは手紙を枕の下に戻すと目を閉じた。涙が一粒、つーっと流れ落ちた。
夢の中で、雪虫たちは天に舞い上がって、満天の星になった。星たちはオーロラの瞳の中で輝いている。ヒナタのスマホにはコカゲからのハートのイラストスタンプが揺れていた。




