第14話 発表会
12月に入り、世の中もせわしくなってきた朝、横断歩道でコカゲがヒナタに封筒を渡した。
「ヒナ、これ招待状とプログラム。2枚入ってるよ。彼氏と来てくれてもええよ」
「コカゲ、朝から喧嘩売ってどうすんの。仰せの通りに彼氏みたいなオフジと行くけどな」
「どっちが彼女か判らんし」
「ヤジ飛ばすから覚悟しときや」
「はいはい」
約束通り、ヒナタはコカゲのフルートのクリスマスコンサートに招待された。要は発表会だ。オフジに軽くその話をしたら意外にも乗って来た。
「ウチ、こう見えてもそう言うとこ行くの好きやで。宝塚はお母さんとよく行ってるし」
「おお、そうやったオスカル」
「あのね、ヒナタは男役か娘役か判らんし」
「黒髪の美女に失礼やね」
「黙っとったらそう見えるんやけどな」
日曜日の市民ホール。結構、人が入っている。ヒナタは音楽の発表会なんて初めてだった。演目はフルートだけではないようで、色んな楽器の音合わせが緞帳の向こうから聞こえてくる。
「コカゲちゃん8番目やな。まあええとこやね」
「そうなん?あたし全然判らん」
「最初の方は緊張きついやろ。お客さんもしっかり聴いてるし、ちょっと慣れた頃の方が空気が柔らかなってる」
「オフジよう知ってるなあ」
「えへん。音楽の成績は3やけどな。あ、もうすぐ1ベル鳴るで」
「なにそれ?」
「5分前っていうこと」
「えーヤバい。段々緊張してきた」
「なんでヒナタが緊張するのよ。変な子」
オフジの言った通り、間もなくベルが鳴り、アナウンスも流れた。緞帳が上がり一番目の奏者が舞台袖から出てくる。まだ小学生のようだ。舞台真中でペコリとお辞儀をしてグランドピアノに向かった。演目はビビデバビデブー。少しゆったりしたテンポで子どもらしい演奏だった。
「なんにも緊張してへんなあの子」
ヒナタが囁く。
「小さすぎたら緊張せえへんみたいよ」
その後も小学生が4人登場し、6番目から中学生になった。ヴァイオリンとピアノのソロが続き、いよいよ次がコカゲの番だ。
「あかん。緊張して死にそうや」
真面目な顔をしてヒナタがぼやく。オフジは笑ってしまった。
「あんたが緊張したら余計にコカゲちゃんも緊張するやん。コカゲちゃんの事になったらヒナタはいつもと変わるなあ、恋人みたいや」
コカゲが伴奏のピアノ奏者と一緒に歩いてくる。グリーンの半光沢の美しいドレス姿だ。
「流石はお嬢さんやな」
オフジがのんびり呟く。ヒナタは食い入るようにコカゲを見つめた。綺麗やでコカゲ。頑張れ。
曲は『情熱大陸』だった。ピアノの前奏とグリッサンドの後にコカゲのフルートが謳い出した。スタッカートが切れっ切れだ。コカゲは伸び伸びと吹いてアドリブでアウトロまで付け加えた。凄い・・・コカゲ、活き活きしてる。ヒナタはいつもと違うコカゲの顔に驚いた。
大拍手の中、深くお辞儀をしてコカゲは退場した。ヒナタは大きく息をついた。ずっと呼吸を止めていたかのような緊張だった。
演奏の合間にコカゲは客席に戻って来た。
「おつかれー。めっちゃ良かったよー」
オフジが声を掛ける。有難うと言いながらコカゲはオフジの右の席に座り込んだ。
「あーめっちゃ緊張したあ」
オフジはそれを聞いて言った。
「ヒナタがコカゲちゃん以上に緊張してたよ」
「うん、知ってる。ヒナのドキドキがステージまで聞こえてきたもん」
「えー、ほんまに恋人みたい」
「あー、うるさいなオフジ。でもコカゲ凄かったわ」
ぐったりしていたヒナタがようやく声をあげた。コカゲはペろっと舌を出した。
次の演奏が始まる。ピアノが奏でるのはショパンのプレリュード『雨だれ』だ。ゆったりしたメロディーが流れる中、演奏を終えてほっとしたのかコカゲは眠っていた。首が右に曲がっていて、こりゃ起きたら痛くなるんじゃないかとオフジは心配になった。あれ?ヒナタ大人しいな。
オフジが左を見るとヒナタも眠っている。あれれ、ヒナタも首が右に曲がってコカゲと同じ形だ。手と足の組み方まで一緒。オフジの両脇で、同じ形で眠る二人。オフジはふと思い出した。そう言えば親戚の双子ちゃん、寝る時は同じ形っておばさんが笑ってた。時々同じところが痒くなったり痛くなったりするみたい。不思議やねえ、そう言ってた。
雨の中でヒナタが栂東中の不良と喧嘩した時、ヒナタは右腕を鎖でしばかれて腫れ上がってた。あの時コカゲは右腕が痛くなって心配で飛んで来たんだ。双子と一緒やん。ヒナタは団地のお婆ちゃんにコカゲが姉妹って言われて困ってるとも言ってたな。オフジは左右を見較べて考え込んだ。ヒナタとコカゲやろ・・・。でも全然違う家の子やし、考え過ぎかな。
年が明けてすぐ、今度はコカゲとオフジがヒナタの剣道の試合を見に行った。寒げいこを兼ねての交流試合との事だった。三年生が引退しているのでヒナタらは主力になっている。オフジもコカゲもルールはさっぱり判らないが、ヒナタはチームで2番目に強いらしい。小学生からやっている生徒もいる中での2番目はヒナタの能力を示していた。
寒々しい市の武道場では最初に全員での稽古が行われた。ダウンを羽織っても、なお足元から冷気が上がって来る。
「凄いな。こんな大勢がいっぺんにやるんや」
「うん。でも寒い」
コカゲは携帯カイロを握りしめた。会場の掛け声がお腹を揺さぶる。オフジもコカゲもヒナタを探そうとしたが無駄だった。
交流試合は先生同士が仲の良い私立中学との対戦でヒナタは副将を務めていた。剣道団体戦は5人で行うので3人が勝ったら勝ちになる。ヒナタは4番目に出るそうだ。交流試合とは言え剣士たちは気合十分だった。オフジもコカゲも進行の速さについていけない。栂西中はあっと言う間に先鋒・次鋒が相次いで負けた。オフジがぼやく。
「何やってんねん。ヒナタ全部出え」
「そんなんしていいの?」
「知らんけどな。一番目の子、夏は元気やのに寒さに弱いねん。じれったいわあ」
続いて3番目の中堅の試合だ。オフジが解説してくれる。
「あの子な、実は剣道よりバスケの方が得意やねん。地元のチームに入ってるらしいよ」
「えー、掛け持ち?」
「うん。せやから剣道でも時々相手をすり抜けて行ってしもて、試合にならんってヒナタぼやいてた」
しかし今日はすり抜けざまに相手の胴を払い、結局勝った。
「ヒナタが負けたら終わりやな」
オフジも自校の勝利に拳を握りしめる。
ヒナタが出て来た。と言っても見た目には全然判らない。オフジがコカゲの耳に口を寄せて
「あのな、ヒナタ最初に名前垂れの字体が可愛いから似合うやろうって思て、キティちゃんのアップリケ縫い付けて、足立先生にエラい怒られたんやって」
コカゲは噴き出した。
「ヒナらしい…」
「あの子、るろ剣のイメージやから武道って思ってへんかったみたい」
「やっぱりヒナらしい…」
会場では甲高い掛け声と打ち合いが始まっていた。真ん中で組み状態になった後、両者下がって固着する。相手は竹刀を小刻みに振って中段の構えだ。ヒナタはすっと竹刀を下げた。相手が打ち込んでくる。ヒナタは打ち込みを止めながら身を捻って後ろへ飛んだ。相手は前掛かりになりながらそのまま踏み出した。その瞬間、低い位置から出たヒナタの竹刀は相手の小手を綺麗に叩いた。旗が上がり、1本目はヒナタが取った。
2本目は最初から上段に振りかぶっての乱打戦になった。早過ぎてコカゲもオフジも何がどうなっているのかさっぱり判らない。そんな中で、急にコカゲの右の二の腕に激痛が走った。
「痛っ」
コカゲが左手で右の二の腕を押さえる。ヒナ、打たれた。コカゲはそう感じ目を閉じた。会場の歓声が大きくなっている。目を開けるとヒナタの試合は終わっていた。
「ヒナタ勝ったよ」
オフジがコカゲに言った。打たれたのに勝ったのか。コカゲにはルールが判らなかったが、面を外したヒナタがやはり右の二の腕を押さえているのが見えた。
「コカゲちゃん、右腕押さえてたなあ。痛かったん?」
「うん。急に」
「不思議やなあ。ヒナタも右腕打たれてた。有効ちゃうかったみたいやけど。そのあと半身開いて左手だけで相手の胴打って勝ったんよ。リーチ伸びるから二刀流も役に立つんやなあ」
「へえ凄いなヒナ」
「凄いのはあんたら二人やって。前にも思うたけど、何かであんたらは繋がってると思うわ。双子ちゃんみたいやもん」
「全然似てへんやん。オフジも峯婆ちゃんみたいなこと言うなあ」
「だってさ、コカゲちゃんの発表会の日、コカゲちゃん席に戻ってから寝てしもたやろ。あの時、ヒナタもコカゲちゃんと全く同じ形で寝ててんで。それって双子ちゃんの特徴やってウチの親戚のおばさん言うてた」
「えー、うかうか居眠りもできへんなあ」
コカゲは返してみたものの、オフジのその話はコカゲの心に残った。
試合は続いていたが、コカゲとオフジは武道場のロビーに出た。
「やっぱり寒いねえ」
オフジも身体を震わせた。
「うん、冬はヒナタに限る」
「コカゲちゃんは夏専用やなあ」
「あー、早くヒナタ出てこい」
「うるさいよー出てきたら出てきたで。見た見た?凄いやろとか喋りまくるで」
「寒いよりええわ」
剣道着に長い黒髪のヒナタ、ちょっと見てみたい。うるさくてもいいからヒナタはよ来い。自販機の前に立ち、コカゲはヒナタの分のココアも一緒に買った。