表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スライムさんは、ギルドで優等生を演じています  作者: 安威要
第六章 書けない依頼

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/53

外伝 拾ったもの

 拾ったものは、戻さなければならない。


 それは、ガルドの声だった。


 レンの声ではない。

 だが、レンの中にある。


 夜の地下は静かだった。


 水路の音が、石の壁に当たって小さく返る。地上のギルドはもう閉まっている。受付台には帳面がしまわれ、厨房の火も落ちている。マスターは奥で酒瓶を片づけ、リーネは最後の確認印を押して帰った。


 レンだけが、地下にいた。


 手には何も持っていない。


 けれど、重かった。


 ガルドを取り込んでから、時々、知らない重さが残る。


 革袋の重さ。

 濡れた短剣の重さ。

 銅貨袋を腰へ入れる時の、少しだけ沈む感触。

 死んだ者の腕から留め具を外す時の、冷えた皮膚の硬さ。


 レンのものではない。


 ガルドのものだった。


 最初の記憶は、若いガルドだった。


 まだ今より背筋が伸びていた。革鎧も新しく、剣の柄も擦り切れていない。浅い階層で仲間を失い、血まみれの荷物を抱えてギルドへ戻る。


 受付の向こうに、知らない職員がいる。


「回収品ですね」


 そう言われる。


 ガルドは頷く。


 言葉が出ない。

 死んだ仲間の短剣を置く。薬瓶を置く。銅貨袋を置く。指輪を置く。


 親族が来る。

 泣く。

 礼を言う。


 ありがとう。

 持って帰ってくれて。


 その時のガルドは、まだ目を逸らしていた。


 拾ったものは、戻さなければならない。


 その言葉は、その頃にはまだ汚れていなかった。


 次の記憶では、ガルドは腹を空かせていた。


 依頼は失敗続き。魔物を倒せない。荷運びでは若い者に負ける。採取では足が遅い。剣を振れば肩が痛む。報酬は少なく、宿代と飯代で消えていく。


 その日も、浅い階層で死体を見つけた。


 知らない冒険者だった。


 荷物は残っていた。薬瓶が三本。予備の短剣。銀貨が少し。

 ガルドはそれをギルドへ届けた。


 親族へ戻るものが分けられた。

 所属パーティへ戻るものが分けられた。

 依頼品が分けられた。


 最後に、残りがガルドへ渡された。


「規定です」


 受付はそう言った。


 残った薬瓶一本と、傷のある短剣。

 売れば、三日は食えた。


 ガルドはその夜、久しぶりに温かい飯を食った。


 拾ったものは、戻さなければならない。

 残ったものは、受け取っていい。


 言葉が、少しだけ形を変えた。


 レンは水路の脇に座った。


 石の上は冷たい。

 冷たさは、自分のものだ。


 記憶は違う。


 次の記憶では、ガルドは道を覚えていた。


 第三横穴。

 古い階段口。

 東側の崩れ道。

 魔物が通る時間。

 新人が足を滑らせやすい石。

 叫び声が届きにくい窪み。


 最初は、避けるために覚えた。


 その次は、見つけるために覚えた。


 誰かが帰ってこないと聞く。

 ガルドは場所を思い浮かべる。

 あそこなら、死体が残る。

 あそこなら、魔物が荷物までは食わない。

 あそこなら、ギルドの捜索が来る前に入れる。


 そして拾う。


 剣。

 薬。

 財布。

 形見。

 木札。


 戻せるものは戻す。

 戻せないものは残る。

 残ったものは、受け取っていい。


 ガルドは、そう繰り返した。


 記憶の中のガルドは、もう泣かない。

 死体の顔を見ない。

 装備を見る。袋を見る。薬瓶の数を見る。


 レンは目を閉じた。


 ガルドの目で見ると、冒険者は荷物を持って歩いているように見えた。


 あの革鎧は売れる。

 あの薬瓶は未使用。

 あの短剣は親族に戻る。

 あの銅貨袋は、残れば自分のものになる。

 あの靴は、小さいから売れない。


 人ではなく、残るものを見る目だった。


 余計だ。


 レンはそう思った。


 だが、消えない。


 さらに奥の記憶が来る。


 若い冒険者が三人いる。

 ガルドに道を聞いている。


「第三横穴の入口なら、薬草が残ってる。奥へは行くなよ」


 ガルドはそう言う。


 言葉だけなら、忠告だ。

 間違いではない。


 だが、ガルドは知っている。


 入口近くの石は沈む。

 沈めば、奥の魔物が動く。

 逃げ道は細い。

 新人は慌てる。

 一人は落ちるかもしれない。


 それでも、ガルドは言う。


 奥へは行くなよ。


 言った。

 止めた。

 だから、自分は悪くない。


 新人たちは進む。


 ガルドは離れて見る。


 腰の袋を少し緩める。


 まだ死んでいない。

 だが、袋は開けやすくしておく。


 レンはそこで目を開けた。


 地下の水音が聞こえる。


 ガルドの記憶の中では、まだ叫び声が続いている。


 助けられた。


 その場面が、何度もある。


 手を伸ばせば届いた。

 薬瓶を投げれば間に合った。

 大声を出せば、別の冒険者が気づいた。

 石を投げれば、魔物の向きが変わった。


 だが、ガルドは待った。


 弱いから。

 間に合わないから。

 巻き込まれたくないから。

 どうせ助からないから。

 死んだら拾わなければならないから。


 理由はいくつもあった。


 どれも少しずつ本当だった。


 だから、汚れていた。


 レンは立ち上がった。


 地下の壁に手をつく。石の隙間に、水が薄く染みている。


 ガルドの記憶には、使えるものが多かった。


 第三横穴の奥にある割れ目。

 死体が見つかりにくい窪み。

 古い荷袋を隠した場所。

 魔物が避ける湿った道。

 新人が間違えやすい分岐。

 ギルドの捜索隊が見落とす影。


 それらは、汚い。


 だが、役に立つ。


 居場所を守るには、使える。


 レンはその事実を否定しなかった。


 ガルドは悪い。

 だが、ガルドの知っていた道は悪くない。

 道はただ、そこにある。

 使い方が汚れていただけだ。


 なら、使える。


 レンはそう判断しかけて、止まった。


 ガルドも、最初はそうだったのかもしれない。


 死者の荷物を戻す。

 必要な仕事。

 残りを受け取る。

 規定。

 死にやすい場所を覚える。

 役に立つ知識。

 危険な新人を見る。

 助けるより、待つ。


 少しずつ、形が変わる。


 レンは自分の手を見た。


 手は人の形をしている。

 だが、そうでなくなることもできる。


 取り込むこともできる。


 ガルドの最後の感覚が、短く残っていた。


 石の冷たさ。

 水音。

 革袋が落ちた音。

 腕を包まれた時の恐怖。

 目の前にいるものが、人間ではないと気づいた瞬間。


 そして、最後に浮かんだ考え。


 俺は、拾われるのか。


 レンは目を閉じた。


 拾ってはいない。


 戻してもいない。


 取り込んだ。


 それは、帳面のどこにも置けない。


 地上へ戻ると、マスターが裏口の前にいた。


 まだ寝ていなかった。

 明かりは薄い。酒瓶もない。腕を組み、扉にもたれている。


「遅いな」


「下にいた」


「何か拾ったか」


 レンは少し黙った。


「余計なものを」


 マスターの目が細くなった。


「捨てろ」


「使える」


 言ってから、レンはその言葉の重さを見た。


 使える。


 ガルドも、何度もそう思っていた。


 この道は使える。

 この場所は使える。

 この死体は使える。

 この制度は使える。


 マスターは低く言った。


「使える汚れが、一番残る」


 レンは答えなかった。


「使ったら、楽だ。早い。誰にも見えん。だから残る」


「しまう」


「しまえるうちはな」


 マスターは、レンから視線を外さなかった。


「ガルドのことか」


 レンは黙った。


 マスターはそれ以上、名前を追わなかった。


「報告は」


 いつもの問いだった。


 レンは、地下で見たものを思い出した。


 隠された荷袋。

 届けられなかった髪飾り。

 死にやすい道。

 待つ男。

 使える汚れ。


 報告すれば、仕事になる。

 仕事になれば、誰かが見に行く。

 見に行けば、また拾うものが出る。


 だが、全部を飲めば、レンの中に残る。


 レンは少しだけ考えた。


「ある」


 マスターの眉がわずかに動いた。


「何だ」


「第三横穴の奥。荷袋が残っている」


「ガルドのか」


「たぶんな」


「中身は」


「死んだ者のもの」


 マスターは息を吐いた。


「明日、回収記録を作る。レン、お前は行くな」


 レンはマスターを見た。


「なぜ」


「拾うな」


 短い言葉だった。


 レンは黙った。


「戻す仕事にする。お前の腹に入れる仕事じゃない」


 マスターはそう言った。


 強くはない。

 だが、線を引く声だった。


「分かった」


 レンは答えた。


 奥で、小さな物音がした。


 リーネだった。帰ったはずだったが、帳面棚の前に立っていた。手には古い記録紐を持っている。


 眠そうではない。

 聞いてしまった顔でもない。


 ただ、何かを探していた顔だった。


「明日の回収記録ですか」


 リーネが言った。


 マスターは少しだけ苦い顔をした。


「まだ何も言ってない」


「言いました」


「聞こえたか」


「少しだけ」


 リーネはレンを見た。


「第三横穴の奥に、未処理回収品があるんですね」


 レンは頷いた。


「ある」


「所有者照会が必要です」


「そうだな」


「回収者は」


 リーネはそこで止まった。


 ガルドではない。

 レンでもない。

 まだ、誰でもない。


 リーネは少し考え、帳面を開いた。


「ギルド回収扱いにします。明日、正式に人を出します。回収者個人の残余受け取りはなし。未返還品は保管」


 マスターが頷いた。


「それでいい」


 レンは帳面を見た。


 ガルドの知っていた場所が、ギルドの仕事になる。


 それなら、戻る。


 少なくとも、レンの中だけには残らない。


 リーネはペンを置いた。


「レンさん」


「どうした」


「その場所を、明日教えてください」


「行かない」


「はい。場所だけでいいです」


「分かった」


 リーネは少しだけ間を置いてから言った。


「拾ったものは、戻しましょう」


 それは、ガルドの言葉に似ていた。


 だが、違った。


 ガルドの中で、その言葉は少しずつ汚れていった。

 リーネの言葉には、帳面の場所があった。


 レンは短く答えた。


「はい」


 翌朝、ギルドは正式な回収記録を作った。


 第三横穴奥、未処理回収品確認。

 所有者照会。

 残余受け取りなし。

 保管期間延長。

 担当、ギルド回収班。


 レンは同行しなかった。


 受付台の横で、水瓶を運び、壊れた椅子を直し、依頼札の端を揃えた。


 いつも通りだった。


 だが、地下の道は覚えている。


 ガルドの記憶も残っている。


 消えない。

 使える。

 だから、しまう。


 昼前、回収班が戻ってきた。


 袋が三つ。

 髪飾りが一つ。

 木札が二枚。

 錆びた短剣。

 薬瓶。


 リーネが一つずつ記録する。


 戻せるものを戻すために。


 レンはそれを見ていた。


 拾ったものは、戻さなければならない。


 その言葉は、まだ中にある。


 だが、少しだけ場所が変わった。


 ガルドの袋の中ではない。

 レンの腹の中でもない。


 帳面の上に置かれている。


 夕方、マスターが確認印を押した。


「報告は」


 レンは少しだけ考えた。


 ガルドの記憶。

 死にやすい道。

 使える汚れ。

 しまう場所。


 まだ、全部は言えない。


 だが、全部を飲んではいない。


「今日は、ある」


 マスターはレンを見た。


「言え」


「残っている場所が、他にもある」


 マスターは深く息を吐いた。


「明日、帳面にしろ」


「分かった」


 リーネがペンを取った。


「では、未処理回収品確認予定として、仮欄を作ります」


 レンは頷いた。


 帳面に、余白ではなく欄ができる。


 汚れは消えない。


 だが、全部を腹に入れなくてもいい。


 レンはそう判断した。


 夜、裏口を閉める前に、レンは掃除箱を見た。


 中は空だった。


 紙もない。

 袋もない。

 礼の品もない。


 それでも、何かが来る場所であることは変わらない。


 レンは蓋を閉めた。


 背後でリーネが帳面をしまう音がする。


 拾ったものは、戻す。


 戻せないものは、しまう。


 しまえないものは、帳面に置く。


 レンは裏口の鍵をかけた。


 今日のギルドには、報告があった。

 それでも、全部ではない。


 全部ではないから、まだ回っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ