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スライムさんは、ギルドで優等生を演じています  作者: 安威要
第三章 それは依頼にありませんが

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第28話 それは許可されていません

 便利な場所は、長く秘密ではいられない。


 朝のギルドで、保守員の一人が帳場へ戻ってきたとき、リーネは顔を上げる前から少し嫌そうな気配を出していた。


「今度は何ですか」


 紙を揃えたまま聞く。


「故障じゃないんですけど」


 保守員はそう前置きした。


「最近、地下の使われ方が妙なんですよ」


 レンは掲示板の前で依頼札を見ているふりをしながら、その声を聞いた。


「妙、とは」


 リーネが聞く。


「人が入ってる気配が増えてます。第三枝路の先とか、東の搬入口下とか。物の位置が変わるんです」


「保守員ではなく?」


「じゃないと思います。雑なんですよ。動かし方が」


 その言い方で、レンは少しだけ目を細めた。


 雑なのはその通りだった。


 木箱が横へずれている。

 足場に泥が増える。

 古い棚の上に、誰かが勝手に空き瓶を置いていく。


 使うだけならまだいい。

 使い方が雑になると、そこから事故になる。


「記録は」


「つけるほどでは……」


「つけるほどではないが、気になる」


「はい」


 リーネは一拍だけ黙った。


「正式な保守依頼にはなりませんね」


「でしょうねえ」


「被害が出ていませんので」


 正しい。

 そして、正しいままでは足りない。


 レンはそのまま掲示板から離れ、帳場の脇を通る。


「人が増えてるんですか」


 何でもない調子で聞く。


 保守員が肩をすくめる。


「気配だけならな。別に集会してるわけじゃない。だが、前は子供一人分くらいの使われ方だったのが、最近は大人も混じってる感じがする」


「感じ、ですか」


「そりゃ見てないからな」


 保守員は言った。


「でも、同じ場所の同じ木箱が、毎日違うずれ方するんだぞ。あれは一人じゃない」


 レンはそれ以上聞かなかった。


 十分だった。


 地下へ降りる理由としては。


   ◇


 地下の空気はいつも通りだった。


 湿っていて、冷たく、石と鉄と古い水の匂いがする。

 変わらないようでいて、入った瞬間に分かる違いもある。


 人の気配が増えていた。


 目に見えるものではない。

 足音も、今はない。


 だが、空気の置かれ方が変わっている。


 第三枝路へ向かう途中、壁際の埃が薄くなっている場所が増えていた。誰かがそこを手で支えたか、肩を擦らせたか。通路の角には乾いた泥が二種類残っている。子供の軽い靴と、もっと大きい、底の硬い靴だ。


「……増えたな」


 声に出すと、少しだけ苛立ちが混じった。


 自分でも珍しいと思う。


 ここは元々、自分の居場所として与えられた場所だった。

 監査のために一度手放したような形にはなったが、それでも地下はレンの領分だったはずだ。


 そこへ人が入る。

 しかも勝手に。

 しかも、使いやすいところだけ使って、危ないところには気づかない。


 面倒というより、落ち着かなかった。


 東側の搬入口下へ着く。


 やはり木箱の位置がずれている。

 しかも今日は、木箱が一つ増えていた。どこか別の場所から勝手に持ってきたらしい、片足の欠けた小箱だ。受け皿の近くへ寄せてあり、二人並んで水を汲みやすい位置になっている。


 さらに、その奥。

 危険を避けるために立てかけておいた板が、半分倒されていた。


 誰かが邪魔だと思って動かしたのだ。


 レンはしばらくその場に立っていた。


 ここを便利にしたのは自分だ。

 だが便利になったものは、使われる。


 それ自体は別に間違っていない。

 問題は、使う側がこの場所の都合を何も知らないことだった。


 水は欲しい時だけ取ればいいわけではない。

 足場は立てればいいわけではない。

 補助鎖は手を掛けても平気なものと、掛けてはいけないものがある。


 そういう細かな違いが、ここではそのまま事故になる。


 レンはまず倒れた板を戻した。

 だが元の位置へ戻すだけでは足りない。


 邪魔だからどかされるなら、邪魔ではなく“通れない形”にしなければ意味がない。


 板の片側を、古い配管の受けに噛ませる。人が軽く押した程度では動かず、保守員が本気で外そうとすれば外れる程度の噛ませ方だ。露骨に塞がない。だが、気軽には動かせない。


 次に、増えた小箱を見た。


 これも厄介だった。

 使いやすい位置にある。だから人が寄る。寄れば危ない。


 レンはそれを持ち上げ、少し離れた壁際へ運んだ。

 そして代わりに、元から使っていた木箱の位置を調整する。箱ひとつで足りるように、受け皿の角度を少し変え、瓶が置きやすいように縁を石片で均す。


 一つだけ使える。

 それ以外は使いにくい。


 言葉ではなく、形で制限する。


 それが一番、余計な反発を生まない。


   ◇


 その日の昼前、レンはもう一度東側へ戻った。


 気配があったからだ。


 子供たちではない。

 足音が重い。


 配管の影へ入る。


 現れたのは、スラムの大人だった。男が一人。痩せてはいるが、子供よりずっと遠慮がない。片手に桶、もう片方に古い針金束を持っている。


 男は受け皿の前でしゃがむと、水を汲む前に板の向こうを見た。


 危ない位置。


 そこに何か使えるものがあるか確かめている顔だった。


 そして、針金束を差し込んだ。


「……やめろ」


 今度は、ほんの小さく声が出た。


 男には聞こえていない。

 だがレン自身には十分だった。


 針金が補助歯へ届く。

 たまたま引っかかれば、動きが変わる。


 レンは影から出るより先に、手近のバルブへ触れた。


 ほんの少しだけ流れを変える。

 水音が一段強くなる。


 男がそちらを見る。

 その隙に、レンは配管の裏を抜けて位置を変え、針金束の根元を軽く弾いた。


「あっ」


 男の手から針金が落ちる。


 転がって、受け皿の下へ入る。


 男は舌打ちし、屈み込んだ。だがそこは手を入れにくい位置だ。無理に取ろうとすると、今度は体勢が悪い。


 そのあいだにレンは受け皿の位置をわずかにずらした。


 水が男の桶へ素直に入るようになる。


 男は針金を取るのを諦めたらしく、桶が満ちるのを待った。


「……最初からこうならなあ」


 ぼやきながら去っていく。


 レンは影から出た。


 針金を拾う。

 危ない位置へ届く道具は、そのまま自分の中へ取り込んだ。錆びた金属の味が少しだけ残る。


「勝手に増えるなよ」


 誰に言うでもなく呟く。


 地下は返事をしない。

 水の音だけが残る。


   ◇


 午後、ヨナスが地下へ降りてきた。


 今度は仕事のついででも何でもない顔だった。

 最初から“見に来た”顔だ。


 レンは第三枝路の脇でその気配を拾った。

 急がない。

 だが躊躇もしない。


 見たい場所が決まっている歩き方だった。


 東側へ来る。


 木箱を見る。

 板を見る。

 受け皿を見る。


 昨日より整理されていることに、すぐ気づいた顔をした。


「……誰か、管理してるのか」


 小さく呟く。


 その言い方に、レンは少しだけ目を細めた。


 調整している、ではない。

 管理している。


 そこまで来たか、と思う。


 ヨナスはしゃがみ込み、木箱に手を置いた。

 持ち上げはしない。重さを見るだけだ。


 板の噛ませ方も見る。

 板の向こうが危ないとまでは分からなくても、「ここから先は行かない方がいい」と形で示されていることは理解したらしい。


「勝手に整ってるんじゃないな」


 独り言のように言う。


「整えられてる」


 レンは動かなかった。


 ヨナスは周囲を見回した。

 前より露骨だ。配管の影、壁と壁の隙間、保守路の暗がり。誰かがいそうな場所を、一応ひと通り見る。


 だが、見つからない。


 見つからないまま、ヨナスは立ち上がった。


 その顔には、半分だけ確信がある。

 証拠はない。

 だが、もう“ただの偶然”だとは思っていない顔だった。


   ◇


 地上に戻ると、帳場の前でヨナスがリーネに話していた。


「東、整理されてました」


「何がですか」


「使う場所と使わない場所が、分かるように」


 リーネは視線を紙へ落としたまま、答える。


「保守員がやったのでは」


「だったら記録があるでしょう」


「ないんですね」


「ないです」


 ヨナスは少しだけ前のめりになる。


「これ、直してるんじゃなくて、使い方を決めてる人がいますよ」


 リーネの指が止まる。


 帳場の空気が一拍だけ沈んだ。


「使い方、ですか」


「はい。危ないところは自然に入れなくして、使うところだけ残してる」


 ヨナスは言う。


「子供でも触れる場所は安全で、危なそうなところほど入りにくい。偶然じゃないです」


 その言葉は、かなり正確だった。


 リーネは紙束を揃え直し、ようやく顔を上げた。


「よく見ていますね」


「見てますから」


「それは感心しません」


「してない顔ですね」


 ヨナスは苦笑する。


 だが、そこで引かない。


「誰なんですか」


 とうとう聞いた。


 リーネは一瞬だけ無言になった。


 それから、淡々と答える。


「許可のない利用は認められていません」


「地下を使ってる人の話じゃなくて」


「同じ話です」


 リーネの声が少しだけ硬くなる。


「許可されていないものを、こちらから認めるわけにはいきません」


 ヨナスは黙る。


 そこで完全に止められたわけではない。

 だが、“それ以上は踏み込むな”という線は伝わったらしい。


「……分かりました」


 言葉の上では、という顔で下がる。


 レンは壁際からそのやり取りを聞いていた。


 リーネは名前を出さない。

 出さないで、線だけを引く。


 許可されていません。

 その一言は、地下を勝手に使う者にも、見ようとしすぎる者にも同じように向けられている気がした。


   ◇


 夕方、東側にはまた子供たちが来た。


 昨日の二人だ。

 今日は瓶の数が一つ多い。


「前より使いにくい」


 一人が言う。


「箱が一つ減ってる」


「でも、ここなら届く」


 もう一人が答える。


 それで終わる。


 不満はある。

 だが、使える場所が残っているなら、そちらを使う。


 人はそういうものだ。


 子供たちは木箱ひとつで順番に水を受け、終わるとすぐ帰っていく。無駄に奥へ行こうとはしない。危ない板の向こうも気にしない。


 十分だった。


 全部を締め出す必要はない。

 使える場所だけ残せば、それで足りる。


 レンは配管の影からその様子を見ていた。


 便利にするだけでは駄目なのだろう。

 便利になった場所には人が集まる。

 集まった人は、こちらの都合を知らない。


 なら、都合ごと形にしておくしかない。


 初めて、自分がこの地下を“管理している”のだと、少しだけ実感した。


   ◇


 夜、自分の部屋へ戻ると、水の音は少しだけ狭くなっていた。


 流れそのものは安定している。

 だが、人の使う場所を絞ったぶん、音の散り方が変わっている。


 レンは入口で立ち止まり、耳を澄ませた。


 東側の木箱。

 第三枝路の逃がし。

 危険な板の向こう側。

 見ようとするヨナス。

 何も言わないリーネ。


 地下は前よりずっと、人の都合に触れ始めていた。


 居場所が広がっているのか、仕事が増えているのか、自分でももう区別がつかない。


 ただ、前より一つだけはっきりしていることがある。


 放っておけば、ここは崩れる。


 誰かが使うなら、誰かが決めなければならない。

 どこまで来てよくて、どこから先は駄目なのか。


 レンは壁へ手を当てた。

 冷たい石の向こうに、水の細い流れがある。街の都合と地下の都合が、そこを通って行き来している。


「……面倒だな」


 口に出すと、少しだけ本音だった。


 だが、その面倒を放り出したいとは、もうあまり思わなかった。

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