初光
朝。
窓の隙間から差し込む光が、ゆっくりと部屋の中を満たしていた。
淡い光。
柔らかいはずのそれは、どこか遠い。
まるで、薄い膜を一枚挟んで届いているようなーーそんな感覚。
「……」
ソウマは目を開けていた。
眠れたのかどうかは分からない。
意識は途切れていた気もするし、ずっと浅い場所に浮かんでいた気もする。
ただ一つ、はっきりしていることがあった。
(……消えてない)
あの“感覚”。
昨夜のように、強く干渉してくることはない。
だが、確実にどこかに“ある”。
遠く。
手の届かない場所。
それでも、完全には断ち切れていない。
(……考えるな)
思考を止める。
あれに意識を向ければ、また“繋がる”。
それだけは分かっていた。
ゆっくりと息を吐く。
コンコン、と扉を叩く音がした。
「起きてる?」
リリアの声がした。
「ああ」
短く返す。
扉が開いてリリアが入ってくる。
ベッドの横の椅子に座った。
「顔色は……昨日よりはマシね」
「そうか?」
「そうよ。昨日は本当に酷かった」
淡々とした口調。
だが、その奥にはわずかな安堵が混じっている。
「今日はどうするの?」
少しだけ間があった。
ソウマは天井を見たまま、答える。
「光属性の魔法を練習したい」
「そうね」
リリアは頷く。
「ネグラディアのこともあるけど、今はまだ大丈夫そうだし。でも、何で急に?」
「必要だと思った」
理由は、それだけだった。
理覚だけでは足りない。
あれに対抗するには、別の軸がいる。
その中で、光属性は使えた方が良いと思ったのだ。
「一人でやるつもり?」
「……そこは誰かに教わりたいなと思っております、はい。つきましては、リリア様にお教えいただきたく……」
「いや、無理ね」
即答だった。
「……そうか?」
「そうよ」
リリアは小さく息を吐く。
「私、光じゃなくて風だもの。他の人に教えてもらいましょう」
「……誰かいるのか」
「いる」
即答。
「適任がね」
そう言って、リリアは立ち上がった。
「行くわよ」
「どこに」
「その人のところに」
リリアに連れられるままに歩いていると、大きなスタジアムのようなものが見えた。
「あれか?」
「そうよ。あの中、ルミナール戦闘演習場にいると思うの」
朝の空気はまだ冷たい。
だが、その中でも既に何人かの冒険者が体を動かしていた。
剣の音。
足音。
魔法の発動音。
その中でーー
一箇所だけ、妙に空気の澄んだ場所があった。
周りは騒がしいのに、そこだけ静かに整っている。
「フィア」
リリアが声をかける。
振り向いたのは、一人の女性だった。
淡いピンクの髪を肩口で揺らし、光を受けて柔らかく色を変えている。
白を基調とした軽装。
無駄のない立ち姿。
そしてーー
“澄んでいる”。
そう感じさせる雰囲気。
「……リリア」
落ち着いた声。
その視線が、自然とソウマへ向く。
一瞬だけ。
ほんのわずかに、目が細められた。
「その人は?」
「私の連れ、というのが正しいかな」
リリアが頷く。
「光属性持ちの子」
「……そう。珍しいな」
「お前が言うのかよ」
「光魔法を教わりたいって」
フィアは数歩、近づいてくる。
距離が詰まる。
だが、圧迫感はない。
むしろーー
「……静かだ」
フィアはぽつりと呟いた。
「ん?」
リリアが眉をひそめる。
「別に」
フィアは軽く首を振る。
「気にしないで」
それ以上は触れない。
だが、その視線は確実に何かを測っていた。
「光を扱いたいと?」
「ああ」
「理由は?」
「……必要だと思ったからだ」
短い答え。
曖昧だが、嘘ではない。
フィアは数秒だけソウマを見つめる。
それから、小さく頷いた。
「いいだろう」
一歩、後ろへ下がる。
「教えよう」
まず、と前置きし、
「光は、“作る”ものじゃない」
フィアの声が、静かに響く。
「そこにあるものを、“引き出す”」
「引き出す……?」
「そう」
フィアは軽く手を上げる。
その瞬間ーー
何の前触れもなく、光が生まれた。
淡く。
だが、完全に安定している。
揺らぎがない。
「空間には常に光がある」
フィアは続ける。
「目に見えなくても、ね」
その光を、指先でそっと揺らす。
すると、それに合わせて光が微かに形を変えた。
「それを整えて、形にする。それが光属性の出来ること」
無駄がない。
動きも、言葉も。
「まずは感じて」
ソウマは目を閉じる。
(……外か)
内ではない。
外。
空気。
空間。
そこに意識を向ける。
(……ある)
微かに。
だが確かに。
“何か”が満ちている感覚。
温度でも、重さでもない。
だが、確実に“存在している”。
(……これか)
「それを、手で掬うイメージ」
フィアの声。
ソウマはゆっくりと手を前に出す。
押し出さない。
“触れる”。
絡め取る。
(……逃がすな)
集中する。
するとーー
ふわり、と。
手のひらに、淡い光が生まれた。
「光が出たわね」
リリアが言う。
フィアは無言で頷いた。
「いい」
短く評価をくれる。
「その感覚を忘れないで」
ソウマは光を見つめる。
弱い。
だが、確かに存在している。
(……これが、光)
ほんのわずかに、頭の奥で何かが揺れた。
だがーー
それはすぐに消えた。
干渉するほどではない。
(……問題ない)
意識を切り替える。
「次」
フィアの声。
「簡単な魔法を使う。だけど、名前だけじゃ不十分だ」
「というと?」
「魔法は認識なんだ。呼び名で形が安定し、魔力をコントロールすることで発動する」
フィアは指を軽く鳴らす。
一瞬。
光が弾けた。
「フラルクス」
閃光が走る。
一瞬で視界が白く染まる。
「閃光を出す」
「……フラルクス」
ソウマは小さく繰り返す。
「やってみて」
ソウマは頷く。
先ほど掬った光。
それを圧縮する。
留めるのではなく、
弾く。
一点に集め、
——解放する。
「フラルクス」
ぱっ、と。
白い閃光が弾けた。
「……っ」
リリアが軽く目を細める。
「いいじゃない」
フィアも、わずかに頷く。
「形にはなってるね」
ソウマは手を見る。
(……できたな)
確かな手応え。
だが同時にーー
(……まだ弱い)
「もう一回」
フィアが言う。
ソウマは頷く。
再び、光を集める。
圧縮し、解放するイメージ。
「フラルクス」
閃光が弾ける。
先ほどより、わずかに強い。
「安定してきた」
フィアの声。
「次に行く」
ソウマは小さく息を整えた。
フラルクス。
弱いが、確かな手応えはあった。
だがーー
(……これはまだ入口だな)
自覚もある。
「次は、“付ける”光」
フィアは視線を横に向ける。
訓練場の端に置かれた、木の杭。
何度も打ち込まれているらしく、表面は削れている。
「対象に光を乗せる」
「乗せる……」
「照らすんじゃない。対象そのものを光らせる」
言いながら、フィアは軽く手を上げた。
「ノクスル」
次の瞬間。
杭が、淡く発光した。
外から当てている光ではない。
内側から、滲むような光。
揺らぎは少ない。
安定している。
「印みたいなものだ」
フィアが言う。
「一度付ければ、位置を見失わない。遠くからでも見える」
「……なるほど」
ソウマは杭を見据える。
(……触れる)
さっきとは違う。
光を圧縮し、弾くのではなく、対象へ“流す”。
「魔力を細く伸ばし、糸のように」
(……雑にやるな)
集中する。
触れる。
絡める。
そしてーー
「ノクスル」
一瞬、遅れて。
杭が、淡く光を帯びた。
「……おお」
リリアが小さく声を漏らす。
「ちゃんと光ってる」
フィアは無言で頷く。
「悪くない」
短い評価。
「だけどーー」
フィアは目を細める。
その瞬間、光は途切れた。
「まだ長時間の維持は難しいようだね」
ソウマは苦笑する。
ただ、自分の手元ではなく、離れた場所でも、魔法は成立している。
(……便利だな、これ)
単純な索敵や、夜間戦闘。
視界不良のときなど、用途はいくらでも思いつく。
「持続を意識して、もう一度」
フィアの声。
ソウマは頷く。
魔力を対象に流すイメージで。
「ノクスル」
そのまま、魔力の流れを保つ。
切らさない。
すると、光は安定したまま維持される。
だがーー
わずかに、意識を逸らした瞬間、ふっと、光が切れた。
「……切れる」
「集中が必要だからね」
フィアは淡々と言う。
「慣れれば無意識で維持できるようになる」
「……なるほど」
(……悪くないな)
むしろ、かなり使える。
「最後」
フィアの声で、空気がわずかに変わる。
「形を持たせる」
「……光に?」
「そうだ」
フィアは軽く右手を上げた。
光が集まる。
さっきとは違う。
明らかに密度が高い。
圧縮されている。
逃げ場がない。
それがーー
伸びて、形になる。
「ルクスレイド」
静かに詠唱される。
次の瞬間。
光の剣が、そこにあった。
微かに眩しい。
確かに“存在している”。
ただの光ではない。
“武器”として成立している。
「……」
ソウマは、目を細める。
(……これが)
見ただけで分かる。
フラルクスとは違う。
ノクスルとも違う。
これはーー
“存在を持った形”。
「やってみて」
フィアが言う。
ソウマは息を整える。
(……同じだ)
やることは変わらない。
掬う。
整える。
圧縮する。
ただーー
精度が違う。
一切のブレを許さない。
魔力を集める。
密度を上げる。
逃がさない。
(……ここだ)
一点に、意識を集中する。
「ルクスレイド」
光が収束する。
線になる。
伸びる。
しかし、剣にはならなかった。
あえて名前をつけると、棒みたいなものだ。
「……」
「初日では出来ない。むしろ、形を持っただけでも上出来だ」
棒を握ってみる。
感触がある。
重さもある。
だがーー
不安定だ。
少しでも集中を緩めれば、崩れる。
(……持たないな)
試しに、軽く振る。
光が軌跡を描く。
遅れて、空気がわずかに揺れた。
だが、その直後。
ぱき、と。
音もなく、棒が崩れた。
光が霧散する。
「……こんなものか」
息を吐く。
「十分すぎると思うわよ」
リリアが言う。
フィアも、小さく頷く。
「最初はそんなもの。慣れれば、もっと形になり、もっと保てる」
ソウマは手を見る。
何もない。
だが、感覚は残っている。
(……できるな)
まだ粗い。
だが、確実に。
「もう一回」
フィアが言う。
ソウマは頷く。
再び、魔力を集める。
掬う。
整える。
圧縮する。
流れが、少しずつ滑らかになっていく。
「ルクスレイド」
再び、光の棒が生まれる。
先ほどより、わずかに安定している。
「棒だが、いい」
フィアが短く言う。
その時。
ほんのわずかにーー
頭の奥が、揺れた。
(……)
一瞬だけ。
だが、すぐに消える。
干渉するほどではない。
ただ、“遠くで何かが動いた”ような感覚。
(……気のせいか)
そう判断する。
今は、それ以上の意味はない。
「続けてみるといい」
フィアの声。
ソウマは頷く。
光を維持する。
振る。
崩れる。
また作る。
その繰り返し。
単純な動作。
だがーー
確実に、精度は上がっていく。
しかし、かなり疲れる。
体験したことのない、違う種類の疲れ。
強いて言うなら、理覚と似ている。
少し離れた位置で、リリアとフィアはその様子を見ていた。
「……あいつ、ほんとに初めてか?」
フィアは小さく呟く。
「……飲み込みが早い」
それだけを言った。
それ以上は、何も言わない。
ただーー
ソウマの光を、静かに見ていた。
光が、また一つ弾ける。
確実に、昨日とは違う力が、そこにはあった。
「ルクスレイド」
光が収束する。
細く、鋭く。
揺らぎながらも、確かな形を持って。
ソウマはそれを握り、ゆっくりと振る。
光の軌跡が、空気に残る。
ーーぶれる。
わずかに。
だが、崩れはしない。
「……さっきよりマシね」
いつの間にか戻ってきていたリリアが言う。
「持ってる時間、伸びてる」
「……ああ」
短く答える。
意識を集中させる。
流れを切らさない。
逃がさない。
光は、不安定なまま。
だが、それでもーー
“維持”できている。
(……あと少しだな)
感覚は掴み始めている。
だが、その“あと少し”が遠い。
ほんのわずかな乱れで、すべてが崩れる。
「一回切って」
フィアの声。
ソウマは頷き、魔力を断つ。
光が、静かに消えた。
「今の感覚、覚えてる?」
「ああ」
「それを基準にして」
フィアは淡々と言う。
「力を増やすんじゃなくて、精度を上げる」
「……精度か」
「光は誤魔化しが効かないから」
短い言葉。
だが、的確だった。
ソウマは目を閉じる。
先ほどの感覚を、なぞる。
掬う。
整える。
圧縮する。
その一連の流れ。
無駄を削る。
余計な力を入れない。
「ルクスレイド」
光が再び生まれる。
今度はーー
揺らぎが、少ない。
「……いいじゃない」
リリアが言う。
フィアも、わずかに頷いた。
「そのまま」
ソウマは棒を構える。
振る。
空気が、わずかに震える。
だがーー
崩れない。
(……いける)
そのまま、もう一度。
振る。
今度は少しだけ強く。
光の軌跡が、はっきりと残る。
「……」
リリアが、少し驚いたように黙る。
「……安定してきたわね」
フィアの声。
短いが、確かな評価。
ソウマはそのまま維持を続ける。
時間にして、数秒。
だがーー
さっきより、明らかに長い。
やがて、じわりと。
光が揺らぎ始める。
(……限界か)
無理に維持はしない。
魔力を抜く。
光が、静かに消えた。
「はあ……」
息を吐く。
額に、わずかに汗が滲む。
「いい感じよ」
フィアが言う。
「初日としては、十分すぎる」
「……そうか」
実感はある。
だが、満足はしていない。
(……まだ足りない)
自然と、そう思っていた。
「もう一回やる?」
リリアが聞く。
ソウマは少しだけ考え、頷く。
「ああ」
そのまま、手を上げる。
魔力を流す。
掬う。
整える。
圧縮する。
流れは、もう迷わない。
「フラルクス」
閃光が走る。
先ほどよりも、明確に強い。
「……目潰しとしては十分ね」
リリアが軽く目を細める。
「もう少し磨けば戦闘でも使えるレベル」
ソウマは頷く。
次。
視線を杭へ向ける。
「ーーノクスル」
発動。
杭が、淡く光る。
今度は、揺らぎが少ない。
(……維持も問題ないな)
意識を少しだけ逸らしてみる。
それでも、光は残る。
「持続も安定してきてる」
フィアが言う。
「いい傾向」
ソウマは一度、ノクスルを解除する。
光が消える。
そしてーー
「ルクスレイド」
光の棒が生まれる。
「まだ形が甘いな」
「……」
リリアが、何も言わない。
ただ見ている。
ソウマは棒を軽く振る。
一度。
二度。
光は、崩れない。
(……いける)
そのまま、踏み込む。
一歩。
振り下ろす。
空気が裂けた。
「……っ」
リリアが少し驚いた顔をした。
だがーー
その直後。
ふっと。
光が揺らぎ、消えた。
「……まだ、か」
ソウマは小さく呟く。
「いや、十分」
フィアが即座に言う。
「今の一振り、ちゃんと“乗ってた”」
「……そうか」
「ああ」
短く、だがはっきりと。
「まだ戦闘には足りないが、鍛えれば十分通用する」
その言葉に、ソウマは少しだけ息を吐いた。
「……今日はここまでにしとく?」
リリアが言う。
ソウマは少し考える。
まだできる。
だがーー
「……おう、そうだな」
無理をする必要はない。
感覚があるうちに止める。
それも大事だと、直感的に分かった。
「判断は悪くない」
フィアが言う。
「無理に続けると崩れる」
ソウマは頷く。
手を下ろす。
光は、もう出していない。
だがーー
(……残ってるな)
感覚が。
掬う感覚。
整える感覚。
それが、しっかりと残っている。
「……ありがとう」
短く言う。
フィアは少しだけ目を細めた。
「気にしないでいい。教えるのは嫌いじゃないから」
そう言って、軽く背を向ける。
「またやるなら、来るといい。僕は大体ここにいる」
それだけ言って、元の位置へ戻っていった。
帰り道。
ルミナール演習場を出て、街の空気に戻る。
人の声。
足音。
日常のざわめき。
「普通、あそこまでいかないわよ」
「そうなのか」
「そうなのよ」
はあ、と息を吐く。
「よく出来るわね」
そう言って、前を向く。
「強くなるなら、それでいい」
その言葉は、軽いようでいてーー
どこか本気だった。
「……ああ」
ソウマは短く答える。
空を見上げる。
光が、街を照らしている。
(……届くか)
まだ遠い。
だがーー
確実に、一歩は進んだ。
そう思えた。
その時。
ほんのわずかに。
頭の奥が、揺れた。
(……)
一瞬だけ。
だが、確かに。
“何か”があった。
しかしーー
それはすぐに消える。
干渉するほどではない。
ただ、“見られているかもしれない”程度の感覚。
(……今はいい)
思考を切る。
気にする必要はない。
今はーー
目の前のことだ。
ソウマは視線を前に戻す。
歩き出す。
その足取りは、昨日よりも軽やかだった。




