ハイリスク・ハイリターン
酒匂彦左衛門は呟いた。
「横陣か……」
周辺はほとんど起伏もない、地形障害がない平原。
そこに両軍5000、計一万の軍勢は、500m程度の距離を開けて対峙していた。
敵である清継勢は、横一列に軍勢を展開させていた。
一方、兼清勢は正三角形に近い形に小分けした軍勢を配置していた。
魚鱗と呼ばれる突破陣形。
その底辺の真ん中に彼と兼清はいた。
初期配置ではこちらが有利か。
彦左衛門はそう思った。
こちらは狭い部分に戦力を集中させている魚鱗に対して相手は横に長い横陣。
横陣は相手も横陣でなければ両翼端の兵は遊兵……戦闘に参加できない意味のない戦力となるのだった。
つまり相手は5000の内いくらか……おそらく1000程度が戦闘に参加できない。
彼らが戦闘に参加する前に目の前の敵を打ち破り、清継の本陣に流れ込み、清継を抹殺する。
兼清が古土家に降った上で燈鷲の支配権を維持するには、彼らからの増援が来る前にある程度の手柄を立てておく必要があったから清継の抹殺は絶対条件だった。
逆に突破に失敗するとこちらは敗北する。
遊兵だった戦力が左右からこちらを挟み込んで来て、包囲されてしまうのだ。
つまり、どれだけ早く中央を突破できるかが鍵となる。
うん、と頷いた彦左衛門は兼清に視線を移した。
「殿」
「わかっておる」
そういうと兼清は軍配を前に振り下ろした。
それを見ていた足軽が法螺貝を吹く。
法螺貝の音を聞いた侍大将たちが音を命令と変換して、指揮下の軍勢に命じる。
兼清勢はゆっくりと前に進みだした。
合戦の始まりである。
法螺貝の音が響き渡ると同時に敵勢は前進を開始したのを私は見た。
改めて戦場を確認する。
こちらは横陣。
中央に徴集した雑兵3000、その両翼先端に500ずつの常備兵。
その後方に予備として武士500と常備兵500が待機していた。
この配置は主将の意思を反映して私が提案した。
敵は魚鱗だからこっちの中央を突破することが狙いだろう。
この戦は中央がどれだけ堪えられるかが勝負の分かれ目となる。
そう敵は考えているだろう。
別に不思議なことじゃない。
この陣形同士で対峙したら誰でもそう思う。
私は清継をちらりと見た。
うつけは特に緊張もなにもしていないらしく、退屈そうにすら見えた。
こっちはうまくいくか心臓がずっとバクバクなんだぞこのノンデリ!
私の視線に気づいたのかこちらを見ると、ふっと笑った。
イラっと来た私は、頬が熱いことを自覚しつつ、視線を前線へと移した。
なんだか心臓が煩い理由が変わった気がするけど、気のせいだろう、うん。
両軍は陣形を維持したまま衝突した。
兼清勢は、魚鱗の先端に精鋭部隊を配置していた。
石黒源介勢である。
結衣の鉄砲衆に混乱させられ、一度崩されたとはいえ、だからこそ一度鉄砲の衝撃を浴びて理解している彼らを兼清(正確には彦左衛門)は配置した。
石黒源介ならば同じ轍は踏まない、と信頼してのことだった。
信頼に応えるように、石黒勢は清継勢中央に猛攻を加えた。
「押せやァ!」
源介の下知に、かれの軍勢は今日三度目の突撃を開始した。
その勢いは凄まじく清継勢中央は押されて下がる。
しかし石黒勢も被害は大きく、戦闘開始までの戦力1000名からすでに半減していた。
源介の傍には誰もいない。かれは供回りすら投入していた。
彼らは倒れた足軽たちの槍を拾って戦列に参加している。
「突けェ!」
源介は喉を痛めつつ叫ぶ。
随分減った彼の兵たちは懸命にそれに応え、槍を敵勢に叩きつける。
その鬼気迫る様に敵勢、清継勢中央は遂に押し負け、崩れた。
本陣を石黒勢のすぐ後ろまで近づけていた彦左衛門はその瞬間を見逃さなかった。
彦左衛門は兼清に頷いてみせる。
兼清は突破戦力、手元に置いていた武士300名の投入を命じた。
武士たちは各々の武器を掲げ、雄叫びを上げながら常人では及びつかない速度で駆けだした。
(勝った)
彦左衛門は安堵した。
例え敵が予備として控えている手勢を投入しても、混乱して下がろうとした軍勢が邪魔で、真っ当に戦えるわけではない。
あとは清継が何もかも無視して逃げていないことを祈るだけだ。
そのはずだった。
「清継!」
私は叫んだ。
私の声が届いたかそれより前に清継は軍配を振った。
中央を突破した敵勢に、鉄砲衆50名と大弓を構えていた武士300名が一斉に矢を放つ。
轟音と共に降り注いだ鉛玉と矢を受けた敵が体のあちこちから血を流しながら倒れた。
集中射撃を浴びた敵の先頭が混乱し、やや速度が落ちた。
その瞬間、清継が再び軍配を振り下ろした。
予備として抱えていた常備の足軽500名が槍を構えて突撃を開始した。
古土元康が松下坂の戦いで行った戦術のアレンジだった。
予備隊や本陣を意図的に距離を置いて後ろに配置し、前衛を突破した直後で混乱している敵にぶつける。
ただの足軽の弓衆の射撃では止められないだろうけど、鉄砲と武士たちの強弓でキルゾーンを形成して集中射撃を行えば、例え武士の突撃でも足は止まる。ほんの少しだけ。
それだけあれば訓練の行き届いた足軽たちなら逆襲ができる。
正直こんな本陣を危険にさらさない方法、たとえばもっと早く予備隊を投入して中央を厚くしても負けなかったとは思う。
だけど、我らが大うつけは完全な勝利を望んだ。
そのためには敵に突破できると確信してもらわなければなかった。
はじめに突破した100名の武士たちは、轟音と共に襲い掛かってきた50発の鉛玉と、300を超える音速を超えた矢で射抜かれた。
それを見た二陣の100名は、足を止めた。
止めてしまった。
そのまま突撃すれば勝利の可能性はあっただろう。
そのわずかな間に敵は穴を足軽で塞いでしまった。
しかも士気も高いのか、先ほどまでよりも硬い蓋だ。
石黒勢が残った武士と共同で突撃しているがまったく崩せていない。
もう突破は無理だ。
彦左衛門はそう確信した。
こうなると勝ち目はほぼない。
「彦左!」
主の叫びを無視して首を巡らせる。
敵の両翼が動いていなければ、動いていても後ろさえ塞がれていなければまだ逃げられる。
後方を見る。
そこには指物旗が見えた。清継勢の。
つまり後ろも既に囲まれている。
左右からだけではなく、後ろまで。
普通に勝つだけなら左右からだけでいいはずだ。
逃げ場をなくした兵は死に物狂いの抵抗をする。
なのになぜ。
「彦左!」
五月蠅い。どこかに突破口はないか。
敵の薄い所は。
「彦左衛門!」
肩を掴まれた。
「どうした!予定では勝っておるはずではないか!お前はそう言うただろう!!」
彦左衛門はようやく認めた。
罠だったのだ。
敵ははじめからこのつもりだったのだ。
兼清様を逃がさないためだけに、清継を、主将を、主を餌とした。
正気の沙汰ではない。
こちらの足をとめたあの射撃が機を逸したら。
いやもしあの射撃で足が止まらなかったら。
状況はまったく逆になっていた。
それだけ紙一重だった。
少なくともこちらは同じような手はまったく考えられなかった。
つまり。
つまり、これが主の器の差か。
あちこちから槍を突き込まれ、味方が徐々に押し込まれていく。
だが下がる場所はない。
すぐ後ろは味方だ。
「彦左!なんとか言わんか!」
彦左衛門はようやく兼清の顔を見た。
「駄目です。負けました」
兼清は彦左衛門の顔をしばらく眺めたあとに口を開いた。
「ならば逃げるぞ」
兼清はそれをまったく恥と感じていない声音で言った。
その生き汚さは彦左衛門にとっては厭ななものではなかった。
だが、兼清勢は完全に包囲されていた。
逃げ場はなかった。
彦左衛門には見つけられなかった。
どれだけ懸命に探しても。




