20:侍女の恋、プリシラの気持ち
魔女の御者はフィンスター家の門の前まで送ってくれる。
客車にいるプリシラを気遣うようにゆっくりと速度を落とし、扉を開くと穏やかな声で「到着しましたよ」と声を掛け、タラップを降りる際にはいつも手を貸してくれるのだ。言動には敬意を感じられる。
そんな御者に感謝を告げて、プリシラは門を通ってフィンスター家の敷地内へと入った。
『帰ってきた』という感覚は無い。なにせ門の前にいる警備も一応と言いたげに頭を下げるだけで、そこに敬意は一切感じられない。
挙げ句、御者に対して怪訝な視線すら向けているのだ。「友人の家の使いよ、失礼な態度を取らないで」とプリシラが厳しく言いつけるも、謝罪の言葉が上辺だけなのは言うまでもない。
そうしてフィンスター家の屋敷に入ろうとし……、庭の一角で話す男女に目を留めた。
あれはオリバーとイヴだ。庭の一角に植わっている花を眺めて何やら話している。
凛とした精悍な青年と、彼を見上げて朗らかに笑う女性。遠目ながらに楽し気なのが分かる。幼馴染ゆえだろうか、二人の周囲に漂う雰囲気は自然で穏やかなものだ。
その光景を眺め、……そして穏やかに微笑みながら話すオリバーを見つめ、プリシラは己の胸が苦しさを訴えるのを感じた。
二人の邪魔をしてはいけない。そう考え、見なかったふりをして屋敷へと歩き出す。
胸の苦しさは増す一方だ。こんな切なさは時戻しの前の六年間でも感じなかったのに。
だが屋敷へと向かう途中、
「プリシラ様?」
イヴに名を呼ばれ、プリシラは反射的に足を止めてしまった。
聞こえないふりをすればよかった。今の気持ちでイヴと話すのは……、イヴと並ぶオリバーを見るのは辛い。
だが足を止めてしまった以上、無視をするわけいはいかず、プリシラは無理に表情を取り繕って振り返った。
イヴとオリバーが並んでこちらへと歩いてくる。以前であれば二人がいる事に安堵するはずなのに、今は二人の歩みを待つのが辛い。
「プリシラ様、お戻りになったんですね」
「えぇ、今戻ってきたの……。ごめんなさい、邪魔をするつもりはなかったんだけど」
「邪魔ですか? それよりお疲れでしょう。お茶をご用意いたしますね。オリバーが街で茶葉を買ってきたんです。喫茶店の人気の茶葉らしいですよ」
「でも、それはイヴへの贈り物じゃないのかしら」
「いえプリシラ様と一緒に飲むようにって買ってきたんです。たまに気が利くんですよ。ねぇオリバー」
イヴがしたり顔でオリバーを見る。対してオリバーは少し困った様子だ。イヴの話を止めたいが、本人が言っていた通り強く出られないのだろう。
そんなオリバーの反応に対してイヴは更に笑みを強め、かと思えば「紅茶はお部屋にお持ちしますね」と恭しく頭を下げて先に屋敷へと戻っていってしまった。
明るい彼女らしい態度だ。プリシラに全幅の信頼と敬意を示してくれているのが伝わってくる。先程まで痛みを覚えていたプリシラの胸の内も、イヴの明るさに当てられたのか今はもう痛みはない。
「イヴってば相変わらずね」
笑みを零しながらプリシラが話せば、オリバーが苦笑交じりに同意をしてきた。
曰く、彼女のあの明るく活発な性格は昔からなのだという。それを話すオリバーの口調には懐かしさを感じさせ、表情も穏やかだ。プリシラはそんなオリバーの横顔を眺めながら、「そう……」と声が上擦りそうになるのを堪えながら返した。
「イヴの明るさには救われているの。私一人でフィンスター家に嫁いできていたら、もしもイヴを遠くに追いやられていたら、きっと今のように強くはいられなかったわ」
「そうなっていたら、俺もフィンスター家には来ていなかったかもしれませんね」
「きっとそうね……」
時戻しが行われる前の六年間では、イヴはダレンによって遠方に追いやられてしまった。オリバーもフィンスター家には来ていない。
だがそれを話すわけにはいかず、プリシラはこの話をあくまで『有り得たかもしれない仮定の話』に留めて終わらせた。
次いで話題をイヴへと戻す。彼女の明るさ、活発さ、優しい性格……、
そして。
「貴方が惹かれるのも分かるわ」
心からの感想を述べる。
「え……?」
「二人で話をしていたのに、邪魔をしちゃってごめんなさいね。お茶もせっかくイヴのために買ってきたのに」
「プリシラ様……? あの……」
「イヴとのお茶は早めに切り上げるわ。だから、貴方が改めてイヴを誘ってあげて。さっき貴方が買ってあげたお茶を飲んでも良いし、私は今日はもう部屋から出ないから、二人で外にでも」
「違います!」
プリシラの話を遮るようにオリバーが声を上げた。
彼らしからぬ大きな声だ。驚いてプリシラが彼を見上げれば、真剣な表情でじっと見つめてきた。
色濃い瞳の奥に熱が灯っているように思える。プリシラを溶かしかねないほどの熱。そんな瞳に見つめられながら、プリシラは彼の話を待った。
「俺とイヴはプリシラ様が考えているような仲ではありません。イヴは俺の兄と恋仲なんです」
「オリバーの……、お兄さん?」
告げられた言葉をオウム返しのようにして問えば、オリバーが落ち着いた声色ではっきりと「はい」と肯定した。
オリバーには兄が一人いる。彼等とイヴは元より両親が親しかったこともあり、幼い頃から共に過ごしていたのだという。
毎日のように一緒に遊び、三人で成長していく。まさに兄弟同然の仲。
だがイヴは兄弟同然に育った相手を一人の異性として見るようになっていた。
オリバーを……、ではなく、オリバーの兄を。
そして同じように、オリバーの兄もまたイヴを一人の女性として見るようになっていたという。
「俺からしたら二人の態度は分かりやすいなんてものじゃありませんでした。そのくせ、二人とも相手は自分を兄妹同然としか思ってないと勘違いしていて。俺が橋渡しをしたんですよ」
「そうだったの……。知らなかったわ」
「正式に婚約をしたわけではないので、公表はまだ先にと考えているんでしょう。両家の親にも話していません。……まぁ、周囲は殆ど気付いていますけど」
苦笑しながら話すオリバーの声色や表情に切なげな色はない。あるのは不器用な兄姉への愛おしさと思い出を語る懐かしさ、そして良縁への喜び。
晴れ晴れとさえ言える様子にプリシラはしばらく呆然と彼を見つめた。
イヴが恋仲にあるのはオリバー、……ではなく、彼の兄だった。オリバーにとってイヴは昔から今も変わらず姉のような存在でしかないのだ。
「そんな、私、勘違いしていたのね。恥ずかしい……」
オリバーの話を理解すれば、今度は自分の勘違いが恥ずかしくなってくる。
思わず頬を手で押さえ、それだけでは足りないと俯く。その仕草が面白かったのかオリバーが小さく笑ったのが頭上から聞こえてきたが、もちろん彼の方を向けるわけがない。更にプリシラの羞恥心を募らせるだけだ。
「馬鹿な勘違いだって自覚はあるけど、そんなに笑わないでちょうだい」
「申し訳ありません。ですが馬鹿な勘違いだなんて思っておりません。……むしろ、もしもプリシラ様が勘違いの末にイヴに嫉妬をしていてくれたならと期待しています」
「オリバー、それは……」
オリバーの言葉を聞いてプリシラが顔を上げた。
彼の頬が少し赤くなっている。真剣な表情で、熱を宿したような瞳でじっとプリシラを見つめ、低く落ち着いた声色でプリシラの名を呼んできた。
「プリシラ様」と。何度も呼ばれた事があるのに、まるで今初めて彼に呼ばれたかのようにプリシラの心臓が跳ね上がる。
だがオリバーが何かを言おうと口を開きかけた瞬間、プリシラはそれを遮るように「屋敷に戻るわ」と告げた。
出鼻を挫かれたからか、彼の肩が小さく震えるのが見えた。
「イヴももうお茶の準備を終えて部屋の前にいるはずだわ。待たせたら心配させてしまう」
「そう、ですね……」
プリシラの話に返すオリバーの声は上擦っている。
そんな彼の様子にプリシラは申し訳なさを覚えつつ、それでもと彼の横を通り過ぎるようにして屋敷へと向かった。
ここで足を止めては駄目だと、彼の話を最後まで聞いてはいけないと、そう自分に言い聞かせながら。たとえオリバーが傷付いていると分かっていても。
それでも屋敷に入る直前、足を止めて振り返った。
オリバーが自分を見つめてくる。その瞳はいまだ熱く、伝えきれなかった想いが込められているかのようだ。
その想いに当てられ、プリシラは熱に浮かされるように口を開いた。
「……イヴに、良い人がいると知れて良かったわ」
侍女の良縁を知れて良かったという意味にも、それ以上の意味にもとれる言葉。
伝えるのはただそれだけだ。
真意を問われる前にとプリシラは踵を返すと共に屋敷へと入っていった。オリバーが追いかけてくる気配はない。
扉を閉めると背を預け、深く息を吐いた。頬が熱い。まだ鼓動は早く、熱に浮かされるような不思議な感覚が体を占める。
心地良い。……だけど、
「甘ったるい香りがするわ」
ふわりと漂う香りに、プリシラは胸の内の熱が冷えていくのを感じた。
プリシラとオリバーのやりとりを嘲笑うように蔓延る香り。あるいは、動物のようにこの屋敷の主人は自分だと匂いで誇示しているのか。
香りが体中に纏わりついてくる気がして、プリシラはそれを振り払うように足早に屋敷の中を歩いた。




