第20話:城山の夜、ふたたび(幕間)
**『薩摩の風と城山』**
**第20話:城山の夜、ふたたび(幕間)**
明治十年(一八七七年)——九月二十三日、深夜。
遠くで、砲声が一つ、ぽつりと響いた。束の間の静けさが、ふたたび山を包んだ。
桜島のシルエットが、月光の下に黒々と浮かんでいる。
甲突川で魚を追い、稽古場で木刀を振り、妙円寺へ夜通し歩いた日々。遠い昔の記憶の旅から、俺——周蔵は、そっと息を吐いて、洞窟の壁に背をもたせかけた。
隣では、全身に傷を負った吉之助さぁ——西郷隆盛が、静かに目を閉じていた。
「……周蔵」
闇の中で、吉之助さぁが、ふっと口を開いた。四十年近く聞き続けてきた、腹の底から響く、温かな声だった。
「はい、吉之助さぁ」
「すまんな。おはんを、こげな所まで、連れてきてしもうた」
「滅相もございもはん」
俺は、首を横に振った。
「おいは、あの日、甲突川のほとりで誓いもした。お二人の間に立つと。……じゃっどん、結局、届きもはんでした。吉之助さぁにも、正助さぁにも、おいの手は、最後まで」
「周蔵」
吉之助さぁは、ゆっくりと目を開けて、俺を見た。
右腕をかばいながら、いつものように、にっと笑った。
「おはんが、間におったからこそ、おいと正助は、あんなに長う、同じ道を歩けたんじゃ。届かんかったもんも、あったかもしれん。じゃっどん、届いたもんも、ようけあった」
その言葉に、胸の奥が、じんと熱くなった。
洞窟の外では、官軍の篝火が、数え切れぬ点となって、闇の中に広がっている。数万の軍勢が、この山を、取り囲んでいる。
その軍勢の向こうには、東京の大久保正助——大久保利通がいる。その軍勢の中には、あの岩次郎——いまは陸軍少将の大山巌が、別働の旅団を率いて、この城山を睨んでいる。さらにその向こうには、吉之助さぁの実の弟、信吾——西郷従道が、東京で、兄の知らせを待っている。
こちらには、三百余りの者しか、いない。
それでも、この夜だけは、不思議なほど、静かだった。
「周蔵」
吉之助さぁが、月を見上げたまま、言った。
「夜明けまで、まだ間がある。おはんが、江戸との間に、文を運んでくれた頃のことから、続きを話してくれんか。おいが江戸に着いて、藤田東湖様にお会いした頃から……お殿様が亡くなられ、おいが海に身を投げ、島に流され……そして、正助と、道を分かつまでの、あの長か年月を」
「……長うなりもすど」
「構わん。夜は、長か」
吉之助さぁは、目を閉じた。
「聞かせてくれ。おいたちが、どこで、どげんして、すれ違うたのか。おいは、それを、もう一度、おはんの口から聞きたか」
俺は、少しだけ、考えた。
それから、静かに、頷いた。
月は、中天にかかっている。夜明けまでは、およそ、六刻。
「……安政元年の春。吉之助さぁが、江戸にお着きになった頃から、お話しいたしもす」
俺は、目を閉じ、記憶の底へ、ふたたび、潜っていった。
遠い江戸と、薩摩とをつなぐ、細い細い糸。その糸を、懸命に握りしめて走った、俺の、もう一つの二十年を。
(第二部・第21話へ続く)
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