第11話 召喚対応第七支部、繁忙期につき
魔界の朝は、だいたい嫌な予感の音がする。
溶岩の川は相変わらずごぽごぽと泡を噴き、黒い空には赤い稲妻が細く走っている。
髑髏をかたどった街灯は青白く光り、その下を、くたびれた悪魔たちがぞろぞろ歩いていた。
ただ今日は、街全体が妙に騒がしかった。
「第三区画、転移陣停止します!」
「停止するな、まだ中に二人いる!」
「召喚待機列が溢れてます!」
「知るか、こっちも溢れてる!」
怒鳴り声が飛び交い、廊下をインプ職員たちが走り回っている。
そして何より異常だったのは、音だ。
『人間界より召喚要請――』
『人間界より召喚要請――』
『人間界より召喚要請――』
召喚システム音声が、ほとんど途切れない。
普段なら、一件鳴って、担当悪魔が向かい、少し静かになる。
それが今日は、次から次へと重なっていた。
バルタザールは眉をしかめる。
「……何だ今日」
普段でもろくでもない職場だが、今日は明らかに様子がおかしい。
角の折れた悪魔が壁にもたれて死んだ目をしている。
小柄なインプが泣きながら水晶板を抱えて走っていく。
別の区画では、誰かが「もう召喚音声聞きたくない!」と絶叫していた。
「ついに人間界が世界征服でも始めたのか?」
ぼやきながら、第七支部の扉を開ける。
そして、さらに顔をしかめた。
『人間界より召喚要請――』
『人間界より召喚要請――』
第七支部の水晶板も、ひっきりなしに光っていた。
召喚警報ベルは鳴りっぱなし。
もはや一定の環境音である。
リリィは帳簿を開いたまま、水晶板へ次々視線を走らせていた。
「おはよう」
「どうなってんだこれ」
『案件ランクE。過去召喚記録より一致反応なし。内容:プリンどこ』
「冷蔵庫だろ!」
バルタザールは反射で怒鳴った。
『案件ランクE。内容:配信事故』
『案件ランクE。内容:好きな人に変なスタンプ送った』
「知らん!」
「落ち着いて」
「落ち着けるか!」
バルタザールは水晶板を指さした。
「何だこの量!」
「人間界で流行った」
「何が」
「悪魔召喚」
沈黙。
「……は?」
リリィは水晶板を操作し、人間界のSNSの画面を見せる。
『#悪魔召喚チャレンジ』
『#ほんとに来た』
『#願いひとつ叶えてくれる』
『#深夜二時に成功した』
「流行るな」
バルタザールは即答した。
「何で流行るんだよ悪魔召喚が」
「『本当に来た』動画が昨日バズったらしいわ」
「誰だ投稿したやつ」
「さあ」
『案件ランクE。内容:眠れない』
「寝ろ!」
『案件ランクE。内容:ラーメン作るか迷う』
「勝手に食え!」
『案件ランクE。内容:猫がこっち見てる』
「知らん!」
バルタザールは頭を抱えた。
「人間界、いよいよ悪魔を何だと思ってるんだ……!」
そのとき、水晶板が一際強く光る。
『人間界より召喚要請。担当者、バルタザール。案件ランクC。内容:至急』
リリィが顔を上げた。
「ほら」
「嫌な予感しかしない」
「今回はランクCよ」
「最近それも信用ならんのだが?」
足元に転移陣が広がる。
紫色の光がじわりと床を這い、ぬめりのある魔力が靴底へ絡みついた。
バルタザールは顔をしかめたまま立ち上がる。
「せめて、悪魔らしい案件であってくれ……!」
◇◇
転移の光がほどける。
耳に飛び込んできたのは、大量の通知音だった。
ぴこん。
ぴこん。
ぴこんぴこんぴこん。
「……何だ?」
目を開ける。
そこは人間界の、ごく普通のワンルームだった。
床にはコンビニ袋。
テーブルには食べかけのポテト。
壁際には三脚。
机の上では、スマートフォンが狂ったみたいに光っている。
ぴこん。
ぴこん。
ぴこん。
通知が止まらない。
「うわあああああもう無理!!」
部屋の中央で、二十代くらいの青年が頭を抱えていた。
バルタザールは外套の裾を払う。
召喚された以上、最初の手順は崩さない。
「――我が名はバルタザール! 深淵の焔を統べ、契約と召喚に応じて来た! 願いを述べよ、人の子よ!」
青年は涙目で振り返った。
「動画消す方法教えてください!」
「お前かーーーーー!!」
青年はびくっと肩を跳ねさせた。
「いや、ほんと軽い気持ちだったんです! ネタでやっただけで!」
「ネタで悪魔を召喚するな!」
「だってバズって!」
スマホ画面には、大量の通知が流れ続けていた。
『次やってみます!』
『陣どこで覚えた?』
『これガチ?』
『私も悪魔来た』
バルタザールはゆっくり顔を覆う。
「終わりだ……」
青年は半泣きでスマホを差し出した。
「なんか、“成功率上げる方法”とか勝手にまとめられてて……」
画面には切り抜き動画が並んでいる。
『塩を置くと来やすい』
『深夜二時推奨』
『黒いペンが重要』
「適当なことを広めるな!」
さらに通知。
『悪魔優しかった』
『相談乗ってくれた』
『普通にいい人だった』
「人じゃないんだよ!」
青年は小さく肩を縮めた。
「……すみません」
「本当に思ってるか?」
「八割くらい」
バルタザールは大きくため息をついた。
「いいか。まず動画を消せ」
「でももう拡散されてて……」
「元を消せと言ってるんだ!」
青年は慌てて操作を始める。
動画削除。
数秒後。
ぴこん。
『動画消えてる』
『ガチっぽくて草』
『圧力かかった?』
「悪化してるじゃねぇか!」
青年は青ざめた。
「どうしよう……」
「どうしようじゃない。訂正文とか出せ」
「訂正文!?」
「『軽率に真似しないでください』って書け!」
「逆効果になりません!?」
半泣きのまま、青年は文章を打ち込んだ。
『悪ふざけでやるものじゃありません』
『めちゃくちゃ怒られました』
『召喚って悪魔にとっては普通に仕事らしく、来た悪魔も困ってました』
投稿。
沈黙。
数秒後。
ぴこん。
『なんか悪魔かわいそうになってきた』
『労働環境悪そう』
『ちゃんと仕事なんだ……』
バルタザールはものすごく嫌そうな顔をした。
「何で同情されてるんだ我は」
さらに通知。
『真似するのやめます』
『ちょっと怖くなった』
『寝ます』
青年が恐る恐る顔を上げる。
「……減ってる?」
「だといいがな」
バルタザールは肩を回した。
「あの」
「何だ」
「こういうのって……その、来てもらった以上、何か払わないとまずいんですよね」
「当たり前だ」
青年は慌ててコンビニ袋を漁った。がさがさと音を立てて取り出したのは、箱入りの菓子だった。
「これ……さっき買ったやつなんですけど」
「何だこれは」
「冷やしみたらし団子」
青年は箱を差し出す。
「ちゃんとしたものじゃなくてすみません」
「別に格式は求めていない」
「じゃあ、これで」
「……対価として受け取る」
バルタザールは箱を受け取り、ふたを開けた。中に並んだ団子には、つやのあるたれがかかっている。
「どうぞ」と、青年。
一本取って口に入れる。冷えており、もちもちしていて、たれの甘じょっぱさも悪くない。
青年が恐る恐る顔を見る。
「どうですか」
「……悪くない」
「よかった……」
その瞬間、バルタザールの足元に転移陣が淡く光り始めた。
自動帰還だ。
「戻るぞ」
「次からはもうやりません」
「当然だ」
青年は少し迷ってから、小さく言った。
「でも、なんか……思ったよりちゃんとしてたんですね」
「何がだ」
「悪魔」
バルタザールは顔をしかめる。
「仕事だからな」
「会社員みたい」
「その感想が一番嫌だ」
◇◇
転移の光がほどける。
第七支部へ戻った瞬間、バルタザールは顔をしかめた。
「うるさっ」
『人間界より召喚要請――』
『人間界より召喚要請――』
まだ鳴っている。
ただ、さっきよりは少し減っていた。
リリィが帳簿から顔を上げる。
「おかえり」
「どうだ」
「だいぶ静かになったわ」
「本当か?」
「ええ。『悪魔も普通に迷惑してる』って広がったみたい」
バルタザールは椅子へ座り込み、深々とため息をつく。
「人間界、何なんだほんと……」
その瞬間、水晶板が光る。
『人間界より召喚要請。案件ランクE。内容:トイレの電気消したあと怖い』
沈黙。
バルタザールはゆっくり顔を上げた。
「……沈静化しきってねぇな」
リリィは静かに帳簿を閉じた。
「繁忙期、長そうね」
「嫌なこと言うな」
そのときだった。
鳴りっぱなしだった召喚警報ベルが、ふっと止んだ。
第七支部の中に、ほんの短い静寂が落ちる。
さっきまで耳に貼りついていた召喚音声も、怒鳴り声も、少し遠くなる。
バルタザールは眉をひそめた。
「……止まった?」
「みたいね」
ようやく椅子にもたれた、その瞬間。
ジリリリリリリリッ!
「うわっ」と、バルタザールが肩を跳ねさせる。
壁の水晶板が淡く光り、機械的な女性の声が流れた。
『人間界より召喚要請。担当者、バルタザール。案件ランクC。過去召喚記録より一致反応なし。内容:たぶん簡単』
沈黙。
バルタザールは、ゆっくり顔を覆った。
「……だから、それが一番嫌なんだ」
リリィは丸眼鏡の奥で、少しだけ目を細める。
「行ってらっしゃい」
足元に転移陣が広がる。
紫色の光がじわりとせり上がり、バルタザールの外套の裾を揺らした。
彼は嫌そうな顔のまま、それでも陣の中央に立つ。
「どうせろくでもない」
次の瞬間、その姿は光に呑まれた。
これで一度このシリーズは完結にしたいと思います。
拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。




