「奇跡の自壊、あるいは残酷な光の粉」
建国祭の前日。
エシャン王都の空気は、最高潮に達しようとする熱狂と、どこか浮き足立った祝祭の予感に満ちていた。そんな中、城前広場への”最終視察”が組まれたのは、アディリンの強硬な主張によるものだった。
「現地で直接、太陽の入射角と遮光配置を確認しなければ、私の計算に現場誤差が反映されませんわ。一センチの影の狂いが、アシュリー様の安眠を阻害するノイズとなるのです」
理性の皇女が手帳を叩いてそう言い張れば、拒める者はいない。当然のように同行を決めたヴィンセントもまた、「王としての最終確認だ」という建前を並べ立てた。
「……あなた、本当はただ日傘を手に持ちたいだけでしょう?」
アシュリーが寝椅子から虚空を眺め、気だるげに言い当てると、ヴィンセントは特に反論せず、ただ静かに視線を逸らした。王としての威厳の裏に隠された、剥き出しの相棒としての過保護。最近の彼は、もはやそれを隠すことすら非効率だと考えている節があった。
「……あなた、最近少し頑固になったわね」
「アシュリー殿の影響だろう。……以前の私は、もう少し柔軟だったはずだが」
「それはそれで王として問題があるわ」
「お前のおかげで、正しく成長したということだ」
ヴィンセントの真面目な顔に、アシュリーは「そう」とだけ言って、特注の遮光ヴェールを羽織った。
出発前の東の離れは、いつものように管理を巡る喧騒に包まれていた。
アディリンが左側の遮光角度について数式を羅列し、ダイアナが精霊石のブローチをアシュリーの胸元へ強引に飾り付け、ヘレナが「出発前に三回の祝福を!」と加湿器を抱えて迫る。
「……みんな、少し黙ってくれる?」
アシュリーの静かな一言で、室内の時間が凍りついた。一人ずつ意見を聞き、淡々と処理していくその姿は、この歪な家族の絶対的な「核」そのものだった。
『キュイ』
最後に声を上げたのは、膝の上のクロだった。一緒に行きたいとねだる黄金の瞳に対し、アシュリーは冷淡に告げた。
「お留守番よ、クロ」
『…………キュ』
不満を隠そうともしない短いため息をつき、クロはソファへと戻った。その「言葉を完全に理解している」挙動に、その場にいた全員が改めて戦慄を覚えたが、もはや驚く段階はとうに過ぎていた。
城前広場に一行が踏み込んだ瞬間、周囲の職人や兵士たちの動きが自然に緩んだ。
アシュリーの気配を察した王宮全体に染み付いた「静粛に」という条件反射。それは、彼女がこの数ヶ月で築き上げた、無言の支配の形だった。
アディリンが遮光布のわずかなズレを指摘し、ヴィンセントが日傘を両手でしっかりと握りしめる中、アシュリーは広場をゆっくりと歩いた。建国三百周年の祝祭。魔法大国の歴史の温度を、彼女の鋭い感覚器が静かに拾い上げる。
「……思ったより、広いのね」
「明日はここが人で埋まる。……王として、三百年分の重みを背負う顔をしているだろうか」
「……十二人で三百年。一人あたり二十五年ね。暇だったから割り算をしただけ。……真面目な顔しないで。褒めたのよ」
ヴィンセントが不器用に表情を崩した、その時だった。初夏の、何の悪意もない気まぐれな風が広場を横切った。
「――っ」
ヴィンセントの手から、日傘がふわりと舞い上がった。取り戻そうとした腕より先に、無慈悲な陽光がアシュリーの白い肌を捉えた。
(……熱い。削れる。早く、日陰に――)
アシュリーは顔色ひとつ変えずに立っていたが、その肩から、指先から。ダイヤモンドの粉を撒いたような、キラキラとした光の粒子がふわりと宙へ舞い上がった。
吸血鬼の先祖返りである彼女の肉体が太陽に焼かれ、灰となって崩れ落ちる”自壊”の現象。だが、その美しすぎる終焉の予兆は、周囲の人間には全く別の意味で映った。
「……な、なんだあれは……光になっていく……王妃様が……」
「奇跡だ! 建国祭の前日に、聖女様が光の粒子を……!」
誰かが叫んだ瞬間、広場にいた全員が、信仰にも似た衝撃で膝をついた。
ヴィンセントが三歩で日傘を取り戻し、彼女を深い影の下へ引き戻した。その顔は蒼白で、胃の痛みに耐えるような苦悶が滲んでいた。
「……大丈夫か、アシュリー殿。昨日、絶対に離さないと誓ったのに……」
「……少し、削れたわ。……言い訳はいいから、早く陰に入りたいの」
「今すぐだ。すまなかった」
ヴィンセントが必死に彼女を抱え込むように移動する間、周囲の人間は誰一人立ち上がれなかった。アディリンが回復に必要な時間を逆算し、ヘレナが涙を流して「光そのもの……!」と咽び泣くカオスの中、アシュリーは静かに呼吸を整えた。
その夜、王都は「建国祭前日に起きた奇跡」の噂でもちきりだった。
一方、東の離れ。
アシュリーはいつものように、サリーが差し出したクリスタルグラスの水を一口含んだ。だが、それはあくまで人前で人間らしく振る舞うための社会的擬態である。
本当の糧を求め、アシュリーはヴィンセントを見上げた。
「……明日は、日傘を絶対に離さないこと」
「分かっている。……お前の血を繋ぎ止めるのは、私の役目だ」
ヴィンセントが短剣で掌を切り、グラスに血を注ぐ。アシュリーはそれを慈しむように受け取り、ゆっくりと「主食」を飲み干した。
「……あなた、羊みたいね。逆らわないでしょう、最終的に」
「……羊、か。一言余計だが、否定はできん」
膝の上でクロが『キュイ』と短く返した。
建国三百周年の祭典。光と音に溢れるはずの祝祭の裏で、彼らはこの歪な安寧を、一粒の灰も散らさぬように守り抜くことを、改めて誓い合っていた。
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