25.城下町編 食事
スノウが差し出したメニュー表から、セフィライズはとりあえず今日のおすすめを何品か選んだ。注文を終えても、彼女はまだページをめくりながら楽しそうにしている。その横顔を、セフィライズはただぼんやりと眺めていた。
本当は、少し前まで距離を置くつもりだった。自然と離れて、自然と自分の手の届かない場所へ行って、やがて縁も薄れていく。そんな未来を思い描いていた。もう、話すこともないだろうと。
けれど今、彼女は当たり前のように目の前にいる。他の誰と向き合うときよりも、自然に言葉が出る。不思議な感覚だと、心の底で思った。その理由はわからない。ただ、スノウは誰とでもすぐに打ち解けてしまう。きっと彼女自身が持つ、あの柔らかな何かのおかげなのだろう、セフィライズはそう思っていた。
「セフィライズさんは、お酒って飲まれますか?」
スノウはメニュー表の端に載っている、酒類の欄へ指を添えた。
「飲めないわけじゃないけど、緊急の時に対応しにくくなるから、普段は飲まない」
「何がお好きですか?」
「別に、兄さんに付き合ってるだけだから。君は、飲むのか?」
「いいえ、わたし……お酒って、飲んだことないんです」
スノウの暮らしていた地域では、酒は月の巡りが十五回重なった者からと決められていた。彼女が重ねたのは十二回。あの土地での年齢にすれば、まだ十三歳。けれど、セフィライズが計算してくれた限りでは十八か十九。アリスアイレス王国では十六歳から飲酒が許されている。
「飲んでみるか?」
「い、いえ!」
もし一口で倒れてしまったら。とても弱かったら。そんな想像が一気に押し寄せて、スノウは慌てて首を振った。
「何かあったら、送る。多分、これが一番甘い。最初にはいいと思う」
セフィライズが指したのは、氷酒に果物をいれ砂糖漬けにした果蜜酒というものだった。
彼が指差したのは、氷酒を果物の砂糖漬けと水で割った果蜜酒という種類のものだった。彼女が戸惑っている間に、彼はそれを店員に告げてしまう。ついでに、自分用に葡萄酒も頼んだ。
「付き合うよ」
食事と一緒に運ばれてきたお酒のグラスに、セフィライズはさっさと自分のグラスを当てた。それは、かつて兄がよくやっていた仕草だ。こうされてしまえば、もう飲むしかない。
スノウは食事の前の感謝の祈りを捧げ、そっと果蜜酒を口に運んだ。お酒とは思えないほど甘くて、さらりとした飲み心地だった。
「飲みやすいからって、一気に行かないほうがいい」
その一言に、スノウは果蜜酒の入ったグラスをそっと机の端へ置いた。
運ばれてきた料理をいただきながら、他愛もない話が続く。質問をすればセフィライズは答えてくれるけれど、自分のことはあまり話さない。その沈黙を埋めるように、スノウはつい色々と口にしてしまった。城内で勉強している内容のこと。親しくしてくれる人ができたこと。会話を途切れさせてはいけない気がして、焦るように話してしまう。
──昼からお酒なんて、飲ませてしまって悪かったかな。
そんな思いが胸をかすめ、そっと彼を見る。ちょうど葡萄酒を飲み終えたところだったセフィライズと、視線が合った。
「……大丈夫ですか?」
セフィライズは、何の、大丈夫なのかを一瞬だけ考え、それから静かに答えた。
「一杯ぐらいなら、大した事ない」
飲み慣れている人は、こんなふうに平然としていられるのだろうかと、スノウは思う。
自分は、たった一杯で胸の奥がふわりと浮くようで、気持ちも心も軽くなっている。頬が熱い。鼓動も、いつもより少し速い気がした。グラスの中の果蜜酒は、ただ甘いだけなのに。
「……髪を、結ばないのですね」
どうして伸ばしているのか、そこまでは聞かなかった。理由はきっと明白で、そして彼が答えたくない話だとわかっていたからだ。ある程度伸びれば、また前のように切られてしまうのだろう。その繰り返しを、長い間受け入れてきたのだと思った。
「……兄さんに似るから」
セフィライズ自身、兄と顔立ちが似ていることは知っている。中性的な自分とは違い、シセルズはどこか男性的で、落ち着いた雰囲気を持っている。年齢の差もあるのだろう。体格も身長もほとんど変わらない。
「似ていたら、ダメなんですか?」
スノウには、どうしてそれがいけないのか分からなかった。兄弟なのだから、似ていてもいいはず。
「兄さんは、もう普通の人として生きてる。あまり血の繋がりが……」
あると思われない方がいい。そう続けようとして、セフィライズは言葉を飲み込んだ。これ以上広げるべき話題ではないと思ったようだ。
黙り込んだ彼を前に、スノウはどう返せばいいのか迷った。
「わたしは、素敵だと思いますよ。それにシセルズさんは、きっと嬉しいと思います」
兄弟であることを嫌がっていないように感じる。むしろ、とても大切にしていると、スノウは感じていた。
二人は食事を終えて外へ出た。気が付いたらお会計が終わっていた事が、スノウには不満だった。今日は誕生日のお祝いのつもりで来たのだから、本当は自分が払いたかったのだ。
道の端に積まれた、なんの変哲もない雪。スノウはそれを見つけると、子どものように楽しそうに近づき、手袋もせずに触れていた。
白い息がふわりと上がる。その横顔は、雪よりも柔らかく見えた。
「楽しそうだな……」
話すつもりはなかったのに、自然と口からこぼれていた。
「楽しいですよ?」
振り返ったスノウは、果蜜酒のせいか頬がほんのり赤く、嬉しそうに笑っていた。それが、なんだか、とても心地よく感じる。
「セフィライズさん、他に行きたいところはありますか?」
一杯だけの初めてのお酒が、スノウの気持ちを少し大きくしているのだろう。いつもより明るく、楽しげで、どこか無防備だった。
セフィライズは、彼女のこれまでの反応から、城下町が初めてなのだと察していた。考えるように顎へ手を添え、わずかに首を傾げる。
「もう少し下ったら公園があるから。今日は日の当たる場所だし、何かやっているかもしれない」
「ではそこに行きましょう!」
スノウは勢いよく彼の手を取った。お酒の力で、気持ちが少し大きくなっているのだろう。いつもの彼女なら、こんな大胆なことはきっとできない。
ぐい、と引っ張られ、セフィライズは思わず苦笑した。その手は小さくて温かい。ほんの一瞬だけ、戸惑った。けれど振り払う理由もなく、ただ静かに歩調を合わせた。
空から大きな雪が舞い落ちる。その白がスノウの髪にそっと積もっていくのを、セフィライズは気づけば払っていた。頭に触れられてスノウが振り返る。「積もっていたから」と答えると、彼女はまた嬉しそうに笑った。
何がそんなに楽しいのか、わからない。けれど、一つ一つを新鮮に思い、一つ一つを大切にしている。そんな印象を受けた。
「セフィライズさんも帽子の上に積もってますよ」
スノウが手を伸ばす。彼女より少し背の高い彼の帽子へ、そっと触れようとしたその瞬間、セフィライズは反射的に身を引いてしまった。
「自分でするから」
無意識だった。スノウが帽子を取ろうとしたわけでもないのに、反射のように避けてしまった。その自分の反応に、セフィライズは戸惑う。
スノウはそんな彼を見て、また静かに言った。
「大丈夫ですよ」
その言葉は、責めるでもなく、追い詰めるでもなく。ただ、そっと寄り添うように落ちてきた。セフィライズは、何も言えなかった。




