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11.城内での日々編 闇の中



 ――ああ、またここか……


 暗闇がどこまでも広がっている。けれど、なぜか息苦しいほど狭く感じる場所だった。

 ぽたり、と水が落ちるように、淡い光が揺れている。何もない空間。

 まただ、またここにいる。幾度となく見てきた、あの深淵の夢。


 目の前には、人の姿をしているとわかる何か。しかしいつも、それが誰なのかまではわからない。その誰かは、顔すらはっきりしないのにも関わらずにたりと笑っているのは分かった。指を差す、その先には。

 ダガーナイフを持つ男が一人。同じ銀髪の男は、セフィライズのよく知っている人間。彼の父親だった。

 夢の中の父は、もう父の形をしていなかった。目は深く落ち込み、闇に沈んで見えない。身体を覆うのは、服なのか、それとも焼けただれた皮膚なのか判別できないほどのもの。まるで劫火に呑まれた影が、そのまま立ち上がったかのようだった。


「お前なぞ、()()()()()()よかった」


 それは陥落の時。炎に包まれた神殿の祭壇で、最後に聞いたあの声。始まりの場所、そしてここで終わるのだと思って閉じかけた瞬間、シセルズがやってくるのだ。しかしこれは夢。

 夢の中の父は、立ちすくむセフィライズの胸へとナイフを突き立てた。痛みはない。ただ、胸の奥が押しつぶされるように苦しいだけだった。

 その光景を、人の形をした何かが見て笑う。


「すべてを、はじめたのは自分だというのに、身勝手なことだ」


 顔のないその影は冷笑する。鋭い視線をセフィライズに向けて再び、言葉を発した。


「そう、思うだろう?」


 その瞬間、意識が引き戻されるように、目が覚めた。




 目の前には、暖炉の炎が揺れていた。意識は浮かび上がっているのに、体はまだ動かない。ただしばらく、その橙色の揺らぎを眺めていた。

 あの時、兄が来て助けてくれた。けれど、本当は。夢の中のように……あそこで終わっていた方が楽だったかもしれない。セフィライズはナイフが突き刺さった胸を押さえた。

 セフィライズはゆっくりと体を起こす。最初に横になった時にはなかった毛布が、肩からふわりと落ちていった。


「目が覚めたんですね、よかった……!」


 スノウは彼が起き上がったことにいち早く気がついた。


「何か、必要なものはありますか? お水、飲みますか?」


 心配そうに尋ねる彼女に、セフィライズは小さく頷いた。スノウはすぐに水を取りに行き、コップに注いで戻ってくる。


「お一人で、飲めますか?」


「ああ、うん……だいぶ良くなったから」


 セフィライズは受け取った水を飲んだ。とても喉が乾いていたのか、すぐに飲み干してしまう。スノウはそれに気づき、もう一杯持ってきてくれた。それもまた、すぐに空になった。


「もう一杯必要ですか?」


「いや、もう……」


「そう、ですか……」


 スノウは何かしなくてはと、気持ちだけが焦っていた。ごめんなさい、と心の中で何度も繰り返しながら。これからは必ず確認してから力を使わなければ。むやみに治癒を使えば、彼を傷つけてしまうかもしれない。

 窓から入る光は薄暗く、暖炉の揺らぐ灯火だけが部屋を照らしている。夜なのか、昼なのかもわからない。

 今にも泣きそうな表情を浮かべるスノウを見て、セフィライズはなんとなく察した。彼女は、何故こうなったのかに気づいたのだと。


「スノウが気にすることじゃない。これは、定期的にしていることで。別に君が……」


「いいえ、いいえ! わたしがっ……!」


 わたしが後先考えなかったから、そう続けようとした言葉が止まった。下を向き、彼の顔が見られない。私のせいだ、と自分を責めるたび、胸の奥が痛む。


「問題ない、慣れているから」


 スノウが顔を上げると、コカリコの焚き火の前で見た時のように、彼は微笑んでいた。その表情が、なんだか懐かしい。こうして話すのは、いったいどれくらいぶりだろう。


 その時、外から夕方の定時の鐘が響いた。


「いけない! わたし、今日夕方に当番があって!」


 シセルズの最初の指導の時、夕方にできなかった洗濯の回収を代わってもらった。これが終われば、しばらく洗濯の分担から外れる。スノウは慌てて立ち上がり、コートを掴んで外へ飛び出そうとした。


「スノウ……」


 出ていこうとする彼女を、セフィライズが呼び止めた。少し視線を揺らしながら、言葉を選ぶように続ける。


「君が、望むなら。別の所属に変えてもいい。私から頼む」


 それはつまり、セフィライズの下から外すという意味だった。スノウには、それが遠回しに外れろと言われているように聞こえてしまう。胸の奥が、きゅっと痛んだ。


「すみません……今は急ぐので」


 それだけを残し、スノウは逃げるように外へ出ていった。




 翌朝。スノウはぼんやりと昨日の話を思い出していた。何故、別の所属へ変えようと、セフィライズは言ったのか。自分には何か問題があるのだろうか。

 不安な思いを抱えながら、護身術を習いにシセルズのいる練習場へ向かった。


「おはよう、スノウちゃん。昨日はあいつ、どうだった?」


 シセルズは、セフィライズが不機嫌になったに違いないと愉快そうに言う。今度会ったら絶対に睨まれる、と笑っていた。だが、スノウがひどく塞ぎ込んでいるのに気づくと、表情を引き締めた。


「どーした?」


「昨日、その……別のところに、移動しないかって」


「スノウちゃんを?」


「はい。えっと……わたしは……お役にたてないでしょうか。嫌われているのでしょうか」


 そんなスノウの表情を見て、シセルズは胸の奥でひっかかっていた違和感の正体に、ふと気づいてしまった。スノウ自身がそれを自覚しているのかどうかはわからない。けれど、彼女の中に芽生えつつある、小さな感情だけは、もう間違えようがなかった。


 スノウちゃんは、きっと。いや、多分……弟のことが、好きなんだ。

 気づいた瞬間、嬉しさと、申し訳なさと、どうしようもない戸惑いが同時に胸に広がった。


「ちょっと、場所を変えよう」


 シセルズは新兵たちに声をかけて場を外し、戻ってくるとスノウの肩を軽く叩いた。人の気配の少ない場所へ。二人はアリスアイレス王国の室内庭園まで赴く。穏やかな時間を思い思い楽しむ者達もいるけれど、端のほうは静かで誰の気配もなかった。壁に背を持たれさせ、シセルズは腕を組む。


「……多分、セフィはスノウちゃんの事、嫌いだとかそういう事は思ってないと思う」


 シセルズは真剣なまなざしでスノウを見つめる。不安そうな彼女は、胸元に手を当てながらしっかりと見つめ返してくれた。


「セフィライズは、人と関わるのを避ける傾向にある。それはたぶん、あいつの持って生まれた……」


 そこまで言って、シセルズは口をつぐんだ。これは気軽に話していいことではない。何も知らないスノウを巻きこむわけにはいかない。

 続きを待つスノウの真剣な眼差しを見つめながら、シセルズは自然と左目尻の印に触れた。小さく首を振る。


「だから、スノウちゃんに問題があるわけじゃない」


「そう、なんですね」


 スノウは、シセルズが意図的に言葉を止めたことに気づいているようだった。教えてもらえない“何か”があると理解しながらも、それ以上は聞こうとせず、素直に受け入れている。


「あいつが小さい時。本当に、人形みたいに心がなくて、生きてるのに死んでるみたいな。そういう状態だった頃があるんだ」


 リヒテンベルグ魔導帝国が白き大地を蹂躙した時。セフィライズはまだ六歳だった。魂が肉体の表層にまで上がってきていないかのように、感情も何もない、生きる屍。

 だから、必死に教えた。笑う事も、怒る事も。痛いや辛いと、人に頼っていいという事も。でも……届かなかったものが沢山ある。灯せなかった心のろうそく。セフィライズがどこか、人と交わる事を避けるのも、その育ってきた環境といびつな感情形成によるものも原因のひとつだと思っていた。


「だから……」


 シセルズは、スノウに期待をしていた。彼女なら、きっと、セフィライズの心に火を灯してくれるのではないかと。ただ、セフィライズが背負っているものの大きさも理解している。何も関係のないスノウに、それを背負わせていいものかとも思う。シセルズは再び無意識に左目尻の印に触れる。


「人の心がわからないというか。いや……違うな」


「とても、わかっていらっしゃると思います」


 スノウは、咄嗟に答えていた。それに自分自身でも驚いている様子だった。


「……わかって、いらっしゃると」


 だから、あんなにもよく、傷ついた顔をする。シセルズもまた、どこかセフィライズと関わってほしいと思っている様子なのに、関わらないでほしいとも思っているように感じる。

 きっと彼らの経験してきたものは、スノウも想像できないような壮絶なもので。だからこんなにも、矛盾したものを抱えているのだろう。

 スノウは少し安堵した。彼の優しさが伝わった気がしたからだ。そして、セフィライズもまたきっと。


「だから」


 選ぶことに怯えていた自分を、自由を怖がっていた自分を、ただそこに立ち尽くしていた自分を、前へ押してくれたのは彼だった。だから、少しでも何かを返したいと思った。今ここにいるのは、セフィライズのおかげなのだから。


「今度は私が……セフィライズさんの背中を押す側にまわりますね」


 そういうと、シセルズは困ったように笑って、ありがとうとスノウへ頭を下げた。

 





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