8.城内での日々編 闇の中
−−−−ああ、またここか……
暗闇の中、どこまでも広がっている。しかし、とても狭いような、そんな場所。水が滴り落ちるように、光が揺蕩っている。何もない空間。まただ、またここにいる。
幾度となく見た深淵の夢。
ダガーナイフを持つ男が一人。同じ銀髪の男は、セフィライズのよく知っている人間。
彼の、父親だった。
夢の中の父親は、目が陥没していて見えない。身体中から爛れた皮膚を吊り下げているような服で、ふらふらとしている。
「お前なぞ、作らなければよかった」
それは陥落の時。炎に包まれた神殿の祭壇で、最後に聞いた言葉。始まりの場所、そしてここで終わるのだと思って目を閉じようとしたあの時、シセルズがやってくるのだ。しかしこれは夢。兄はいつもやってこない。
父親にナイフを振り下ろされながら死ねと叫ばれる。心臓へと突き刺せられるも夢の中、痛みはない。ただ胸が苦しいだけだ。
「我々は滅んだ。何故お前だけが生きている」
そんなもの、答えは簡単だ。答える必要もない、どうでもいい回答。
「……死んでないから、だよ。父上……」
そう答えた瞬間に、目が覚めた。
目の前には暖炉の炎が見えた。意識は浮上しているも体が動かない。ただしばらくその揺らぎを眺めた。今日は採血の後寝てしまったのかと錯覚するほど。戻ってきて、横になって、暖炉の炎を眺めて、それで……。
確か、その後に彼女がきた。それを思い出すと、ゆっくり体を起こす。最初に横になった時には被っていなかった毛布が、体からずり落ちた。
「目が覚めたんですね、よかった……!」
スノウは彼が起き上がったことにいち早く気がついた。
「何か、必要なものはありますか? お水、飲みますか?」
心配そうに聞いてくる彼女に頷く。スノウはすぐに水を取りに戻り、コップに注いで戻ってきた。
「お一人で、飲めますか?」
「ああ、うん……だいぶ良くなったから」
セフィライズは受け取った水を飲む。とても喉が乾いていたのか、すぐに飲み干してしまった。彼女は察してもう一杯持ってきてくれた。それもまた、すぐに飲み干してしまう。
「もう一杯必要ですか?」
「いや、もう……」
「そう、ですか……」
スノウは何かしなくてはと、気持ちだけが焦る。ごめんなさいと心の中で何度も繰り返して。もう、これからはちゃんと、確認してから使わないといけないと強く思う。むやみに治癒の力を使ったら、彼を傷つけてしまうかもしれない。
窓からはいる外の光は薄暗く、暖炉の暖かな揺らぎの灯火だけが部屋の明かりになっている。夜なのか、昼なのか分からない。
今にも泣きそうな表情を作る彼女を見て、セフィライズはなんとなく察しがついた。彼女は、何故こうなったのか、に気がついたのだと。
「スノウが気にすることじゃない。これは、定期的にしていることで。別に君が……」
「いいえ、いいえ! わたしがっ……!」
わたしが後先考えなかったから、と続けようとする言葉が詰まった。下を向き、彼の事が見れない。私のせいだ、と自身を責め、心が痛い。
「問題ない、慣れているから」
スノウが顔をあげると、コカリコの焚き火の前で見た時のように、微笑んでいる彼がいた。なんだか、懐かしい気持ちになる。いつぶりだろうか、こうして話すのは。
しかしその時、外から夕方の定時の鐘の音が聞こえた。
「いけない! わたし、今日夕方に当番があって!」
シセルズの最初の指導の時に、夕方出来なかった洗濯の回収の仕事を代わってもらった。これが終わればしばらく洗濯の分担から外れる。スノウは慌てて立ち上がり、コートを着込んで外に飛び出そうとした。
「スノウ……」
出ていこうとするスノウを、彼は引き止めた。少し悩むように視線を動かしながら話す。
「君が、望むなら。別の所属に変えてもいい。私から頼む」
それは、セフィライズの下から外す。という意味だった。彼女はそれが、遠回しに外れろ、と言ってるように聞こえてしまう。すみません今は急ぐので、とだけ話すと、彼女は外へ出た。
次の日、スノウはセフィライズから伝えられた言葉の意味を考えていた。
やはり、自分は力量不足なのだろうか。足手まといだろうか。何が足りていないのだろうか。それとも、後先考えずに彼に治癒術を使ったことを、怒っているのだろうか。考えながら、シセルズのいる練習場まで歩いて行った。
「おはようスノウちゃん。昨日はあいつ、どうだった?」
シセルズはさぞかし不機嫌になったに違いない、愉快で仕方ないと言った感じで話す。今度あったら、俺のことを絶対に睨みつけてくるに違いないとまで思って笑った。しかし、スノウがとても塞ぎ込んでいるのに気がつき、真剣な表情で彼女を見た。
「どーした?」
「昨日、その……」
どこまで話していいかわからない。少しだけ何を伝えるべきか、言葉を選んだ。
「……別のところに、移動しないかって」
「スノウちゃんを?」
「はい、えっと……わたしやっぱり、力不足でしょうか。セフィライズさんの、何のお役にも立てないから、いらないのでしょうか」
だから、移動の話を出したのだろうか。彼女は疑心暗鬼になっていた。
そんなスノウの表情を見て、シセルズいままでなんとなく思っていたもの、なんとなく感じていたものを認識する。スノウ自身、気付いてるのか、いないのか。そんな、小さな小さな生まれかけの感情だ。
スノウちゃんは、きっと、いや多分。弟の事が、好きなんだ。と……