2.城内での日々編 学問
スノウは一人、ベッドの上で目を覚ました。窓の外は猛吹雪のせいか部屋は薄暗い。
彼女に与えられたのは一般女性従者の部屋でとても狭い。大変質素な作りで、窓が一つ、ベッドと机と衣服がかけられる収納場所が少し。お風呂とトイレは共用。食事は食堂で出される。通常の仕事のほかに、掃除当番なども割りふられていた。
スノウは起き上がり、髪を整えながら窓から城へ歩いて来る人達を眺める。猛吹雪。真っ白の中に黒い影が動いてるぐらいしか確認できなかった。
ゆっくりと窓に指をあてる。指先が冷たく窓に張り付いてしまいそうだ。
朝の時間を知らせる鐘の音が響く。スノウはいつもの道具が入った鞄を斜めがけに持って部屋から出た。
「あら、おはようスノウ。今日も行くの?」
「おはようございますリリベルさん」
スノウに声をかけてくれたのは、隣の部屋の住人リリベルだ。栗色の髪とぱっちり二重、ぷっくりした唇のかわいらしい女性だった。
「ふーん、大変ね。所属、あれだっけ。あの……」
リリベルが口ごもっている。とても言いにくそうにしている理由は、スノウの所属がセフィライズの部下だからだろう。
「でも、あれから一度もお会いしてないんですよ」
スノウは自身も驚くほど切ない声を出してしまった。リリベルが不思議そうに首をかしげている。
スノウがこの城で働き出してから既に二ヶ月が経過していた。その中で学んだことは、セフィライズはどうやら従者や兵士達の間では敬遠されていという事実だ。
彼の下についたという話をすると、怖そう、冷たい、話にくい、できれば関わりたくない。といった言葉ばかりが返ってくる。
スノウの知るセフィライズは、どこか遠くを眺めて。まるでそこにいるのに雪がふわっと飛んで、すぐ消えてなくなってしまいそうなほど。儚く切ない。そんな人だ。しかしそれが、怖そうや冷たそうと感じるのかもしれない。
「まぁ、頑張ってね!」
リリベルに背中を押され、スノウは頭を下げて挨拶をし歩き出した。
二ヶ月間。スノウは基礎としての知識を詰め込まれる日々を過ごしていた。アリスアイレス王国内随一の大学に授業を聞きに行くこともあったが、基本的には城内で一対一。文字の読み書き、算術、マナー、歴史など。特に医学と薬学にはかなりの時間が割かれていた。
その理由には、なんとなく察しがついている。初めて所属をカイウスから言われた時、セフィライズが医療関係にと進言していたからだ。多分、これは彼の意志。遠回しに、移動させようとしているのではないかと思うほどに。
「スノウ様」
「はい!!」
スノウは座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。目の前には今日の歴史の授業を受け持ってくれているレンブラント。
「お疲れでございますか」
「いえ、その……すみません」
ただ、ぼーっとしてしまっていた。直前まで考えていた事が、夢のようにふわっと消えてしまったが、ひんやりとした感覚がなぜか心の中に残った。
「では、続きを行いますがよろしいでしょうか」
「はい、お願いします」
歴史を学んだほうがいいと言ったのはセフィライズだった。その言葉通り、スノウは今、神話から現代までの歴史を学んでいる。
世界樹がまだあった時代。豊富なマナにより繁栄を極めていたとされている。突如として広がったマナの穢れ。世界樹が元から持つ洗浄の力を上回り、その勢いは大樹の命を脅かした。癒しの神エイルは、その命をかけ穢れを浄化する。しかし再び猛威を振るった穢れはついに世界樹を枯らしてしまったのだった。
魔術の神イシズは冥界の神ウィリに力添えを貰いながら、新たに広がった穢れを封じ≪白き使徒≫≪世界の中心≫≪王の写本≫という三つの神器を作ったと言われている。
だから今、この世界に新たなマナを吐き出す世界樹はない。残されたマナを消費しながら、少しずつ終焉に向かっていく世界。
唯一、魔術の神イシズが残したとされる神器のひとつ≪世界の中心≫は、無限にマナを吐き出したといわれている。
「二十年前、アリスアイレス王国よりはるか西にある大国、リヒテンベルク魔導帝国が白き大地へと進軍しました。理由は」
「≪世界の中心≫……」
「そうです。白き大地の王が、伝説上のそれを手に入れたが為に狙われ、そして白き大地は蹂躙されました」
ふっと、スノウの脳裏に浮かぶのはセフィライズの姿だ。突然の攻撃、母国を終われどうやって、このアリスアイレス王国に来たのだろう。
「あの、本当に……その……あったのでしょうか。≪世界の中心≫は……」
「あった、とされております。しかしそうですね、これは余談ではございますが」
レンブラントは少し迷った表情を見せた。
「セフィライズ様もシセルズ様も、その所在は知らないとおっしゃってられますね」
本当は、なかったのではいだろうか。噂が大きくなった末の、存在しないものの為に起きた戦争なのではないだろうか。伝説上のもの、この世界に存在しているかも怪しい神器≪世界の中心≫
もし、もしもその、存在しないものの為に。起きた戦争だとしたら。
スノウは胸元に手をあてた。きっと沢山の白き大地の民が殺されただろう。そして今も、彼らは世界から迫害され続けている。貴重な材料として。
日が暮れたのかどうかもわからない吹雪を横目で見ながら、午後授業を終えてスノウは一息ついた。この後は、割り振られた掃除をして、干してある洗濯の回収をする。
−−−−今日も、会えなかったなぁ
スノウはセフィライズと城内ですれ違ったりするのかな、と淡い期待を持っていた。しかし一般従者と彼とでは階級が違い過ぎる。ある程度の階級章がなければ入れない区画があるのだ。
いくら直属とはいえ、セフィライズから何か具体的な仕事を言われている訳でもない。今は指示された通りに勉強するだけ。何ヵ月続くかもわからない。そしてそのあとで、結局どんな仕事をするのかも彼女には見えていなかった。
全ての雑務を終えて狭い自室に戻る頃には、スノウはもう疲れきっていた。しかし、出された宿題を片付けて、その後で明日の予習。
「えっと、明日の予定は……」
ドアの隙間から入れられる予定表は週単位。そして今日は新しい予定表がくる日。床から拾い上げたそれを広げながら椅子に座った。
「……護身術?」
今まで一度も受けたことのない授業の名前だった。