5 .涙雨と救出編 少女
指定されていた場所は廃墟に近い建物だった。中に入るなり嫌な匂いと猥雑な声が聞こえる。セフィライズは本当にいい仕事ではないと眉間に皺を寄せた。
「コンゴッソから来た」
「もうついたのか。早ぇな」
セフィライズが入口の男に話しかけると、とても驚いた顔をしていた。
「あんたは引き渡しの時の手続きとかそういうのでいてくれるだけでいいから。腕は期待してねぇ。まぁ、向こうのオークションに出すんだから、ご挨拶みたいなもんよ」
要するに、礼儀を払って1人同行させているだけだ、と言いたかったのだろう。
「まぁ、今回は結構人数多いからな。これだよ」
男が案内した先。扉が開かれるとそこは粗末な牢屋だった。鉄格子の向こう側、その中に何人かの女性が座らされている。音に反応した者もいるが、皆静かに座っていた。
「出発は明後日にする。それまで適当な女選んで遊んでいってくれてもいいが、その左端だけはダメだ」
男が指差した先に、小柄な少女が座っていた。立膝に額を埋めているせいで顔は見えない。この世界ではとても珍しい明るい金髪だった。くせ毛なのか、肩にかかるぐらいの髪は外に向かってはねている。
セフィライズはすぐに納得した。この世界で希少である天然の金髪は非常に価値が高い。もちろん、女性としての、だ。この世界では、髪は一般的に黒や茶髪の者が大多数を占めている。
「金髪は珍しいからな」
セフィライズがまじまじと彼女の髪を見ていたのに気が付いたのか、男は肩に軽く手をのせる。諦めろ、とでも言いたそうだった。
会話に反応したのか、少女は顔を上げる。柔らかな輪郭にぷっくりとした唇の可愛らしい容姿。しかし疲労と恐怖からか酷い表情をしていた。そして何より、その大きな二重の瞳は、またも珍しい澄んだ翠色だった。またもその目の色にセフィライズは驚かされる。瞳の色も、濁った青や茶色やがほとんどだ。澄んだ翠色の瞳は、セフィライズでも初めて見た。
売られる女性の中でも、最上級の物を持っているのがすぐに見て取れる。
「髪の色、目の色。信じられないぐらいの上級品だ。でもな、何故か処女でないとダメなんだと」
「価値が、下がるからか?」
「んいや……」
男はにたりと笑った。
「治癒術が使えるらしい」
男は今回の目玉商品だと言って笑うが、その割にはあまり大切に扱っている様子が感じられなかった。
つまりシセルズの言っていた治癒術の使い手は、この少女という事だ。セフィライズは存在していた事にほっと胸を撫でおろす。
「興味ない」
「ああそうかい。上に空き部屋があるから、適当に……」
そう男が言った瞬間、先ほど入ってきた扉が荒い音を立てて開いた。入ってきたのは屈強な男、女の腕を掴んで引きずるっている。その女はボロボロの衣服にところどころ殴られたような痣、股から血を流しているのか、足先から伝って床に血痕を残していた。
「おら、戻ってろ」
屈強な男は雑に鉄格子を開け、中にその女を放り投げる。牢の中にいた女性達が逃げるように離れたにもかかわらず、奥に座っていた金髪の少女は倒れ込んだその女性へと駆け寄っていた。
「もう一人いくのか?」
「いやーもう流石にいい。俺は寝る」
男達の会話を横で聞きながら、セフィライズはその少女へと目を向ける。痣だらけで酷い状態の女性を抱きかかえ、耳元で優しく声をかけているようだった。
「じゃあ、えっと……あんた名前なんだっけか? とりあえず上に空き部屋あるから、そこで明後日まで適当に過ごしてくれ」
そう言って男二人がその部屋を出ていく。一人残ったセフィライズは、しばらくその少女が治癒術を使うのではないかと見ていた。しかし、一向に気配がない。
「あの……」
金髪の少女が、その珍しい鮮やかな緑の瞳でセフィライズを見上げた。セフィライズは声をかけられるとは思っておらず、少し間をあけてから声を出す。
「何か」
「早く、その……出ていかれないのですか?」
少女の曇りのないまっすぐな瞳の中に、消える事のない強い色が見えた気がした。周りの女性たちはみな、暗く沈んだ色をしているというのに。
セフィライズはその少女の秘めた灯火にとても驚いた。何も恨まず、何も憎まない、まさしく澄み切ったまっすぐな瞳だと思ったからだ。
「問題でも?」
「いえ、その……この方を……あの、何でもありません」
おそらく治癒術を使いたいが、セフィライズの前では使いたくないという事だろうと察しがついた。このまま残ってどうするのか確認してもよかったが、黙って背を向けるとその部屋を出た。
約束の明後日。多くの女性が乗せられた幌馬車は四台にもなった。各馬車に何人かの護衛が乗り込んでいる。
セフィライズは治癒術を使う少女が1番後方の幌馬車に乗せられるのを見て一緒に乗り込んだ。中には魔術師が一人、傭兵が二人いる。その傭兵二人は親しい間柄なのか、ずっと何か話しているようだ。
彼らに軽く会釈をして、セフィライズは一番端に座る。ちょうど荷台の縁に肘を置き、外が見渡せる場所だった。乗せられた人の中から金髪の少女を確認すると、目を閉じ静かに座っている。
本物か本物でないかの確認がまだだ。セフィライズはどこかで治癒術を使っているところを見たいと思っていた。何か方法を考えなければいけない。そう考えている間に幌馬車は出発した。
ソレビアの街を出発し数時間かけて北へ上がる。途中休憩がてら数人の男が奴隷の女性を適当に選んで弄んでいたが、決して金髪の少女に声がかかる事はなかった。
吐き気がする程ありえない状況である。しかし、そんな事は最初からわかっていた。セフィライズは目を閉じ、全て感じないよう己を閉ざす他ない。
一回目の壁を、同じ幌馬車に乗っている魔術師が一人で開けていた。セフィライズはその姿を幌馬車の中から見て驚く。普通の人間がこれをできるとは思っていなかったからだ。
セフィライズは杖を大事そうに抱えて戻ってきた魔術師をよく観察した。おそらくその杖が、マナを増幅させる事ができる強大な魔導人工物なのだろう。
魔導人工物とは、マナが凝縮された魔鉱石を使い、目的に応じた能力を発する道具である。
セフィライズ以外の白き大地の民ですら、魔術が得意といえど壁を一人で開けるのはかなりマナ消耗する。魔導人工物があるとはいえおそらく普通の人間だ。案の定、その男は座り込んだきり一切動かなくなってしまった。
雨が降り、鬱蒼とした森の中。車輪が岩と泥だらけの悪路に溜まる水を跳ね上げながらさらに数時間進む。もうすぐコンゴッソ側の壁につくだろうといった頃、セフィライズは黙って外を眺めていた。
普段身を置かない環境で心が疲れていた。
セフィライズは自分以外の誰かが人として尊厳のある扱いを受けないというのはこんなにもしんどいものかと思う。セフィライズ自身は白き大地の民という生まれのせいもあり、長く人としての扱いを受けていなかった。それに彼にはアリスアイレス王国という後ろ盾と、自身の腕で何とかやっていける。だから、もう慣れたと言ってしまった方が早いかもしれない。
しかし今、ここにいる女性達は、後ろ盾もなく力があるわけではない。一方的に搾取されるだけなのだ。
ふと、心が疲れたせいかセフィライズの気が緩む。魔術で偽装したはずの自身の瞳の色が元に戻ってしまった事に気がつかなかった。
セフィライズは何気なく金髪の少女を見た。ゆっくりと顔を上げた少女とたまたま視線が合う。彼女が何だかとても驚いた表情をするものだから、セフィライズは慌てて視線を逸らした。
手を目元に当て、瞳と閉じる。小さな声で詠唱の言葉を紡ぐと、彼の目は再び茶色に染まった。