28.死の狂濤編 門
門への出発の朝。ギルバート達との再会に、スノウは少し喜んでいた。再び馬車に乗り込み、その際にレンブラントから厚手の防寒具を手渡される。その防寒具はアリスアイレス王国の色でもある深い赤。そして王国独特も紋様が金糸で刺繍されているものだった。壁を超え、アリスアイレス王国側に入るのかと、実感が湧いた。
同じタイミングで門を通ろうとする荷馬車も一斉に動くため、壁までの道は混雑していた。今までも他の馬車や人とはすれ違っていたが、スノウから見れば異様な光景だ。しかし、セフィライズ達にとっては、変わりない風景なのだろう。
壁越えの時間は決められている。その時間になると、多くの魔術師が壁に穴を開けるための魔導人工物を利用し、同時に魔術を唱え出す。大穴が開くとそれが門として一定時間開いた状態になる。そこを一斉に通るのだ。
その為、門の目前で待機時間が発生してしまう。今回は後尾の方につけたセフィライズ達は、その時が来るまで待機となった。
「合図がありましたら、壁に穴が開きます。そうしましたら、こちらの窓はすぐに閉めて頂きますようお願いします」
レンブラントが馬車の窓を指差す。先程から、窓から乗り出さんばかりに周囲を見ていたスノウにとっては、残念な話だ。しかし、きっとアリスアイレス王国側が寒いせいなのだろう。
以前、カイウスと壁を超えた時もそう。雨が降り続いていたのに、一瞬にして世界が変わった。きっと今回も、一瞬にして雪国になるのだろうとスノウは思った。
グググッ−−−−
地の底が疼いてるような、何かが響く音がした。次第にその疼くような音が大きくなっていく。スノウが、なんだろうかと首を傾げ周囲を見る。と、同時にセフィライズが
「まずい……!」と、声を上げいち早く気がつき馬車から飛び降りた。
その振動は少しずつ大きくなっていく。すぐに立っているのもままならないほどに、激しく大地が揺れだした。
「全員、物陰に隠れろ! 急げ、今すぐにだ!!」
異変に気がついたギルバートが大きな声を張り上げて仲間たちに知らせた。「壁が荒れるぞ!」そう叫んだ。
周囲の人達にも多く伝わるよう、仲間が手分けして大きな声を出して回る。周りで恐怖の声が上がった。
『死の狂濤』
しかしこれを体験したものは少ない。何故なら、荒れれば最後、壁のそばにいる多くのものが’二度と戻ってはこない’からだった。ギルバートも体験したことはない、知識として知っているだけだった。幾度となく近くを通った、壁越えもした。しかし彼らは一度も出会ってはいなかった。
「セフィライズ様……!」
レンブラントが手綱を引き、馬を大人しくさせながら叫ぶ。セフィライズは「わかっている!」と返し、スノウが乗る馬車の屋根の上に飛び乗った。スノウはその様子を身を乗り出して見る。そして壁を見ると、今まで静かに揺蕩っていた光が、まるで嵐が起きたかのように、渦巻き、そして波打っていた。
ゴォオオオオオオオ−−−−
音の響きが変わった。大きくなりだした揺れに、ほぼ全員が立っていられなくなる。暴れ出す馬に鞭打ち、荷馬車を引いて逃げようとする者もいた。
「来る……!」
同時に、壁からドドドと大きな音をたてて何かが降ってくる。巨大な液体のような光の玉が、ものすごい早さで大地を叩きつけた。それはまるで、巨大な流星群のように降り注ぐ。それらは、壁に近いほどに多く降り注ぎ、彼らより前方では沢山の悲鳴が聞こえた。
セフィライズは大きく深呼吸し、壁に向けて手をかざす。
−−−−いけるか、この人数を……
迷ってる暇などない。しかし、自信はない。何もせずに魔術を使い、全員を無事に守ることができるのか。
「我ら、世界を創造せし魔術の神イシズに祈りを捧げ、我らを守護せし堅牢なる天蓋を成せ……!」
セフィライズが丁寧に詠唱を紡ぐ。セフィライズ自身だけではなく、広い範囲の大地からも、ゆっくりとマナが可視化され、彼の元へ集まってくる。そのマナの光の流れを、多くの者が見た。流れる先にある、セフィライズの姿も。
マナの流れでフードは外れ、彼の銀髪が周囲の目に触れた。
「今この時、我こそが世界の中心なり!!」
彼が叫ぶと、一瞬眩しい程の光が弾ける。
その光は、六角の透明な板が幾重にもつながる巨大な障壁を展開した。それは次第に大きく広がり、周囲の人たちの上に。その障壁は降り注ぐ光の流星群を全て弾き返した。大地の揺れもまた、障壁の形成により少しだけ弱まる。
ゴッゴッゴッと鈍い音を不規則にあげ、光を遮る障壁。セフィライズは必死に手を上に向けたまま、その衝撃の度に苦痛に顔を歪ませた。
「ッ……やはり足りないか……!」
息を整えろ。意識を集中しろ。
早くなる息遣いをなるべく戻そうと、大きく呼吸をする。しかし足りない、その言葉どおり、段々と障壁を破壊し、光の流星群が侵入し始めた。スノウが思わず外へ飛び出す、ちょうどその光が隕石のように落ち、目の前の馬車に直撃した。馬車を破壊し、木材が周囲に散らばる。その場に隠れていた人は、その瞬間に’消えた’。その現象を目撃したスノウは、一瞬何が起きたかわからなかった。しかし、その場所にいたはずの男性は、本当にいなくなってしまったのだ。
「ギル……ギルバート!」
馬車の屋根の上から、セフィライズはギルバートを呼んだ。すぐ近くの荷物の影に隠れていたギルバートがセフィライズの方へと顔を向ける。
「ギル、なんでもいい。剣でも、ナイフでもいい。投げてくれ……!」
そう言われ、ギルバートはあたりを見渡した。丁度目の前にナイフを腰に帯びた仲間が見える。ナイフを抜き、立ち上がるとセフィライズの立っている方へ向け、思い切り投げた。ナイフは馬車の端に刺さる。ゆっくりと魔術を維持しながら、セフィライズは屈んでナイフを掴み取った。
スノウはそれをどうするのかと見上げる。ギルバートもまた、そんなものを今何に使うのかと彼を見た。
その瞬間、セフィライズは何の躊躇いもなしに、そのナイフで自身の腕を切りつけた。




