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2 世界の主人公を殺すことだとしても


「全員、今すぐ出ていきなさい!」



 困惑した顔を浮かべるメイドたちを、私は一人残らず部屋の外へ追い出した。


 扉が閉まる音を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が切れる。


 私は鏡台の前へ駆け寄ると、ドレスを乱暴に引き剥がした。

 はだけた胸元から白い肌が露わになり、肩が荒く上下する。

 先ほどまで浮かび上がっていた呪いの紋章は、まるで最初から何もなかったかのように綺麗に消え去っていた。



「……ほんとにイカれてるわ、あの女」



 王妃ロゼリアは実の娘に死の呪いをかけた。


 恐怖に襲われ、膝から崩れ落ちると、そのまま床へ座り込んだ。


 しかし、神は絶望する暇も与えてはくれない。



「ルシアン・ディ・アルヴェリア……」



 敵国の第一皇子であり、未来の夫の名を呟くと、押し寄せる恐怖を抑え込むように下唇を噛んだ。


 見ず知らずの男と最も近しい関係になるということ、その男をこの手で殺さなければならないという事実がひどく恐ろしかった。


 やっぱり、あの前世の記憶は本当だったんだ。

 まさか本当に敵国の皇子と結婚することになるなんて……。


 私が前世で読んだ小説の悪女ソフィア・フォン・ローズィアに転生していると気がついたのは、十三歳の誕生日を迎えた頃だった。


 夢の中で流れ出した記憶が到底他人のものとは思えず、何度か夢を繰り返し見るうちに、前世の記憶なのだと整理を着けた。


 小説『神に選ばれた者』は、主人公ルシアンが数々の困難を乗り越え、栄光を掴み取るという英雄譚だった。


 ルシアンには多くの悲劇が訪れる。

 側室の子供として生まれ、幼い頃に母を亡くし、異母弟との政争に巻き込まれ、皇后によって若くして戦場へ送られる。


 そして、ようやく皇宮に帰ってこられた時には無理やり敵国の悪女と結婚させられる。


 そのうえ自分の一番の理解者でなければならない妻に毒を盛られるというのだから、ルシアンは読者が憐れまずにはいられない悲劇の青年だった。


 だけど、今の私には彼を憐れむ余裕などなかった。


 そう、その敵国の悪女という人物こそが、この私ソフィア・フォン・ローズィアだった。


 ローズィア王国の姫とアルヴェリア帝国の皇子が結婚するという信じられない事実を、私は五年も前から知っていた。


 前世の記憶なんて、目の前の苦しみから免れるために私が生み出した幻想なのではないかと思っていたが、数時間前に父から告げられた結婚の話を聞いて、ようやく事実だったのだと納得した。


 心の底からルシアンを憎しみ、毒殺を試みたが、ルシアンが毒に耐性を持った得意体質であったことを知らなかったソフィアの暗殺は失敗に終わる。

 そして、追い詰められた末に短剣で自らの胸を刺すという、何とも情けない死にざまだった。


 それもそのはず、ソフィアは真の悪役を引き立てるための脇役悪女に過ぎないのだから。


 小説の真の悪役は、第二皇子の母であり、アルヴェリア帝国皇后であるルドヴィカ。


 彼女は息子を皇帝とするために、あらゆる手を尽くしてルシアンを苦しめた。彼がまだ物心ついたばかりの幼い少年だった頃から徹底的に痛めつけたのだ。



「まさか、物語の裏側がこんなことになっていたなんて……」



 前世の記憶という訳がわからないそれがなければ、私の心はとっくの間にぽっきりと折れてしまっていたはずだ。


 もしかすると、この前世の記憶というものは一種の予知夢のようなもので、生存本能を働かせた私の身体が無意識的に生み出したものなのかもしれない。


 しかし、肝心なのはそれではない。


 明確に示されていることは、確かに私の身体に死の呪いがかけられたということだ。


 夫を殺さなければ、死んでしまう呪い。


 ふと、小説でのソフィアにも、これと同じ呪いがかけられていたのだろうかと疑問が湧いた。


 そうなのだとすれば、彼女は悪女だった訳でなく、ただ自分の死にもがいていた子供だったのではないだろうか……。


 そこまで考えて、私は頭を動かすのをやめた。

 そんなことは私に関係ないこと。落ち込んでしまうようなことを考えるのは、よそう。


 主人公だとか、悪役だとか、関係ない。

 私は自分の本能に従って生きようともがくだけ。

 この運命に従って情けない死を迎える人生なんて絶対に嫌。


 この呪いを解く方法を、なんとしてでも探さなくてはならない。


 それでも方法が見つからなければ、私は生きるために手段を選ばないだろう。


 たとえそれが、この世界の主人公を殺すことだとしても。




・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・




 そして、ついにその日がやってきた。

 生まれ育ったローズィア王国を離れる日が。


 花と水の国、ローズィア王国の王宮は類稀なる賑わいだった。普段からたくさんの花で飾られる王宮だが、近頃は群を抜いて美しく飾られていた。


 王妃が異常なまでに大切にしている長女が、ついに嫁に行くのだ。


 使用人たちが忙しなく行ったり来たりしては、沢山の荷物を抱えて大型の馬車に積み込んでいく。


 どうやらロザリアは、私を世界で最も幸せな花嫁にしたいらしい。



「お姉様!」



 背後から叫ばれた言葉に、私はゆっくりと振り返る。

 私を姉と呼ぶのはこの世でただ一人、小さな妹だけだ。



「ソフィアお姉様……!」



 妹の小さな背中に手を添えると、優しくそっと押す。



「背を丸めてはいけないと、いつも言っているでしょう。これからは、私は何も教えてやれないのよ」


「そ、そんなこと言わないでください、お姉様……」



 肩を震わせて、周りの目も気にせずに鼻を啜る少女。


 ルチア・フォン・ローズィア第二王女。


 まだ、たった九歳の少女は、ただ一人の姉が異国へ嫁いで行くのをひどく悲しんでいるようだった。



「嫌です、お姉様! どうしてアルヴェリア帝国なんかに行ってしまうのですか? ずっとルチアと一緒にいてくれないと嫌です!」



 父と兄の持つ黄金の髪より、少し白っぽい金髪を揺らして啜り泣くルチアの頬にハンカチを添える。


 空をそのまま閉じ込めたような水色の瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。


 どうしようもなく幼い子。王族とは思えない清く愛らしい子。

 すぐに踏み潰されてしまいそうな妹を見て、小さくため息をつく。


 この子のためになら命さえも厭わないとか、そんな慈愛に満ち溢れた感情は残念ながら持ち合わせていない。

 それでも、たった一人の妹の涙に胸を締め付けられるのはどうしようもなかった。



「泣いてはいけないわ。あなたは一国の姫なのよ」


「でも、でも、お姉様……」


「大丈夫よ、ルチア。決して永遠の別れというわけではないのだから、泣かな……」


「そのとおりよ」



 私の声を遮るようにして放たれた言葉に、その場の空気が一瞬にして変わる。

 背筋が凍るような感覚に襲われたかと思えば、途端に甘い香りが脳を刺激した。



「私の娘は泣き顔も可愛いわね」



 私とルチアは、同時に首を回して振り返る。



「あっ、お母様!」


「こっちへいらっしゃい、ルチア」



 美しく笑いながら両手を広げたロザリアの元に、ルチアは駆けて行くと、母親の胸に飛び込んだ。



「お母様、どうにかしてください! お父様がお姉様を無理やり結婚させようとしているんですよね? 私はずっとお姉様と一緒にいたいんです! だから……」



 ロザリアの愛情深く温かな眼差しが、氷のように冷ややかなものになっていることに気づいたルチアは、すぐに口を閉ざす。


 分かりやすく顔を青白くさせて目を泳がす姿に、気づけば私は下唇を噛みしめていた。



「お前は本当に可愛い子ね」



 機械的な言葉なのに、まるで、本当に娘を愛しているかのような優しげな声色だった。


 美しい母娘を見つめる人々の目が様々な色で光り、ロザリアの美貌に感嘆の声が次々と上がる。

 煩わしい多数の視線に思わず眉間をしかめたくなると、その深青色の瞳が小さな妹から私へと移った。



「ソフィア、今日は眩しいくらい美しいわね」



 真っ赤な唇に、自然と視線がいく。

 彼女はいつでも咲き誇る薔薇のようだ。

 血のように赤い薔薇。その魅惑的な美しさで人々を誘惑し、触れれば鋭い棘で容赦なく傷つける。

 


「王妃殿下にご挨拶申し上げます」



 私は急いでドレスの裾を掴むと、母に向かって完璧なカーテシーを披露する。



「お前もこっちにいらっしゃい。可愛い妹がお前に会うためにやってきたのよ」


「はい、お母様」


「可愛い子、ついに行ってしまうのね。とても寂しくなるわ」



 ロゼリアは甘い声でそう呟くと、私の長く伸びた髪を撫で、耳元で静かに囁く。



「私の優秀な従者たちを何人か送っておいたわ。お前の好きに使いなさい」


「……私も、とっても寂しくなりますわ。お母様」


「タイミングは随時こちらから送るわ。まずは夫に取り入りなさい。必ず皇子を虜にするのよ」



 そう言い終えると、私の頬に軽くキスをして、ロザリアは明るく笑った。



「必ず、素晴らしい花嫁になりなさい。ローズィアの王女として恥じることのないように」

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