プロローグ
「俺はあなたに指一本たりとも触れませんし、あなたがこの国でどう振舞おうと目を瞑るつもりです」
ガタガタと身体を震わせる私の姿を、冷めた深青色の瞳が見下ろしている。
艶やかな黒髪から覗く、氷のような眼差しに心臓が高鳴った。
「ですから、どうか怯えないでください」
私の夫となった男、帝国の第一皇子ルシアンはそう言った。
私はふと視線を落とし、自分の姿を確認する。
薄ピンク色のネグリジェのリボンはほどかれ、青白い鎖骨と胸元がさらけ出されている。
私は、自身の丸い左胸を凝視した。
今日初めて会ったばかりの男に触れられることよりも、左胸に宿った呪いが彼に気付かれてしまうのではないかと気が気でなかった。
表には決して現れることがないと分かっていても、不安で身体が震えてしまうのはどうしようもない。
だけど、この状況で困るのは私の方だ。
夫婦の勤めを果たすことができない妃など、どんな扱いを受けるのかは目に見えている。
「ま、待ってください!」
ベッドから降りようとする男の手を慌てて掴むと、彼は困ったように眉尻を下げた。
そして呆れたような顔をして私を見下ろし、まるで幼い子供を嗜めるように言い放つ。
「今日はこの部屋で寝てください。俺は別の部屋を使いますので、ご安心ください」
黄金色の月光が、恐ろしいほど整った男の顔を照らしていた。
「夫として、あなたの願いにはできる限り答えるつもりです」
親切な言葉とは反対に、限りなく冷ややかな声色で言葉を綴る男の顔を、私はじっと見つめた。
私の願いを叶えてくれる?
だったら、死んでよ。
喉元まで込み上げた言葉を飲み込むと、どうにか震えを抑えようとベッドのシーツを握りしめた。
彼は無表情のまま私を見下ろすと、やがて身を翻し、部屋を出ていった。
たとえ私が怯えていたとしても、あなたには私を好きにする権利がある。
私が“彼女”のように、狂って暴れ回ったりしない以上、あなたは自分の身のために私を利用するはずだ。
何を企んでいるのか、全く理解ができない。
その疑問がさらに私を恐怖へと奮い立たせる。
私が望むことはひとつ。
悲惨な結末を終えずに生き残ること。
そのもっとも簡単な方法は、あなたを殺すことよ。
一人取り残された私は不安を覆い隠すように布団を引いて、中に潜り込んだ。
震える両手を抑え込むように合わせて、目を閉じる。
あの日の出来事が、今もなお、脳裏に流れている。
私は必死に脳内から消し去ろうと奮闘した。
背筋が凍らずにはいられない美しさを持つ、呪いのような女のことを。




