発言を呪う
不穏です。
そういう表現が過去形ですがあります。
一応未遂です。
Noside
二人が仲直りした事を確認した秋雨は、ポーカーフェイスから少しだけ嬉しさを滲ませながら、玲帑、直中と一緒に教室を覗き込んだ。
教室の電気は点いていなかったが、夜樺がまだ教室に残って、玲帑の発言を気にしているなら、玲帑と仲直りしてもらおうと思ったからだ。
「やっほー明くん、まだ残って…る……?」
「……え、何あれ。」
その光景は、何とも愉快だった。
黒い靄の少年が夜樺の両手首を掴み、くるくると振り回している。夜樺はきゃっきゃと喜んでいる。
『…あ、先生来た。』
「わー」
呑気にくるくると回っているが、一歩間違えれば周囲の机にぶつかったりして大惨事である。
秋雨が慌てて止めに入ろうと教室に踏み込んだ瞬間、違和感に気がついた。
机も椅子も、備え付けのテレビも無い。
おまけに床が柔らかい。足が沈み込んでいる。
試しに壁にも手を付いてみるが、やはり柔らかい。冬場の羽毛布団を五枚重ねがけしたらこんな風なんだろうと思えるくらいに柔らかい。
試しに秋雨は平手で壁を打ってみたが、表面張力を感じさせないくらい抵抗なく、手を飲み込んだ。秋雨の手には、反発力による痛みさえなかった。
~数分前~
直中が玲帑を追いかけて教室を出ていき、意気消沈した夜樺の機嫌を取り直そうと奮闘したのは、黒い靄の少年だった。
『アキラ、悲しいことがあったの?』
夜樺の足元の影から靄が立ちあがり、人のシルエットを形成した黒い靄の少年は、夜樺に一先ず話しかけた。
「…かげくん…」
顔を上げた夜樺は、目が充血していた訳でも、涙声というわけでもなかった。
「悲しくは…無いんだ…」
ただただ無表情で、どこか痛々しい。
『……』
「というより…さっきまでこう…胸にグサッて来てたんだけど…今は痛くなくて…」
それもその筈、つい先程、黒い靄の少年は、決壊しかけた〈負の感情の封印〉を再施錠したのだから。
彼がどこか空虚なのは、自分のせいなのだからと胸に罪悪感が降り積もる。
『…そっか!』
それでも、悟られるわけにはいかないから、いつものように明るく夜樺を励ますのだ。
部屋の壁や床を霊力で覆い尽くし、机や椅子などを床に飲み込ませ、床や壁を即席のクッションにする。
『ソーラー回転~!』
「わ~!」
黒い靄の少年は、夜樺の両腕を掴んでくるくるとその場で回った。
黒い靄の少年は、シルエットこそ夜樺と変わらない低身長な子供だが、その内に筋肉量というものは存在しない。体が霊力で生成されているためだ。
顕現率80%の影
それが、現在の黒い靄の少年の体だった。
つまるところ、見た目とパワーは関係ないのである。
「きゃっははは!」
『それそれ~!』
一面が黒に覆われた、一見空っぽの教室で、黒い靄の少年と、普通の少年が笑顔で回っている。
黒い靄の少年は、夜樺の笑顔を見てほっとした。
夜樺が空虚でいる時間が短い程、自分の罪が軽くなる気がして。
「……え、何あれ。」
そんな中入ってきたのが、秋雨、直中、玲帑だった。
『…あ、先生来た。』
「わー」
やば、と言いつつくるくる回るのは止めない。
夜樺が楽しそうで、他者に迷惑をかけていないなら止める理由はない。
それが黒い靄の少年のスタンスであった。
「……えっと…教室を、霊力でコーティングするのは、止めましょう。」
『でも、コーティングしないと危ないよ?』
「教室は回って遊ぶ場所じゃないよね?」
『それがよく分からないんだ。【ここはこれをする場所であって、それをする場所じゃない】って言うのがよく分からない。近場で、誰の迷惑にもならなくて、適した場所なら使っていいでしょう?』
「あのねぇ…」
秋雨は完全に呆れ返っていた。今の発言は、他の退治師に聞かれれば、「やはり怪異は人と分かり合えないのだ!」等と難癖をつけてお祓いされかねない発言であった。
「ただでさえ人権通用しなさそうな君がその発言をするのはマズイんじゃないかな。」
どう伝えようか思案しようとすると、思案するまでもなく玲帑が直球で言った。
『どうして?』
「聞いてなかった?人権通用しなさそうだからだよ。」
少し苛立ったように、玲帑がそう返した。「察しが悪いな」と言わんばかりに。
『うん、「しなさそう」じゃなくて「しない」んだけどね。』
それに対して黒い靄の少年は、あっけらかんとそう返した。
分かっているのだ、自分が人ならざる存在であり、法律が守ってくれる存在ではないことも、
『でも、君らは俺を人のように扱うじゃん。』
目の前にいる人間たちが、すぐには自分を祓わないことも。
「…カゲは怪異でも、何か違うし…」
そうもじもじ上手く言葉にできない様子の玲帑は、情が湧いているから。
「君らって…え、私も含まれてるの?」
『うん』
「え~、困ったなぁ。怪異と人間相手するみたいに接するのは、本来御法度なんだけど…」
とか言いつつ祓ってこない秋雨は、なんだかんだ言って甘いから。(ついでに灯の元後輩だから。)
「…」
無言でいる直中は、そもそも「怪異は祓わなければならない」という感覚が薄いから。
だから黒い靄の少年は、今は警戒を解いている。
『それで、何で教室で回っちゃダメなの?』
話が戻った。
「倫理的に。」
『倫理的に…えー、もっとちゃんとした理由はー?』
またもや玲帑が返したが、端的にそう返されて、納得する子供は少ない。
倫理が何だ。そんなのただの縛りでしかないだろう。迷惑をかけていないならいいじゃないか、というのが子供の心の内である。
過ぎると周りに迷惑をかけたから何だ。自分が楽しければそれでいいじゃないか、という子供までいるわけで、ここまでくると理屈は通じないのだ。そう考えると、きちんと理屈を通せば納得してくれる黒い靄の少年は、ある意味利口な方なのだろう。
「…先生としては、明くんが落ちて怪我しないか心配だからかな。それに、教卓とか机とか…どこにやったのか知りたいな。」
『影の中。それに、落ちても怪我しないようにしてるしそもそも落とさないから大丈夫。』
もう最早何でもありだな、と秋雨は思った。
「かげくん、学校で生徒が怪我すると、先生の責任になるから先生もリスキーなことは止めたいんだろ。」
大人の事情を最低限把握した言葉であった。秋雨はすごく、ものすごく複雑な気分になった。
『あ、そっか。』
黒い靄の少年は納得して、夜樺をストン、と下ろした。秋雨はさらに複雑な気分になった。
玲帑が少し苛立った様子で口を開いた。
「叔父上が、自分の保身のためだけに注意してるかのようか口ぶりだな。それとも君は自分の保身しか考えない人間だからそんな発想になるのかな?」
「違うのか?」
今度は、夜樺の胸は痛まなかった。ただ純粋に、疑問だけが出てきた。
玲帑は、自分のキツい口調が通じていないのが分かった。というより、先程と違って自分の言葉を、攻撃ではなく、ただの音波として解析して、情報を処理されているような感覚がした。
秋雨は夜樺に全く響いていない事を察して、よく使われる方法から切り込んでみる事にした。
「…明くんのお父さん、君を怒ったことある?」
「……あったか?」
夜樺には、怒られた記憶がなかった。
『あったでしょ。知らない人にのこのこついていって、路地裏で、その…もにょもにょされそうになった時とか。』
喋っている人を自然と目で追って、現在黒い靄の少年を映していた目が、一気に夜樺を捉えた。
因みに、直中は「もにょもにょ」の意味を考えて宇宙に飛んだ。
「んなことあった?」
『あったあった』
「えー…」
恐らくとても心配したから心を鬼にして愛しの息子を想って叱ったんだろうに、怒られた側が全く覚えていないので、秋雨は灯を不憫に思った。
「…因みに明くん。もし今の言葉が本当だったとして、どうしてお父さんが怒ったか、分かる?」
「知らない人に着いていったから。」
「うん、先生もそう思う。…でもさ、どうして知らない人に着いていったらいけないのか、そこは知ってる?」
「危ねぇから」
「うん…力を持たない子供なら、そうだね。」
夜樺は漸く、違和感に気がついた。
そうだ、夜樺は普通の子とは違い、普通の子なら無事では済まない目に遭遇することはあれど、夜樺ならば難なく危機から脱する事が可能だ。まして、知らない人間に路地裏に連れ込まれた程度で、危機とはならない。
では、なぜその路地裏に着いていったと知った時怒ったのだろうか?
「……うーん…かげくん、マジでお父さん怒ってた?」
『うん。』
当時は、灯は夜樺の情緒に異常があることなど、知らなかったものだから。
因みにその後、夜樺はめちゃくちゃ泣いた。
泣いて力を暴走させた。
そこにいたのが灯でなければ死んでいただろう。
そこから様々な要因が重なり、幼い記憶と感性に見合わない負の感情を抱いている事を察した灯は、紆余曲折を経て灯と黒い靄の少年で夜樺の負の感情の大部分を封印したわけだが、封印も万全では無かった。
夜樺の負の感情を刺激すると、極低確率で暴走するものだから、そう言う時は、怒ったという記憶ごと封印して、夜樺が目覚めた後に、叱らずに「あれはやってはいけないことなんだよ」と諭すに留めている。
つまるところ、あまり夜樺の負の感情を刺激しないように灯も夜樺を厳しく叱らなくなったのだ。
それが夜樺に、灯の怒った場面という記憶が無い原因なのである。
今は憎悪と殺意に密接な感情を封じている。その中でも「悲しみ」は殺意に発展しやすいため、封印している。
めちゃくちゃ泣いて自分の喉を影で締め上げようとする夜樺(当時3歳)。
灯からすればめちゃくちゃ焦ったし、二度とやらないで欲しいため、本当に仕方なく封印するしかないのだ。
主人公が感動の死を遂げる映画を無表情無感動で見る我が子を、どういう感情で見ればいいのか、灯は未だに分からないでいる。
話を戻そう。
黒い靄の少年には、夜樺が灯に叱られた記憶を保持している。傍らで見ていたからだ。
因みに、読者の中には、「思い出させて大丈夫なの?負の感情刺激しちゃわない?」と思う方もいるかもしれないが、もう十一年前の記憶なので、『こういうことがあったんだよ』と言っても「そんなことあったっけ?」で済む。
だからこれは、負の感情の刺激にはならないのだということを説明しておく。
「…うーん…思い出せねぇな…」
首を捻る夜樺を見て、秋雨は苦笑を溢した。
『まあ、当時は弱い子供と変わらなかったからじゃない?』
秋雨が、視線でどういうことだ?と訴えた。
「…いや、影は取り憑いてるだけだから、後天的に身に付けたものだと考えれば…当然か…」
秋雨はこう考えた。
夜樺は灯に怒られた当時、まだ影が憑いていなかったのではないか、と。
しかし、実際には違う。
力は持ってても、悪いことだと分からなかったため、抵抗していなかったのだ。
必死に黒い靄の少年が、ダメだと訴えかけても、「なんで?」と質問を返すばかりで聞き入れてくれなかった。
だから黒い靄の少年に呼ばれて駆けつけた灯は、不審者をのして息子を叱りつけた。
そしたら癇癪を起こした自分の息子に殺されかけ、息子の自殺未遂に立ち会う羽目になった。全くもって不憫なことである。
まあ、言ったら説明が脱線しそうなので、黒い靄の少年は(その認識でいいや…)と思うことにした。
「うーん、困ったなぁ…明くんのお父さん、君が影を操れるようになってから、怒ったりしてくれなかったの?」
「怒られるの好きじゃねぇし、僕はそれでいいんだけど…」
秋雨は困り果てた。「先輩は、強いって分かってても君が心配だから叱ったんだよ。」と諭そうとしたのに、まさか強くなった後に怒られた記憶が無いとは。
「…あ、一個だけ思い出した!」
俯いている夜樺が、声を弾ませて言った。
「といっても、お父さんじゃないんだが…」
「…うん、それでいいよ。話してくれる?」
秋雨は、もう何でもいいから夜樺のために夜樺を叱ってくれる人間の話を聞きたかった。
しかし次の瞬間、夜樺の顔を見て、秋雨はその考えが甘かったことを知った。
顔を上げた夜樺が、口だけ笑っているのに、あまりにも目が憎悪と殺意にまみれていたから。
「同い年の子をベランダから投げた時」
『アキラ!』
黒い靄の少年が、すぐに記憶の封印に向かったのは、言うまでもない。
因みに、灯さんが夜樺を叱ったのは路地裏の件が最初で最後です。普通の子供が泣いたりするような行為って、「悲しい」を誘発して封印が解けちゃうトリガーになりかねないので、灯さんは夜樺をガミガミ叱ることは基本無いです。




