ある王族の回想 下(解答編その②)
「けれど、あの旅がなければ私達が出会うことも、こうして祝福されることもなかったんだ」
魔王を倒した勇者と聖女の婚姻を民は歓迎した。功績もあるが、それ以上に彼女の美貌が王族である私に釣り合っていたというのも大きいだろう。
結婚生活は順調だった。安全面を考慮し、フィニアには公の場以外には姿を表さないようにしてもらっているのだが、執務を終えて部屋に戻ると彼女が待ってくれているというのは実に気分がいい。
彼女たっての希望でフィニアは日中、私がいない時間帯に様々な教育を受けている。教師役も舌を巻くほどの速さでフィニアは更なる教養を身に付けていく。
美しく賢いフィニア、「殿下に私だけを見つめていただく為です」と日々励む彼女に私はますますのめり込んでいった。
私も同じ気持ちだった。子供好きな彼女の事だ、もし子供が生まれればそちらにつきっきりになってしまうだろう。それが嫌で子供ができぬよう薬で防いでいるくらいだ。
「旅の最中から、何があろうと殿下が私を妃として娶る事は確信しておりました」
罪悪感に耐えきれず、ある日、彼女に魔王退治に向かった理由を告げた。次期国王として少しでも憂いを減らすために魔王を倒したが、改めて被害を見直したところ本当は必要じゃなかったかもしれない、と。
だがそのおかげで私達は結ばれたのだと告げれば、彼女は優しい言葉を返してくれた。
そうか。彼女もこの運命を察していたのか、私の愛を信じてくれていたのか。喜びに口元が緩むのを止められそうになかった。
◇
「私はいかなる傷も病も受け付けません。殿下が憂うような事は何もないのです。ですから私を向かわせてください」
私の即位まで残り一月を切った頃だった。
辺境にて疫病が流行り始め、その事を知ったフィニアは慰問に名乗り出た。こんな余計なことを、誰が彼女に唆したのか。その不届き者には然るべき処罰を加えなければ。
本格的に中央で広まる前に食い止めるべきだ、とフィニアは訴える。確かに彼女は老衰以外で死ぬことはない。
「感染者は一人や二人じゃないんだ、君の体が持たないぞ」
「少しばかり体調を崩すだけです。休めば治りますし、それで多くの命が助かるんです。その程度でへこたれるほど、私は弱くありません」
ただ神から授かった力も万能ではない。癒やしの力は使いすぎると反動で彼女の体に負担がかかるのだ。彼女に必要のない苦しみを負わせたくはなかった。
それに彼女は美しい。例え私の妃だとしてもよからぬ企てを考える者が現れてもおかしくはないだろう。ましてや辺境の民など私達へ敬意を払うどころか、恩も礼儀も知らぬ連中なのだから。
聖女はいかなる傷にも病も負わず、寿命以外で死ぬことはない。けれど完全に害せないわけじゃない。食事を与えなければ飢えで苦しむし、無理矢理犯されることもあれば、体は傷つけられずとも精神を追い詰められる場合だってあるのだ。
「だめだ。愛する君をあんな危険な場所へ送り込むわけにはいかない。その代わりに医師団を送る、彼らは優秀だ。きっと早々に治療法を見つけてくれるさ」
「それでは到底治癒には間に合いません!救える民を見殺しにして何の為の聖女ですか!」
フィニアが声を荒げてまで自分の意見を通そうとするのは奴を探しに行こうとした時以来だった。そして彼女は随分とあの無礼な女の暴言を引きずっているようだ。あんな筋違いの発言など彼女が気に病む必要などないというのに。
慈愛深い彼女は必死で訴えかける。だが私は許す訳にはいかなかった。彼女を失ってしまうような真似だけはできない。
その上、今から辺境などに行ってしまえば彼女は即位の儀に参加できないだろう。一生に一度の私の晴れ舞台を見てもらえぬなど我慢ならなかった。
どんなに説き伏せても彼女は納得せず、私の制止を振り切ってでも辺境へと向かおうとする。
致し方ない。衛兵達に食い止めさせ、多くの監視役を付けて部屋から抜け出せないよう対処する。そして私は彼女に聖女を身ごもるよう動いた。
「……聖女を派遣しなかったとなれば、民は怒ります。民を守るべき立場でありながら力を何故振る舞わなかったのだと」
行為を終えて彼女はそう言った。彼女の心配はもっともだ。だが既に手は打ってある。
「懐妊によって代替わりしていたと民には告げている。例え聖女の力を持っていても赤子では使いこなせない」
「それはどういう事ですか」
「ああ、君は知らなかったのか。聖女が娘を身ごもった時点で、癒やしの力は腹の子に移るんだ」
「……だからといって、身ごもるのが女とは限らないでしょう」
「その為に流す情報は調整してある。神の意向を人ごときが完全に理解できるはずがない、だから力について誤った認識をすることもあれば、予想外の事が起こる事もかも知れぬと。いくらでも誤魔化しようはある」
だから何も心配はいらない。それでもまだ不安なのか、暗い顔を見せる彼女を安心させるべく私は言葉を続ける。
「それに辺境で被害を食い止めれば何も問題ないだろう?辺境の民なんて王国に関わることなど殆どない。たとえ辺境の民が死んだところで何も困らないさ」
私の即位が無事に終わってまもなく、フィニアは聖女を身ごもった。
それからしばらくして疫病も辺境付近で押さえ込む事に成功。王都を含む重要都市には何ら影響はなかった。
ただ辺境の名も知らぬ村がいくつか廃れ、病の根絶のために燃やしたらしいが、私が考えていた通り国は何も問題なく回るのだ。取るに足りない話だろう。
◇
心優しい彼女はあの僅かな犠牲にすら胸を痛めていたのか、ずっと塞ぎ込んでいた。だが懐妊がわかってからのフィニアは以前より穏やかな表情を浮かべることが多くなった。
慣れない城での生活からか、妃になってからの彼女はいつもどこか張り詰めた様子を見せていたが……。やはり子供の存在はそれだけ大きいのだろう。
「もうすぐだな」
「ええ、楽しみですね」
彼女の腹も随分大きくなった。数日後に臨月に入ると医者から聞いている。
その上で彼女は近く、私の誕生祭に参加するつもりらしい。本番のパーティは無理でも、開幕の挨拶で城のバルコニーから姿を見せるぐらいならいいだろうと。
本来ならば膨らんだ腹のせいで足下もよく見えない状況なのだから、それすらも控えるべきだが「念入りに準備してきましたし、すぐに退場しますから」とねだられ、私は彼女の願いを承諾した。
滅多にない彼女のワガママに私は逆らえなかった。ただ安全を確保する為にも通常の倍以上の護衛を用意させてもらうが、かまわないだろう。
彼女はこの国の王妃であり、次代の聖女の母でもあるのだから。
◇
誕生祭当日、フィニアの姿を一目見ようと城下には多くの民が集まっていた。
私達の登場に大きな歓声があがる。いっそう仲睦まじく見えるよう、私は彼女に寄り添った。
「陛下」
孕んだ今もなお、彼女は神々しいまでに美しい。見惚れていた私に彼女の唇がゆっくりと動く。
「陛下は私を愛してくださっていますか?」
「ああ、私はフィニアを心から愛している」
「聖女の子だからではなく、私の子供を授かった事を喜んで下さっていますか?」
「もちろんだとも。フィニア、君も同じ気持ちだろう?」
答えは分かりきっていた。その証拠に膨らみきった腹を掌で押さえながらフィニアは幸せそうに笑って。
「いいえ、まったく」
――瞬間、黄金の光が彼女の腹を貫いた。