第58話 紡がれる命
ドルガンを帝都ダルウィンに送り届けてから、再び街道を北上することおよそ二週間。
ベンゼル達はスコルティア帝国の北側に位置する街――モーレンゼの南門の前に立っていた。
「はい、確かに。では――」
「「ようこそ、モーレンゼへ!」」
通行税を納めると、若い門番達が笑顔で歓迎の言葉を掛けてくれた。
それにベンゼル達はお礼を返すと、分厚い城壁の門をくぐる。
モーレンゼはのんびりとした雰囲気の街で、街並みもそこに住まう人達も穏やかで落ち着いていることで広く知られている。
ベンゼルも幼い頃、世界史の授業でそのように習っていたが、そんなイメージはとっくに消え去っていた。
それもそのはず、魔族との戦いの際、モーレンゼは前線基地の役割を担っていた。
モーレンゼと聞いて思い出すのは、恐怖で滲んだ住民達の顔。
最前線から離脱した戦士が浮かべる苦悶の表情と、充満する血の匂い。
彼らを救うため、ふらふらになりながらも走り回る治療師達の姿。
空が闇に包まれていた頃、人々は絶望し、どの街も暗い雰囲気で包まれていたが、モーレンゼはその比ではなかった。
「おおー! ほんとにほのぼのとした雰囲気がありますね!」
それがどうだろう。
今では見違えたかのように明るく、人々の表情は柔らかい。
記憶にある悲惨な光景との対比が、改めてこの世界が平和になったことを実感させ、
「そうだな」
ベンゼルは人々と同じように、柔らかく微笑んだ。
☆
見つけた馬宿にシュライザーを預けたベンゼル達は、その後、居住区を歩いていた。
普段なら、まずは腹ごしらえをしているところだが、このモーレンゼでは何より先にやらねばならないことがあった。
「おっ、多分あれですね」
「ああ」
二人の視線の先にあったのは、巨大な石。
高さは平均的な成人男性の背丈を越えており、横幅は馬二頭分ほどもある。
近づくと、石の表面に名前らしきものが何百・何千と刻まれていた。
これは記念碑。
勇者達が魔王を討つための時間を稼ぐべく、各地からモーレンゼに集結し、魔族の侵攻を食い止めるためにここで戦い抜いた勇敢な者達を――そう英雄達を讃えるためのものだ。
ベンゼルの第二の故郷――ハーヴィーン王国の王都シャントリューゼにも同じものがあった。
それは前回、ベンゼルが子供の頃に起きた魔族の侵略にて、最終防衛線であるアブサルで戦ってくれた者達の分である。
だからこのモーレンゼにも記念碑があることは予想しており、ドルガンに聞いてみたところやはり建てられているとのことなので、到着してすぐにやってきたという訳だった。
ベンゼルは記念碑の左端に立つと、刻まれた名前を上から下に指でゆっくりなぞっていく。
一番下までいったら右の列をまた上から。
それを繰り返すこと十数分。
全ての名前に触れたベンゼルは、リディーと一緒に記念碑の中央で跪く。
そして目を閉じて、手を組むと、彼らに祈りを捧げた。
顔も知らぬ《《仲間》》達が安らかに眠れますように、と。
☆
その後、ベンゼル達は商業区に戻ってきた。
「ん-! 美味しそうな匂い!」
「さて、それじゃあどこにするか」
二人はキョロキョロと周囲を見回し、建ち並ぶ飲食店を見比べる。
そうして入る店を決めるべく話し合っている最中、先のほうでお腹が大きく膨らんだ若い女性がへたり込んでしまったのが目に入った。
ベンゼル達はハッとして、妊婦であろう女性のもとへ駆け寄る。
それと同時、女性は崩れるように横になり――
「ぐっ……ううっ!」
両手でお腹を抑えながら、顔を歪めていた。
「大丈夫ですか!?」
リディーの問いかけに返答はない。
もうその余裕すらないのだろう、苦しそうに喘ぐばかりだ。
「……産まれそうなんだな?」
ベンゼルが尋ねると、妊婦は小さく頷いた。
「わかった」
ベンゼルは立ち上がると、大きく息を吸い――
「誰か、部屋を貸してくれ! それと産婆の手配も頼む!」
異常事態に気付いて集まってきていた者達に向かって声を張り上げた。
一瞬の間を置いて、壮年の男性が手を挙げる。
「家を使ってくれ! あの青い屋根だ!」
「わかった!」
「もう引退しちゃったけど、私のお婆ちゃんが産婆だったんです! 家にいるので連れてきます!」
続いて、若い女性が申し出てくれた。
「頼む」と声を掛けると、女性は走り去っていく。
ベンゼルは妊婦に向き直ると、彼女を男性の家まで運ぶ方法を考える。
(背負うのはダメだ。じゃあ横抱きで……いや、それでも腹に負荷が掛かるのは変わらない。ならば!)
ベンゼルは近くのカフェ、その入り口で自分達を見ていた店の主人らしき男性に歩み寄る。
「すまん! 長い棒を二本と大きな布があれば貸してくれ!」
「わ、わかった。布は毛布でもいいか?」
「ああ、頼む!」
男性は店の奥の階段をのぼる。
恐らく二階が居住スペースになっているのだろう。
それから三十秒もしないうちに、彼は物差し竿を二本と毛布を持って戻ってきた。
「これでいいか?」
「ああ、恩に着る!」
ベンゼルは妊婦のもとに戻ると、棒と毛布を使って即席の担架をこしらえた。
これでお腹に負荷をかけずに運ぶことができる。
「リディーは足を」
「はい!」
ベンゼルは妊婦の頭側に立つと、その両手を掴んだ。
リディーも妊婦の足を掴んだところで、「せーの」の合図で身体を持ち上げる。
そして優しく担架の上に。
「誰か、さっきの女性が産婆を連れて戻ってきたら、あの青い屋根の家にいると伝えてもらえないか?」
「は、はい、わかりました」
女性も青い屋根の家ということは聞いていたと思うが、念のため。
「じゃあ、すまないが、家まで頼む」
「ああ、こっちだ!」
ベンゼルとリディーは担架を上げると、壮年の男性の後を追っていく。
衝撃を与えないようゆっくりと、でもできるだけ急ぎながら。
家主に鍵を開けてもらい、ベッドに妊婦を移したところで。
「じゃあ、俺は外に出ている。家の中の物は自由に使ってくれていい」
「わかった、感謝する。あ、そうだ、一つ聞きたいんだが、彼女の旦那を知ってるか?」
男性は妊婦に目を向けると、すぐに顔を横に振った。
「そうか、ありがとう」
彼は頷くと、外に出ていった。
ベンゼルはすぐにキッチンに向かうと、リディーに声を掛ける。
「よし。じゃあリディーは湯の準備を。俺は清潔な布を用意する」
「はい!」
そうしてすぐに分娩に入れるよう準備を終えたと同時、扉が勢いよく開かれた。
入ってきたのは、七十を超えているであろう老婆と、先ほど産婆を呼びにいってくれた若い女性。
つまりはこの老婆が、元産婆なのだろう。
「よし、始めるよ。旦那は手を握っててやんな」
老婆とその孫が妊婦に駆け寄る。
どうやらベンゼルが旦那だと思われているらしい。
「いや、俺は赤の他人だ。で、これからその女性の旦那を探して連れてくる」
「そうかい、ならなるべく早く頼むよ」
「ああ。リディーは旦那を連れてこられるまで、代わりに女性を励ましてやっててくれ」
そう言い残してベンゼルは家を飛び出す。
そして、先ほど妊婦が倒れたところへ戻った。
既に人だかりはなくなっているが、その場にいた人間は近くにちらほらいる。
その内の一組、露店の前で串焼きを頬張っている女性達のもとへ。
「すまん、聞きたいことがある。さっきの妊婦の旦那が誰か知らないか?」
「うーん。旦那さんかどうかはわからないけど、ケトロイさんと仲良さそうに歩いているところは見たことありますよ」
「あー! 言われてみれば確かに、一緒に居たのあの女の人だった!」
「ケトロイさんというのは?」
「南門の門番さん!」
「あの金髪の青年か?」
「そっ! あー、あたし、ケトロイさんのファンだったのになー!」
「そうか、教えてくれてありがとう」
ベンゼルは女性達に頭を下げると、すぐさま南門へ。
寄せられる視線に構わず、全速力で走ること十数分。
二時間ほど前にくぐった門を抜けて外に出ると、先ほどと同じく金髪と黒髪の青年が門番を務めていた。
「あ、さっきの」
「君がケトロイだな?」
「えっ? あ、はい、そうですけど」
「奥さんが産気づいた」
金髪の青年――ケトロイは目を見開く。
「そんな! 予定ではもう数週間は後だって……」
「あくまで予定だろう。ズレることは珍しくない。それで君の奥さんは近くの家を借りて、急遽分娩に入っている。そこまで連れていきたいんだが、俺と一緒に来れそうか?」
問うと、ケトロイは不安げに隣の青年を見る。
それを受け、もう一人の門番は力強く頷いた。
「ここは大丈夫だ。もうちょいで俺との交替で先輩が来るしな」
「ありがとうございます! 今度、何か奢ります!」
「いらねえよ。ほら、さっさと行ってやれ」
ケトロイは「はい!」と答えると、ベンゼルに向き直った。
「すみません、妻のところまで案内お願いします」
「ああ、こっちだ」
☆
ベンゼルはケトロイを連れて、青い屋根の家に戻ってきた。
中に入ると――
「頑張ってください!」
リディーがそう声をかけながら、痛みに叫ぶ妊婦の右手を両手で握っていた。
その横では、老婆と孫が妊婦の身体を支えている。
「エトリっ!」
ケトロイは妻のもとに駆け寄ると、リディーと代わった。
「他に、何か俺達にできることはあるか?」
「いんや、手伝いはもう大丈夫だ。でも、ここまで関わったんだ。どうせなら最後まで付き合いな」
「お願いします! お礼もしたいので!」
ケトロイの言葉を受け、リディーが頷いてくる。
赤子が無事産まれるところを見届けたいという気持ちがあるのだろう。
それはベンゼルにとっても同じだった。
「わかった」
ベンゼルはリディーと共に、邪魔にならないよう壁際に立つ。
「頑張れ!」
「もう少しです!」
そしてケトロイに続き、二人も妊婦に励ましの言葉を掛けていった。
☆
数時間後、出産は無事に終わった。
母子ともに健康で、レトンと名付けられた男の子は今、父の腕の中で眠りに就いている。
そんな彼を見て、ベンゼルは頬を緩めると、上を向いて目を閉じた。
思い浮かべるのはルキウス、ゼティア、フィリンナの顔。
そして記念碑に刻まれていた英雄達の名前。
このモーレンゼで新たな命が誕生できたのは、自分も含め、皆が命を賭けて魔族に立ち向かったからこそ。
ベンゼルは共に戦った仲間達に向け、心の中で言葉を送る。
(やったな、みんな)
「――よかったら、お二人も抱いてあげてください」
ケトロイの妻――エトリが笑みを向けてくる。
「え? い、いいのか?」
「もちろんです! お二人は恩人ですから! ぜひ!」
「で、では……」
ベンゼルは恐る恐る手を伸ばし、ケトロイから赤ん坊を受け取った。
「おお……!」
軍人として働いていた時、ベンゼルは頻繫に上官や部下の子供を抱かせてもらっていた。
その度に小さな命に尊さを感じ、それは今回も全く同じだった。
「ルゼフさん!」
リディーが目をキラキラさせながら、両手を伸ばしてきていた。
抱きたくて仕方がないのだろう。
「ああ。ほら、いくぞ」
ベンゼルは起こさないよう、そーっと赤ん坊を前に出し、同じくリディーもそーっと受け取る。
腕の中にすっぽり収まると同時、寝ていた赤ん坊はパチッと目を覚ました。
「あっ」
そうして響くは元気な泣き声。
「えっ!? どうしよう!?」
リディーは目を見開いてあわあわ。
「落ち着け」
声をかけながら、ベンゼルはすっと赤ん坊を受け取る。
その瞬間、彼はぴたっと泣き止んだ。
「え? まさか……」
自分が抱くと泣き出す。
その事実に気付いたリディーはガクッと項垂れた。
そんなリディーの姿に、その場にいた全員が笑い声を上げ。
家の中は幸せな空気でいっぱいだった。




