第23話(最終回):ようこそ、情報の地獄へ
王宮の地下、あの黴臭い資料室。
数年前、一人の男が「無能」の烙印を押され、追いやられたその場所は、今やこの世界の「中枢」となっていた。
整然と並ぶ膨大なファイルの山。
絶え間なく吐き出される、魔導通信の暗号記録。
かつての「ゴミ溜め」は、今や世界中のあらゆる秘密が流れ込む、巨大な情報の貯水池へと変貌を遂げている。
「……観測、終了。北方の小国での徴兵計画は、一通の『誤送された予算書』で白紙に戻りました。……平和ですね、先生」
影の中から、成長したシオンが姿を現した。
彼女は今や、大陸全土に張り巡らされた浮浪児のネットワークを束ねる、裏社会の女王だ。だが、この部屋では、かつて銀貨を恵んでくれた男の「弟子」に過ぎない。
「平和とは、情報の非対称性が生む『錯覚』に過ぎない。……均衡を保つためのコストは、年々上がっているがね」
俺——アルスは、古びた羽ペンを置き、冷めた紅茶を啜った。
「失礼するわ。……今日の『神託』の打ち合わせに来たわよ」
扉を開けて入ってきたのは、聖教団の最高権威へと登り詰めた、聖女セレスティア。
彼女が囁く一言は、今や王国の法をも動かす絶対の力を持つ。……その「神託」の内容を書いているのが、この部屋の主であることを知る者は、世界に数人しかいない。
「セレスティア。……次の『神託』は、帝国の再建支援を促す内容にしろ。……弱り切った敵を助けることで、未来の借(貸し)を作る。……それが最も効率的な防衛策だ」
「……相変わらず、情けのかけらもないのね。……でも、そんなあなただから、私は信じられる」
彼女が微笑む。
続いて、騎士団長の甲冑を鳴らして入ってきたのはリナ。そして、最新の魔導端末を抱えたミリセントだ。
「アルス。……周辺諸国の軍事動向、すべて『観測』下にある。……いつでも動けるわ」
「私の『おもちゃ』も全土に配置済みよ。……魔力を使おうとする不届き者は、一瞬で『沈黙』させてあげる!」
かつて俺が拾い上げ、牙を研がせた「欠陥品」たち。
彼女たちは今、それぞれの分野で世界の頂点に立ち、その糸をすべて、俺の指先に預けている。
「……アルス。……あなたは、いつまでここにいるつもり? ……もう、表舞台で『英雄』として迎えられてもいいはずなのに」
セレスティアが、俺の汚れた書記官のローブを寂しそうに見つめた。
俺は、窓の外……平和を享受し、何も知らずに笑う民衆の姿を眺めた。
「……ゴミを漁る者が、日の当たる場所に出る必要はない。……俺は、この暗闇から彼らの『失敗』を拾い続ける。……それが、この平和という名の虚飾を維持するための、唯一の方法だからだ」
資料室の扉が閉まる。
俺は再び、ペンを手に取った。
勝負は、剣を抜く前に決まっている。
そして、この世界という名の巨大な盤面で、俺の「観測」から逃れられる者は、一人として存在しない。
ペンが紙の上を走る、鋭い音だけが部屋に響く。
ようこそ、情報の地獄へ。
ここが、君たちが生きる世界の、真実の姿だ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
他にも物語を書いておりますので、そちらでお会いできるのを楽しみにしております。




