第20話 残虐なあなたへ⑤『ベレト』
悠は文字通り肉の盾となってアリスを守っていた。体はズタボロで血が滴り落ちていた。
アリスはどうすることもできず、ただ涙を流しながら体を震わせていた。
「アリス……大丈夫だから……」
そう言いながら悠はゆっくりと崩れ落ちていった。そこから先は真っ暗な世界だった。
※ ※ ※
悪魔召喚により現れたのは小さな猫のような悪魔だった。
「ね、猫……?」
あまりにも普通の猫に見えて悠は拍子抜けしてしまった。だが、それでもこの悪魔は危険だとわかる。本能がそう訴えている。死物狂いで戦ったガーゴイルと同等以上の圧を感じる。今にも逃げ出したいくらいだった。
猫のような悪魔は静かにこちらを見ていた。悠は目を反らすことができなかった。反らしたら間違いなくやられる。ゆっくりと魔具を構え、アリスを庇うように立つ。
猫のような悪魔はため息をつくと突然二足歩行で歩き、近くの木にもたれかかった。そして口を開く。
『なんだこの不完全な扉は……発言を赦す、我を呼び出したのは貴様か下等な人間よ』
「……え?」
『二度は言わぬ。答えれぬというなら死ね』
悪魔は指を鳴らす。すると突然悠の体に無数の傷ができた。焼けるような痛みに悠はもん絶し、倒れ込む。
『む、この程度では死なぬか。昔はこれで皆死んでいたのだがな。人間も強くなっているということか。成長に免じてもう一度だけ問おう。我を呼び出したのは貴様か?』
「……ちがう……そこに転がってるやつだ……」
悠は痛みを堪えながら答える。意思の疎通が図れる悪魔は初めてだ。悠は戸惑いを隠せないでいた。
『……なるほど、自らを贄とする召喚儀式か。昔も同じようなことをしていたアホどもがいたな。そのあたりは成長していないというわけか……忌々しい』
そう言うと猫の悪魔は自分を召喚した男の頭を踏み潰した。
『だがこの者に我を呼び出すだけの価値があるとは思えんが……なるほど、他者の魔力を取り込んだのか。人間とは面白く残念な生き物よな。なぜ喰らい合う。同じ種族であろうに。我らは貴様らは喰らっても同胞は喰らわんぞ』
ぐちゃ、ぐちゃ。悪魔は原型を留めなくなるまで踏み続けた。そもそもその小さな体で人間を踏み潰すとはどれだけの力があるのか。
『さて……話を続けよう。貴様は何だ?見たところ魔力を全く感じないが。まさかそのおもちゃで我らと戦っているのか?』
悪魔はカッカッカと笑う。
『貴様はさして脅威ではないな。そこに転がっている者、そいつは脅威だ。昔出会った人間と同じ魔力を感じる。生かしてはおけん』
そう言うと悪魔は再び指を鳴らす。悠はすぐにアリスが狙われていると気づき、アリスに覆いかぶさる。衝撃とともに悠の背中から血が吹き出した。
「があぁっ!」
アリスは悠の悲鳴で意識を取り戻した。
「い、一条君!?どうし……っ!」
アリスは猫の悪魔に気づき口をつぐんだ。
『む、起きたか人間。ならば話が早い。杖をとれ。我と戦え。そして死ね』
そう言うと猫の悪魔は何度も指を鳴らす。それに合わせるように悠がアリスの前に立ち壁となる。バスンバスンと鈍い音とともに血しぶきがアリスの顔に飛び散る。
「え」
「アリスはやらせない。やりたきゃまずは俺からやれ!」
『……ほう、なかなか肝の座った人間だな。貴様のような人間は後にも先にも一人しか知らぬ。残念なのはあの者と違って魔力を持たぬところだ。魔力があれば多少は楽しめたかもしれぬのに、残念だ』
猫の悪魔は爪を出すとヒュッと振り下ろす。悠は魔具を前に出す。するとナイフに悪魔の攻撃が当たり、弾けた。
『!』
悪魔は再び爪を振り下ろす。結果は同じだった。悠は再び魔具で防いで見せた。
『ならばこれはどうだ』
今度は両の手の爪を振り下ろす。だがそれも悠は魔具で防いでみせた。
『面白い……前言撤回だ。貴様は脅威だ。先ず貴様から排除する』
先程の攻撃が絶え間なく襲いかかる。悠は見えない攻撃を魔具で防いでいく。だが少しずつ悠の体に傷が増えていく。肉が裂け、足元に血溜まりが出来ていく。
そしてついに悠の手から魔具が弾け飛んだ。
『終わりだ』
悠はアリスを抱きしめた。アリスは悠の顔を見て驚いた。悠はすでに意識がなくなっていた。悠は意識が飛んだ状態で攻撃を防いでいたのだった。
「一条君……一条君!」
アリスはなにもできなかった。満月でないと魔術が使えない欠陥魔術師である自分が恨めしかった。ただ泣くことしかできない自分が悔しかった。
『む……』
悪魔は攻撃の手を止める。五芒星の陣が悪魔を飲み込み始めたのだ。
『そうか、この召喚は不完全だったのか。残念だがここまでか。人間、なかなか面白かったぞ。特別に我の名を教えてやる。我の名はベレト。覚えておけ。我は再びこの地に舞い降り、今度こそ貴様を殺す。それまで腕を磨いておけ』
ゆっくりと悪魔は飲まれていく。そんな中悠はうっすらと意識を取り戻した。
「アリス……大丈夫だから……」
悪魔が消えると同時に悠もゆっくりと崩れ落ちていった。
※ ※ ※
「随分と派手にやってくれたね」
オルタナが駆けつけたときには全てが終わっていた。
リーゼウスの部下は全員死亡、病院も生存者無し。ヘレナは体中に傷を作り、右腕が無くなった状態で見つかった。オルタナの応急処置によりかろうじて一命を取り留めた。悠は出血多量でショック状態に陥り、瀕死状態だった。
オルタナは一通りの処置を終えて病院の中に入る。病院は半分が爆発で崩れ落ちていた。
「悪魔が倒された痕跡がありません。おそらくどこかに逃げたかと」
「『D機関』だそうだ。アレンさんが探していた組織がようやく表に出てきた」
その名前を聞いてオルタナの表情が曇る。
「そうか……リーゼウス、この件から手を引くんだ。君には荷が重すぎる。ヘレナがやられるということは少なくとも私が出張る案件だ」
リーゼウスはその場にへたり込んだ。
「くそ……何なんだよあいつ……!」
全ての処置が終わるまで現場の空気は沈んでいた。上級魔術師が再起不能にされ、中級魔術師の部隊が全滅、該当の悪魔も倒せなかった。魔術会は本部としては前例のない大敗北であった。




