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第三章

今現在、俺はというと駅前に向かってとぼとぼと歩いている最中である。元気がないのは当然で、驚くなかれ昨日は一睡も出来なかった。その原因は勿論昨日のあれだ。メンタルの弱さに嘆きつつも、今回ばかりは大目に見てほしいというのが本音である。それに加えて。


「……何で今日はこんなに暑いんだ」


 この季節外れの陽気である。まだ四月も始まったばかりだというのに、本日の最高気温は30度を超えるらしい。休日の駅前を歩く人々は、皆四月とは思えない程薄着だ。異常気象というやつである。夏場は冷房機がないとまともに活動出来ない生態なのだが、今日ばっかりは温暖化問題を真剣に考えようと思う。

 朦朧とする頭で、昨日の出来事を今一度思い出す。

 協力関係を結んだ我々が昼飯を平らげた後まず何をしたかというと、町のお廻りさんと同じくパトロールだった。吸血鬼専門の自警団と言うのだからもっと何か特殊な事をすると勝手に考えていたのだが、それは俺の思い違いだったらしい。

 なるほど、と納得してしまった。確かにそんな古典的なやり口では、犯人に辿りつくまで相当時間はかかるだろう。加えて相手は吸血鬼である。血を吸う化け物見ませんでしたか。そんな公にはされていない存在の聞き込みはさぞ骨が折れるだろうし、そもそもそんな職務質問を投げかけていいのかも疑問である。


『……ダメに決まっているでしょう』


 あの顔は心底呆れていたのだと思う。何となくそれはわかっていたのだが、万が一があるかもしれないと聞いたのが失敗だった。協力関係になったのだ。人事評価を下げられてはこれからの活動に支障をきたしかねない。迂闊な真似は控えようと思った出来事だった。

 昼間にパトロールなんて意味があるのかと疑問に思ったのだが、彼女――吸血鬼ハンターの天羽ミヤビさん曰く、吸血鬼は日の光なんて屁でもないらしい。加えて銀も効かない、十字架もダメで、ニンニクは?何て聞いた時には随分疲れた顔をしていた。血を吸われた人間が吸血鬼になるにも特定の条件が必要になってくるらしい。そしてわざわざそんな面倒な事をするような吸血鬼も一握りしかいない為、ほとんどの人間は化け物にならずそのまま失血死するのだとか。ただし寿命は我々人間と大差なく、肉体に再生能力がある事、単に頑丈な事、人よりも遥かに優れた身体能力を持つ事以外は人と大差がないらしい。極論を言ってしまえば創作物というのは所詮創作物でしかないとの事。……一体何を参考にしたのかと文句を言いたくなる。刷り込まれたイメージというのは非常に厄介だ。

 結局、昨日はあれから日が暮れるまで件の犯人を捜し続けたのだが見事な空振りだった。こんなものよとミヤビさんは肩を叩いてくれたが、やるぞと意気込んだ矢先の空振りだったのでそれなりに気分は落ち込んでしまった。まあ、あんな綺麗な人と一日中散歩出来たのだ。男としては喜ぶべき事なのだろう。しかしだ。


「……まさかあの見てくれで、二つも年上だったとはなぁ」


 衝撃の事実だった。いや、確かに口調だとか仕草は年上のそれだ。昨日のあの落ち着いた態度も納得である。しかし身長差だけ見れば「妹さん?」と問われてもおかしくはない。肩を並べて歩くと彼女の頭は肩よりも下にあるわけで、とても年上とは思えなかったのだ。


『……そうだけど。何か』


 意外だったと言えばもう一つ。それを彼女がコンプレックスに感じているというところ。勿論彼女のような人物がそれをあからさまに気にして怒り出すだとか、下手な事は決してしない。しないのだが、もうその手の話題は出ただけで我慢がならないのか、年上だったのかと驚いただけで怖い顔をされてしまった。本当に気にしているようなので、以後は気を付けようと思う。

 そして全くの余談ではあるが、その小さい年上の女性はあのフードファイター顔負けの食事量を見事に完食した。決して早くはないペースなのに見る見る内に食べ物が消えていく様は圧巻で、それはもうステージで見るマジックショー並みに見応えがあった。下世話な話だが、この容姿であれば金がとれると思う。割と本気で。

 などと色々ありはしたのだが、昨日ほとんど眠れなかった理由はそんな風変わりなラブコメディのような展開が原因ではない。当たり前の話なのだが、彼女の語った真実とやらの方が要因としては大きい。

 彼女は唐突に表れ、この世の真実とやらを、ずっと疑いを持っていた怪物の存在を認めた。戸惑うのは当然だ。それが信じられないから、ではない。彼女の言った非現実的な真実は、俺の中ではそう現実味のない話ではない。たとえそれが常識では考えられないような事でも、自分の中の記憶と疑いがそれを否定する事を許さない。

 公式の記録は改ざんされている、とミヤビさんは暗に言っていた。それが人間側の意思によるものだとも。あの事件の捜査を担っていた親父は、一体どこまで知っていたのだろうか。親父は事件の後すぐ退職した。理由は言わなかったし、俺も聞きはしなかった。まあもっとも、当時の俺には聞く余裕などありはしなかったのだが。


「……ホント、何か関係でもあるのか」


 その内、暇がある時にでもミヤビさんに聞いてみよう。勿論そんな事まで知っているとは限らないが、何故かあの人なら知っているような気がするのだ。

 実は隣人が吸血鬼かもしれない、その隣人を狩るのが私だとか、けれど生かしておく利点もあるだとか。……その辺りの細かい事情に関しては聞いているだけで頭が痛くなってしまう。とは言え概ね受け入れてはいる。単純に、受け入れた容量が多すぎてパンクしただけなのだ。ならば電源もろとも落ちてほしいところなのだが、我が頭脳は律儀にも解析なぞを初めてしまった。意識が消え入りそうになっては再燃し、気付けば雀が鳴いていたというわけである。

 今日は休日を利用してミヤビさんと一日かけて町を探索をする予定だったのだが、前述の通りである。どうにか寝ようと試みたが失敗を繰り返し、気付けば時計は午前八時を示していた。集合時間は午前十時で、そこから寝ようものなら寝過ごすのは必至で、ミヤビさんの無表情が面白いぐらい変わるのも必然である。

 結果、まだ予定時刻まで一時間半もあるというのにこうしてとぼとぼと集合場所の公園へと歩いている訳だ。家で時間を潰そうかとも思ったが、その頃になって眠気は一気に押し寄せていた。人間、疲れがピークに達するとどこでも寝れてしまえるらしい。徹夜ぐらいなら何度か経験しているのだが、ここまで疲労感を覚えたのは初めてだった。思いの外、昨日の出来事は体に負担をかけていたようだ。

 幸か不幸かこの真夏日である。歩いている内に眠気は大分薄れ、今ではそれなりに頭も働くようになっていた。まあその代わり、はっきり言って体調が悪い。厳密に言えば軽い頭痛と吐き気に襲われている。まあしかし、探索する程度であれば問題はないだろう。俺はただの探知機なのだし。

 一つ気がかりがあるとすれば、今日はミヤビさんの仲間が一人来るというところ。昨日何時間かあの人と歩き回ってそれなりに人柄がわかったので彼女は問題ない。思っていたよりも取っ付き易い人であった。真に分かりづらいが、つぶさに観察すればあれで愛嬌もあったりする。


『一応先に言っておくけれど。無口で大柄で、少し近寄り難いかもしれない』


 けどいい人よなんてフランクに言って、彼女はその分かりづらい愛嬌を振りまく。それは彼女なりの気遣いだったのかもしれない。そういう所は律儀そうだな、と昨日一緒に行動していて感じてはいた。けれどその気遣いは何か間違っている気がするのだがどうだろうか。


「大柄で無口で近寄り難い、か」


 このコンディションでそんな厳つい人と交流を図れるのか自信がない。ばりばりに人間関係を築いている猛者ならともかく俺である。体調が万全でも心許ないのにどうしろというのか。

 ミヤビさんには悪いが、昨日のやり方ですぐに犯人が見つかるとはとても思えなかった。小さな町とはいえ、都心から遠くはないこの町の人口は五万を超える。数メートルの距離まで近づけば気付けるとはいえ、そう簡単に探し出せるとは思えない。無論その内行き着くだろうが、それは一朝一夕では有り得ない。そもそも、まだ犯人がこの町に残っていたらの話でそれなのだ。俺の特異体質があるとはいえ、途方もない話のように思える。

 不謹慎極まりないのだが、そんな中大柄で無口で近寄り難い人にどういった話題を設けたものか。本当に情けないが、そんな事すらも思い付かない木偶の棒なのだ。

 まあ、案外ミヤビさんが上手い事フォローしてくれるかもしれない。あの人にはちゃんと常識があるように思えたし、あれだけ素直に謝れる人なのだ。思いやりもあるのだろう。三人で黙りこくって町中を歩くなんて絶望的な状況を考えもしたが、さすがにそれは余計な心配かもしれない。

 一人勝手にほっとして、もう一つ心配事があった事を思い出す。何でこう悩みの種が尽きないのかと考えて、ああ只の性格だと気付く。


『三年ぐらい前からかしら。吸血鬼を一時的に人に近付ける薬物が出回り出したの。もしかしたら貴方でも、それを服用した吸血鬼は探知出来ないかもしれない』


 ミヤビさんは特殊体質の俺を歓迎しつつも、そんな懸念を口にしていた。……そこまでいくともはやSFの世界だ。吸血鬼だって似たようなものなのだろうが、その薬物とやらは少しばかり毛色が違う気がする。

 一時的にとは言え人ではない者を人に近付ける、言ってしまえば魔法のような薬。一体誰がそんな物を、何の目的で作ったのか。

 人に紛れて生きている怪物。どのような作用をもたらす薬なのかは知る由もないが、そういった者たちにとってそれは、喉から手が出る程欲しい物なのかもしれない。

 三年前と言うと俺が中学に入った辺りだろうか。あの頃から出回り出して今普及しているのだとしたら、二年前の事件以来吸血鬼を探知しなかったのも辻褄が合うと言えば合う。

 仮に、犯人がその薬を服用していたとして、その状態の犯人を探知出来るのか。答えは勿論わからない。


『……そうね。それに関しては私の方で少し考えておく』


 ミヤビさんには何か考えがあるようだったが、詳しくは話してくれなかった。何にせよ、以前そうしたようにお前は犬として探し出してくれればいい、のだそうだ。無論、そんな言い方はしていない。

 協力すると言った以上彼女の言う事には従うが、正直なところそんな薬が出回っている状況で見つけ出せるのかは疑問である。ただでさえ地道な作業だというのに、その結果何も得られないという事も十分あり得るのだ。

 何にせよ、ミヤビさんと一緒に探索しつつ、その案とやらに期待するしかない。俺には、怪物を探し出す事しか出来ないのだから。

 集合場所の公園に着いて時間を確認する。午前八時五十分。わかり切っていた事ではあるが、まだ予定の時間まで一時間以上もある。どうしたものかと首をひねって、とりあえずは公園の入り口のすぐ傍にあるベンチに腰をかけた。

 最悪。最悪である。このまま寝てしまっても、待ち合わせをすっぽかすという事にはならない。公園のベンチで寝てはいけないという条例があれば話は別だが、そんな話は聞いた事がない。案としてはこれ以上ないと思う。少なくとも睡眠は多少とれるし、体調も少しは回復するかもしれない。しかしアホ面でベンチで寝ている目付きの悪い男を、ミヤビさんが見つけるという場面を想像して冷静になった。

 仕方がないので普段より一層悪い目つきで人間観察などを始める。あの人がベンチで寝ている俺を見て、愛らしく微笑んでくれるような性格であるならまた話は別だったのだが、まあ有り得ない。熱があってもそうはならない。昨日と変わらない無表情で咳払いの一つでもした後、ため息を一度だけついて何事もなかったかのように探索を始めるに決まっている。その心中や如何に。想像しただけで吐き気が何倍にもなる。


「…これが興梠だったら」


 などと無意味に考えて、ああ普通に笑えない悪戯に走るだろうなと思い当たる。あの華のように愛らしい笑顔でろくでもない事をするに違いない。彼女の性格が誰かに似ていると思ってはいたのだが、ようやくその正体がわかった。隙あらばちょっかいをかけてくるうちの兄貴だ。

 考えていたら余計に疲れてしまったので、人間観察に戻る事にする。本当に損を作り出す性格だと思う。

 公園には様々な人がいた。その光景は平和そのもので、とても殺人事件の舞台とは思えない。ウォーキングをする老夫婦、遊具で遊ぶ小さな子供達、ベンチに腰かけスマートフォンをいじる若い女性、何をするでもなくぼーっと何かを眺めるサラリーマン。


「……週末も、仕事か」


 心の中で労いの言葉を投げかけつつ、しかしその悲壮感漂う表情に何か違ったものを感じる。あまり考えたくはないが、この時間に何をするでもなく公園にいるというのは、もしかしたらそういう事ではないか。

 よく見てみると着ているスーツはよれよれで、髪はぼさぼさ。靴もお世辞にも綺麗とは言えない。その男性からは抑えきれない負のオーラがにじみ出ていた。

 世は不景気であるらしい。学生なのであまり関心はないのだが、そういう世知辛い時代ならば、ああいった状況に陥ってしまう人も出てきてしまうのだろう。気の毒に思いつつ視線を逸らそうとして、その男性の視線がベンチに腰かける女性に向けられている事に気付く。

 どうやら彼は、ずっとベンチの女性を見ていたようだ。女性は派手な服装から推察するに仕事は水商売関係だろうか。十人に聞いたら八人は美人、というぐらいには美人だった。見惚れる気持ちもわからなくはない。けれど男性の視線と雰囲気は、どこか異質に感じた。


「……まさか、な」


 男性との距離はおおよそ30メートルといったところだろうか。ここからでは判別できない。少なくともあと10メートルは近づかなくてはならない。気のせいだとは思うが、確認しないわけにもいかない。


『吸血鬼の姿は人と同じで、油断してしまうかもしれない。けれどこれだけは忘れないで。彼らは紛れもない怪物で、ただの人では太刀打ち出来ない。生物として絶望的なまでに劣っているの。仮に私と行動していなかった時に彼らを見つけたとしても、決して一人で追おうとしないで』


 昨日の別れ際、そうミヤビさんに忠告された。無論、俺だってそんなつもりは更々ない。とにかく、あのサラリーマンに近づいて確認するだけだ。それで黒だったらミヤビさんに連絡してそれ以上の事はしない。

 さりげなく近付こうとベンチから立ち上がろうとして、男性が歩き出したのを見て慌てて踏み止まる。彼はゆっくりと、公園の入り口へと向かっていく。

 気付けば、女性もベンチから立ち上がり、入り口へ向かって――つまりこちらへ向かって歩いてきている。平静を装って、彼らが通り過ぎるのを待つ事にした。

 しかし彼らが十歩程歩いたところで――あの懐かしく、不快な感覚に襲われる。

 不自然な程荒くなる呼吸。破裂するのではと錯覚する鼓動。それらに伴う眩暈、頭痛。間違えようがない。

何て運が良くて、間が悪い。あれは――あれが、吸血鬼だ。

 二人は入り口を出てバス停へと向かっていく。見ると、バス停には今まさにバスが到着しようとしていた。

 すぐにスマートフォンを取り出してミヤビさんに電話をかける。しかし、取り込み中なのか留守電に繋ってしまう。


「もしもしミヤビさん、ギイチです。犯人かどうかはわからないですけど、吸血鬼見つけました。今若い女の人を追って三島方面のバスに乗ろうとしてます。あ!えっと、お願いですからとにかく早く折り返してくださいね」


 留守電を吹き込んでいる最中に、二人はバスに乗り込んでしまう。数秒悩んでから、バスへと向かって走り出した。


 一昨日徒歩ではあれだけしんどい思いをした坂道も、バスではあっという間だ。恐らく後十分も走れば住宅街を抜けて山に着いてしまうだろう。

 吸血鬼を追いかけて三島方面―――森の喫茶店のある方向へのバスに乗り込んでそろそろ十分程経つ。窓から見える景色からは、少しずつ家屋の数が減ってきていた。

 前の方の席に座った女性は先程のようにスマートフォンをいじっている。その様子を、吸血鬼はじっと静かに見ていた。疲れているのか、画面に夢中なのか。女性がその視線に気付く様子はない。

 不味い事になった。あれだけ忠告されたというのに、一人で追ってきてしまった。ミヤビさんに怒られるだろうなぁと見当違いな心配をする。だって簡単に想像出来るのだ。昨日のようなじと目で静かに説教を始めるあの人。…思慮の足りない浅はかな行動を、少しだけ後悔する。

 そう。白状すると、後悔は少しだけ。ミヤビさんの言う事はもっともだし、こういった状況でもなければあの人の言う事には絶対従っただろう。けれどこの行動が別段間違っているとも思えない。

 これは想像でしかない。想像でしかないが、俺が追わなかった場合あの女性はあっさり死ぬ。俺が追って何か変わるとも思えないが、追わなかった場合は確実に、何の抵抗も出来ずに死ぬのだ。

 それを見過ごすというのは出来なかった。これが最適解かどうかは別として、間違ってはいないと思う。……きっと、あいつでもこうしただろう。

 それに俺だって吸血鬼に挑もうなどと思い上がってはいない。今までに奴らの優れた身体能力とやらを見た事はない。けれどあれだけミヤビさんが口を酸っぱくして言っていたのだ。俺の手に負えるとは到底思えない。俺はただ彼らの行き先を確認して、ミヤビさん達の到着を待つだけだ。

 そう。それだけ。それだけの筈だ。

 スマートフォンを見る。まだミヤビさんから連絡はない。バス内の電光掲示板を確認すると、終点までは残り四つしかない。気付けば乗客は我々だけになっていて、もう周りには数える程しか家屋はない。

刻一刻とタイムリミットは迫っている。強い焦りと荒い呼吸、それらに伴う眩暈でどうにかなりそうだった。

唐突に、甲高い電子音が鳴る。運転手は聞きなれた平坦な声で次のバス停で止まる事をアナウンスをする。止まるバス停は三島三丁目。終点の二つ手前だ。

本当に何故、昨日もう少しでも寝る努力をしなかったのかと後悔する。風呂に入って体を温めるだとか、温かいミルクを飲むだとか。俺にはそれぐらいしか思い付かないが、もしかしたら何か変わっていたかもしれない。

けれど後悔したところで状況は変わらない。それは今更どうしようもない事なので考えるだけ無駄だ。……前向きに考えるのであれば、俺が徹夜してなければ吸血鬼は見つからなかったかもしれない。あの女性も人知れず四人目の被害者になっていたかもしれない。そう考えると、この不始末もさして悪くはないような気がする。


『後悔するのは大事な事だと思うよ。失敗は教訓となり次なる成功への糧となる、ってね』


 不意に、もう何年も前に聞いた親友の言葉を思い出す。


『ギイチの悪い所は後悔し過ぎる所。性格なんだろうけどさ、もう終わってしまった事は変えようがないじゃないか』


 煩い、仕方がないだろう。そう、返したと思う。


『そうだね。それは仕方がない。けれど後悔のし過ぎで縮こまっていたら、出来る事も出来なくなる。それって本当に勿体ないと思うんだ』


 本当にお前は何様なんだと、文句を言いたくなる。世の中の人間の大半はお前のように出来た奴ではない。失敗に怯え、幾度も思い出し、頭では駄目だとわかっていても無益な考えを繰り返す。そんな理想論を語られたところで実行に移せる奴なんて、数える程しかいないのだ。

 だからこそ、それに憧れたのだが。

 バスの速度がゆっくりと落ちていき、完全に停車する。女性と男が立ち上がるのを見てから、ゆっくりと立ち上がった。

 彼らに続いて料金を払い、降りようとしたところでスマートフォンが振動する。慌てて取り出し画面を確認する。よかった、ミヤビさんからだ。


「もしもし」


 バスから降りた彼らから目を離さないようにしつつ、少しだけ距離をとって電話に出る。


『ギイチ、貴方今どこにいるの?』


 ミヤビさんの声は張り詰めていた。……良かった。開口一番怒られると思ったのだが、声色から察するにどうやら心配してくれているようだ。


「今例の女性と男を追って三島三丁目のバス停の前にいます。とりあえず行き先は見失わないようにするんで、お願いします早く来て下さい」


 数秒の沈黙。電話越しだというのに彼女の呆れている様子がありありと目に浮かぶ。


『……いい。説教は後にする。そこなら十分…いえ、七分程で着くわ』


 良かった。それぐらいなら、まだ何とかなるかもしれない。


『それまで決してそこを動かないで』


 そう念を押され、返事をしようとした瞬間だった。女性の甲高い悲鳴が聞こえる。


『……心苦しいとは思うけれど、その場に留まって私の到着を待って』


 どうやらそれは、電話越しにも聞こえていたらしい。


『ギイチ、答えて』


 彼女は強い口調で言った。


「電話、このままにしときますね」


 それに静かに答えて通話を繋げたまま、スマートフォンをポケットにしまう。ミヤビさんが何か言っていたような気がしたが、無視した。もうあまり、猶予は残されていないだろう。

 後悔は少しだけ。過去の罪を独白し。その償いをするとしよう。


 悲鳴のした方向へ走る。相変わらずここは街路樹のカーテンで薄暗い。目を凝らすが、二人の姿は見受けられない。

 しかし、地面に落ちているスマートフォンを見つけた。あの女性のものだ。派手な装飾が施されたそれを見間違うはずがない。スマートフォンは森の喫茶店へと続くような、小さな森への入り口に落ちていた。

大通りから外れて、小さな森へと入っていく。勿論周りには人の気配などなく、森の喫茶店周辺とは違ってまるで手入れもされていない。そこでは自然こそが主役であり、人工物の存在は皆無だった。

 殺人鬼が人を殺すにはこれ以上ない、うってつけの場所だろう。

 足を速めて、気配を探る。少しして、あの不快な感覚に襲われた。

 木陰に身を隠しつつその方向へ目を向けると、森の中の少し開けた場所に彼らはいた。女性は樹木に背を預ける形でぐったりと座り込んでいて、男はそれを眺めている。


「綺麗だ」


 男が言う。しかし、女性はぐったりとしたまま答えない。この距離からは無事かどうかはわからないが、大きな外傷は見受けられない。開いた首筋にも傷らしきものはない。恐らくだが、何らかの方法で気絶させられたのだろう。

 スマートフォンの時計を確認する。まだあれから一分弱。あれだけ騒がしかった端末からは、もう何も聞こえない。きっと急いでこちらに向かってくれているのだろう。

 このまま男が女性を眺めていてくれれば助かるのだが、そう上手く事が運ぶ事はないらしい。


「本当に」


 そう言ってゆっくりと女性へと歩み寄っていき、ぐったりとしている女性に抱き着くように覆いかぶさる。


「君が悪い。君達が、悪いんだ」


 そうして。ゆっくりと、首元に顔を近付けていく。その光景は物語の中の吸血鬼そのもので――我慢出来ずに、自然と体は動き出していた。何をやっているんだと、彼女は怒るだろう。けれどこの体は、あの時あいつを助けられなかった俺は、動かずにはいられなかった。


「変態野郎」


 昔のように虚勢を張って、男へと声をかける。吸血鬼であるはずの男は驚いてこちらに振り向く。とにかく今は時間を稼ぐ。何だっていい。あの女性から気を逸らさせて、ミヤビさんが到着するまでの時間を稼ぐ。


「おっさんさ、気絶してる女にそういう事しちゃ不味いんじゃないかなぁ。そもそも何でその人、気絶してるんだろうね」


 チンピラのように横柄な口調で、男へと近付いていく。…こんなところ、今の知り合いには絶対に見られたくない。興梠とか腹抱えて笑うぞ絶対。以前は仕方がなかったとは言え、出来ればこんな事はしたくないのだ。けれど今は考え得る限りの事はしないといけない。それが今この場にいる俺の責任であり、二年前の償いだ。

まあもっとも。その辺の不良学生ならともかく、吸血鬼にそんな虚勢が通用するとは思えないのだが。


「ひっ」


 しかし、意外にも男は怯えた様子を見せる。予想外の反応で拍子抜けしてしまうが、それならそれで都合が良い。


「まあ、とにかくその人から離れようぜ」


 にっこりと、場にそぐわない笑顔を作って男を威圧する。男は怯えた表情のまま何も言わず、こちらの様子を窺っている。ただ、一向に女性から離れようとはしない。


「離れろよ」


 低い声で言って、一歩男へと近付く。


「あっ」


 すると男は手で頭を守るような動きをする。目の前の男は演技でも何でもなく、明らかに怯えていた。人間である、俺に対して。

 何だか気の毒になってきてしまった。自然と甘い考えも浮かんでくる。実はミヤビさんの言っていた事も手の込んだ冗談で、吸血鬼なんて化け物は存在しないのかもしれない。だが、仮にそうだったとしても男が女性に何らかの危害を加えたのは確かだ。彼女から引き剥がさねばならない。


「離れろって」


 一向に女性から離れようとしない男に近付いていき、背を向けたままのその肩へ手をかけ引き剥がそうとする。しかしその体は万力で固定されたように、動かなかった。

 数秒の沈黙。次いで男と視線が合う。男の安心したような、そんな表情。嫌な予感がして、咄嗟に左腕で頭部を守る。

 次の瞬間、巨大なハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 走馬燈のように、自分の身に起きている事がスローモーションに感じる。左腕で頭を守っていたというのに、頭部に相当な衝撃を受けたのか視界が暗転する。受けた左腕には感覚がなく、恐らくは折れている(・・・・・)。更に驚くべき事に足は地面に着いておらず、体はボールのように宙に浮いていた。

 背中から地面に落ちる。そこでようやく、自分が何をされたのかがわかった。俺は殴られたのだ。信じられないが、頭部をあの男に殴られただけ(・・・・・・)なのだ。


「何だ。ただの人じゃないか」


 男は安心したように言ってほっと息をつく。しかしその後すぐ、一転して顔を歪ませ怒りを露わにする。


「驚かせるなよ!執行人(・・・)かと思ったじゃないか!……僕は雁字搦めの、どうしようもない人生を捨てて、ようやく自由になったんだ。ただの人間が邪魔をするな!」


 男はそこまで言って満足したのか、俺には興味を無くしたように女性の方へ歩いていく。

起き上がらなきゃいけないのに、体が言う事を聞かない。どうやら脳震盪を起こしているようだ。気張ってみても一向に体は動かない。

 あの細い腕から、何故あんな力が出るのか。物理法則だとかそういったものがまるで感じられなかった。あの質量以上の怪力は様々な法則だとか理だとか、そういったものを無視している。何か別の力が働いているような、そんな怪奇現象めいた存在。

 わかっていた。わかっていた。わかっていたのに。何故かそんな重要な事が頭から抜け落ちていた。あれが、吸血鬼なのだ。

 ああ。一体俺は何故こんな慢心をしてしまったのだろうか。ミヤビさんに何度も忠告されたというのに、このザマだ。申し訳なさすぎて体が動くなら自分の顔を殴りつけたい。

 まあ。二度も機会があったというのに、ただの一度も誰も助けられなかった奴の末路としてはこれ以上ないぐらい最悪で、けれど物語の結末としては悪くない気がする。誰も救われなかったB級映画は、新たなヒーローの誕生と共に終わるのだ。次は上手くいくように、死んだヒーローの無念をまざまざと見せつけて。


「いや、いや」


 女性の悲鳴が聞こえるなと、他人事のように思った。意識が戻ったらしい。どうにか逃げて欲しいが、この状況では難しいだろう。町中ならまだ話は別だが、ここは人気のない森の中だ。


「大丈夫、痛くしないからね」


 男の声と共に、悲鳴がどんどん大きくなっていく。

 ……あいつも、死に際にはこうやって泣き喚いたのだろうか。あのいつも笑っているような奴でも、最後には顔を歪ませて死にたくないと願ったのだろうか。

 その光景は考えたくない。あいつは映画に出てくるような、人類を救う程の大層なヒーローではなかった。けれどそれらは子供の人助け程度ではあったが、善行と呼ばれても差し支えない行いだった。そんな奴があんな死に方をした?そんな胸糞の悪い展開は想像するだけで気分が悪くなるし、何よりどうしようもなく頭に来る。

 血が巡る感覚。焦点の合わなかった視界がいつも通りに回復する。どういった生体反応か、体は動くようになっていた。動かないのなら諦めもつくが、動くのなら最後まであがこう。

 立ち上がり、辺りを見回す。素手では駄目だ。いや、何か武器があったとしてそれで勝てるわけでもないのだが、まず素手では話にならない。あれは人間の姿をしているが、猛獣の類と大差ない。何か体術の達人ならばまた話は別なのだろうが、生憎俺はそんな卓越した技術を持ち合わせてはいない。そんなただの人が、人外の生き物に一矢報いる方法があるとしたら。それは、道具を用いた奇襲。

 しかし獣道すらうっすらしかない森の中で、それは中々見つからない。半ばわかりきっていた事だが、探さずにはいられない。

 諦め掛けたその時、きらりと光る金属を発見する。走り寄って確認すると、それは小さく細長い、先端の尖ったシャベルだった。

 誰か山菜採りにでも来て忘れたのだろうか。何にせよ、これでいい。絶望的な状況は変わらないというのに、運の良さに自然と顔がほころぶ。

 ゆっくりと、女性に覆いかぶさる男へと近付いていく。血を吸う時はそうするのか、女性の服は少しはだけていた。


「あのさあ、君に用はないんだよ。そこで大人しくしててくれないかなぁ!」


 唐突に男は怒声を挙げる。どうやらにじり寄る俺に気付いたらしい。しかし、こちらには振り向かない。


「人じゃあ僕らには勝てっこないんだ。そんな非力な腕力で殴られても痒くもないし、向かってきてもさっきみたいになるだけなんだから、無駄だよ。そこで大人しくしていなよ。そうすれば、君の方が遅く死ねるんだ」


 何て運が良い。男はこちらに背を向けて、明らかに俺を侮っている。これだけ条件が揃っていて、失敗は許されない。

 男の言葉を無視して、更に近付いていく。向こうが気付いているのなら足を忍ばせる必要もない。無遠慮に落ち葉を踏み鳴らしていく。

 そして男まで三メートルの所で止まる。男は変わらず背を向けたままだった。――この状態では(・・・・・・)、駄目だ。


「おい」


 先程のように横柄に声をかけ、地面を蹴る。そして今一度ミヤビさんの言っていた事を、思い出す。


「吸血鬼の優れている所は再生能力もそうなのだけれど、それとは別に二つある。高い身体能力と、その肉体の頑丈さよ。人間を圧倒する運動能力に加え、人の手では傷をつける事すら難しい頑強な体。仮に、人間の腕力で鋭い刃物を突き立てたとしても、彼らの体には傷一つつかないわ」


 男が振り向く。その顔は激しい怒りに満ちていた。今度は、侮りはしない。


「けれど、人と同じように吸血鬼にも脆い部分がある。肉体に決定的な差はあるけれど、同時に似通った生物でもあるの」


 男の細い腕がこちらへ伸びてくる。それを視界の端に捉えつつ、もう一歩踏み込む。そして右手を思い切り振り上げる。


「人でも武器さえ使えば簡単に傷をつけられる部位がある。それはここ(・・)よ」


 男の手がこちらに触れる前に――逆手にもったシャベルを、右目へ向かって力の限り突き立てた。

 ザクリという音。柔らかい果実を貫いたような感触。次いで、左肩への衝撃。どうやら相打ち気味に殴りつけられたらしい。体はまた先程のように、面白いぐらい宙にとんでいた。


「あぁぁぁあぁ」


 けれど先程とはまるで状況が違う。片目を失い目測を誤ったのか、殴られた場所は比較的衝撃を吸収しやすい肩。そしてその威力も先程より遥かに低い。加えて男の右目には木漏れ日に反射して光る、小さな金属が突き刺さっている。

 これ以上ないぐらい上手くいった。色々な好条件が重なった結果だったが、先程のが0点なら今回のは文句なしの100点だ。


「くそ、くそ、くそくそくそ!」


 男は半狂乱気味になって、シャベルを引き抜く。そして痛みと怒りで顔を歪ませ、こちらを睨み付ける。


「君は知らないかもしれないけれど、どうせすぐ元に戻るんだ……!こんなことをしても無駄なんだよッ!大人しくしていれば少しは生き長らえたっていうのに、君は馬鹿だよ本当!」


 目から血を流したまま、こちらへ向かってくる。

 万事休すとはこういった事か。さっきと違って足は地面に着いているし、体も動きはする。けれど左腕は相変わらず力が入らなくて、どうやら肩も外れているようで激痛に襲われている。脳震盪を起こしてすぐ動いたツケが今更やってきたのか、頭は朦朧として全身の感覚が鈍い。加えて手元にはもう武器すらない。

 結局のところ、人間が100点を叩き出してもこれなのだ。圧倒的に優れていると、彼女は言った。これが、人と吸血鬼の差なのだ。

 右目が再生するまで待ってくれはしないか。恐らくそんな考えは甘いだろう。目の前の吸血鬼は今激しく怒っている。そんな心情で、手負いの人間如き野放しにしておくはずがない。

 まあ、しかしだ。標的は女性から俺に移った。奴はもしかしたら俺に怒りの限りをぶつけて執拗に嬲るかもしれない。そうなったら、彼女が助かる可能性も出てくるかもしれない。


「僕達の邪魔をしたんだ。楽には死なせないよ」


 男が更に一歩、こちらへ近付く。やれる事はやった。正直もう体を動かすのがしんどいが、もう少しだけ足掻いてみよう。

 男の手がこちらに伸びてくる。それに身構えた瞬間だった。背後から耳をつんざく、凄まじい砲声が聞こえた。

 その音は戦争を主題にした映画で耳にする、大砲の発射音に酷似していた。


「は」


 吸血鬼の、間の抜けた声。見れば、手の届く範囲にいた男とは随分距離が空いていて、こちらに伸ばされていた手は腕もろとも無くなっていた。辛うじて残っている肩部分は何かに引き千切られたように無残な状態だった。


「貴方、自分のやっている事を恥じた方がいいと思うわ」


 聞き覚えのある声に、思わず笑みが漏れる。


「遅いですよ」


 背後から近付いてくる足音に向かって、自分は無事だと伝える為に軽口を叩く。すると何度か耳にしたため息が返ってくる。


「……よくもそんな事言えたわね。後で覚悟しなさい」


 最後に少し待っていてと付け加えて、背後から歩いてきた彼女――天羽ミヤビは俺より一歩前に出る。その手には黒い拳銃のような物が握られている。

 どさりと。安心してしまったのか、尻もちをついてしまう。情けない事この上ない。どうにか立ち上がろうとするが、足に力が入らない。

 それに気付いたのか、ミヤビさんは一度だけこちらに振り返る。その表情は険しく、眉間には皺が寄っていた。しかし何も言わずに、吸血鬼へと向き直る。何だろう。あまりの情けなさに呆れられてしまったのだろうか。


「君は……執行人か……?」


 先程もその言葉を口にしていたが、恐らく執行人というのはミヤビさん達の事なのだろう。彼女はその問いに答えず、男へと歩み寄っていく。そして手にしていた拳銃を男の眉間に突きつけた。

 それは小柄な彼女には似つかわしくない武器だった。如何な訓練を受ければ扱えるのか。それは拳銃と言うには、あまりにも大きすぎる(・・・・・)。創作物の中で見たどんな拳銃よりも大きく、無骨。銃身は彼女の手首より太く、それを片手で構える彼女の姿は、どこか現実離れしている。

 吸血鬼は自分の腕を吹き飛ばした拳銃を頭に突きつけられているというのに、怯えた様子もなくミヤビさんを見ていた。その表情に先程までの感情はなく、半開きになった口と真っすぐな瞳は、どこか無邪気な子供を連想させる。


「何て、綺麗なんだ」


 そして惚れ惚れと。心底そう思うといった様子で、呟いたのだ。


「貴方は三人を殺し、更に犯行を重ねようとした上、彼にまで危害を加えた。余地はない。最期に、何か言う事は」


 ミヤビさんは吸血鬼の言う事を無視して、引き金に指を掛けたまま問いかける。それを聞いて、吸血鬼は泣き顔のような笑顔になる。


「ずっと、我慢していたんだ」


 吸血鬼は独白を始める。ミヤビさんは微動だにせず、それを聞いていた。


「父さんの言う通り人として生きてきて、望んではいなかったけど立派に就職して。人としての人生は、成功したと思っていた」


 吸血鬼の目はどこか虚ろだ。再生能力を持つ化け物と言えども、肩口から腕を吹き飛ばされては無事では済まないらしい。


「けれど違ったんだ。人間と同様に毎日同じ事を繰り返して。ずっと我慢して、我慢して。我慢し続けて。そんな日常が、上手くいっているとは言えないだろう」


 度々声は荒げるが、もう抵抗の意思はないようだった。


「挙句に、君のような気の強い女には馬鹿にされて。こんな一生には、意味がないと思った」


 だから、最期に好きな事をして死のうと思った。吸血鬼は、確かにそう言った。

 男のやった事は命を賭しての現実逃避だったらしい。異常とも言える連続殺人の理由。……何てはた迷惑な話だろう。男は最後に、無差別な無理信中を謀った。


「……貴方がどういった人生を送ってきて、どれだけ辛い思いをしたのか。私にはそれはわからない」


 黙っていたミヤビさんが口を開く。そこに感情はなく、出会った時の機械じみた無機質さが感じられる。


「けれど殺した。貴方は人間を殺した。共存すべき相手を、何人も。そして今もまたそれを続けようとした。だから、死んでもらわないといけない」


 彼女はそう言って、巨大な拳銃を構え直す。


「ああ、わかった。君になら、殺されてもいい」


 ミヤビさんが引き金を絞ろうとする。直前、吸血鬼は何か思い付いたように口を開く。


「ただ、一つだけお願いをさせてくれ。少しだけ、後ろに下がらせてほしい」


 逃げるわけじゃないと、残っている片手を挙げて、少し後ずさる。ミヤビさんはそれを黙って見ていた。


「では、可憐な君。お願いだ」


 男が立ち止まって、芝居がかった事を言った。先程と同じく、泣き顔とも笑顔とも、どちらともとれるような顔で、目の前の彼女を見ている。今度こそ彼女は引き金を引く。大砲の発砲音のような轟音。男の頭は粉々に吹き飛んで、辺りに脳漿を撒き散らす。けれどただの一滴も、彼女にかかる事はなかった。

 それを見ていて、ただ終わったと当たり前の事を思っていた。人型の生き物の頭が吹き飛ぶというショッキングな光景を見ても、疲労と安堵のせいか不思議と何も感じなかった。ミヤビさんは死体の方向を見たまま動かない。何とか彼女の所へ行きたいが、いかんせん立ち上がれない。加えて、何だかさっきから何度も意識が遠のきそうになっている。


「あのミヤビさん。お疲れ様ですというか」


 彼女に話しかけて、意識を保とうとする。


「ギイチ」


 すると不意にとんでもなく明るい声で言って、彼女は振り向く。驚いた。すごい笑顔だ。それにとてつもない違和感を覚えて、回らない頭でその原因を必死に探る。――ああわかった。ミヤビさんの純粋な笑顔を見たのはこれが初めてだったのだ。

 その様はとんでもなく可愛い。誰が見たってそう言うだろう。さっきの吸血鬼なんて見ただけで悶え死ぬのではないだろうか。けれどその笑顔は何故かとても不穏で、よく見れば目はこれっぽっちも笑ってはいなかった。


「貴方さっき、面白い事言ってたわよね」


 もう一度聞かせて?と可愛らしく言われてしまった。うーん。色々切羽詰まっていたとはいえ、少し調子に乗り過ぎたのかもしれない。


「あのー、あれは言葉のあやと言いますか」


 必死に言い訳を考えるが、回らない頭では上手い言葉が見つからない。というか本当、そろそろ不味い。


「貴方さっき、遅いですよ、何て言ってくれたわよね。あれだけ忠告したのに先走って犯人を追いかけた人間が、確かにそう言ったわよね」


 怖い笑顔のまま、いつものように優美な足取りでこちらに迫ってくる。


「まあ、シャワーを浴びていて電話に出れなかった私にも非があると思う。結果論だけれど、彼女もああして助かってはいるし」


 いつの間にか気絶していた女性を見て、本当に良かった、それはとても素晴らしい事と胸に手を当てて修道女のように微笑む。しかしその手には未だ黒い拳銃が握られていて、昔見たコメディ映画を思い出す。


「けれど。けれどね。法定速度を無視してここまでやってきた人間に、開口一番遅いですよというのは、どこか違うと思うの」


 どうかしら、何て言って目を細めてこちらの返事を待つ。全くもってごもっとも。反論の余地なしなのだが、そろそろ限界だ。


「どうなの?納得のいく答えが欲しいわ」


 座り込んでいる俺の顔を、屈んで覗き込んでくる。もうそこで、限界だった。


「あ、すいません。もうだめです」


 言って、ゼンマイの切れた機械人形のようにバタンと地面に倒れ込む。もう目なんて見えてなくて、意識も途切れる寸前だった。


「え、あ、ちょっと!」


 珍しく慌てている声が聞こえてくる。


「貴方これ肩外れてるじゃない!怪我してるなら言いなさいよ……!」


 何故だろう。目は見えてないのに必死に介抱しようとしてあたふたしている姿が目に浮かぶ。何だかこの人そういう事出来無さそうだなぁ、なんて、他人事のように思っていた。


「終わったか」


 不意に、男の声が聞こえる。


「ええ。……結構重症。彼女と現場の保持、任せていいかしら」


 誰かに体が持ち上げられる感覚。


「どこに向かう」

「桐生の所は……やめた方が良さそう。起きた瞬間に失神しかねない。近場の救急外来のある大きな病院だと……木島病院か。あそこも物資の受け渡しはしているけれど、管理体制は雲泥の差がある。……あの老人も、少しはそういった事に気を使って欲しいのだけれど」

「それがあそこの良さでもある」

「……そう、ね。彼みたいな人からすれば地獄のようなところでしょうけど」


 どうにか会話に参加しようとするが、声は出ない。段々と意識も薄くなっていく。


「それで、どうだった」


 意識が完全に落ちようとする。最後に、ミヤビさんが得意げに物騒な事を言っているのが聞こえた。


「文句なし。断言するわ。彼は近い将来、外れた吸血鬼達にとっての死神になる」


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