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第四章

――恐らくその顔を、生涯忘れる事はないだろう。

 必死に取り繕った笑顔は見るに堪えなくて、目を逸らしたくなる。けれどそんな事は出来なくて、まるで見えない檻の中にいるようだった。

 何故彼なのか。何故あの時ああしなかったのか。何故間に合わなかったのか。頭の中でぐるぐると同じ考えを繰り返す。何度繰り返しても、同じ答えしか出てこない。

 けれどその答えを口にしても、その人はまたあの顔をするだけだった。

 不運だったと。一言で言い表すには、あの出来事は悲惨過ぎたのだ。

 無意味でも繰り返して、繰り返して。見たくはなくても目を逸らさずに、直視して。

 贖罪は永遠に。本当の英雄になれなかった者の末路としては、当然の帰結と言えた。


 がらがらと、何か音が聞こえて目が覚めた。

 体を起こして周りを見渡す。白いカーテン、白い壁、白いベッド。鼻をつく薬品の臭い。人の気配はあるのに、物静かな室内。間違えようがない。どうやらここは病院らしい。

 起き抜けの頭を必死に回転させて、記憶を遡る。――ああ、きっと気を失った俺をミヤビさんがここまで運んでくれたのだろう。

 自分の体を確認する。どうやら大きな怪我はなかったらしく、大袈裟な手当は受けていなかった。折れたと思っていた左腕にも、大きな湿布が貼られているだけだった。窓から見える空は青く、耳を澄ませば雀が鳴いていた。恐らくあれから丸一日眠ってしまっていたのだろう。

 とりあえずやる事もないのでベッドに倒れ込む。しかし、特に不調でもない体で寝るというのは思った以上に苦痛で、すぐに体を起こす。どうしたものか。スマートフォンでもあればいいのだが、辺りには見当たらないしそもそもそんなもの病院では使えないだろう。

 などと考えていると、廊下を歩く看護師さんと目が合った。


「あ」


 そんな声を上げて、二十代後半ぐらいの看護師はパタパタとどこかへ行ってしまう。何だろうと思っていると、入れ替わるように誰かが病室に入ってくる。


「おう。起きたか、ギイチ」


 目付きの悪い大柄な男だった。スーツ姿のそいつは、ベッドの横に置かれた椅子に無遠慮に座る。見慣れすぎた姿に、少し頭が痛くなる。後藤ケイジ。正義感の強い子供になって欲しいと名をつけられ、およそ二十年後、見事に警察官になった俺の兄である。


「何でここにいるんだ」


 そう訝しげに言うと、向こうも似たような口調で返す。


「そりゃこっちが聞きたいね。お前何で山とか行ってんの。何で崖からダイブしてんの」


 は?と返しそうになって寸でのところで我慢する。……そういえばミヤビさんが言っていたっけ。


「わかっているとは思うけれど、この事は他言無用よ。たとえそれが公的機関の人間であってもね。彼らの中でも一部の人間にしか知らされていない。以外に思うかもしれないけれど、私達の存在も吸血鬼と同じくらい知られていないのよ。いくらでも誤魔化しようはあるけれど、無駄手間はなるべくなら避けたい」


 要約すると「ばれると割と面倒」という事だ。ここに運んだ理由が随分間抜けな事になっているのも、恐らくそれが原因なのだろう。

つまり彼女は真実を言う事が出来ず、しかし怪我の原因を聞かれ答えない訳にもいかずに、結果そんな間抜けな嘘をついたのだ。……いや本当。仕方がなかったとは言え、もう少し他になかったものか。


「……ちょっとな。ほら俺歩くの好きだろ。せっかくの休日だし山を散策してたんだ。その際ずるっと」


 とりあえず適当に話を繕ってみるが、まいった。我ながら嘘が壊滅的に下手くそである。


「はは、なんだそりゃ」


 それを聞いた兄は心底おかしいと大笑いして。


「で、実際のところはどうなんだよ。他にはそういう事にしといてやるから、兄ちゃんにはちゃんと話せ」


 本当の事を言えと、笑顔のまま鋭い目つきをするのだった。


「崖で滑り落ちた?お前がそんなヘマするわけないだろ」


 後藤ケイジ。三年前に警察官となったこの男は、順当に出世していっているらしい。その仕事ぶりは圧巻で、同僚曰く「公務員にしておくのは勿体無い」らしい。出世の幅が決まりきっている職でなければ、若い内にもっと上の地位に就けただろうから、という理由だそうだ。もっとも、それを吹聴しているのが当の本人なのでいまいち格好がつかない。

 けれど俺はそうは思わないのだ。兄は警官だからこそ上手くやっていけるのだと思う。


「どうなんだよ。知ってるだろ、俺に嘘は通じないぞ」


 その理由がこれだ。どういった訳か、兄には嘘が判るらしい。ずっと信じられなかった。必死に化け物の存在を訴えかける子供に、困ったような笑顔を向ける、その時までは。


『そうか。そうだな。そういうのも、もしかしたらいるのかもしれないな』


 困ったように笑う顔を今でも思い出す。いるはずがないという思いと、弟は嘘をついていないという事実。今思うと、まだ同じく子供だった兄もまた、複雑な心境だったのかもしれない。


『けど、父さん達にはもう言うな。お前の言っている事は嘘じゃないと思うけど、心配するから。またその化け物を見た時は俺に言え。俺は信じてやる』


 幼いながらに理解出来たのだ。兄が気を遣ってくれているのだと。だから二年前のあの時は言わなかった。就職してすぐの兄を巻き込んで負担をかけたくはなかった。親父伝手にそれを聞いた兄は何度か話かけようとしてきたが、その頃には俺は別の事で気が参ってしまっていた。

 出来れば、兄には嘘をつきたくない。けれど本当の事を言う訳にもいかない。


『もしこの事が誰かに不用意に知れて、もしその誰かが世間に平然と吹聴するような人間だった場合、ただでは済まないと思って。これは脅しではないわ。……貴方は大丈夫でしょうけれど、一応警告しておくわ』


 兄がそんな事をするとは思えない。けれど出来れば巻き込みたくはないし、遠ざけたい事柄でもある。自分の知っている人間が吸血鬼絡みで不幸になるなんていうのは、もう二度と御免だ。


「……どうにも、新天地の生活っていうのは想像以上に負担があるらしくてさ、昨日は徹夜だったんだ。けど知り合いと反故に出来ない約束があって、無理に行った結果がこれなんだ。嘘じゃない」


 そう。それは嘘ではない。これは自分の不始末が招いた事であり、自業自得なのだ。そこに兄を巻き込むわけにはいかない。


「……ふーん。まあ所々納得はしてねーけど、そういう事にしといてやるか。お前ももう十六だもんな。秘密の一つや二つ持たしてやるよ」


 そう言って白い歯を出して笑う。これ以上言及される事はなさそうなので一安心なのだが、やっぱり細かい所が嘘だと言うのはバレているらしい。本当、一体こいつは何者なのだろうか。下手な超能力者よりよっぽど超能力者然としている。


「でもやばくなったら言えよ。いいな」


 安心しきっている所に鋭い口調で言われて、少し虚を衝かれる。


「ああ。わかったよ」


 そうなる事もそうする事も恐らくはないだろうけど、大人しく答えておく。いつまで経っても俺は弟で、こいつは兄であるらしい。気恥ずかしいが、同時に少し嬉しくもある。


「話は変わるけど、俺っていつ退院出来るとかわかる?あと俺のスマートフォンとかってどこかで預かってもらってたりする?」


 話がひと段落着いたところでとりあえず気になっていた事を聞いてみる。丸一日寝ていたという事は今日は日曜日で、明日は平日でありつまり登校日だ。例によって積極的に学校に行きたいという訳ではないのだが、入学二週目から休みというのは良くないとも思うのだ。


「目を覚ましたらもう大丈夫だろうとは先生言ってたぞ。まあでも大事をとってそこから一日は様子見て、入院した方がいいとも言ってたな」


 一日。つまり退院できるのは明日の朝か。参ったな。


「どうにか今日中に退院とか出来ないですかね」

「掛け合ってはやるけど、あんまり無茶言って先生困らすなよ」

 

兄はやれやれと言った感じで椅子から立ち上がる。


「ああ、あとスマホな。お前の服の中には入ってなかったってよ。その、お前の言う崖から滑り落ちた際に、どこかで落としたんじゃないか」


 実際には崖から滑り落ちたわけではないのだが、確かにあれだけボールの如く宙を待っていればスマートフォンの一つや二つ落とすかもしれない。これはこれで参った。ミヤビさんにお礼の電話でも入れたいのだが。公衆電話はあるだろうし、何なら兄のスマートフォンを借りれば電話はかけられるが、昨日今日知り合った人間の電話番号なんて覚えてはいない。


「まあ、見つかりそうにないならまた適当なの見繕ってやるよ。先生に会えないか聞いてくるから、ちょっと待ってろ」


 兄はそう言って病室を出て行こうとする。本当に頭が上がらない。兄貴様様で、言葉にするのは気恥ずかしくてしないが、感謝してもし切れない。

 しかし病室から出る直前、二度病室のドアがノックされる。そして止まる兄。


「あ、ごめんどくね」

「いえ、こちらこそ失礼しました」


 次いで、超聞き覚えのある声。声の主は図体の大きい兄を避けて、てくてくと俺の寝ているベッドの横へと歩み寄ってくる。どこからどう見ても、天羽ミヤビさんである。


「目、覚めたのね」


 いつもの調子でミヤビさんは言って、ここいいかしら?と断りを入れてから椅子に座る。けれど俺は何か嫌な予感がして、返事をするのも忘れて病室から一向に出て行かない兄の方を見やる。案の定兄の顔はにやついていて、その目は分度器のような形になっていてとても腹が立つ。そしてその憎たらしい顔のまま俺の顔とミヤビさんの顔を何度も交互に見つつ、再びベッドへと近付いてくる。先程の感謝は、撤回しようと思う。


「おやおや、ギイチの知り合いだったか。初めまして、ギイチの兄のケイジです」


 爽やかな笑顔でミヤビさんに握手を求める兄。それに律儀に答えるミヤビさん。


「初めまして」


 表情はいつも通りで、しかしその目は少し冷たいような気がする。憶測の域を出ないのだが、ミヤビさんは兄のような人間は苦手なのだと思う。

 兄は握手を終えると、俺にがばっとのし掛かかり首に腕を回す。一応病人の、俺にである。


「おいおいおい、何だあの超絶美少女は!どこで知り合ったんだボケ、話せ。正直に話さないとただじゃおかないぞ」


 そして兄貴なりの配慮か、少しだけ声を落として興奮気味に捲し立てる。が、残念だがそれは全く配慮になっていない。元々兄の声はとんでもなく大きい。なので恐らくミヤビさんには丸聞こえであり、とんでもなく恥ずかしい。というか今こいつは病人に握り拳を見せて脅しをかけているわけだが、肉親とはいえ警官としてそれはどうなのだろうか。


「あ?!つーかよく見たら天羽ミヤビじゃねーか!うっそだろお前!」


 そして、一人ジェットコースターのように興奮して、意外な言葉を口にする。


「……知ってんの?」

「知ってるも何も今の厚生労働大臣――我修院議員の姪御さんだぞ。まだ大臣になる前だったが、姪があまりにも好き過ぎてテレビに出た際無理やり連れてきて、顔に頬ずりをしようとして叩かれたっていう話はそれなりに有名だったろうが」


 何だそれすごい見てみたい。……じゃなくて、厚生大臣の姪だって?


「一丁目の丘の上にある大きな洋風の屋敷。噂じゃあそこに住んでるらしいけど実際のところどうなんだ?しっかし相手が国務大臣の姪とも知らずしっぽりとはなぁ」


 「純愛ですか純愛ですよ純愛ですねー」などと一人興奮する肉親。色々と気になるし聞きたい事もあるのだが、今は一刻も早くこの病室から出て行ってもらいたい。


「ああもういいから、とっとと出てってくれ。じゃないと殺すぞ」

「おう、そうだな。気が利かない兄でホントすまん」


 俺から離れ、じゃあな、とにやけ面の兄は敬礼なんぞをして病室から出て行く。勘違いの超特急と、今度からは呼ぶ事にしようと思う。

 ミヤビさんの方に目を向ける。が、何故か目が合った瞬間逸らされてしまう。それも慌てたようにである。普段の彼女からは想像もつかなく、その意外な反応に少し驚いてしまう。


「あの、本当色々とすいません。ミヤビさん嫌いですよね、ああいうタイプ」

 

本当に申し訳ない出来事なので、心から謝る。


「……そうでもないわ。友好的な人というのは苦手ではあるけれど、別段嫌いというわけではないの。今も昔も」


 少しおかしな言い回しに首を捻るが、それ以上彼女が続ける事はなかった。


「えっと、聞いていいのかわからないんですけど。厚生大臣の姪って本当ですか」


 とりあえずミヤビさんの用事を窺おうとも思ったのだが、気になっていた事がつい口から出てしまう。すると彼女はため息をつきながらも答えてくれた。


「……世間が面白がって報道するものだから事実と少しばかり違う点はあるけれど、概ね事実よ。あれは無理やり出たわけではないし、叩いたのではなく殴ったの」


 グーで、と握り拳を作って見せる。小柄な体と可憐な顔立ちで忘れがちではあるが、この人は基本そういう人なのでもう驚く事もない。


「それにしても貴方のお兄さん、よく私があの時の姪だって判ったわね。もうあれ四年も前の話よ。もしかして貴方と同じで何か特殊な能力でも持っているのかしら」


 真に興味がある、といった顔で聞かれてしまう。が、兄の嘘を見抜くという、地味に便利なとんでも能力は話してしまうと色々話がこじれそうなので、黙っておこうと思う。それと、多分そんなに成長してないからじゃないですかね、という率直な意見も墓まで持って行こうと思う。


「そんなものないですよ。ほらミヤビさん日本人離れした美人だから、それで覚えてただけじゃないですか」


 心の中の失礼な意見を飲み込みつつ言葉を探した結果、何だか余計な事を言ってしまったような気がする。いや勿論これも率直な意見ではあるのだが、異性に対してこんな事おいそれと言うものではないと思うのだ。けれど彼女がどんな反応をするのか、それはそれで興味があったりするので、恐る恐る表情を窺う。


「そうなのかしらね」


 しかしその表情は一切変わる事なく、詰まらない話題を一蹴するようなドライな反応であった。先日の慌てぶりといい、割と愛嬌のある人なので顔を赤らめたりするのでは?と淡い期待を抱いていたのだが、本当に淡い期待だったらしい。よくよく考えてみればこれだけの美人なのだ。昨日なんて連続殺人犯の吸血鬼にすら求愛ともとれる発言を何度も投げかけられているのだし、外見を褒められる事なんて日常茶飯事なのだろう。


「きっとそうですよ。それでミヤビさん、今日はお見舞いに来てくれたんですか。あ、というか病院に運んでくれたのってミヤビさんですよね」


 何だかあれこれ期待していた自分が恥ずかしくなって、矢継ぎ早に気になっていた事を聞いてみる。


「ええ。勿論今日はお見舞いも兼ねてなのだけれど」


 はいこれ、と茶色い封筒を渡される。


「何ですかこれ」

「もしかして忘れたの?貴方は慈善行為(・・・・)のつもりで手助けしようとしてくれたけれど、ある程度報酬も出すって言ったのを」


 色々あり過ぎて失念していたが、確かにそんな事を言っていた気がする。王道映画の主人公ならば報酬なんていらないと格好の良い事も言えるのだろうが、いかんせん居候の身である。兄にかかる負担は出来れば少なくしたいので、貰えるものは貰います、と返事をした。したのだが…。


「えっと、一体これいくら入ってるんですか」


 渡された茶色い封筒は結構な厚みをもっていた。この中身が全て千円札であるのなら何の違和感もなく受け取れたのだが、この人がそんな現金の渡し方をしてくるとは思えない。渡すならピン札で、全て福沢諭吉が描かれたお札に決まっている。勿論、ただの推測でしかないのだが。


「一応確認して。三十万円入っているはずだから」


 しれっととんでもない金額を言う。封筒の中身を確認すると、そこには一切皺のない福沢諭吉が群れを成しているのであった。


「あのこれ。その、率直に言って多すぎるんじゃないかと」


 正直、こんな額のお金を渡されてびびっている。いやまあ、生き死にのかかった状況に陥りはしたが、あれだって自業自得なのだ。というか本当三十万って何だ。高校生のバイトの時給っていくらくらいだ。恐らく多くても1000円ぐらいだろう。実働一時間にも満たないぞ俺。時給換算いくらだよ一体。


「……珍しく落ち着きがないわね。成程、貴方はお金に関しては臆病なのね」

「そりゃそうですよ!額がおかしいですもんこれ!」


 珍しがって分析なんぞを始めるミヤビさんについ反射的に声を荒げてしまう。すると彼女は眉を寄せて不満げな表情をする。


「馬鹿を言わないで。それでも少なすぎるぐらいよ。本来ならもっと与えられるべき。けれど貴方がまだ高校生だから、今回は少なめに見積もって一部を渡したの。残りは私が預かってるから、必要な時は言って」


 お母さんですか、と言いかけてすんでの所で飲み込む。じゃ、なくてだ。


「一部って、一体いくら貰える予定だったんですか…」

「今回の報酬はキリが良かったから、丁度百万円よ」


 恐る恐る聞く俺に、当然でしょ、と言った態度で返すミヤビさん。もはや現実感がなくて眩暈がしてきた。


「いいから大人しく受け取りなさい。貴方は報酬に見合うだけの事をやってのけたのだから。今一度自分のやった事を思い返してみて。貴方は三人を殺害した吸血鬼を探し出し、無茶をしたとは言え、奇跡的に吸血鬼から一人の被害者を救い出した。その事実を客観的に見てみなさい。それでも、高すぎると思うかしら」


 そう言われて、反論出来なくなってしまった。確かに、事実だけを見ればそこまで非現実的な額ではないのかもしれない。無論、高校生としては分不相応だとは思うが。


「説教のようになってしまったけれど、そんなつもりはないの。ただ貴方には、自分が成した事の重大さを自覚して欲しいのよ。今回その能力を以て行った事は、それだけの価値があるという事なの。私達は本当に助かったし、助かった被害者だってきっと感謝している。今回は、本当によくやってくれたわ」


 ありがとう、と見慣れない柔らかい笑顔で言われて気恥ずかしくなってしまう。何だかもう、こんなに貰えませんなんて言える雰囲気ではなくなってしまった。報酬の事は後で考えるとして、今回はミヤビさんの言う通り大人しく受け取っておこう。


「まあ、結果だけを見れば被害者も貴方も死なずに済んだ。上もそれには大満足だったわ。ええ、それはもう気持ちのいいぐらいの大絶賛。貴方をこの業界の救世主だと声を上げる者もいたし、私もそうだと思っていたわ」


 しかし一転、いつまでも眺めていたい可憐な笑顔が能面のような無表情になっていく。それに、何だかミヤビさんの言葉には抑揚が一切なくついでに妙に早口で、はっきり言って怖い。


「そう。結果だけ見れば大成功。けれど何度もああいった事を繰り返す内に、いつか貴方は間違いなく死ぬ。私言ったと思うの。私が着くまで彼らには近付くなと。どうだったかしら」


 覚えている?と問われ、ようやく事態を把握する事が出来た。さっきは褒めたがそれとこれとは話は別、今から説教だ、という事らしい。


「はい、確かに仰いました」

「では一体何故一人で追っていったのかしら」


 と、また華のような笑顔になる。しかしやっぱり目は笑っていない。すごいなぁ。同じ笑顔なのに感情表現がとても豊かだ。

 本気で怒っているというのが有り有りと伝わってきたので答えようとするが、答えに詰まってしまう。

 それは自分勝手な贖罪で、彼女には何ら関係がない。言うのは躊躇われるし、きっと理解もされない。だから、この事実は胸の奥に閉まっておく事にした。


「…助けられる人間がそこにいて、何もしないのは違うじゃないですか。今回だってまあ怪我はしましたけど、こうして生きているわけですし」


 代わりに、そんなありきたりな言葉が口から出る。けれどそれも決して虚言というわけではない。事実、俺はそうも思っている。


「その結果死んでしまうんだとしたら、俺が間抜けで能無しだったってだけですよ」


 冗談のように言って笑って見せる。


「貴方……そんな英雄的な自己犠牲が理由だって言うの?」


 すると彼女の大きな目が見開かれて、笑顔が崩れていく。痛々しいものでも見るような、そんな顔。彼女のそんな表情を見ているのは何故か苦痛で、何も返せない。


「……それが決して悪い事とは、言わないわ。けれど絶対に貴方の為にならないし、きっと貴方を知る誰もが望まない」

「そうですかね。あいつもきっと、こうしたと思うんですけど」


 彼女の悲痛な訴えにどうにか答えようとして、言うべきではない言葉が口に出てしまう。


「……あいつって、沖君の事?それは違うわ。絶対に違う。……勝手に人の過去を掘り下げるような事はしたくないけれど、二年前有名になった貴方達の過去は知っている。そのどれもが素晴らしい事だと思う。けれど今回のは違う。貴方は方法を間違っている。これじゃあまるで――」


 自殺志願者だと、彼女は小さな声で言った。

 一体ミヤビさんは何を言っているのだろう。俺は自分から死ぬ気なんて更々ないというのに。


「馬鹿言わないで下さいよ。俺は自分から死ぬ気なんてないですから」


 そうだ。死ぬ気はない。ただ、助けようとした結果死んでしまうのなら、仕方がないと思っただけなのだ。


『本当に、ギイチ君が無事でよかった』


 死ぬ気はない。ただその結果死んだのなら、もしかしたらあの人は別の顔をしてくれるんじゃないかと、思っただけなのだ。

 それだけ。それだけのはずだ。自分は決して、死にたがりな訳ではない。


「……死ぬ気がないのだとしても自ら死地に赴くのなら、結局同じ事よ。貴方は一体、どういった理由でそんな破滅的な思想に行き着いたというの」


 それを破滅的だと、彼女は言った。俺が吸血鬼を探し出すという特殊で有用な能力を持っているせいか、彼女は真摯に向き合おうとしてくれている。


「思想だなんて大したものではないです。これはただの――」


 言いかけて言葉に詰まる。本当に申し訳なく思う。これだけ真剣に向き合ってくれる人にも、答える気にはなれなかった。


「本当すいません。これ以上は、言いたくないです」


 数秒の沈黙。彼女の顔は、どこかやるせない表情をしていた。


「……わかったわ。話したくないというのなら無理に話さなくていい。けれど私の言った事は忘れないで。それでは誰も、幸福にはならないから」


 そうため息をつくように言って、彼女は椅子から立ち上がる。頭の中がもやもやとして、返事が思い付かない。


「それと、以前も言ったようにこれからも協力を請うと思う。貴方のその能力、使わない事は罪だから」


 言い様が随分辛辣で、少し笑ってしまう。けれど、彼女が和んだような雰囲気を見せる事はなかった。


「その際、今回のような事は絶対にしないと誓って。もし繰り返したら、もう貴方には頼めない」


 普段の無表情で警告する。返答に困る。絶対にそうしないと断言は出来そうにない。けれど彼女の雰囲気はとても威圧的で、ノーとは言えなかった。


「はい、努力します」


 気の抜けた返事をすると、不満げに彼女の眉が寄る。しかしそれも一瞬で、それじゃあお大事にと、身を翻し病室を出て行こうとする。しかし何かを思い出したように止まって、再度こちらに振り向いた。


「それともう一つ。これは我々から(・・・・)の報酬ではなく私個人からの報酬。落ち着いて聞いて」


 表情はそのままに。声に抑揚はなく、酷く淡泊だった。


「二年前、沖セイイチ他二名の中学生を殺したとして射殺された吸血鬼――西条アマネ。まだ憶測の域は出ないけれど――三人を殺したのは、恐らく彼女ではないわ」


 詳しく聞きたいのなら、早く怪我を治しなさい。最後にそう言って、彼女は今度こそ病室から出て行く。

 聞きたい事は山ほどあった。けれど彼女の言う憶測があまりにも突飛過ぎて、俺はただ彼女の背中を見送る事しか出来なかった。


 兄が医者に掛け合ってくれたようだが、さすがに今日中に退院というのは難しいらしい。というか翌日学校に行きたいから、何て言ったら感心されつつも怒られてしまった。大事はなかったとはいえ一日気を失っていたのだからせめてあと数日は安静にしていなさい、との事。冷静に考えてみれば確かにその通りなので、言う通りにしようと思う。仕方がない。明日一日ぐらいは休みを取ろう。

 それに休みをとれば、ミヤビさんに話を聞ける。あの突飛な話のせいで完全に失念していた。彼女にスマートフォンを無くした旨を伝えられていない。電話番号は聞けなかったので電話越しに話を聞く事は出来ないが、彼女からのコンタクトを待たずとも兄の無駄知識のお陰でどうにかなりそうだ。


「一丁目の、上の方」


 以前興味本位で住所を聞いた時、珍しくそんな大味な返事をされた。あの時はただの冗談かとも思ったのだが、彼女はそこに住んでいる事実そのものを隠したかったのかもしれない。そもそも、あの人がそんな冗談めいた事を言う時点で、少しでも不思議に思うべきだった。

 みさき市の丘の頂上には、古びた大きな洋館があるらしい。そんな噂話を随分前に聞いた。実際、そこそこ見晴らしの良い高台に行くとその洋館は簡単に見て取れる。遠目から見ても巨大なその西洋風の建物は、洋画の中に出てくる廃城を連想させる。

 天羽ミヤビはそこに住んでいるかもしれないと、兄は言っていた。情報の出所はどこだよと思いつつも、今はその噂話に感謝するしかない。当の本人のあの態度と言い、恐らく住居はあそこで間違いないだろう。ミヤビさんの事だ。あんな話題に事欠かない屋敷に住んでいる事を知られたくなかったのだと思う。

 当面の予定は立ったが、さて彼女にどう切り出すかと考える。考えているうちに自然と足が動き出し、病室を出ていた。

 当たり前だが、院内は静かだった。患者や看護師とすれ違うものの、深くお互いに干渉する事はない。考え事をするにはうってつけの場所と言えない事もなかった。

 沖セイイチ達を殺した犯人は別にいると、彼女は言った。憶測の域を出ないとも言っていたが、あの人が全くの出鱈目を言うとは思えない。何か核心をつくような理由があるのだろう。

 けれど、それはおかしいと思うのだ。俺は二年前のあの日、沖セイイチの死体の前に蹲る吸血鬼――西条アマネを目撃している。それは彼女が犯人である事の、間違えようのない証ではないのか。

 出来れば思い出したくはない、当時の光景を必死に思い出す。

 あの日。俺は拉致されたあいつを探して走り回って、人気のない倉庫の前で偶然あの感覚に襲われ、二人を発見した。泣き顔で死体を見つめる吸血鬼に憎悪を抱きながら親父に連絡し、結果奴は警官達に無残に射殺された。

 そこで、何かおかしいと気付く。当時はそんな事は思わなかった。いや、正確に言えばそんな余裕がなかったのかもしれない。

 西条アマネは、死体を見て泣いていた?何故、自らが殺した死体を見て泣いていたのだ?

 いや、もっとおかしな点がある。希薄になった記憶の中に、違和感のある場面がある。あの時。二人を見つけた時。俺と西条アマネは、目が合って│(・・・・・)いる。奴は警官が来るずっと前に、確かに俺の存在に気付いていた。

 何故、逃げなかったのか。何故、殺さなかったのか。不可解な点は尽きない。けれど。

――彼女がもし、沖セイイチを殺していないのだとしたら?

 全ての辻褄は合う、ような気がする。少なくとも不可解な点の説明はつく。

 しかしだとしたら、西条アマネは犯人ではないというのは本当なのか。一体誰がセイイチ達を殺したのか。そしてその真犯人はまだ生きているのか。

 何度か考えて、どうやったって一人では結論が出ない事に気付く。そうだ。一人で考えていても仕方がない。ミヤビさんが報酬と言って話してくれた以上、協力的な姿勢はとってくれるだろう。明日会って詳しい話を聞けばいい。

 一人納得して、談話室のソファーに座る。意外な事に、周りには同い年ぐらいの患者がちらほら見受けられた。病院というともっと老人だらけのイメージだったのだが、少なくともこの階はそうではなかった。それとも若い患者をこの階に集めているのだろうか。どういった理由かまでは推し測りかねるが、何となくそんな気がした。

 ふと視線を感じて振り向く。

 そこには眼鏡をかけた、同い年ぐらいの少女が立っていた。彼女は体調が優れないのか顔色が悪く、その目もどこか虚ろだ。大きな黒縁の眼鏡で分かりづらいが顔立ちは整っていて、透き通るような白い肌は息を呑むほど綺麗だった。彼女はその虚ろな目で、じっとこちらを見ている。

 その顔に、見覚えがあるような気がした。けれど一向に思い出せない。

 唐突に、彼女は興味を無くしたようにどこかへ行ってしまう。結局、知り合いだったのかどうかすら、判断がつくことはなかった。もやもやする気持ちを晴らす為に、窓から外の様子を眺める。

談話室の小さな窓から見える風景は、どこか見覚えがある。数瞬して、そこが以前まで住んでいた金井市だった事に気付く。

 外とは違って、院内には病院の名など大体的に記されてはいない。正直、色々あってどこの病院に入院したのか何て気にしている余裕がなかった。しかしようやくここがどこだか判った。金井市にある大きな病院は一つしかない。ここはつまり、木島病院なのだろう。

 最近その名をどこかで聞いた気がする。少しして思い出した。あれは確か、魔法のような薬の話だった。


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