エピローグ
四月十五日土曜日。本日の空模様は呆れるぐらいの晴天である。燦々と輝く太陽は眼下の人間を容赦なくジリジリと照らしていた。季節外れの陽気に、すれ違った少年達が愚痴を吐いていた。
「……確かにこれは」
大分暑い。家を出た時はそれ程でもなかったのだが、正午を過ぎてから気温は一気に上がった。長袖のシャツは失敗だったかもしれない。辺りを見渡せばやっぱり皆長袖で、この陽気による被害者は随分な規模になるだろう。
駅に入って、改札をくぐる。人はあまりいない。土曜日の昼過ぎだ。当然と言えば当然だった。
ホームへと続く階段を降りていると、電車の音が聞こえてくる。慌てて駆け下りていくと、ちょうど目的地へと向かう電車が着いた所だった。はぁ。本当に、いい加減新しいスマホを買わないと。電車の時間を確認するのも一苦労だ。ミヤビさんから受け取った先代はオブジェとしては中々に見応えがあったが、使えなければ携帯電話としてはゴミでしかない。さっさと電話会社に回収してもらって希少金属のリサイクル及びリユースに貢献しよう。
電車に乗って、ドアが閉まる。車体はゆっくりと加速していき、慣性の法則に少しだけ体を引っ張られる。周りにはほとんど人がいない。ごくごく平和で、それは何もない日常そのものだった。
木島リカの死から三日が経った。あれからミヤビさんとは会っていないが、先日自宅に電話があった。やっぱりあの件は全くの不問という訳ではないようで、それなりに時間を割かれているようだ。例によってああいう人なので「真摯に受け止める」と、特に不満もなさそうなのだが。
木島理事長はあの後事情聴取的なものを受けたらしい。結果結構な黒と判断され、身柄を拘束されたようだ。これから短くはない期間刑務所に入るらしい。罪状はどういったものになるのか気になって聞いてみた所、「それなりのものを捏造」という返答が返ってきた。割と物騒な発言だと思うのだが、吸血鬼関連の事件という秘匿性の高いものなのだから仕方がないのかもしれない。吸血鬼専用の刑務所に入れる訳にもいかないだろうし。
それに伴う形で西条アマネの殺人容疑もおおよそ晴れたという。容疑というか殺人犯と断定されていたのだが、それも木島リカの一件で見直される事になった。近いうち彼女の無実は証明されるらしい。
何故西条アマネはあの時、沖セイイチの死体の前から立ち去らなかったのか。真相はわからない。けれどミヤビさんが心当たりがあると言って話してくれた。あくまで推論だと、付け加えてはいたが。
彼女にはセイイチと同い年の息子がいたらしい。しかし随分前にその息子は過激な思想に取り憑かれてしまい、執行者に討たれたという。過激な思想、というのは恐らく木島リカの実の両親と似たようなものなのだろう。珍しくはないと言っていたが、西条アマネの息子もまた、そうであったらしい。息子の死後、夫は蒸発。彼女は一人ひっそりと生きていたという。
しかしそれだけでは納得出来ない。そう首をかしげる俺に、彼女は言い淀みながらもこう告げた。
何でも、その息子とセイイチは瓜二つだったのだそうだ。「こんな非現実的な事言いたくないけれど……まるでドッペルゲンガー」と、吸血鬼である彼女は言っていた。彼女はそんな事を言うような人物でないのはわかっている。つまりよっぽどその二人が似ていたという事になる。そんな事があるのかと疑問に思って、つい先日似たような事をどこぞの同級生に言われた事を思い出す。そんな事も、割とあるのかもしれない。
であれば、そこまで不思議な事でもないのかもしれない。西条アマネは赤の他人であるセイイチの死体を見て、息子に面影を重ねたのかもしれない。それでもやはり不可解ではある。知り合いでもない人間の死体を偶然見つけて、息子に似ていたからと言ってその場にとどまるだろうか。何か理由があったのかもしれないが、それを確かめる術はもうない。
西条アマネの死は自分にも責任があると思う。会話の終わり際、不意に罪悪感に襲われそう呟いた俺に、彼女がどういった反応をしたかは言うまでもないだろう。
彼女の前でははっきりと言わなかったが、今回の結末は酷いものだった。それは二年前の事件も含めての話だ。まるでアマチュア作家の書いたミステリー小説並に酷い最後だ。ほとんどの人間が不幸になるなんて、三流もいいところである。
吸血鬼の彼女は人として生きたいと願った。願いは叶った。けれど尽く上手くいかなかった。
不器用な彼は妻を助けようと奔走した。願いは叶わなかった。本来目を向けるべき者を、最後には失ってしまった。
息子を失った彼女はただひっそりと生きていたかった。息子に似た少年の死体を見たまま、無実の罪で撃ち殺されてしまった。
善行を繰り返してきた彼はどうだっただろう。運悪く殺害現場を目撃してしまい、吸血鬼に殺されてしまった。
色々な思いが錯綜し、結果全員が不幸になってしまった。全部を避けられたとは思えない。きっと全てを避けるのは難しい。けれど彼女はその全てを無くすべく奔走を始めるという。俺はそれに当然のように手を貸す。
それは、最初は沖セイイチの遺志だった。その次は、好きになった彼女を助けたかった。けれど今は、もっと別の感情がある。
あの結末にはただただ納得がいかなかった。もっと別の、誰も不幸にならない最後にしたかった。俺は悲劇を俯瞰して、その悲劇に我慢がならなくなってしまったのだ。
だから彼女にはこれまで以上に協力しようと思う。俺も彼女も神様にはなれない。けれど出来る限りの事はしようと思う。辛いかもしれないと言っていたが、望む所だ。隣にあの人がいてくれるのなら、大抵の事は耐えられる。
一人考え耽っていると、車掌が駅名をアナウンスする。金井駅。俺がこれから向かおうとしている所だ。
悲劇の節目はとうに過ぎている。二年前の事件について語るべき事はもうほとんどないだろう。けれど最後に、俺にはやらなければならない事がある。
インターフォンを押すと、女の人の声が返ってくる。ちゃんと気構えをしてから来たというのに、やはり少し緊張してしまう。しかし体に震えはない。あの人がどんな顔をしても、きっともう大丈夫だろう。
「……ギイチ君。来てくれたの」
玄関扉を開けて出てきたその人は、笑っていた。そこに翳りは微塵もない。あれから二年も経っているせいか。それとも、元々そうだったのか。それはもうわからない。
「こんなに遅くなってしまって、すいませんでした。…お線香、あげさせてもらってもいいですか」
「勿論よ……!さあ上がって!きっとあの子も、喜ぶわ」
本当に嬉しそうに笑っていて、少し安心する。俺はその人について、家の中に入っていった。
何度ここへ来ただろう。どれだけここで遊んだだろう。あれからどれくらいここへ来ていなかっただろう。何も変わっていなかった。隣にあいつがいない事以外は、昔のままだった。
「随分背が伸びたわね。あの子身長が低かったから、嫉妬してしまうかもしれないわね」
「伸びているのは体ばかりですよ」
仏壇は居間の隣の部屋にあった。そこの中心には、見覚えのある奴の遺影が置かれている。
「飲み物を持ってくるから、ちょっと待っててね。――ああ、あとこれ。もしよかったら読んでみて」
いたずらっぽく笑いながら何かを渡して、部屋を出て行く。それは一冊のノートだった。表紙には何も書いていない。何だろうと表紙を捲ってみる。
「うわ。日記なんか書いてやがる」
少し全身がムズ痒くなる。しかし、あいつはこういう人間なのだ。人が恥ずかしいと言うような事を恥ずかしげもなくやってしまう。仮に俺なんかが書いていたりしたらいい笑い者だろう。少なくとも兄と興梠は腹を抱えて笑うに違いない。
故人のプライバシーを覗き見て良いものか、少し迷う。しかし実の親の許しがあるのだ。それに正直に言えば先程から中身が気になって仕方ない。読んでしまおう。恨み言は、いつか聞いてやる。
そこには本当に取り留めのない事が書いてあった。一日の出来事であったり、その時思った事であったり。当たり前の話なのだが、それはあいつの日記でしかなかった。そこには何度も俺が登場してきて、先ほどとは違ったムズ痒さを感じる。
パラパラとページを捲っていくと、後半部分が真っさらな事に気付く。こういった事を途中で投げ出してしまうような奴ではない。不思議に思って、日記が書かれている最後のページを探す。
そのページを見て納得した。これは、あいつが死ぬ前日に書いたものだ。気付けば俺は文字を追っていた。そこにはこう書かれていた。
今日助けた人に、息子にそっくりだと言われた。写真を見せてもらうと、確かにそっくりで驚いた。ドッペルゲンガーって程じゃないけれど、親でもなければ見分けがつかないと思う。お礼に今度何かご馳走してくれるらしい。断ろうとしたけれど、散々押し問答した挙句「じゃあこれも人助けだと思って」なんて言われてしまった。少し弱ってしまってけれど、頷くとその人はとても嬉しそうに笑ってくれた。だから俺は満足だ。それにこれだけ強引に誘ってくるのだ。きっと料理も美味しいに違いない。いつになるかはわからないけれど、楽しみにしておこうと思う。
自然と顔が綻んでしまう。そうだ。こいつはそういう奴だった。不思議に思うような事なんてない。あいつはいつだって幸福を振り撒いて、周りの誰からも愛されていたのだ。別段不思議な事では、なかったのだ。
「こんなものしかないけれど……」
飲み物とお菓子をのせたおぼんを持って、その人は戻ってくる。お構いなくと答えて、親友の日記を閉じた。




