第二十六話「中都陥落」
中都。金朝の首都。
城壁の高さは七丈(約二十一メートル)。西夏の城壁の倍近い。壁の厚さは四丈(約十二メートル)。日干し煉瓦ではなく、版築と石積みの併用だ。水では溶けない。
城壁の周囲は約三十キロ。四方に巨大な門があり、門の上には三層の楼閣がそびえている。壁の上には弩砲——台座に据えた大型の弩が等間隔に配置され、五百歩先まで鉄の矢を飛ばす。
城壁の外には、幅十丈(約三十メートル)の堀が巡らされている。水が満たされていて、馬では渡れない。
城内の人口は百万を超える。守備兵は三万。食料の備蓄は一年分以上。
これが、金朝の首都だった。
俺はその城壁を、三キロ離れた丘の上から見つめていた。
「でかいな」
ボオルチュが呟いた。
ウーラハイの城壁を初めて見た時と同じ台詞だ。だが今回のスケールは桁が違う。
「でかい。でも——壁は壁だ。壊す方法はある」
中都の攻囲は、一二一三年の冬に始まった。
まず周辺の城市を先に落とした。中都への補給路を全て断つためだ。北、東、西の三方向から進軍し、中都に食料を運ぶ街道を一本ずつ遮断していった。
中都だけが、孤立した島のように残った。
十万の軍で城市を完全に包囲した。ムカリの中央軍が南面を、カサルが東面を、ボオルチュが西面を、ジェベの別働隊が北面を押さえた。
包囲しながら、攻城兵器を組み立てた。
対重式投石機は最終的に十二基が完成した。劉仲禄が設計した最大のものは、三百キロの石を五百歩先まで飛ばせる。腕木の長さだけで十メートルを超える巨大な構造物だ。組み立てには百人が三日がかりで取り組んだ。
火箭の一斉発射架台が十二基。震天雷は五百個を備蓄。弩の部隊三千。
攻城兵器を並べた陣地は、それ自体が一つの城のようだった。
攻撃は三段階で行った。
第一段階。投石機による城壁への集中砲撃。
十二基の投石機を城壁の一面に集中配置した。東面の壁を選んだ。理由は、チラウンの斥候が調べた情報で、東面の壁が他の面より古く、修繕が追いついていなかったからだ。
夜明けと同時に、十二基が一斉に石を放った。
轟音が連続した。百五十キロから三百キロの石が、空を渡って城壁に激突する。石が壁に当たると、版築の表面が砕けて破片が飛び散る。一発で壁が崩れるわけではない。だが、同じ場所に何発も撃ち込めば——
一日目。東面の城壁に、ひび(亀裂)が入った。
二日目。亀裂が広がった。壁の表面が剥がれ始めた。
三日目。城壁の上部が崩れ、瓦礫が堀に落ちた。
守備側も黙ってはいなかった。弩砲が投石機を狙って矢を放つ。鉄の矢が投石機の腕木に突き刺さり、操作していた兵が何人か倒れた。投石機一基が弩砲の集中射撃で破壊された。
だが残りの十一基が撃ち続けた。壊された一基は、劉仲禄が一晩で修理した。
「壁の修理より、投石機の修理のほうが速い。これは時間の勝負です。あちらが壁を直すより速く壊せば、いずれ穴が開く」
劉仲禄の分析は正しかった。
第二段階。火箭と震天雷による城内への攻撃。
投石機が壁を叩いている間、別の部隊が火箭を城壁の向こうに撃ち込んだ。
火箭は壁を越えて、城内に落ちた。煙を引いて飛ぶ火の矢が、城内の建物の屋根に突き刺さる。木と紙でできた建物が燃え上がった。
城内に火災が発生した。
守備兵が消火に走る。消火に人手を取られれば、壁の守りが薄くなる。壁の守りが薄くなれば、投石機の砲撃が通りやすくなる。
震天雷は堀を渡って壁の根元に運ばせた。少数の決死隊が夜間に堀を泳いで渡り、壁の基礎に震天雷を仕掛けて戻ってくる。
爆発音が闇夜に響いた。壁の根元に穴が開いた。小さな穴だが、投石機の砲撃で弱っていた壁の構造に、致命的なダメージを与えた。
七日目の朝、東面の城壁が大きく崩れた。
幅二十歩の突破口が開いた。
第三段階。突入。
だが、突破口を開いても、すぐには突入しなかった。
金朝の守備兵は、突破口の内側に急造の防壁を築いていた。瓦礫と土嚢を積み上げて、第二の壁を作っている。突破口に突入すれば、その急造防壁の前で弩の集中射撃を浴びる。罠だ。
「正面から入るな」
俺は命じた。
「東面の突破口は囮にしろ。敵が東面に兵を集めている間に、南面を叩く」
投石機六基を一晩で移動させた。牛車に分解して載せ、夜間に南面に運ぶ。朝になって金朝の守備兵が気づいた時には、南面の壁に石が飛び始めていた。
東面に兵を集中させていた守備側は、慌てて南面に兵を回した。だが城壁の上を三十キロ移動するのは時間がかかる。その間に南面の壁にも亀裂が入った。
東と南、二箇所の突破口。守備兵は二方向に分散せざるを得ない。
ここでムカリが突入した。
ムカリの精鋭二千が、南面の突破口から城内に突入した。急造防壁はまだ完成していなかった。防御が整う前に突き破った。
城内に入ったモンゴル兵は、市街戦を避けた。騎馬で狭い通りを走るのは不利だ。代わりに、城門の内側を制圧して門を開けた。
南門が開いた瞬間、外で待機していたカサルの弓隊五千が門から殺到した。
城内の守備は崩壊した。
中都が落ちた。
だが、金朝の皇帝はすでにいなかった。
攻囲が始まって半年後、金朝の宣宗皇帝は中都を捨てて南の開封に逃げていた。首都を放棄したのだ。
残された守備兵と民は、皇帝に見捨てられた。
俺は城の外に立って、中都の城壁を見上げた。
あの巨大な壁。七丈の高さ。四丈の厚さ。百万の民を守るはずだった壁。
壁は、半分が崩れていた。投石機の石で砕かれ、震天雷で穴を開けられ、火箭の火で焼かれた壁。
壊した。
草原には壁がなかった俺たちが、金朝の技術を学び、金朝の技術者に作らせた兵器で、金朝の壁を壊した。
中都攻囲戦の戦果を記す。
攻囲期間は約一年。モンゴル軍の戦死は三千二百。その大半は攻城戦中の弩砲や煮え油による損害だった。負傷は五千以上。
金朝の守備兵三万のうち、戦死一万二千。投降一万五千。残りは逃亡。
城内の被害は甚大だった。火箭による火災で市街の三分の一が焼失。投石機の石で壊された建物は数知れない。
鹵獲。金朝の首都に蓄積されていた財宝、絹、銀、鉄器、書物、そして——さらなる技術者たち。対重式投石機の改良型を知る者。弩砲の設計者。橋を架ける工兵。地図を描く測量士。
全員を吸収した。
だが俺は、中都に入らなかった。
ムカリが不思議そうな顔で聞いた。
「入らないのですか。金朝の首都ですよ。天下に号令するための玉座がある」
「玉座はいらない」
「しかし——」
「ムカリ。俺は草原の男だ。石の壁の中に住むようにはできていない。天井が低くて息が詰まる。地面が石で固くて馬が走れない。あんな場所で暮らしたら、三日で気が狂う」
半分は冗談だ。だが半分は本気だった。
俺の居場所は草原だ。ゲルの中で寝て、馬の背で生きて、テンゲリの下で死ぬ。それがモンゴルの男だ。城壁の中に座って命令を出す王は、俺の性分に合わない。
「中都はおまえに任せる」
「私に?」
「おまえを金朝方面の総司令官とする。モンゴル軍の左翼万人隊長であると同時に、中国北方の統治を全面的に委任する。おまえの判断で動け。俺にいちいち許可を取る必要はない」
ムカリの目が見開かれた。
これは破格の権限だ。草原の伝統では、ハンが全てを決める。部下に統治を丸ごと委任するなどありえない。
だが、中都からモンゴル本国までは数千キロある。伝令が走っても何日もかかる。そのたびに俺の許可を待っていたら、判断が遅れて戦機を逃す。
現場の判断は現場に任せる。十進法の原理と同じだ。十人隊長に十人を任せ、百人隊長に百人を任せるように、ムカリに中国北方を任せる。
「ムカリ。おまえを信じている。行け」
ムカリは黙って頭を下げた。無口な男の目が、わずかに潤んでいた。
草原に帰る道すがら、ジョチのことを考えていた。
ジョチは中都攻囲戦で別動隊を率い、周辺の城市をいくつか落としていた。戦果は十分だ。指揮官としての能力も申し分ない。兵からの信望も厚い。
だが問題は、チャガタイだった。
中都が落ちた祝宴の席で、チャガタイが酒に酔って言った。
「兄上の武功は見事だ。だが——兄上の血が本物かどうかは、別の話だがな」
周囲が凍った。
ジョチの顔から表情が消えた。立ち上がって、チャガタイの胸ぐらを掴んだ。
「もう一度言ってみろ」
「何度でも言ってやる。メルキトの——」
俺が割って入った。二人の間に体を入れて、引き離した。
「やめろ。二人とも」
チャガタイは酔った目で俺を見た。
「父上。いつまでこの茶番を続けるんですか。みんな知ってるんですよ。兄上が——」
「黙れ」
俺の声が、ゲルの中に響いた。低い声だった。怒りの声だった。
チャガタイは黙った。酔いが醒めた顔をしていた。
ジョチは何も言わず、ゲルを出ていった。
その背中を見ながら、俺は思った。
ボルテの言葉を思い出した。「この子はいつか、おまえの名を背負って生きていくんだよ」。
ジョチは俺の名を背負って、戦場で血を流して、手柄を立てた。それでも——出自の噂は消えない。どれだけ武功を立てても、「本当の息子か」と問われ続ける。
俺にはその問いに答える術がない。「俺の子だ」と宣言しても、チャガタイのような人間は納得しない。
ジョチ。おまえの痛みは、俺にはわからない。わかると言えば嘘になる。
ただ——おまえは俺の長男だ。それだけは変わらない。
モンゴルの草原に帰った。
久しぶりの草原は、何も変わっていなかった。風が吹いて、草がなびいて、空が青い。金朝の城壁も、投石機の轟音も、火薬の匂いも、ここにはない。
ゲルの天窓から、蒼い空が見えた。
壁を壊した。金朝の首都を落とした。だが金朝は滅んでいない。皇帝は南に逃げた。まだ広大な領土と兵力を持っている。ムカリが片づけてくれるだろうが、時間はかかる。
その間に——西を見る必要がある。
シルクロードを通じて、商人たちが新しい情報を持ってくるようになっていた。西の果てに、もう一つの巨大な帝国があるという。ホラズム。ペルシアの地を支配する、豊かで強大な国。
ボルテが茶を淹れてくれた。
「おかえり」
「ただいま」
「中都、入らなかったんだって?」
「入らなかった。あんな石の箱の中で暮らすのは無理だ」
「でしょうね。おまえはゲルじゃないと眠れない人だから」
ボルテが笑った。
「次はどこに行くの」
「……西だ」
「西。シルクロードの先?」
「ああ。ホラズムという国がある。商人たちが言うには、金朝に匹敵する大国らしい」
「また壁があるの?」
「たぶん、ある。もっと硬い壁が」
「また壊すの?」
「壊さなきゃ通れないなら、壊す」
ボルテはため息をついた。
「おまえは本当に——止まらないね」
「テンゲリが止めろと言うまで」
「テンゲリは何も言わないんでしょ」
「ああ。だから止まらない」
ボルテは俺の手を握った。
「じゃあ私も止まらない。おまえの隣で」
俺はボルテの手を握り返した。
窓の外に、草原の風が吹いていた。西から吹く風。シルクロードの向こう、まだ見ぬ世界からの風。
その風の先に、何があるのか。
まだ知らない。でも——行く。




