127話 誘き出す
俺はセキカの報告を信じられない思いで聞いていた。だが、手渡せれた兵糧の配置を描いた地図を見て愕然とした。こんなものは地図にしない。明らかに夏に情報を流す為に描かれたものであった。
「まさか...カイオンが間者だったなんて...」
カイオンと戦ったセキカの姿が全てを物語っていた。毛布の下には、ぼろぼろになった衣服に泥だらけの素肌が覗いていた。セキカほどの手練れを追い詰めるほどの実力を、誰にも悟られることなく隠しもっていたのだ。
「俺はいったい何を信じたらいいのだ...」
勘が鈍っている。カクレンは長沙に向かっていると思い出撃したせいで、エンを窮地に追いやってしまった。そして大丈夫だと思い従者にしたカイオンが夏の間者であった。
「ユウ。そういう時もあるわ。そうやって人は強くなるのよ」
セキカに言われると黙るしかなかった。これまでに多くの陰謀と人の生死に関わってきた人物の言葉は重かった。
「この地図...これを夏に流そう」
「え!?せっかくセキカが取り戻したのに。何を言っているのだ、シャカイ」
「カクレンはカイオンが死んだことは知らないだろう。だから、カクレンに誤情報を流して誘き寄せるのだ。伏兵で討つ」
「乗ってくると思うか」
「さあな。乗って来なくてもこちらに損害はない。兵糧の位置を変えるだけだ」
「そうか。セキカ、すまないがこれを夏に流してくれないか...」
「任せなさい。お安い御用だわ」
◆
カイオンから地図が届いた。東晋の兵糧の位置が事細かに記載されている。援軍と東晋を挟み討ちにするつもりが、激しい頭痛のせいで出陣することが出来ず、機を失った。そんな時に届けられたこの情報はとても有益であった。
「ユウめ...一泡ふかせてやるぞ」
上庸の蓄えは少なかった。もともと長安から漢中を通り上庸を襲ったのは、電撃戦を想定してのことだ。兵糧は荊州中南部を襲いながら奪う前提であった。今のように上庸に籠城するつもりではなかったのだ。
諸将を集めた。どいつもカクレンの判断なしでは行動できないクズどもであった。アリがいれば、カクレンが不調でも撃って出て、東晋を挟み討ちにして撃破していたに違いない。決定的に手駒が不足している。カクレンは将が揃っているユウを羨んだ。
「これは敵の罠ではないでしょうか」
カクレンはそう言った将校の首を、鉄鞭を一閃させて刎ねた。
「罠であろうが、それごと粉砕するのが我が軍だ。臆病者は死ね」
東晋の兵糧を焼くことが出来れば、戦況はこちらに傾く。やらない手はない。
「この地図によると兵糧を守るのは五千だ。足の速くて夜目が効く歩兵五千を選抜せよ。夜襲を仕掛けて焼き払う」
「まさかカクレン様が自ら出るので...」
「そうだ。お前らに任せられると思っているのか」
発言した将校は下を向いた。カクレンは途端に興ざめした。ここで俺に任せてくれと何故言えないのだと思った。頭が痛いのは符術のせいだけではなかった。
◆
三日月が夜を照らす。凍えるような寒さであったが、北の大地と比べると耐えられないものではない。カクレンの率いる五千は、東晋の斥候に見つかることなく、兵糧のある地点に辿りついた。そこには情報通り兵糧が置かれていた。
「まったく、隙だらけだな。ユウは陣形を配置するのが苦手なのか?」
伏兵がいても蹴散らすだけだ。この場所に伏せることが出来る兵など、せいぜい数千だ。
「いくぞ」
カクレンは飛び出した。兵たちが歓声を上げる。
飛び込んでも東晋の守備兵はいなかった。
「罠か...伏兵に備えよ」
だが、伏兵は現れなかった。そして兵糧だと思っていたものは全て砂を袋に詰めたものであった。
「なんのつもりだ...ただ妾を揶揄っただけなのか...」
遠くで突如歓声があがった。太鼓の音が鳴り響いている。
「まさか、妾を誘い出して、上庸を攻めたというのか!」
カクレンは急いで引き返せと命じた。駆けた。来た道を戻り、平原に出る。上庸の城が見えて来たところでカクレンはハッとした。
「...戦になっていないだと...」
広いところに誘い出された。歓声も太鼓の音も全て偽装であった。カクレンが気づいた時には、もうすでに東晋軍に囲まれていた。
◆
俺は三万の軍でカクレンの五千を包囲した。上庸の夏軍が異変に気づくまでの勝負だ。兵糧は偽装した。だが、あの場所における伏兵の数はたかが知れている。それではカクレンを逃がす可能性もある。だから夜襲も偽装して、カクレンを広いところに誘い出した。
シュクユウとカンシュクに五万を任せ、上庸の夏軍の抑えをさせた。さらに江陵から戻ってきたケイシャンの一万を遊撃においている。そう簡単には突破されないとは思うが、カクレンを討つのに時間はかけられない。
「カクレン。ここで決着をつける」
「ユウ!まんまと妾を嵌めたつもりだろうが、そうはいかないぞ!今宵こそお前を妾のものにして見せる!」
「おいおい、次に会ったときは殺すのではなかったのかよ」
「うるさい!黙れ!お前は妾のものだ!」
俺は棍棒を構えた。カクレンも鉄鞭を持つ。シャカイの指示で、夏軍の掃討が始まっていた。その喧騒をよそに俺とカクレンの間には、静かな緊張が流れていた。




