第玖話 建築の依頼
雪村はすぐクルマで迎えに来た。
「あのメモの裏面に、僕が喋ったこと以上に、なんかゴチャゴチャたくさん書いてるなあ、と思ったんですよ。」
「やっぱり、気づいてくれたのね。さすが私の雪村君。」
「今日の動きと、今日までにやっておいて欲しい依頼が、びっしり書き込まれてましたよ。でも、なんであんなことを?」
「壁に耳あり、障子に目あり、って言うでしょ?それで、準備万端なのね?」
「ええ、それはもちろん。まかせてください。」
馬券で儲かった雪村は、すっかり雪子の下僕である。
雪村のマンションに戻ると、部屋では彼の父親の真田英二が待っていた。
雪村のウインドブレーカーを羽織った雪子は、挨拶もそこそこに本題に入る。
「はじめまして。真田雪子と申します。」
「社長の真田英二です。」
「たまたま同じ苗字なのも、きっと何かのご縁でしょうね。早速商談の方を進めてよろしいかしら。」
「どうぞ、どうぞ。」
そこで雪子は、例の土地の買取と、地上三階地下二階の双子ビルの建設を英二に依頼する。
「土地の測量図も建物の設計図もこちらにあります。」
照和の時間軸で既に同じことをやっているので、雪村にあらかじめ用意させていた。
「手付金として…。」
そう言いながら雪子はテーブルに札束を積む。
「…現金で5000万円あります。足りなければまた言ってください。」
森林公園の裏手の土地はまだまだ安いはずだ。
この金額で十分。もう一回やってるし。雪子はそう考えていた。
「わかりました。お急ぎですか?」
普段から、大規模スーパーとの商談をしている英二は、そんな札束にこれっぽっちも驚きもせず、話を続ける。
「工期は半年以内でいいです。災害に耐えうる頑強なものを希望します。」
「了解しました。司法書士などにも話は通しておきます。」
話はとんとん拍子に進んだ。
英二は聡明な頭脳を持っているし、誠実な性格だ。そして、その不動産業者としての手腕は、よく知っているので信頼できる。
何しろ他の全ての時間軸では、雪子の父親なのだから。
「ところで、あの…。」
「何かしら?」
「以前、どこかでお会いしましたっけ?」
「違います。これから、お会いするんですよ。」
「???」
雪子はうっかり本当のことを言ってしまった。
でも英二には通じていない。
解るはずも無かった。
雪子は壁の時計をチラ見する。
もうすぐ9時だ。タイムアップだわ。
「じゃあ、よろしくお願いします。」
「父さん、僕、雪子さんを送って行くよ。」
「ああ、頼む。そうしてくれ。」
英二は熱心にその他の書類に目を通している。
大丈夫、準備は抜かりないはずだ。
雪子が助手席に乗り込むと、雪村はクルマをスタートさせる。
「これから、どこに行くのかしら?」
「とりあえず大学に。ヒマな時はいつもそうしてるんだ。友だちは下宿生や寮生が多いからね。」
「私は例によって、もうすぐこの場から消えます。」
「…うん。」
「今度こそ、お別れね。」
「うん、そうだね。」
「でも、サヨナラは言わないわよ。」
「うん。」
「またね。」
雪村が助手席を見ると、もう雪子は消えていた。
でも、やはり、二度と会えないような感じはしなかったのだった。




