双子の誕生
神聖暦1240年、聖都サンディア。
この都市を治めるのは教会であり、一番の権力を持つのは、神からのお言葉を賜る教皇である。その教えと神聖魔力によって、人々は発展してきた。
中でも、代々上級司教を輩出してきたアルテミス家は、教皇に次ぐ権威を持つ名門中の名門である。彼らにとって、魔力は才能ではなく、血筋に刻まれた『使命』であった。
そのアルテミス家に、双子が誕生しようとしていた。
分娩室を兼ねた聖室は、厳粛な中にも期待の熱気が満ちていた。この真っ白で厳格な部屋の中で、母アンナの心にあったのは、ただ『命を産み出す』という純粋な喜びだけだった。
「もうすぐですよ、奥様。神のご加護を」
付き添いの侍女が祈るように囁く。アンナは全身を襲う激しい痛みに耐えながら、窓の外の光に視線を送った。この子たちが元気に育ってほしい。それが、彼女の唯一の願いだった。
やがて、最初の子が産声を上げた。
アンナは、疲労の限界を超えていたにもかかわらず、その小さな産声を聞いた瞬間、体中に電流が走るような歓喜に包まれた。
「ああ……ああ、生まれてきてくれて、ありがとう……」
アンナが最初に出会ったのは、愛らしい娘だった。続いてすぐに、もう一人の子の産声が響いた。息子だ。
長きにわたる陣痛の後、アンナは安堵と疲労にまみれながら、小さな二つの命を腕に抱いた。双子をその胸に抱き寄せたアンナは、二人の温もりだけで世界が満たされていくようだった。
「ああ、なんて、なんて愛らしいの!」
アンナの瞳は喜びで潤んでいた。夫である大司教のシグルドは、形式的な冷静さを保ちながらも、その口元には厳格な父が期待する『希望』の色が浮かんでいた。彼は、妻子の側に控える司祭たちに、神聖な儀式の開始を命じた。
「直ちに、神聖魔力適性検査を執り行え。我が子の魔力こそ、次の時代の光となるのだ」
魔力適性。ここでは、生まれる子の魔法適性が、その子の将来と人生の価値をほぼ決定づける。適性が高ければ魔法使い、冒険者、あるいは教会で働く者として優遇され、適性が低ければ、自力で魔法を伸ばすことは難しいとされていた。
父シグルドの命により、儀式用の水晶球が運ばれる。
厳粛な空気の中、先に生まれた姉が抱き上げられた。名はリリアン。リリアン・アルテミス。リリアンは、母親の腕の中で小さく声を上げ、水晶に触れた。
キン、という澄んだ音と共に、水晶球が爆発的な輝きを放つ。その光は、周囲のステンドグラスの彩りさえも飲み込み、室内にいる神官全員が目眩を覚えるほどだった。
測定器が示す数値は……
――98
過去の記録を遥かに上回っている。
「素晴らしい!神の恩寵だ!」
「アルテミス家は、再び神に選ばれた!」
室内には熱狂的な歓喜が渦巻き、シグルドの顔に初めて『満足』という絶対的な感情が刻まれた。これで、家系の威信は揺るがない。
リリアンは、間違いなく次期上級司教への道を約束された『光の子』であった。
次に、生まれたばかりの弟が抱き上げられた。名はカイ。カイ・アルテミス。
カイが水晶球に触れる。誰もが姉に匹敵する光を予想し、息を呑んだ。しかし、数秒が経過しても、水晶は静寂を保ったままだった。神聖魔力を感知する測定器は、ピクリとも反応しない。
測定器が示す数値は……
――0
時計の針の音と呼吸のみが聞こえる、耳障りなほどの沈黙。司祭たちが飲み込む唾の音さえ、不吉な予兆として響いた。
一瞬の静寂の後、不穏なざわめきが広がる。司祭の一人が顔色を変え、慌てて測定器を交換し、再度検査を行う。
――0
結果は変わらない。
「貸せ。何かの間違いだ」
シグルドがカイを受け取り、また水晶球に触れさせる。
測定器が示すのは……
――0
「…魔力が……測定されない…?」
司祭の声が震えた。その一言は、まるで祝福の場に投げ込まれた汚泥のように、聖なる空気を一瞬で凍りつかせた。そして、代々優秀な魔力を持つアルテミス家にとって、それは『血筋への冒涜』を意味した。
アンナは恐怖に目を見開いたが、シグルドの表情は、満足から冷たい怒りへと一変していた。彼は無言で、司祭にカイを押しつけた。込められた力には、我が子を渡す優しさはない。汚れ物に触れた際のような、隠しきれない忌避感だ。
「……なぜ、リリアンではなく貴様が『無』なのだ」
吐き捨てられた言葉は、父親のそれではない。絞り出すようなその声には、理想の『後継者』を失った男の、身勝手な絶望が混じっていた。
「シグルド、落ち着いて。この子も私たちの子よ…」
アンナは力が抜けた体で、枯れた声で必死に訴えた。出産を終えたばかりの彼女にとって、それは血を吐くような苦しみであった。
「黙れ、アンナ。この子の存在は、アルテミス家と、聖都の秩序に対する汚点だ。リリアンの将来、そして我が家が背負う使命を、この無価値な存在が脅かしてはならない。この血統だけは汚してはならん」
彼にとって、家系の威信こそが唯一の正義であり、妻の訴えは『感情的な無駄』でしかなかった。
「この子を、森に捨てる。神の試練とでも名付けて、静かに処理する」
森。この都市は、強大な魔物が多く住む広大な森に囲まれており、人類は常にその脅威に晒されている。そんな森に捨てたなら、抵抗のできない赤子など、そう時間もかからずに食べられてしまうだろう。
「で、でしたら、修道院に送るというのは……」
司祭がおずおずと口を開く。だが……
「鑑定されてしまえばここの血だとばれるだろう」
「……」
空気が凍り付いた。誰もシグルドの考えに対抗することはできない。
「急げ。外に情報が漏れる前に処理する。この家には子が一人、リリアンしか生まれていない。いいな」
アンナは夫の服を掴み、泣き崩れたが、シグルドの決意は固かった。
その夜、シグルドが手配した司祭たちが、カイを連れ出す準備を整えた。シグルドが部屋を去り、重苦しい足音が遠のいたその瞬間、アンナは涙でぐしゃぐしゃになりながら、唯一の抵抗を試みた。
「せめて……せめて、この子に……」
彼女が取り出したのは、密かに用意していた『魔法の言葉装置』と『小瓶のネックレス』だった。
その魔法装置は、この子が一人でも言葉を覚えられるように、アンナが作った魔道具である。生まれる前に、アンナが自分の声で吹き込んだ言葉と、優しい子守歌を装置に録音していた。
そして、小瓶のネックレスはリリアンとお揃いのものであり、せめてこのネックレスだけは双子を繋いでほしい、一緒であってほしいという母アンナの思いであり、愛だった。
「この子に、人間だった証を。せめて、幸せになるための何かを……。あとは、神のご加護を…」
アンナの悲痛な瞳に押され、司祭は少し考えた後、その装置とネックレスをカイのそばに置くことを許した。
アンナは、カイの小さな手に魔法装置を握らせ、その首に小瓶のネックレスをかけてあげようとした。だが、銀の鎖を持つ手は無様に震え、何度も空を切る。『このネックレスをかけたら、本当にお別れ』と体が理解してしまい、手元がぶれてしまう。本能が、愛が、彼女の指先を拒ませていた。
「……アンナ様、お急ぎを。私も、ばれたらただ事ではありませんので…」
司祭の鋭い催促に、アンナは震える指でカイに小瓶のネックレスを首に回した。カチリ、と小さな金具が鳴る。この銀の鎖が、今この瞬間に、彼を家族から切り離す『鎖』になるのだと理解しながら。
「カイ…ごめんね、ごめんね……」
最後に、アンナはカイの柔らかな手に口づけをし、その頬を優しく撫でた。
彼女の目からこぼれ落ちた一筋の涙が、カイの頬を伝い、暗い部屋の中で一瞬だけ煌めいた。
かくして、聖なる血筋に生まれた弟カイは、わずかな母の愛の証と共に、森の奥へと追放されたのであった。




