ゼノンルクスとジェイラス
ゼノンルクスが初めてレーヴを利用して帰城したその日の午後、ジェイラスがゼノンルクスに謁見を申し入れた。
謁見の許可を出すと執務室にやってきたジェイラスは、勝手知ったる気楽な振る舞いでソファーに座り、ゼノンルクスへと視線を流す。
「で、どうだった?」
赤い瞳がゼノンルクスに向けられる。
血縁関係があるからだろう。ジェイラスの瞳はゼノンルクスとよく似ている。王家の血筋によく現れる色だ。
「よく眠れた」
「すごいな。報告は受けてるけど、本当に効いたんだ。あの子なら納得ではあるけど」
ジェイラスが感心するのも当然である。
癒しの力はただでさえ魔族には珍しいもの。フィーネは魔族の歴史上、今までに例がないほどの才能を秘めているのだろう。まだ十七歳と若いため成長途中で、現時点での力はおそらく片鱗に過ぎないけれど、その片鱗だけでも癒しの力を持つ魔族複数人分を遥かに凌駕しているようだった。
「それで、次はどうする?」
すう、と目を細めたジェイラスに訊ねられ、ゼノンルクスは短くため息を吐いた。
「あんな部屋を用意しなくても、定期的に通う」
「……ほんとかい? 意外だね。ひと月前にまた倒れたって聞いてたし、通ってくれるなら少し安心ではあるな」
てっきり断ると思っていたようだ。
「どうせヴェルディがしつこいから仕方なく一回きりのつもりで来るんだろうって思ってたよ。少しでも快適に過ごしてもらって良い印象を与えて、これからは無理矢理連行でもしようかなって案があったけど、いらなかったね」
魔王を強制連行するつもりだったと、さらっととんでもないことを暴露している。
「最高ランクの部屋にキャンセルが出たと言っていたが、嘘だろう」
ゼノンルクスが訊くと、ジェイラスは「ばれた?」と楽しそうに笑いながら肘掛けに腕を乗せた。
「ちょうど僕の熱心なファンが予約してたから、譲ってほしいってお願いしたんだよ。快く引き受けてくれたお礼に頭を撫でてあげたら卒倒しちゃって、ちょっと大変だったな」
嬉しさのあまり、ということだろう。
「もちろん、その子は別の部屋に移動させてきちんと埋め合わせしてあるよ」
昔から、ジェイラスには熱狂的な信者が大勢いる。身分の高い者から平民まで老若男女、本当に幅広い層だ。冗談でも何でもなく、宗教でも興せそうなほど熱心な信者たちである。
そんな彼らはレーヴの最高ランクの部屋の予約争いに常に参加している。ジェイラスのためにレーヴにお金を落としたいからだろう。つまり、ジェイラスからのお願いを叶えることは至上の幸福といえる。予約の変更を受け入れた客は迷う余地もなかったはずだ。
「フィーネがここに来て治療できるならよかったんだけど、なぜか城に近寄りたがらなくてね」
「……それはお前もだろう」
「はは。確かに」
ジェイラスは視線を落とし、何かに思いを馳せるように笑った。
ジェイラスが魔王城に足を踏み入れたのは、一体何百年ぶりだろうか。今日はこの執務室に来るまで、城内できっと注目の的だったことが容易に想像できる。
「――フィーネのこと、気に入った? あの子の魔力は誰にでもよく馴染む。すごく心地良かったんじゃない?」
「そうだな」
「おお。素直に認めた」
わざとらしく目を丸めたジェイラスは、探るような視線を投げてくる。
「あの子がお菓子をサービスしたいと言ってきた時には驚いたよ。そんなことを言い出すのは初めてだったから。魔王だからってだけであんなに憧憬を抱くような子じゃないからね」
ゼノンルクスはフィーネの姿を思い返す。
最初は緊張が強かったように思うけれど、フィーネはゼノンルクスにとても好意的な態度だった。客相手にはもちろん愛想良く振る舞うものだろう。しかし、そんなに単純なものではなかったように見えた。
「そもそもの話、お菓子を食べたくらいで君がうちに来たのが意外だ。魔力の相性がよかったにしても」
確かに、それだけが理由ではない。
「あの子の気配がどうにも不思議なのと、何か関係があるのかな?」
さすがと言うべきだろう。鋭い。
ヴェルディからお菓子をもらい、そのお菓子に込められていた魔力が記憶にあるものと似ていたため、それを確かめるためにゼノンルクスはレーヴを訪れた。
そして、出会った。フィーネという少女と。
「――あの子に何もしてないね?」
「していない」
「うん。まあそうだよね」
すぐに納得を見せる。別に疑っていたわけではないようだ。
「気にかけてるんだな」
「保護者だからね、僕は」
「本当にそれだけか?」
今度はゼノンルクスが問うと、一度きょとりとしたジェイラスは面白いと言わんばかりに口角を上げた。
「それだけだよ、本当に」
そして、にっこりと笑う。
「だからまあ、安心しなよ。あの子も僕のことは父親みたいに見てるしね。……いや、兄かな?」
立ち上がったジェイラスがこちらに歩み寄ってきて、ぽん、とゼノンルクスの頭に手を置いた。ゼノンルクスはわずかに瞠目し、その手を払いのける。
「なんだ」
「酷いな」
訝しげに眉根を寄せて睨めば、ジェイラスは笑顔でそんなことを言う。それから優しい面差しになった。
「仕事、無理しすぎるなよ」
「……ああ」
「君の『ああ』は信用できないんだよね。現に何度も倒れてるわけだし」
反論できない。
しかし、それは仕事のせいというよりは寝不足によるものだ。自分ではどうしようもない。
「……悪いね、全部背負わせて」
突然、声のトーンが真剣な色を帯びて、申し訳なさそうな響きを持って、ゼノンルクスに届いた。
「お前にどうこうできることでもないだろう。お前が謝罪してどうする」
「……そうだね」
ジェイラスの返事を最後に沈黙が流れる。
昨夜、ゼノンルクスがレーヴを利用するまで、もう長いこと会っていなかった二人だ。直前の話の内容が内容だけに、訪れた沈黙は少々重い。
「――そろそろ帰るよ。あまり長居しない方がいいだろうから」
沈黙を破ったのはジェイラスだった。
「ああ」
「レーヴをご贔屓によろしく、従弟殿」
そう言い残して、ジェイラスは帰っていった。
ジェイラスは先代魔王の実子。ゼノンルクスの従兄だ。
昔、まだゼノンルクスが魔剣に次の魔王として選ばれる前、誰もがジェイラスが次の魔王だと信じて疑っていなかった。当時の魔王の子供で力も強く、他者を惹きつける魅力があり、国を導く者としての力が備わっていた。素晴らしい魔王になると、誰もが――ゼノンルクスも、そう思っていた。
しかし、次の魔王にはゼノンルクスが選ばれた。反発が起こったのは必至だった。
ゼノンルクスが死ねば魔王としての資格がジェイラスに移るのではないかと、そんな馬鹿馬鹿しい根拠とも言えないようなお粗末な理論でゼノンルクスの命を狙う過激な者も、少なからずいた。だからジェイラスは王族の籍から抜け、継承権も手放し、魔王城に近づかなくなった。魔王になるつもりはない、という確固たる意思を示すために。
本人は元から母親のホテルを継ぎたいと言っていたから、諦めるつもりだったその道が魔王に選ばれなかったことで叶う可能性が広がったため、それほど不満はなかったのかもしれない。
ゼノンルクスは何もかもが不満だった。次の魔王の資格があると魔剣に選ばれたのは十歳にも満たない頃で、ずっとジェイラスと比較されながら魔王になるための教育を強制されたからだ。
ゼノンルクスが次期魔王としての力をつけていくと、次第に認められるようにはなった。むしろ魔王の子でありながらその資格を受け継がなかったジェイラスを嘲笑する声まで一部で上がり、気分が悪くなったものだ。
不満ばかりだったけれど、放棄できるはずもなかった。魔剣の選任は絶対だから。魔族の脅威となる聖女を殺すことができるのは、魔剣に選ばれた魔王だけだから。
先代の魔王が早々に譲位してからというもの、ゼノンルクスは淡々と魔王という義務を果たして、なんの色味もない世界を何百年も生きてきた。そこに初めて色を持って現れたのは――。
『ありがとう』
『陛下』
二人の少女が浮かび、ゼノンルクスは目を閉じた。
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