20.第四章五話
自分のことではあるけれど、そうではない。言いようのないいたたまれなさと羞恥心で、フィーネはどう反応すべきか頭が回らなかった。
惹かれた、なんて。きっと共感と似た感覚で使っているのだろう。他意はないはずだ。
そう、だから、フィーネが強く羞恥心を感じる必要はない。自分にそう言い聞かせて、落ち着こうと努める。
「自らその命を奪っておきながら、のちに生きていてほしかったと思うなど……勝手だな」
ゼノンルクスが自嘲するように吐き捨てた。
目を見張ったフィーネは、きゅっと唇を引き結び、意を決して伝える。
「その時の陛下に、彼女の命を奪う以外の選択肢はなかったのでしょう。過去に戻ってやり直すことも、なかったことにすることもできません。仮にやり直すことができたとしても、聖女はきっと同じ道を選ぶのではないでしょうか。人間である自分を嫌悪していたのですから」
全ての人間を憎んでいたわけではない。聖女の生活に直接関係のない人間や他の種族の方が多かったことは理解している。
頭ではそうわかっていても、感情はついてこなかった。聖女が目にした人間は強大すぎる力を持つ聖女を恐れ、戦争が始まれば手のひらを返して聖女を祭り上げ、送り出したのだから。魔族を討つという大義名分を掲げて、ずっと幽閉していた少女を。
「陛下は聖女の一番の望みを叶えられたのですから、彼女はすごく感謝していると思います」
他でもないフィーネが言っているのだから、憶測などではなくただの事実である。
「それに、聖女は人間です。人間を恨んでいた彼女が幸せな生活を送るためには、別の種族のもとで生きるしかありません。しかし、寿命はせいぜい八十年も生きれば長い方。周りとの寿命の差を考慮すると、最期には一人だけ早くこの世を去っていく悲しさでいっぱいになったかもしれません。せっかく幸せになってもそれは残酷なことではないかと――」
彼が後悔する必要も非を抱える必要もないと伝えたい一心で思うがままに訴えていたフィーネは、わずかに瞠目しているゼノンルクスの反応を見てはっとした。
「とまあ、私はそんな風に愚考いたしましたが……えっと、どうなんでしょうね?」
フィーネは慌てて取り繕い、表情を和らげて、動揺のせいか訊ねるような形になってしまった。
すると、ゼノンルクスが少しの間を置いて、ふ、と微かに笑みを零す。
「お前が言うのなら、そうなんだろうな」
(笑った……!)
フィーネに衝撃が走る。
口角を上げるとか、少し表情が柔らかくなるとか。その程度ではなく、小さいながらも確かに彼は笑った。
「あくまで、私見、ですが」
「そうだな」
視線が一層温かくなった気がする。何もかも見透かしていてあえて話を合わせているようにしか見えなくて、なんだか恥ずかしい。
「俺はちゃんと、彼女の望みを叶えることができた。重要なのはそこなのだろう」
「……そうだと思います」
「単純に受け止めればよかったのに、考えすぎていたな」
「陛下がお優しいからでしょう」
フィーネがそう言うと、ゼノンルクスを目を瞬かせた。
「優しい?」
「はい。とてもお優しい方だと思います」
だから、不眠症になるまでずっと、一人で抱え込んでしまっていたのだ。敵であるはずの聖女のことで。
彼が治療に前向きではなかったのも、これくらいの罰は甘受しても構わないと思っていたからだろう。同じ苦悩を抱えた唯一を、殺してしまったから。
「そうか」
立ち上がったゼノンルクスは、フィーネのそばで立ち止まった。なんだか妙に熱を感じる気がしなくもない眼差しでフィーネを見下ろしている。
「――触れてもいいか?」
そう問われて、フィーネは目を瞬かせた。
「……はい」
許可を得たゼノンルクスの手がフィーネの首に触れる。そっと、壊れ物を触るように優しく。襟越しとはいえフィーネがくすぐったさにわずかに身じろぎしてもやめることなく、無骨な手は後ろの方へとなぞっていく。
その手つきは首が繋がっていることを確認しているようにも感じられてしまい、フィーネの内にどうにも適切に表しがたい気持ちが広がった。
それは悪い方の、マイナスの感情ではない。
聖女だったことを気づかれているのかもしれないとか、殺されるかもしれないとか、そんな不安や恐怖はない。
首に向けられている目は相変わらず穏やかなものに見える。少なくとも、危害を加えようなどとそんな考えは一切なさそうだ。
そんなゼノンルクスを見つめていれば、ゼノンルクスの視線が上がり、目が合った。赤い瞳とまっすぐ見つめ合う。すると、ゼノンルクスの目が優しく細められた。
(あ……)
もし正体が露呈してしまったとしても、きっと彼はフィーネを殺さない。強固な確信はとっくに得ていた。
疑ってしまっていたことが申し訳なく思えるほどに、彼には敵意がまったくない。
「……私は、生きていることがつらくて、死を渇望していた時期がありました」
彼は真剣に耳を傾けてくれていて、フィーネも真摯に話しを続ける。
「けれど今は、陛下のおかげで、幸せというものに触れることができました」
未婚でフィーネを育ててくれた母親は幼くして亡くしてしまったけれど、周りに恵まれた。飢えることなく、愛情も注がれ、不自由のない生活を送っている。
この幸せは、フィリアーナを殺してくれた彼によって与えられたものと言っても過言ではない。
感謝してもしきれない相手。それがフィーネにとってのゼノンルクスだ。フィリアーナのことでその心を五百年も苦しめてきたのだと思うと、悔しい気持ちが湧いてくる。
「だから恩返しがしたいのです。どうか遠慮なさらず、なんでもお申しつけください。私のできうる限り、最大限に力を尽くすことをお約束します」
力強く、まっすぐ見つめて宣言する。
すると、彼は一言。
「そうか」
短く落とされた声は、とても優しいものだった。
「へい――」
フィーネの言葉の途中で、ゼノンルクスはフィーネの手を取った。そうして口元に持ち上げ、手の甲にキスを落としたゼノンルクスは、赤の双眸にフィーネを映してわずかに口角を上げる。
「フィーネ」
「……は、い」
返事をすると、ゼノンルクスの目がまた穏やかに細められる。
「楽しみにしている」
キスとセットのその微笑はあまりにも破壊力がありすぎて、フィーネの心臓が大きく脈を打ったのだった。




