17.第四章二話
まともな食事が与えられるようになり、痩せ細っていた頃より多少は肉がついてきたフィリアーナは、魔法を学ばなければいけなかった。
「聖女様」
呼ばれて、フィリアーナは振り返った。
長い金色の髪に緑の目、長い耳を持つ青年がこちらにやってきた。共に魔王討伐に向かう予定のエルフだ。それも王子だという。
魔法といえば魔族とエルフは他の種族の追随を許さない。だから彼は、フィリアーナの師に選ばれた。
「ご機嫌麗しゅうございます、聖女様」
エルフの王子は頭を下げた。
彼はとても美しい容姿をしているため、最近は皇女や使用人、貴族令嬢たちが色めき立っている。見た目から推測すると二十代にしか見えないけれど、フィリアーナの曽祖父よりも年上なのだそうだ。さすがは長寿の種族である。
エルフの王子がこれほど敬意を示す人間など、聖女であるフィリアーナくらいだろう。彼は皇帝に対しても最低限の礼儀のみを守っているだけで、立場としては皇帝を下に見ていた。エルフの王子を歓迎するために開かれた晩餐会では、皇帝がそのことに不満を抱えているのが漏れ出ていて面白かったものだ。
「体が弱くて療養していたと聞き及んでいます。そんな貴女にこのような役割を押しつけてしまうこと、改めて深くお詫び申し上げます。しかしこの世界には貴女の力が必要なのです、聖女様」
療養はフィリアーナを塔に閉じ込めるための名目にすぎない。事実とは異なる。
しかし、彼はそこに疑問など持っていないだろう。救世主である聖女を不当に扱う者がいるはずもないと、そう信じているのだから。実に聖女という存在の重要性を知っているエルフらしい思考だ。
「どうか我らをお救いください」
我ら、とエルフの王子は言った。それは魔族以外の種族すべてを指している。
(――誰が)
救うということは、他の種族だけではない、人間をも救うということ。つまりは、フィリアーナを化け物と見做し、塔に閉じ込め、放置してきた者たちを、救うということ。
(誰が、あいつらなんかのために……)
救ってやる義理などない。聖女として扱ってこなかったくせに、いざ魔族との戦争が始まって、あの皇帝や皇宮の者たちは、まさか本当にフィリアーナが世界のために動くとでも思っていたのだろうか。
みんな魔族を悪だという。けれど、フィリアーナからしてみれば人間の方がよっぽど醜悪で、穢らわしい。
(滅んでしまえばいい)
参戦は免れない。フィリアーナは死ぬことができないから、絶対に戦いの場に送られる。魔王は聖女を殺しにわざわざこちらに出向くことはない。向かってくる者を殺す。それだけだ。
であれば、世界の希望を奪う手段は一つ。
魔王に殺してもらうために、魔王城に行く。
魔王こそが、この死ぬこともできない地獄から救ってくれる、フィリアーナの唯一の希望だ。
(どんなひとかな)
自分の首をとる魔王がどんな存在なのか、せめて苦痛なく一思いに殺してもらえるだろうかと、フィリアーナはそんなことばかり考えるようになっていた。
フィリアーナの成長は目覚ましく、半年もしないうちに魔法も神力の扱いも身につけた。聖女という体質がなせるものだろう。
聖女の力ももちろんだけれど、聖女にとってとても重要なのは、神から聖女にのみ与えられる武器だ。
神が魔王に与えた武器は『魔剣デスグラシア』。魔剣は代々受け継がれていく。
それとは異なり、聖女の武器はそれぞれの個性が出るものだ。受け継がれるのではなく、聖女の祈りと魔力と神力が凝縮されて、個人の性質に合ったものが作り出される。
フィリアーナの武器は『聖杖ベンディシオン』と呼ばれた。フィリアーナの背丈ほどの長さがある杖で、魔力や神力を強く膨大にするような性質を持つ武器だった。普段は力を抑え、植物を模したヘッドドレスに変化させて身につけている。
聖なる武器を作り出すこと。それが、魔王に勝つための聖女の最低条件だった。
力をつけたフィリアーナを含めた聖女一行は、すぐに魔王を倒すべく魔王城へと向かうことになった。
最前線に配置されるのではなく、軍とは別行動だ。軍の方の動きに魔族の注意をそらし、少ない人数で動くことで油断を誘い、手薄なところから攻め入るというのが聖女の隊に与えられた作戦だった。
魔王城に辿りつくまでには、当然魔族との遭遇を完璧に回避することはできず、交戦があった。
魔王以外、聖女を殺すことはできない。だから彼らはフィリアーナに気づくと、フィリアーナを捕らえ、無力化し、魔王の元へ連れ去ることを目的として襲撃してきた。
そのすべてを、フィリアーナは返り討ちにした。弱い魔族に捕われたとして、無事に魔王城まで連れ去られる保証はなかったからだ。同行しているエルフの王子や騎士に助け出されてしまえば意味がない。ただ攻撃されて痛い思いをし、捕まり損になるだけである。
だから確実に魔王と接触できるよう、エルフの王子でも敵わないような魔族が出てこない限り、フィリアーナは魔族を排除した。封印という方法で。
魔族を殺さなかったのは単純に、フィリアーナの死後も人間たちを苦しめてもらいたかったからである。魔族側の戦力を無駄に削りたくはなかった。
魔王城への侵入は成功し、さすがに魔王の元へ自力で辿りつく前に、魔王軍の将軍によってフィリアーナは捕まった。エルフの王子でもあっさり重傷を負わされるような敵だった。
将軍との交戦で傷を負ったものの、聖女の回復力で傷はすぐに癒えた。無傷になったけれど埃や汚れはそのままで、フィリアーナは将軍とその部下の手で魔王の元まで連れて行かれた。
「――お前が今代の『聖女』か」
魔王は、とても美しかった。その容姿もだけれど、フィーネの目に映る魔王の魔力も、とても美しかったのだ。
ずっと脳内で描いていた魔王像とはあまりにもかけ離れすぎていて、とにかく綺麗で神秘的な存在だった。この世のものとは思えないほどに。
一目で、本能で、魔王という存在を認識した。
同時に理解した。やはり彼だけが、フィリアーナを解放してくれる者なのだと。フィリアーナを苦しめた人間を絶望に叩き落としてくれる者なのだと。
抵抗など、するはずもなかった。
フィリアーナは、魔王に殺された。待ち望んでいた死を、やっと手にすることができたのだ。
その日は奇しくも、フィリアーナの十八歳の誕生日だった。
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