15.第三章五話
フィーネは今日、面会の約束がある。
というのも、ジェイラスが話していた、ゼノンルクスの不眠症の原因に心当たりがありそうな者――ヴァージルの予定が調整できたらしいからだ。
ヴァージルといえばこの魔国の宰相である。フィリアーナが魔王の手で殺されたあの場にいた、人間を見下し敵視していた青年。魔王の片腕。
確かに、宰相という立場にある彼はゼノンルクスに近しい者なので、不眠症の原因に目星がついていてもおかしくない。
正直なところ、彼にはあまりいい印象がない。
当時は互いに敵同士。フィリアーナにとって魔王以外の魔族は、殺してくれるわけでもない、苦痛を与えてくるだけのただの敵でしかなかった。ヴァージルも例外ではなかったのだ。
今は魔族として転生したので仲間意識のようなものは多少なりともあるけれど、前世の経験は忘れられないもので、宰相に対する苦手意識は残っている。
(憂鬱……)
けれど、ゼノンルクスの不眠症を改善するためならば、その程度は我慢できる。
会議などにも使えるレーヴ内の応接室で、フィーネはヴァージルを待っていた。
時間になるとジェイラスに案内されたヴァージルがやってきて、まずは挨拶をした。
「貴女が噂の魔女殿ですね。ぜひ会ってみたかったんです。こうしてお目にかかれて光栄です」
優雅にお辞儀をした宰相ヴァージルは、五百年前の態度からはとても想像がつかないほど紳士的だった。
あまりの違いに拍子抜けしたフィーネが戸惑っていると、ヴァージルが爽やかでキラキラと輝いた愛想のいい笑顔を向けてくる。
「……フィーネと申します」
フィーネも挨拶を終えると、ジェイラスは仕事があるからと席を外した。この宰相と二人きりにしないでほしかったけれど、わがままは言えない。
ヴァージルにはソファーに腰掛けるよう勧め、フィーネも正面に腰掛ける。すると、好意的な笑顔を崩さないヴァージルが懐を探った。
「陛下の治療にご尽力いただいているということで、お礼としてこちらをお持ちしました」
手のひらに載るくらいの箱がテーブルに置かれる。
「魔法関連のものだとお喜びになるとジェイラス様にお聞きしたのでこちらを」
「お客様からの贈り物は――」
「ジェイラス様から許可はいただいております」
似たような台詞を自分も使ったし、ゼノンルクスからも聞いた。
「治療に対する料金はきっちりお支払いいただいてるので……」
「純度の高い魔石なのですが、受け取っていただけないのであれば捨てるしか――」
「ありがたく受け取らせていただきます」
フィーネが目の色を変えて食いつくと、ヴァージルは満足そうに目を細めた。
純度の高い魔石は魔法の補助に使うにも魔法道具の動力源にするにも、とにかく利用価値が高い。
「どうぞ中をご確認ください」
言葉に甘えて、フィーネは早速箱を開ける。
中には楕円体の魔石があった。加工された綺麗に澄んだ色のもので、そのままアクセサリー型の魔法道具などに使えるものだ。フィーネの目が輝きを増した。
「どうか、陛下をよろしくお願いいたします」
魔石に夢中になっていたフィーネは我に返り、ヴァージルに視線を戻す。
(意外……)
苦手意識はあったけれど、人間を軽蔑しているだけで、本来は礼儀正しいひとなのかもしれない。
「ありがとうございます」
箱を閉じてお礼を告げると、「いえいえ」と返される。
「それで、今回私が呼ばれた理由をお聞きしても?」
どうやらジェイラスは彼に呼び出しの理由を説明していなかったらしい。とはいえ、ヴァージルも察しはついているはずだ。
「宰相閣下は陛下の不眠症の原因をご存じなのではないかと、確認がしたくて」
「やはりその件ですか」
案の定、ヴァージルは予想どおりだという反応を見せた。
「酷くなったのは五百年ほど前だと聞いています。……聖女関連で、何かあったのでは?」
訊ねるフィーネを、ヴァージルは見つめてくる。見定めている、というべきだろうか。
これは彼が敬愛する魔王ゼノンルクスの個人的な情報だ。ゼノンルクスにとってデリケートな部分で、本人の許可もなく言いふらしていいような事柄ではない。
フィーネもそこは承知しているけれど、聖女が関わっているかもしれない以上、簡単に引くわけにもいかなかった。
「陛下からは何か?」
「くだらないことだとしか」
「そうですか……」
視線を落として暫し考え込んだヴァージルは、改めてフィーネを見据える。それからまた少々の間を置いて、口を開いた。
「これはあくまで私の推測ですが」
そう前置きをして、語った。
「五百年前、聖女を殺したのち、陛下は私に命令を下しました。聖女について調査をするようにと」
調査、という言葉にフィーネは疑問を持った。魔王や魔族にとって脅威になり得る存在ではあるけれど、討ち取った後だ。聖女について何を調査する必要があったのだろうか。
「調査というのは何を?」
「聖女が戦争に参加してからのことやそれ以前の行動、……育った環境、すべてです」
「――っ」
フィーネは息を呑んだ。予想外すぎたからだ。
どうしてそんなことになったのだろうか。
「陛下がなぜそのような調査をお命じになったのか、最初は疑問でしかなかったのですが……調査を終えて合点がいきました」
「……」
「よくよく思い返せば、聖女は城内で捕まってから、抵抗らしい抵抗をしていなかった。力が尽きたのか、単純に、彼女を捕らえた将軍に抵抗するほどの力が彼女にないのだろうと判断していましたが……そもそも、抵抗する意思がなかったのでしょう。陛下はその違和感にお気づきになったのだと思います」
「……」
「調査の末、聖女は十年近く幽閉されていたうえ、ろくに食事も与えられずに育っていたことが判明し、そのことを報告しました。――それから、聖女と交戦した魔族は封印されただけで一人も殺されてはおらず、聖女の死後に封印が解けて無事であったことも明らかになり、それも報告を」
フィーネは無言のまま拳を握る。
「それ以来、陛下はよく物思いに耽るようになりました。それから暫くして、陛下が満足に眠れていないことに気づきました」
「……それは、どうして……」
「聖女の境遇を知って、何か別の方法があったのではないかと、ずっと出口のないお考えに囚われているのかもしれません」
そんなことで悩む必要は、ゼノンルクスにはないはずである。
聖女は敵。それでいいのに。
「我々は人間が嫌いです。特に聖女など最大の敵でしかない。しかしさすがに、彼女には同情せざるを得ませんでした」
魔族が聖女に同情とは、なんとも不思議なことだ。
「彼女は恐らく、陛下に殺されることを望んでいたのでしょう。――最初に言ったとおり、あくまで私の推測でしかありませんがね」
(――そうだよ、望んでた)
ヴァージルが帰って今日の仕事を終えたフィーネは自室のベッドに倒れ込み、天井をぼうっと眺めていた。
別に疲れるようなことはしていないのに、なぜか体が重いように感じる。精神的な疲労からくるものだろう。
五百年前。聖女フィリアーナは、人間を救うつもりなどさらさらなかった。そんな価値、彼らにはなかったからだ。他の種族のこともどうでもよかった。
まさか、ゼノンルクスがフィリアーナの育った環境を調査させていたとは。ヴァージルもフィリアーナに理解を示していた。
(知られてるんだ)
自然と、嫌な記憶が蘇ってくる。
フィーネは思考を放棄するように目を閉じた。