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02 お兄様は暴君ですか?

 でも、兄にはこの主張が通じなかった。ジェフリーは呆れたように目を回し――これをやられるといつも目を潰してやりたくなるのだが――大仰にため息をつくと、リーリアに詰め寄った。

 

「もういいから、この際打てるところで手を打っておけ。幸い転がり込んできた相手はかなり、いや、ものすごく裕福で、それにおそらく人となりも良さげだ。これ以上の好条件はどこを探してもないぞ」

「どこが! 保有する魔力が多いって言うだけの理由で妻に選ばれたのよ」


 しかも、お嫁に来てくださいと頭を下げもしない。まったくとんでもなく上から目線。

 確かに好条件、というところに関しては同意しても良い。百歩譲って……いや、譲らなくても、彼の顔は気に入った。低く穏やかな声も悪くない。何よりも裕福なところが一番魅力的。

 でも、それだけの理由でほいほいと結婚に飛びつくほど、リーリアは単純でも能天気でもないのだ。

 うまい話には裏がある。魔力の保有量云々を仄めかしてきたのだから、絶対に何かある! 例えば――神様への貢物にされるとか?

 そう考えた瞬間、リーリアは空恐ろしくなった。


 近頃では聞かなくなったが、ユーディス大陸では魔法嵐を鎮めるために、高名な術者や預言者を生贄にしたなんて逸話もあるほどだ。そればかりか、より能力の高い術者を集め、自国の周囲に魔法で防護壁をはらせている国もあるらしい。嘘か真か、その末に干からびた術者の骸が国の人口を上回ってしまった、というのは有名な話だ。

 結婚イコール体の良い防壁装置? 后妃イコール神様への貢物? 

 いや、いや、いや、いや。確かに貧乏生活からおさらばしたいと、ずっと祈り続けてきたし、贅沢は夢に見るほど憧れている。けれど――そのために自分の一生どころか命を差し出すなんて、ありえない。

 そもそも私にそんな期待を寄せられても、応えられるはずがないのだ。


「リーリア、いいから聞きなさい」

「いいえ、聞くのはお兄様の方よ。私が魔法を使えるかどうかも確かめずに、預言者が言ったからなんていう理由で、勝手に決めつけてくる相手に、嫁ぐなんて冗談じゃないわ」

「なにも彼が、魔法だけを目当てにお前を望んでいると、決まったわけじゃないだろう?」

「それでも、期待されて失望されるなんてまっぴらよ。使わざるを得ない場面になったらどう言い訳するつもり? お兄様だって私が魔法を使えないってこと、分かっているくせにっ」


 何よりもそれが、一番問題なのだ。

 皇帝が言ったとおり、リーリアが身の内に宿す魔力は確かに強大だ。この国の民をすべて集めても余りある。でも、彼女にはそれを魔法として顕現させる能力がなかった。というよりも、失ってしまったというほうが正しい。

 子供の頃は息をするように物を浮かせられた。空も飛べたし、五大元素から生じるあらゆる物を、小さな掌から生み出せた。国民は彼女のことを『神様の子供』と呼び、コンディターニの誇りとまで讃えられた。けれど、それは昔の話。今は『能無し王女』とまで呼ばれている。


(お兄様はそのことも私が力を失った理由も知っているのに……)


 まるで裏切られた気分だ。どうしてよ。そんなにあの男がくれる婚礼金が魅力的? いや。聞くまでもなく、魅力的なんだろう。私よりもずっと。

 突然現れた、それも他所の国のよく知らない男に、ぽんっと売り払ってしまえるくらいなんだから。

 自分では兄のために、この国のために尽くしているつもりだった。毎日街に出てて国民に混じって働いて、求められている役割をこなそうと一生懸命やってきたつもりだったのに……。


「それに、あの子はどうするの? セシルにはそばにいて助けてあげる人間が必要なのよ」

「リーリア……あれはお前のせいじゃないんだ、もう自分を責めるのはやめなさい。セシルだってそう言ってるじゃないか」

「セシルはあの時の記憶が曖昧なのよ。だから……」


 だから私が償わなくちゃいけないの。

 セシルには自分が必要だ。弟の脚となって、目となって、世界を感じさせてあげる人間が。それは贖罪であり、そうすることが己への戒めなのだ。

 あぁ、もうっ。弱みなんて見せたくないのに。鼻の奥がツンとしてしょうがない。リーリアはうつむいて顔をそらすと、罪悪感が表情に現れないように感情の波を堪えようとした。


 そんなリーリアの姿に、ジェフリーが短いため息をこぼす。そして隣に腰を下ろすと、彼女の頭にそっと手を伸ばしてきた。たくましい胸に引き寄せられ、頭の天辺に頬を押し付けられる。幼い頃よくそうしてくれたように、大きな掌がなだめるように髪を撫でるたび、熱い涙がこみ上げ瞼を焼いた。


「だからだよ、リーリア。私やセシルが何を言っても、お前は自分で作り出した罪の意識に囚われ続けている。お前は誰よりも魔法を使うのがうまかった。あのときも、お前がいなければセシルは脚だけではなく命を喪っていただろう。こんなこと白状するのは悔しいが、私はずっとお前の魔力に嫉妬していた。それに誇らしくも思っていた」


 兄がそんなふうに自分を見てくれていたなんて、今まで考えたこともなかった。がみがみといつだって説教臭くて、いつだって保護者面をしていたから、手のかかる妹くらいでしかないと思っていたのに。

  

(でも、能力を失った今の私には、失望しているんでしょう? みんなが言うように私は『能無し』だから……)


 誇らしいと言われて嬉しい反面、悲しくもなった。兄が語ったのは過去の私だ。今の私は髪の毛一本だって持ち上げられない。


「ほら、そんな顔するな」


 痛みを堪えるように唇を噛むと、頭をぽんぽんと叩かれる。


「能力を失った今でもお前は私の大切な妹だ。誰よりも勤勉で、何よりもこの国を愛している。そしてそれと同じくらい、私もお前のことを愛しているよ」

「だったら、よそへなんてやらないで。マーレマールなんて遠すぎるわ。この国から出たこともないのに。この島を出るばかりか、海を渡って大陸に行くなんて」

「リーリア。どこへ行ってもお前が私達の家族だということは変わらないよ。たとえ遠く離れていても、帰りたければいつだって帰ってきていいんだ」

「どうやって? もしも皇帝が里帰りを許してくれなかったら?」

「そんなことは絶対にさせない。それにほら、手紙をやり取りすれば良いじゃないか。お互い近況を尋ねあえるし、何よりもセシルが喜ぶ」


 弟の名前を聞いて、リーリアの胸がチクリと痛んだ。

 ここでセシルのことを引き合いに出すのは卑怯だ。


「あの子は知識に飢えているからな。この前も、宰相と治水工事の件であの堅物を唸らせたらしい。セシルはもう六歳の子供じゃない。手探りででも自分にできることを探し始めている。だからそろそろ、お前も自由になりなさい。違う場所で、新しい土地で。幸せを見つけるんだ」

「お兄様……」


 お前なんかいらない、と言われたほうが良かった。そうすれば、怒ったふりをして突っぱねられたのに。こんなふうに説得されたら、ほだされそうになるじゃないか。

 ここでは『じゃじゃ馬姫』で『能無し王女』かもしれないけれど、紛れもなく王家の一員だし、国民からは慕われている。短気で不器用でも、きちんと必要とされているのだ。それなのに、親しんだものを全部捨てて、どうして幸せになれるって言うの。


(マーレマールみたいに大きな国に行ったら、きっと退屈すぎて死んじゃうわ)


 儚い希望だとは分かっていたが、それでもリーリアは最後の望みをかけて兄の気を変えさせようとした。けれど――耳慣れた金属音が聞こえた途端――その望みも奪われてしまった。

 キィキィという音がだんだんと近づいてくる。

 リーリアは慌てて身を起こし、乱暴に涙の跡を拭うと、ずずっと鼻をすすった。セシルにはこんな頼りない姿、見せられない。やがて扉の前で音が停まると、ぎこちなく扉が開き、小柄な少年が顔をのぞかせた。


「陛下、姉様、マーレマールの皇帝がおいでになったと聞いたんですが……っ、姉様っ、どうかしたのですか?」


 どうにか取り繕えたと思ったが、目の赤みまではごまかせなかった。

 セシルは不安げな声を上げると、器用に障害物を避けながら近寄ってくる。その脚になっているのは車輪のついた金属製の椅子。もう彼の一部になって九年も経つのに、いつになっても胸が締め付けられる。


「丁度いいところに来たな。喜べ、セシル。お前の姉は一大帝国の后妃になるんだぞ!」

「お兄様っ、私はまだ納得したわけじゃ――」

「本当ですかっ!」


 不安げな面持ちから一変して、キラキラと輝く瞳に見上げられると、リーリアはその先を飲み込むしかなかった。


「マーレマールといえば海に囲まれているんでしょう? それに貿易を生業としているから、文化も民芸品も人も、全部があの国に集まるって聞いたことがあります。すごいなぁ、姉様がそんな国に嫁ぐなんて。ここには渡りの商人も吟遊詩人もあまり立ち寄らないでしょう。外の国の情報や絵画が入ってこないから、ずっと、どんなところか見てみたかったんです」


 期待の眼差しに骨の髄まで焼かれそうだ。

 これじゃあ、ますます結婚しないなんて言えない。ただでさえ、外出に制限がある弟の夢を壊すなんてできない。マーレマールに嫁げば、セシルに色々な経験をさせてあげられる。珍しい民芸品や大陸の書物だって見せてあげることができるのだ。きっと、手紙に書いて送るだけでも大喜びするだろう。その姿が今から目に浮かぶようだった。


 まったく、おたんちんのすっとこどっこい!

 どうせお兄様の狙いはそこなのだ。私が納得する、しないは最初から関係なかった。兄の中でもう答えは決まっているのだから。


「そうだな、我々はマーレマールのことも皇帝のこともよく知らない。知るためにはその場所に飛び込んでいくしかない」


 そう言って立ち上がると、案の定、ジェフリーは有無を言わさぬ瞳で見下ろしてきた。

 お前にその勇気はあるか? と挑発してくる視線に、リーリアは持ち前の負けん気がむくむくと顔を出してくるのを感じた。

 兄の瞳は自分と違って、セシルと同じエメラルドを思わせる優しい色合いなのに、持ち主が違うとこうも違って見えるものなのか。セシルには癒やされるのに、兄には苛つかされる。


「だったら、せいぜいあの澄まし屋から婚礼金をぼったくることね」


 私は安くないんだから、と言いながら差し出された手を握ると――。

 リーリアは勢いに任せて立ち上がりざま、最後の抵抗とばかりに、スカートを払うふりをして足を踏んづけてやった。


「――っ」


 三センチヒールに思い切りつま先を踏みつけられ、眦に涙が浮かぶのを見た瞬間、ちょっとだけ溜飲が下がった。ふふん、私のおでこもプライドも、それくらい痛かったんだから。今もまだちょっとジンジンしてる。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもないよ。それよりも、セシル。お姉様が向こうに嫁いでも恥をかかないように、帝国について色々教えてやってくれないか?」


 怪訝そうな表情で弟に見つめられ、ジェフリーはとっさに言い繕ったものの、『恥』という単語に嫌に力がこもっていた。一瞬ひんやりとした空気が流れる。

 だが、兄と姉が水面下でやりあっていると知る由もないセシルは、無邪気にもにっこりと微笑んだ。


「はい、陛下。姉様、椅子を押してもらってもいいですか?」

「ええ」


 天使のような笑顔で甘えてくる弟につられて笑みを返すと、リーリアは最後に執務室へと続く扉を一瞥した。


 扉の向こうに――私の運命を握る男性(ひと)がいる。

 予想もできない未来。

 まだ見ぬ世界。

 私はそこでちゃんと幸せになれる? ちゃんと周囲の期待に応えられる? 

 いや、考えても先ないことだ。


 たとえ相手が求めているのが魔力だけであっても、私が無能だと知って落胆されたとしても。それは私の責任じゃない。お飾りの妻や生贄の子羊が欲しかったのならご愁傷さま。私はただの傀儡にも国の犠牲にもなるつもりはないのだから。


 リーリアは椅子の取っ手を掴むと、ゆっくりと歩き出した。


 クローディアス・ウィルキス――あんたの望みは知らないけれど、私を妻にと望むのならそれを重々承知しておくことね。

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