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 約束の日。

 朝日を浴びてから、いつもの流れで服を着替えようとした私は、タンスを開いて手を止めた。

 初めてのデートだ。おしゃれにはじっくり時間をかけたい。

 そう考えた私は、パジャマのままで、先に服以外の身支度を整えることにした。

 でもそれは、あまりいい判断ではなかったかもしれない。


「どうしてパジャマのままなの?」


 いつもなら仕事に行っているはずの母親が、どうしてかまだ家にいたからだ。リビングで簡素な食事をとりおえ、コーヒーをすすっていた母は、開かれた扉の前で突っ立っている私の姿を見て目を丸くしている。


「ええと、これは、その………」


 想定外に出来事に、何も言葉を用意していなかった私は口ごもるしかなかった。さすがに、今日は恋人と遊びに行くから、「勉強できません」とは言えない。

 私が返答に窮していると、母は視線を訝しげなものへと変化させた。


(どうしよう………。本当のことは言うわけにはいかないし……)


 完全に困っていたけれど、しかし、そこで食卓に乗せられていた母のスマートフォンが鳴り響いた。


「あら、もうこんな時間。行かなきゃ。

 どういうわけか知らないけど、はしたないからパジャマは着替えてから部屋を出るようにしなさい。わかったわね?」


 私がそれに頷くと、母は家を出て行った。

 

「よかった……」


 私は胸をなで下ろした。

 勤務時間が近くて、よかった。



〇〇〇〇



 おしゃれし終えた後、時計の針を見ると、時刻は八時ちょうどだった。待ち合わせ場所は最寄りの駅で九時に集合だから、まだ時間的に余裕がある。

 私は自室に戻って勉強することにした。テストが近いので、受験勉強と並行してテスト対策をしなければならない。

 ペンを握るには、十分すぎる理由だ。

 教科書を開いて今期末の範囲である一番最初のページを開いて、一文ずつを読んでいく。けれど、その文字の列は目に入った瞬間に霧散して消えていく。

 集中できない。

 初めて男の人と二人きりで遊びにいくのだ。落ち着かないのは当然とも言える。こうなることはわかっていたけど、それでも、自分が思っている以上に私は緊張しているみたいだった。


(どうしよう、どきどきする)


 一番優先するべきことを差し置いてまで、そわそわするようなことだとは思えなかったけど、私が彼とのデートに期待していることは確かだった。

 時間にはまだだいぶ余裕はあったけれど、気が散ってそれどころではないからしょうがない。

 そう言い聞かせながら、私は駅へと向かうことにした。



〇〇〇〇



 待ち合わせより約四十分早く駅に到着した。変色している銅像の手前に立って、私は小林くんを待つ。

 落ち着かなくて、キョロキョロと私は辺りを見渡した。土曜日にも関わらずスーツに身を包む人、私と同じように誰かと遊びに行くのであろう、待ち合わせをしている人。また、駅を通過して行く同年代くらいの子達もいた。

 目まぐるしく入れ替わっていくその様子は、私の心を安定させるには、少し忙しすぎる。

 落ち着かない空白の時間に、心は不安が滲んだ。

 彼に告白されてから、心が休まる暇が少なくなっているような気がする。

 ひょっとすると、もしかしたら、おそらくだなんて、国語で習った推量を表す表現を重ねるけどーーー私は、前々から小林くんのことが気になっていたのだろうか。そうじゃなかったらこんなに動揺することもないんじゃないんだろうか。

 そんな真偽のはっきりしないことを考えていると、ふと、スマホが振動した。



「わっぁ」



 変な声がでてしまった。恥ずかしい声を誰にも聞かれていないのを確認した私は、ポケットから取り出した携帯電話に目を移した。

 小林くんの名前が表示されている。


「もしもし? 小林くん、どうしたの?」


 遅刻の知らせとしては、少々早い。

 なんだろう。


『さゆりさん、本当にごめん!』


 唐突に謝る彼。


『電車が人身事故を起こしたらしくてさ、ひどく遅れるみたいなんだ。タクシーを呼ぶことも考えたんだけど、お金が足りなくなっちゃうし……』

 

 小林くんが今日来れそうにないということは、なんとなく伝わってきた。

 本当に申し訳なさそうに事情を説明する彼の様子に、私は慰めの言葉をかける。


「しょうがないよ。人身事故なんて私たちには防ぎようもないし、運が悪かったんだと思う」


『本当にごめん……』


 どうしようもないことなのに、小林くんの落ち込み方は激しいもので。

 どうしてか、私の心は温かくなった。


「そんなに落ち込まないで。この日の埋め合わせぐらいしてあげるから」


 気づくとそんな言葉が口から出ていた。

 携帯から、驚愕と歓喜の声。『約束だからね!』、と無邪気にはしゃぐ声は、私の鼓膜を震わせた。



〇〇〇〇



 それから二週間後のこと。約束の埋め合わせの日が来た。

 今日は何の不運もなく、無事に遊園地に到着している。

 視界の幅いっぱいに広がる看板の向こう側には、ジェットコースター、観覧車、スペースショットなどのいろいろなアトラクションがそびえ立っている。ここのゲートの向こう側にはいけば、きっと楽しいに違いないと、わくわくさせられる外観だ。

 そういう私も、遊園地なんていつぶりだろうと思いを馳せながら、期待していた。


「なんだかドキドキするね」


「えっ!? それってどういう………」


 待ち遠しさを胸に、隣にいた小林くんへそんなことを言ってみると、彼は顔を赤くしていた。

 説明を求められたことに少し疑問は抱いたけれど、ありのままの内心を小林くんに話すと、


「あははは、そ、そうだよねぇ……」


 彼は見るからにがっかりした様子になった。

 なにか気に触るようなことを言ってしまったのかと思って、私は自分の言葉を顧みようとした。けれど、彼はすぐさま園内に入るよう私を促した。

 少し不安になったけれど、彼は、「気になるかもしれないけど、気にしないで!」と答えて行ってしまった。

 小林くんの顔は前を向いていて見えなかったけれど、彼がそう言っているのだから、その声を尊重して気にしないことにした。



〇〇〇〇



 小林くんは私のことを大切にしてくれた。

 私が歩き疲れてきたのを彼は察して「休憩しよう」、と勧めてくれた。ほとんど勉強しかしていない私の体は正直言って貧弱だ。だから、普通の人よりもきっと二倍近く休憩時間をとったと思う。けれど、私がゆっくり休んでいても、彼は変わらず穏やかそうな表情をしていてくれた。

 尽くす、という感じとは違う。

 小説や映画の中でしか知らないけれど、プレゼントを渡したり、相手のためになにか一生懸命行動したりしているわけではない。けれど、大切にされているんだ、という実感が得られる感じだった。

 それに、安心感が誘われた。


 それがあってか、遊園地はとても楽しかった。

 幼い頃に来た時は背が小さかったせいで乗れる物も限られていたけれど、今日は違う。初めてのジェットコースターに乗るのは怖かったけれど、休憩の一件があったからか、彼が隣にいるだけで、それが些細なものになっていったように感じた。乗り終わった後は、なんだかすっきりできた。

 ーーー彼の目はその時潤んでいるような気がしないでもなかったけど。


 もっと小林くんと遊びたい。もっと小林くんと一緒にいたい。

 気づけば、私はそんな思いを心の中で繰り返し叫んでいた。

 別れる時の名残惜しさと言ったらなかった。


「また、来ようね!」


 だから私は、次もきっとこうして遊べるようにと、願をかけるつもりで小林くんにそう言った。


「うん!」


 それに彼は力強くそう応えてくれた。


 そんな日は、もうしばらくはずっと来ないということも知らずに。

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