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第二話

 年齢の部分を慌てて修正かけました。直ってない箇所あったら教えてください。飲酒のシーン書いててそういや大学一年て未成年じゃん! と思った自分はあほでした。

「どうしたら二人きりになれるんでしょう」

「いや、普通にデートに誘えばいいんじゃないの?」

「だって何度誘っても気付いたらみんなでって話になるんですよ! もうこれ以上どうしたらいいかわからないんですよ! そろそろ心が折れます」

 涙目で項垂れる市川に、部長である大野と同じ四年である関谷、そして友人である永瀬がまあまあ、となぐさめる。しかし、随分と執心しているようだ、と永瀬は思った。基本的にいつも控えめで、面倒見はいいものの必ず『いい人』で終わってしまうのがこの市川だ。相手を尊重して、内側に踏み出すまでとんでもなく時間がかかる。永瀬も憧れを抱いている杉崎は、周囲への距離感がとても素晴らしく、多少図々しくとも許してくれるという懐の広さを持っている。だからこそ、市川もいつもよりはかなり積極的に動けているのだろうと感心していたのだ。

「案外とお似合いだと思うのよ。あんたみたいなタイプって結局、恋にまで至らないでくじけちゃうのが多いから歯痒くてさあ」

「そうそう。杉崎に似合うのって多分お前みたいなのなんだけどなあ。告白するのってみんなこう、いかにもモテます! みたいなタイプが多くて。俺もあれはなんか複雑だった」

「そりゃあそうですよ。夏夜さんは綺麗だし、気遣いも出来る人です。人間性に惚れ込むような人間が多いんだから、隣に立つのは自分のような人間だって思うのは神々しい男性に決まってます。わかってるんですよそんなのは!」

「いや、だからさ。そうなんだけど、そうじゃないって話なんだってば」

 どうどう、と関谷がなだめても、市川は涙目で酒をあおるばかりだ。そこまで強い方じゃないと言っていたから、あまり呑ませて潰れたら大変である。何せ今日は杉崎がいないのだから。

 いつもの居酒屋とは違うが、学校の最寄に位置する駅からも中距離のこの居酒屋も、四人が通う大学の生徒はわりかし利用している。ひょっとすると知り合いもいるかもしれないが、市川は本人以外にならば知られても今さらだとでも思っているのか、声のボリュームは下がるどころかどんどん高くなっていく。

 今日の回は、サークル総出で協力している市川の恋が、どうも芳しくない、という事で一席設けたのだ。サークル内で他よりも杉崎と親しいといえる大野と関谷がその役割を引き受けた。永瀬の参加はあまり暴走しない為の歯止め役としてと、先輩二人に緊張しないようにという配慮であったが、どうやらあまり意味がなかったらしい。

 あまりにも明け透けだし、かなり暴走している。普段の市川にしては珍しかった。それだけ、行き詰っているし好きという感情も大きくなっているのだろう。

「脈あるんでしょうか……」

「えっ」

「えっ」

「えっ」

 涙目で呟かれた一言に、他の三人が止まった。気まずい時間が流れて、今にも市川が泣き崩れる、という所に、救いの女神が現れた。

「あるわよ、脈」

「! ()()っ、遅いよお」

「ごめんごめん」

 けらけらと笑いながら遅れて席に着いたのは、杉崎に千早と呼ばれる、高校時代からの友人だった。今回の相談会で、欠かせない人物だからと呼び出したのだ。取っている授業が被るので、関谷と久保は個人的な付き合いまではいかずともけっこう話す事が多い。

「ちょっとそっち詰めて。ほう、あなたが朝陽くんか。ちょこちょこ見かけてたけど、間近で見るの初めてだわー」

 よろしくね、と微笑む久保に、よ、よろしくお願いします、と市川はつかえながらも挨拶を返す。四年生はソファ席に三人並んで座っていて、市川はちょうど久保の向かい側に座っていたので、かなり無遠慮にじろじろと見られているが、あまり嫌な感じがしなかった。夏夜とは違う意味ですごい人っぽいな、と思いながら、呑んでいる酒を口に入れる。

「私ウーロンハイにしよ。あと塩辛と串と芋と」

「はいはい、好きに頼んで」

 マイペースに追加の注文を頼むが、杉崎のようにすかさず他のみんなに追加があるかなんていう事は訊かない。とことん自分だけで完結してる人なんだな、と妙な清々しさを感じた。

 永瀬はまじまじと面白い人だな、と眺めるだけだったが、市川はそれだけではない。先ほどの発言が、気になって仕方がなかった。それを訊くには何となく、彼女が最初の一杯を口にしてからだろうと思っていたので、早く注文が来ればいいのにと気が気ではない。

 やっと到着したそれを半分くらい一気に呑み干したところで、市川は前のめりになった。

「あの! さっきの脈があるって、空耳じゃないですよね!?」

「ん?」

 首を傾げる久保にみるみる絶望的な表情になっていく。しかしややして、無責任ではないかと思われる発言をした久保がふき出した。

「ごめん――いやあ、からかいがいあるねえ。うんうん、もちろんあるよ、脈」

「本当ですか!」

 からかわれて酷いだとか、もうそんな事はどうでもよかった。市川にとって、重要なのは自分が抱くこの持て余して仕方がない日々かさを増していく想いがきちんとした形に行き着いてくれるか否かだ。

 しかしどうした事か。妙な沈黙が落ちたと思ったら、鬼気迫る市川のその表情に、久保はなぜだか嬉しそうな顔をした。

「今まであの娘を好きになるような奴ってさ、あいつを装飾品みたいに考える男ばっかだったのよ。男前だけどいい女っていう、大学ではちょっとした有名人な夏夜を、誰も女として扱わない極上な女を、俺だけが女として隣に置いてるんだっていう欲を満たす為だけに告白するの。そんな残酷な事をやってる当の本人は自覚すらないのよ、きちんと恋をしているんだって自分に言い聞かせているから」

 反吐が出る! と吐き棄てる久保に、大野と関谷は苦い表情で頷いた。どうやら彼らにも思い当たる節があるようだ。

「初めてだよ、夏夜を女として好いてる男を見たの。純粋に、ただ恋してくれてる男を見たら嬉しくてね。あいつ本当にいい奴だからさあ。幸せになってほしいって思ってる連中はいーっぱい、いるのよ」

「そうなんだよな。しかしあいつを女として好きになれるほど純粋な奴がなかなかいなくて」

 久保の言葉にうんうん、と頷きながら話す大野に、関谷も同調して続ける。

「包容力と上手に甘える能力が同居してないといけないなんてけっこうハードルが高いんだよねえ」

 三人の言葉は、どれもあまりピンとこなかった。市川が現在考えている事なんて、本当に普通の事なのだ。彼女が好きで、時折のぞかせる笑った顔が可愛くて、普段の彼女は凛々しくも綺麗で、尊敬しているし、同時に好きだと思う。頼りたいと思うかたわらで、どろどろに甘やかしたら、どうなるんだろうなんて事も思う。けれどどんなに頭の中で考えたって、本当にそれが叶うかはわからないし、何よりも恋仲になれる可能性なんて何パセーントなんだろうかと冷静に考えると、目の前は暗くなるばかりだ。

 そもそも、引く手数多ではないのか? むしろ高嶺の花すぎるという事なのだろうか。しかし、装飾品扱いとはどういう事なのか。わからなくて、眉根を寄せて考える。

「夏夜さんは……すごく素敵な人です。ただ、それだけです」

「うん、それで十分よ。出来ればそう伝えてあげてほしいんだけど」

「――それって、告白しろって事ですよね?」

 無言で頷いたのは、目の前に座る久保だけではない。その席に着いている全員だ。無言の圧を感じながら、市川は頭を抱えた。

「この期に及んでまだ迷うのか!」

「お前なあ! 他人事だと思って! 一度振られても頑張りたいくらいには好きだよ! だけど困らせたくもないんだよお! 何より勇気が出ないっ! もっと距離詰めたいんだよおおお」

 どうして二人きりになってくれないんだああああ!

 叫ぶ市川に落ち着け、と四人がかりで宥めながら、しかし次には誰からともなくうなり声が上がる。

「まあ、好いた人に気持ちを伝えるのは誰しも勇気がいるしねえ。もっと個人的なつながりを強くしたいっつう気持ちも痛い程わかる」

「あの、俺の目から見ると朝陽は全然そういう対象に見られてないように見えるんスけど……本当に先輩が言うみたいに脈あるんですか?」

 親友の言葉に止めを刺されたかのように胸に痛みが走る。市川が無言で永瀬を睨み付けると、永瀬は誤魔化すようにへらりと笑った。

「そもそも名前で呼び合ってる時点でけっこうすごいよ? あいつって意外と一定から中に踏み込ませないとこあるから」

「うんうん。やんわりと壁を作られるんだよね。かなりオープンなふりしてそうでもないよ、杉崎って」

「関谷に聞いたんだけど、夏夜の隣で手伝いとか自然にしてるんでしょ? そこもすごいわよ。普通はないもん」

「…………それって男として全く意識してないから無警戒って事ではないんですか?」

 大野、関谷、久保の言葉にまたも永瀬が反論する。しかしその言葉を、三人は鼻で笑った。

「わかってないねえ、後輩。弟のように思わせておいて実はそうじゃなかったって気付いたら、それこそそっからは早いよ」

「今はもう土俵際だって理解しないと。勝ったも同然」

「あんたが頑張るとしたら最後の追い込み。その一点」

 口々に言われる言葉に、永瀬どころか市川も目を丸くする。

「い、いつの間にそんな事に」

 恐れ多いといった風情で話す市川に呆れたのは久保だった。

「無意識だったの? それはそれで末恐ろしいわね」

「いや、だとしたら夏夜さん限定でしか出来ません」

「わーお。本人にそう言ったれよ」

 関谷が少しふざけた口調で言えば、真顔で無理です、と発言する市川。つまりはそこなのだ、と永瀬は続ける。

「先輩たちの言葉で現状はまあ理解できました。でもそれこそ、こいつに求めるのは酷ですよ。今までがずっといい人止まりで、多分ここまで好きになったの初めてだから根性見せてはいるけど基本的に相手の事を思いやりすぎて踏み込めないんです。杉崎先輩みたいにああも他人に気を遣うタイプならなおさら、こいつは先輩たちに何を言われても確信が持てないかぎり自分から困らせる可能性あるなら告白するなんて芸当が出来るはずありませんよ」

 あまりにも的を射ている言葉の羅列に、今度こそ市川は完全に沈黙した。それは比喩でも何でもなく、永瀬の攻撃にあてられ自暴自棄になった市川が酒を一気にあおった結果だった。市川の意識は、あっという間に失われた。


「ごめんね杉崎」

「いや、かまわないよ。でも珍しいね? どういう集まりだったの?」

 笑って誤魔化すような表情は、何かを隠していると言っているようなものだとわかっていたけれど、今ここで踏み込んだりはしない。そういう距離感は弁えているつもりだ。

 自宅に電話がかかってきたのは、つい一時間前の事だった。五人で呑んでいたら市川が潰れてしまい、どうにもならずに困り果てている、と。二十二時を回り、さてどうしたものかと考えた時に浮かんだのは私の顔だったそうだ。まあ、そうなるよなあ、と小さく笑う。

 いまだ理由をしつこく訊いたりはしていないけれど、やはり気になるのはその顔ぶれだった。なんとか朝陽くんを我が家まで運んでくれた人々を見渡すと、大野、関谷、永瀬はまあまだいいとして、まさかその中に千早がいるとは。一体全体、何の話をしていたのやら。関谷と千早はそれなりに付き合いがあるし、今度呑まないかなんて話になってもおかしくはないけれども、だからってこのメンバーで集まるのはどこか違和感がある。

「千早、ちょっと」

 結局、どうにも気になってしまい、翌朝みんなを帰してから個人的に訊いてみようかと思っていた少し前とは違い、私は千早を呼び出した。ここまでこらえ性がなかったかな。ひょっとして朝陽くんの事だからだろうか。そう思うと赤面しそうになるから、あまり意識しないようにしなくては。

 その朝陽くんは二階で眠らせているし、リビングには適当なつまみと酒もあるので皆にはしばらくそれで過ごしてもらおう。三階にある私の部屋へと千早を招いた。

「あんたの部屋、相変わらずだねえ」

 モノトーンと少しのグリーンで整えられた部屋を眺めて感心したかのような声を上げる千早に、とりあえず今はその話はいい、とため息を吐いた。

「今日の集まり、具体的な事は言わなくていいけど……」

「ん?」

「朝陽くん、大丈夫なの? 何か深刻な悩みでもあるんじゃ」

「あー、まあねえ。でも、あんたが気にする事じゃないよ。あの席に呼ばれなかったって事はそういう意味でしょ?」

「ん……まあ――そうだね」

 千早の無遠慮な言葉にぐさりと先制攻撃で特大の釘を刺された気分だ。というかまあ、そうなのだろうけれど。これ以上は言えない、という事だろう。蚊帳の外なのが悔しい。少しは懐いてくれていると思ってたんだけどな。まさか自分をすっ飛ばして他の人間に相談事を持ち込んでるとは思わなかった。

「悲しそうね、夏夜」

「え?」

「傷付いた顔してる」

 ぐい、と顎を掴まれて目を見開く。じっと覗き込まれて、何かを探るかのような千早の表情。彼女がこういう性格になったバックグラウンドにはとあるとんでもない女性の存在があると知っている。その女性の話をよく面白がって催促した時期があったけれど、訊けば訊くほどに規格外も過ぎるような女性だった。自分は普通ではないのかと思う程度には。そんな女性の傍で過ごした時間があるから、きっと千早は今のような彼女になったのだろうと思う。千早にしてみれば、毎年長期休暇の際にしか会わないのだから、影響力と言ってもたかが知れているなんて言っていたけれど。

「ごめんね、私からは言えない。それこそ、プライベートな事だし」

「うん、わかってる」

「でもね、気になるなら訊けばいいじゃない」

 覗き込んでいた視線を外して、ついでに顎からも手を離した千早は、小さく首を傾げて当たり前のように言った。

「え?」

「気になったら訊いていいんだよ、夏夜。それは別に相手を傷付けるわけじゃないし、罪でもない。話したくなかったら相手は話さないだけだもん。いいんだよ、それくらいしたって」

「――そうか」

「そうだよ」

「うん、そうする」

「うん。じゃあ戻ろっか」

 千早にしてみたら、いや、多くの人にしてみたらそれは当たり前の事だったのかもしれなくて、けれど私みたいにあちこちへ気を回してしまう人間からすると、それさえしてはいけないんじゃないかと思っていた。けれど、そうではないんだ。話したくないと言われてしまったら怖いけど――訊いてもいいんだ。そっか。

「千早はすごいなあ」

「だから、それやめてってば!」

「可愛いなあ」

 頭を撫でてにこにこと笑うと、千早が嫌そうな顔をする。私は顔を赤くする千早にかまう事なく優しく髪を整えると、本気で惚れちゃうからやめてください、と涙目で言われてしまった。なぜだ。


「え? もう帰るの!? 別にいつもみたいにゆっくりしていけば……」

「ごめんね、実はみんなちょっと用事あってさ。市川押し付けるみたいで悪いんだけど、あいつは自然に起きて来るまで寝かせてやってもらえる?」

「それはかまわないけど……そんなに早く出ないといけないの?」

「ああ、悪いな。お詫びはまた改めて」

「いや、それは全然気にしないで」

 苦笑する大野と、それに同意してすまなそうな顔をする面々に疑問符を浮かべながらも見送る。そんなに朝早くに帰らなければいけない用事があったのなら、どうしてあの時間まで呑んでいたのだろう。週末だったし、メンバーみんな、午後の授業はなかったはずなのに。二年生はわからないから、そっちに合わせたのだろうか。五時という始発も動き出してそれほどは経過していない時間に、皆は慌しく杉崎家を出る。

 夜に連絡する、と千早だけ妙に意味深な笑顔を置き土産に、帰ってしまった。


「上手くいきますかねえ?」

「どうかなー。ここまでお膳立てしても駄目ならちょっと期待はずれだったかな」

「久保、手厳しい」

「私と夏夜はいわば親友なの。親友をそこら辺の男にやれるわけないじゃん」

「まあ、私も杉崎には幸せになって欲しいなあ」

「誰かひとりくらい市川の幸せも願ってやれよ」

 大野の言葉に、誰もが笑った。


 重い鈍痛に眉を顰める。

「いって……」

 酒の味を覚えてから、ここまで手痛い目に遭った事があっただろうか。考えたけれど、初めての経験かもしれない。ずきずきとハンマーで直接脳を打ち砕かれているかのような痛みになんとか耐えながら、重たい瞼を開ける。

「…………ん?」

 おかしい。

 生じた違和感にしばし混乱しそうになったが、やがて気が付いた。そういえば、昨日って自分の足で帰ってない。確か居酒屋でやけくそになって酒をあおってから意識が飛んで――そうか、あれが自分の酒量の限界だったんだ。

「うーわ……何やってんだ、俺」

 景色を見渡して見当がついた。ここ、夏夜さん家だ。何度も泊まりに来て、少し見慣れた景色になっていたから混乱せずに済んだけれど、そうじゃなければ寝起きの頭がパニックに陥るところだった。恐らく、みんながどうにもならない自分をここまで運んでくれたのだろう。情けなくて泣きそうになる。

 何時だろう。

 ベッドの下に置かれた自分の鞄を探ると、いつもの外側のポケットにスマートフォンがしまってあった。手に取ると、時計の表示は午前九時を示している。そこまで非常識な時間ではなく、ほっとした。

 起きてすぐよりはましになった頭を抱えながら、荷物と共に階下へ降りる。夏夜さんはもう起きているだろうか――多分起きているだろうな。

「朝陽くん、おはよう。大丈夫?」

「…………」

「朝陽くん? 寝惚けてる? それとも声出せないほど具合悪い?」

「――いえ、ちょっと、頭は痛いですけど気分はそこまで悪くないです。おはようございます」

 言えない。新婚みたいだと思ってこの空気を噛み締めていました、なんて口が裂けても言えない。

 夏夜さんは俺の心を知らないまま、くすくすと笑った。

「随分と無茶呑みしたって? はい、まずこれ飲んで」

 冷蔵庫から取り出されたのはスポーツドリンクだった。これも二日酔いには有効だからとよく飲ませてくれたのを覚えている。俺はお礼を言って受け取った。

「朝ごはん食べられそう?」

「ええと……味噌汁は大丈夫だと思います」

「よかった」

 しじみの味噌汁も、二日酔いには有効だといつも用意してくれる定番だった。五百のペットボトルに入ったスポーツドリンクを丸々飲み干した俺の前に、今度はその味噌汁が差し出される。

 相変わらず出来すぎている。こんな身体ではなければ享受されるだけではなくいつものように手伝いを申し出るのだが、さすがに無理だ。お礼とお詫びを繰り返すくらいしか出来ないのが情けない。

「あれ? そういえば他のみなさんは」

 妙に静かだなと思えば、他のメンバーが不在なのに今さらながら気が付いた。ひょっとして、まだ寝ているのだろうか?

「ああ、なぜだかみんな早々に帰って行ったよ。朝の五時くらいに。用事があるとかなんとかで」

「――そういえば、そんなような事を言ってました」

 思わず叫びだしそうになったが、そんな元気がなくてよかった。これはひょっとしなくても、気を遣ってくれたのだろう。舞い込んだチャンスを、生かすのは今しかない。けれどそんな急に勇気は出ない。どうしよう。

「はい、頭痛薬とお水」

「何から何までありがとうございます。お味噌汁も、いつも通り美味しかったです」

「お粗末さまです。毎回きちんとお礼を言ってくれるの嬉しいものだね」

 ふふ、と微笑まれて、その顔に見惚れる。

 ああ、可愛いなあ。願わくば、自分だけに向けてくれる笑顔枠が欲しい。

「あの、朝陽くん?」

「――? はい」

 いつもならばすっきりとした口調で話す夏夜さんが、珍しくはっきりとしない。何かをためらうように間を持たせて、キッチンから出るとダイニングテーブルに腰を落ち着かせている俺の隣の席へと着いた。

 なんだ?まさか――。

「ひょっとして、何か悩んでる?」

「え!?」

「こんな風に二日酔いみたいになるのも初めてなら、正体がなくなるまで呑む事もなかったでしょう? だから、何か深刻な悩みでも相談していたんじゃないかなって」

「あ、ああ……」

 なんだ、そんな事か。

 若干期待してしまった自分が恥ずかしくて少し赤面する。ああもう! 散々押されたからって単純だな俺は。そんなはずないだろうが!

 しかし目の前の夏夜さんはずいぶんと重苦しい空気を醸している。どうしてそんなに深刻そうなのだろう。それほどまでに俺を心配してくれているって事? 俺って、少しは夏夜さんにとって特別なのかな。

「あの、差し支えなければ、相談事って何なのか、話してくれないかな? 言えないなら仕方ないけど……私、もし協力出来るならしたいんだ」

「えっ!!?」

 それはつまり。

 ――告白するって事、だよな。

「いやいやいやいやいやいやいや! だだだ大丈夫です! 本当そんな、そういう、あれじゃないんで! 夏夜さんが気にするような事じゃないから!」

「――そう?」

「は、はい」

「ふうん、そうか」

 ん? 夏夜さん?

 目の前で少し雰囲気が変わりつつある彼女に、俺は首を傾げた。


 結局、私はその程度の存在だったんだ。それならば、今この場で言ってしまっても、差し支えないだろう。彼にとって私がちっぽけな存在ならば、振った事に罪悪感を抱く事もないだろうし、口を噤んでなかった事にもしてしまえるだろう。

「私は、知りたかったなあ。だって、朝陽くんが好きだから」

 にっこりと微笑んで、言ってやる。

 もうちょっと気合入れた格好してればよかったかなあ。でも朝からそれもなあ。化粧はまあ、しているけれど。何てことないティーシャツにジーンズだし。まあ、形を気にしても仕方がないか。

「………………はい?」

「悲しいなあ。恋心を抱いた相手に相談ごとの一つもしてもらえないなんて。まあ、それだけ親しいと思ってたのは私だけで一方的だったって事だもんね、仕方がない」

「え? え?」

「振られてしまうのはわかっていたからもう少し後で言おうと思ってたんだよ。けれども私の思い上がりだった。私がサークルに顔を出さなくなるまで黙っていないと優しい朝陽くんは私を傷付けてしまった罪悪感で苦しいんじゃないかなって。けれども、大丈夫だよね? あまり気にせず、今まで通り接してくれる? 私もそうするから」

 す、と握手を求めて微笑みつつ、畳み掛けるように言ってやる。いいからとっとと受け入れてくれないだろうか。そうしたら私はあなたを追い出して、週末にひとりでこの気持ちに何とか整理をつけてみせる。だから早く。私に止めを刺してくれ。

 そう思っていたのに。

「――やめてください」

 差し出した手を取る事もなく、目の前の優しいと思っていた青年は私を睨み付ける。私はそれに、どんどん心が暗くなっていった。

「…………告白すら、させてくれないのか」

 苦笑して、悪かったね、と告げて立ち上がる。そうか、彼は、私が思うような人ではなかったのか。勝手に理想を押し付けてしまっていたのかな。

「悪かったね、煩わしい事に巻き込んで。申し訳ないけれど、なかった事にしてくれてかまわないから今日は帰ってくれない――」

 え!?

 か、まで言おうとした所で、後ろから物凄い力で引っ張られた。背中を向けて立ち上がった体勢をあっさり方向転換されて、私は何かあたたかいものに包まれた。いや、包まれたなんて優しい表現じゃない。

 ――絞め付けられている。

「あ、あさ」

「ふざけないでください!」

 いつにない険のある声に驚いて、びくん、と身体を揺らす。しかし次には宥めるかのように背中をさすられて、固くなる身体と心は徐々に落ち着いていく。

「何ですかそれ。一方的に告げて、一方的に自己完結ですか。返事も求めないって馬鹿にしてます? ちゃんと俺の答えを訊いてください」

「だ、だって」

「だってじゃありません。まったく、夏夜さんは! 鈍いって言われた事たくさんあるんじゃないですか?」

「いや、あの、その」

「好きですよ」

「!」

 耳が拾った言葉は、幻だったのではないか。それくらい衝撃的な言葉に、私は目を見開いて固まった。

「あなたが、夏夜さんが、好きです。いつも人を気遣って、いつも先回りして他人を助けて、それに喜びを見出す寂しがりやなあなたが、大好きです。格好いいのに、可愛い、そんなあなたの隣で、甘えたいし、甘やかしたいって、いつも思っていました」

「朝陽、くん……」

「俺と、お付き合いしていただけますか?」

 こらえきれなくて、泣きながら何度もこくこくと頷くと、朝陽くんがまるで太陽のように顔いっぱいで微笑んだ。

「よ、かった……!」

「……私から好きだって言ったんだから、当たり前じゃない」

 ぎゅう、と抱きしめられて、少し脱力したかのように頭を私の肩に預ける朝陽くんの背中をいたわるように擦ってやると、だって、と朝陽くんは少し拗ねた声を上げる。

「夏夜さんてばまるでもう満足みたいに微笑むんですもん。なんか俺の返事なんかいらなくて、振られて完結させたいみたいに聞こえた」

「それはその、ごめん。けっこういっぱいいっぱいで」

「俺こそすいません。自分から言えば格好ついたのに。実は相談て、まさしくそれだったんです。さんざん誘っても二人きりで会ってくれないから、どうしたらいいかって」

「え!? ご、ごめん。てっきりみんなで遊ぼうって事なんだと」

「俺は遠回りに振られてるんじゃないかって思ってましたよ」

 腕を解いて、苦笑する朝陽くんに、私は慌てて首を振る。全然まったくそんな意図が見えてなかった。そうか、あれってデートの誘いだったんだ!?

「まあ、何だっていいです。今こうしてれば」

「朝陽くん」

「好きです、夏夜さん」

 微笑んで、近付くその顔を受け入れようとゆっくり瞼を閉じた。

 唇が重なって、しばらく。

 少し恥ずかしそうに笑った朝陽くんは、どういうわけか照れ臭そうに言った。

「じゃあ、今から俺だけの夏夜さん枠の確認させてください。みんなの分を残すななんて言いませんよ? ただ、俺が特別枠だって実感がほしいんです」

「え!? あの、て、展開早い」

「不安なんです」

 泣きそうな顔をする朝陽くんの顔を見ると、何にも言えなくなった。


「まさか夜の電話に出れなくなるほどの事をしていたとはねえ」

「そのにやにやした笑いやめてくださいよ!」

「君ね、そう仕向けた張本人じゃないか」

 なぜだかあそこまで大胆な事をしたくせに、人に指摘されると真っ赤になって慌てる朝陽くんは正直、多重人格者なんじゃないかと疑うレベルだ。一体全体、どうなっているのやら。

「まあ、よかったよかった、上手くまとまって」

「サークルで祝杯あげないとなあ。全員参加したいとか言い出しそうだ」

「お前、やるときゃやるな」

 あの日のメンバーが総出でからかってくるのを笑顔でかわしながら、赤面する朝陽くんを見て幸せを実感する。なんだかいいな。こういうの、初めての感情だ。

「あ、でもあんまり突っ込んで俺らの時間を根掘り葉掘り訊かないでくださいね。その時間の夏夜さんは俺だけのものですから。ね?」

「え!? う、うん」

「あれ、赤いですね。可愛いなあ、もう」

 他のみんなにからかわれるのは何てことないのに、どうしてだか朝陽くんの言葉には素直に照れてしまう私がいる。恥ずかしくて俯くと、朝陽くんは容赦なく私の頬をその手でつるりと撫でた。

「うん、完璧ね」

「こうまでくると怖い気もするけどね」

「てか、朝陽キャラ違う気ぃするんですけど」

「両想いになるとその相手にだけ大胆になる奴いるよな」

 好き勝手話す仲間たちに酒の肴にされながらも、なんだかんだ幸せを噛み締めていた。

 ――ていうか、いつまで人の頬を触ってるんだ朝陽くん!



お付き合いくださりありがとうございました!

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